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ナーシェルと不思議な仲間たち

 こちらは、子どもの頃に書いた作品のひとつです。小学生から、高校の途中までの作品は、大学ノートに書いていたので、引っ越しの時捨ててしまいましたが、この作品は、ワープロで書いたんでしょう。 当時は、フロッピーに保存しておりました。 そのため、原稿のところどころが、欠けています。 では、ナーシェルと不思議な仲間たち、どうぞ!

◇  はじめに……

 銀河をずっと下ったところに、とてもきれいな星がある。
 その星はとても平和で、戦争なんてない。一年中がずっと春で、木も草も生き物も、とても仲のいい星なのだ。
 地上はずっと地平線まで花でおおわれていて、そこには一番きれいな水がながれている。
 常春の星には病気なんてない。食物はあちこちになっているから、泥棒もいない。だから、みんなのんびりしてしまって、ひとに襲いかかるようなこわい動物もいない。
 そんな星にすむ人たちは、きっとのんきで仕事なんてしないにちがいない。ここは銀河でいちばん幸せな星なのである。
 とても遠い星だから、きっと行った人はいないんだろうな。

 きれいな星のきれいな屋敷には、ひとりの貴族が住んでいる。ネッチモンド伯爵の屋敷である。
 町中の職人が技術の粋をつくして造り上げた白亜の屋敷はおだやかな陽射しをうけてきらきらとかがやき、広大な敷地には狩猟用の動物がはしりまわっている、はずだった。
 もともとこのウインザー家は星いちばんの名門の家であったが、伯爵自身は変り者で、都市にでて権力争いにしのぎをけずるでもなく、田舎のハンパーブルクという町で、気ままな生活をおくっていた。

 その屋敷の廊下を、使用人がバタバタと走りまわっていた。
「大変だ! 旦那様がいなくなったぞー!」
 かれの声をきき、他の使用人たちが、わらわらとあらわれた。
 すると、ネッチモンドをさがしまわっていた別の男がやってきて、
「ミッチの奴も見当らないっ」
 といった。
 ミッチというのは、世捨て人のミッチモンドのことで、かれは毎日町をぶらつきながら、乞食生活を送っていたことだった。
 公園や橋のたもとで悠悠自適の生活をし、昼になるとあちこちを徘徊している。まわりの人間からは変人扱いされているが、ネッチとだけはどういうわけだかウマがあった。
 ふたりは、たびたび屋敷をぬけだしては、いろんな所へ出かけていく。
 世捨て人の乞食と、星一番の伯爵がいっしょなのが、なんとも変わったところだった。
「あの二人、連れ出すのがミッチならいいんだけど、さそっているのは旦那さまだからなぁ」
 鼻の下にひげをたくわえた男がこまったようにいった。
 でも、そこはやっぱり、平和な星に住む人たちだから、「そのうち戻ってくるだろう」
と、至極楽観的になって、おのおの部屋にもどって行った。
 この星の人たちは、いつもこんな感じなのである。

◇  シングルハット、石炭を食う

 広い銀河をたった一隻、ボブンボブンと煙をはきながら、ヨタヨタと漂うようにとんでいる船がある。
「じつにきれいな星だなー」
 虹の冒険号から銀河の星雲をながめ、ネッチモンド伯爵は、にこにこしながら言った。
 目とカミの色は黒で、伯爵の割りに、面立ちには目立った特徴がない。
「なに、わしの金歯よりは光っちゃいないさ」
 と、その隣で、ミッチモンドが、下アゴの二本の金歯をイーと見せた。
 顔の中央に、おおきなワシ鼻がドデンとおかれていて、落ちくぼんだ目は、黒々とひかっている。ミッチはネズミ色(もとはまっしろだった)の貫頭衣をすっぽりかぶって、腰のあたりをヒモでむすんでいる。
 世捨て人になってからは、すっかりうす汚れてしまって、どちらかというと、乞食になってしまった。
 この人は、ジジくさいしゃべり方が好きで、声もどちらかというと甲高いので、あまり正確な年令はわからない。ボウボウにのばした髪は灰色になっているが、年はネッチと変わらないはずである。
 シワがよってしんどそうだが、この人はまだ若いのだ。
「あいかわらず、その金歯だけは自満のようだねぇ」
 シルクハットに燕尾服、それと胸もとに蝶ネクタイをきちんと結んだネッチは、あきれたようにミッチを見下ろした。
「この金歯は特別なんだぞ」
 と、ネッチのあきれ顔にはまったく気づかず、ミッチは自満そうにいばりちらした。
 二人は、いつものように虹の冒険号という、存在自体が化石みたいな船で、あてどもない旅に出た。臆病者のくせに、冒険好きなかれらは、こうして気が向くたびに、冒険旅行に出るのである。
 その度にひどい目に合う。
 帰るつど、こんなことはもうやめようと思うのだが、時間が経つと、こわかったことも忘れて、またぞろ旅に出たくなる。
 今回もそうだった。いつのまにか連れだって、虹の冒険号を倉庫からひっぱりだし、夢中になって南の銀河をとびだしてきた。
 冒険は、かくも恐くて楽しいものなのだ。
 一本しかないエントツから、ボコンボコンと煙を吐くたびに、船はかすかに振動する。
「このボロ船も、ずいぶんとご機嫌じゃないか」
 ミッチが機嫌よさそうにうなずいていると、「ボロ船とはなんだっ。この虹の冒険号はな、私のひいひいひい、ひいおじいさまから乗り継いできた……」
「そんな前から乗ってんのか!」
 ネッチの講釈をきいて、ミッチの目玉は、ボヨンと飛びだしそうになった。
「そうだよ。なんとも愛着があっていいなぁ」
 ネッチは幸せそうに目をほそめた。
 ミッチは不幸せそうに顔をしかめ、「そういえば、ずいぶん古ぼけているもんなあ」と、少々感心したようにうなずいた。
「まぁ、いいじゃないか。こうして、銀河の旅を楽しめるのも、虹の冒険号のおかげだよ」
 ネッチは、後ろのかまどに、スコップで石炭を放りこみはじめた。
 虹の冒険号のエンジンは、なんと石炭で動くのだっ。
「その、石炭ってのが、なんとも不安なんだよなー」
 ミッチはうたがわしそうに、せっせと石炭をくべるネッチを、しみじみ見やった。
 木造の冒険号は、あちこちに木でつぎはぎが当てられている。おざなりな修復が、いかにも、「古いんです」と、主張しているかのようであった。
「はやく冒険にめぐりあいたいものだねぇ」
 ネッチは燕尾服を脱いで、カッター一枚になりながら、ひたいの汗をぐいとぬぐった。
「今回はすてきな冒険になりそうだ」
 ミッチがバネのとびだした椅子に、ドスンとすわりながら答えた。
 この間の冒険でひどい目にあったのに、二人はちっともこりていない。
「今度は東の銀河に行こう」
 ミッチが背もたれ越しにふりむくと、ネッチが奇声をはりあげた。
「ああ!?」
「どうした?」
 と、ミッチは怪訝な顔でふりむいた。
 ネッチはあきらかに動揺しながら、
「せ、石炭がなくなってるっ」
 と、悲鳴じみた声で答えた。
 見ると、星を出るときは、こんもりと山積みされていたはずの石炭が、今はほんの一山残すのみとなっている。ネッチのスコップで、一回すくえばそれで終りだ。
 これは大変なことになってしまった。虹の冒険号は石炭で動いているのだから、それがなくなっては広い宇宙をただようしかない。
 残っている石炭では、エンジンを一吹かししておしまいだろう。
 さすがのミッチも、しばし唖然となってしまった。
「見ろっ」
 と、ネッチがひとさし指をつきだした。
 石炭の山から、シッポがひょこんとつきでて、右に左にゆれている。
 ネッチがシッポをにぎって引きずりだした。すると、
「シングルハット!」
 と、ミッチがわめいた。
 ネッチの手の中で、宙ズリになって暴れているのは、白ネズミのシングルハットである。
「は、はなせっ」
 暴れるシングルハットに、ミッチは怒ってちかづいた。
「こいつー、よくも大事な石炭を食べたなー!」
「ミッチが悪いんだぞ、オイラにだまって冒険に出たんだからっ」
 今度はミッチに尻尾をつかまれながら、いたずらネズミのシングルハットは、すこしも悪怯れずに抗弁した。
 ミッチとシングルハットはいっしょに暮らしている。どうもシングルハットは、旅に連れてきてもらえなかったことを怒っているらしかった。
「石炭を食べることないだろう、この雑食ネズミっ」
 ミッチがツバをとばしてわめくと、
「いい気味だ。ミッチが悪いんだ。おいらをだました報いだ」
 シングルハットは、手足をジタバタさせてわめきかえした。
 虹の冒険号のエンジンが、ドカンドカンと、異様な音をたてはじめた。
 ネッチはあわてて残りの石炭をかまどにほうったが、虹の冒険号は木の葉のように揺れはじめた。
「まずいぞ、あの星に吸いよせられてる!」
 ミッチが、シングルハットの尻尾をつかんだまま、仰天して叫んだ。
 虹の冒険号の窓には、巨大な星が大写しになっている。
 石炭はなく、代わりになる燃料もなかった。
 エンジンは完全に停止し、ネッチたちは為す術なく、星に吸いこまれていった。

木の葉の国

◇   其の一 ドードー鳥とナーシェル

 虹の冒険号は大気をひきさいて、やがて、深い深い、じゅうたんのような森のなかへ、音もたてずに落ちていった。
 木々の梢を何本もへし折り、船体がはげしくゆれうごいた。ガコンガコンと、二度ほど大地にバウンドして、虹の冒険号はようやくとまった。
「ギャア、ギャア、ギャア!」
 鳥たちが、なにごとかとさわぎたてる。
 せまい船内をころげまわり、さかさになって壁にもたれかかっていたネッチは、その声をきいて目をさました。
 視界がゆがんでいるな、と思っていると、それはそのはずで、床がななめになっていた。どうやら、きちんと着陸してはくれなかったようである。
 ネッチは顔をしかめて、とりあえず声をしぼりだした。
「うう、ミッチ……」
 見回すと、ミッチはかれと正反対のところで、おなじような格好をして気絶していた。
 シングルハットは、まだシッポをつかまれたまま、やはり気をうしなっている。
 ネッチは腰をおさえて立ちあがると、二人を起こしにかかった。

 三人が苦労して船をでたとき、まず目にとびこんできたのは、この深遠なる森の風景だった。
 かれらはハッチから、エッチラオッチラはいおりると、(船は横倒しになっていた)呆然と顔をあおのけた。
「こりゃ、すごい……」
 森をおおう木々は、うっそうと枝葉をしげらせ、はるか上までぐーんと伸びている。ミッチは見上げていて首が痛くなった。
 それは、見たこともない光景だった。こんな大きな木は、とんとお目にかかったことがない。ふとい樹幹は、チビの二人がどんなに腕をのばしたところでとうてい抱えきれず、とっかかりのない表面は、誰かにのぼられることを拒否していた。見上げていると、気が遠くなってしまいそうだ。
 かぐわしい樹脂のかおりが、あたりの空気をみたしている。それは厳粛とした樹海の風景だった。
「こんなおおきな木は、われわれの星にはなかったね」
 ネッチは興奮して拳をにぎり、シングルハットは意味もなくあたりを走りまわっている。
 ミッチはあちこち歩いてみたが、あるのは木と石と、それにこびりついたコケぐらいなものだった。
 どちらを向いてもにたような光景で、巨木が切れ間もなく、ずっと奥までつづいている。
 むこうに、ミッチの胴ほどもありそうな枝が、青葉をつけたまま何本もころがっていた。墜落した際に折れたものらしかった。
 その上空には、冒険号があけた穴から、青空がぽっかりのぞいていた。
 ときおりヘンテコな動物が顔をだすが、目が合うと逃げてしまう。
「少々寒いぞ」
 と、ミッチは腕をさすりながら、船のところへ戻っていった。枝や木の葉が幾層にも重なりあって、光が射さないらしかった。
 ネッチは腰を落とし、なんとか横倒しになった虹の冒険号を引き起こしにかかった。
 それをみて、
「無理だよネッチ。冒険号はすんごく重たいんだぞ」と、シングルハットがえばっていった。
「やい、シングルハットっ。こんなことになったのも元はといえばお前のせいなんだぞ!」
 ミッチは怒って指をつきだしたが、シングルハットはつんとすましている。
「おいらを見捨てるからだ。神さまが怒ったんだ」
「こいつー!」
 ミッチはとうとう頭の天辺から湯気を吹いて、シングルハットにつかみかかった。
「きーきー」
「どうだ、まいったかヒゲネズミっ」
 ミッチはシングルハットのあたたかな体をぎゅうとしめ上げた。シングルハットはあわれっぽく啼いて、ミッチの手をひっかいた。
「いたーっ」
 争う二人を尻目に、ネッチは虹の冒険号を、なかばあきらめかけていた。
「これはとても重いねぇ。私の力ではとても持ち上がりそうにないよ」
 背を冒険号にもたせかけ語りかけるが、ケンカに熱中している二人は気にもとめない。
 ネッチは気にせずつづけた。
「この星に石炭かそれに似た物があるといいんだけど、どうしたものかなぁ」
 誰もなにも言わないので、ネッチは辺りを見回した。
「こんな森ではなにも手にはいりそうにないねぇ。どこかに町があるといいんだけど、どうやってそこまで行くかが問題だよ」
(もっとも、人間がいればの話なんだけど)
 とネッチは声には出さずにつぶやいた。
 虹の冒険号のうえでは、ケンカに疲れた二人がへたばっている。
「どう思う、ミッチ?」
 ネッチはようやく振り向いた。
 舌を出してうつむいていたミッチが、ぐぐいと顔を上げた。
「石炭は?」
 どうやら聞いていなかったようだ。
 ネッチは首をふって答えた。「もうないよ」
「ここはどこなんだ?」
「わからない」また振った。
 ミッチはこの世でいちばん情けない顔になった。「じゃあ、どうすればいい?」
「どうしうようもない。ケッケッケッ」
 これはシングルハットである。
 かっとなったミッチと、またケンカになった。
 ネッチは二人をほうって、背後の森へと顔を向けた。その視線が、ずうっと奥まで飛んでいった。真剣な顔で耳をそばだてている。なにかが走ってくる音がしたのだ……。
「ミッチ、ちょっとっ」
 ネッチのあせった声を聞いて、ミッチはそちらに向き直った。
「どうした?」
 すると、ネッチは正面を指差し、
「なにか来るみたいだ」
 と、こわばった声でそうつづけた。
 言われてみると、森はとても薄暗く、ミッチは気味が悪くなってきた。
 ドキドキしながら立ち上がって、じいっと前方に目をこらす。なにもいない。しかし、
「ほんとだ……音がする」
 と、シングルハットがつぶやいた。
「動物かな?」
 ネッチは笑ったが、その顔はひきつっていた。
「か、隠れようネッチッ」
 と、ミッチが慌ててまくしたてた。
「どこに?」
 ネッチに言われてミッチは辺りを見渡した。身をかくすところはどこにもない。
 そうこうするうち、森の奥から一匹の鳥があらわれた。
 鳥といっても、空を飛ぶわけでもなく、地上を二本足で走っている。ドタドタと、バカデカイ足で大地を蹴った。風を起こし、草葉を揺らす。たいへんな速さだ。
 そいつは変な鳥だった。駝鳥のように長く、駝鳥よりも太い首と足。はねが体の横っちょについてはいるが、とても飛びそうな感じではない。
 ネッチたちは、あんな鳥は見たことがなかった。遠めに見ても、2メートルはありそうだ。不思議なことに、くつわをはめている。
「おかしな鳥だな」
 ネッチが感心したように言ったので、ミッチはこわさも忘れてふきだしてしまった。
 よくみると、鳥の背中にはだれかが乗っている。とても小さな人影で、乗っているというよりは、しがみついている、といった感じだった。
「どうも子供らしいな」
 ミッチは、相手が子供だと全然平気らしく、もうかくれたいとは言わなくなった。
 子供を乗せたおかしな鳥は、砂けむりを上げながらこちらにやってきて、つったつ三人の前に、横向きになって停止した。
 間近でみると、そいつは予想よりずいぶん大きかった。ただでさえ背のひくい二人は、じっとしていると、あぶみにかけた足しか見えない。アゴを上げると、顔がみえた。
「こ、こんにちは」
 ネッチがうしろ頭に手をやって、ぺこんとおじぎした。
「こんにちは……」
 こちらもあいまいにわらって頭をさげた。まだあどけない、八才ぐらいの男の子だ。鞍にすわって、こちらを見下ろしている。
 さらさらとしたキレイな金髪が、ほおにかかる。あおくすんだ瞳が、ちらちらとまたたきした。はだが白く、ほっそりした体つきだ。
 身長はじぶんたちより低いな、とネッチはおもった。二人はもう立派なおとなだが、背丈は百六十センチとたかくはない。
「ぼくはナーシェル」
 と、ナーシェルは名乗った。
「わしはミッチモンドだ」
「わたしはネッチモンド。三代目の伯爵だよ」
 ミッチとネッチは、すっかり安心してこたえた。
「伯爵? じゃあえらいんだね」
 ナーシェルが、くりくりした目をおどろいたようにみひらいた。
「いやぁ、そんなことはないよ」
 ネッチがテレてわらっている。
「わしなんて世捨て人なんだぞ」
 ミッチがぜんぜんじまんにならないことを、じまんそうにしゃべっている。
「おいらはシングルハットっ」
 と、いたずらネズミが、ネッチの帽子にのっかってわめいた。ナーシェルはくすりとわらった。
「こんなところでなにをやってるの?」
 いぶかしげに聞かれて、ネッチはこまってしまった。まさかべつの星からやってきましたとは、とてもいえない。
「北の銀河からやって……」
 うかつに答えようとしたミッチの後頭部を、ネッチがたたいた。
「なにをするんだっ?」
 ミッチが涙声でうったえると、
「ばかっ、そんなこといってわかるわけないだろう」
 ネッチが小声でささやきかえした。たしかに、虹の冒険号を説明するのはむずかしそうだ。ミッチは納得したようにうなずいた。
 こそこそ言い合うふたりに、ナーシェルは眉をしかめて問いかけた。
「どうしたの?」
「この鳥はずいぶんかわってるね」
 ネッチがわざとらしく話をそらした。ミッチがニマリとして肘でどついた。
 はたして、ナーシェルの注意はそちらにそれた。
「ドードー鳥のこと? どこにでもいるよ」
 と、不思議そうにネッチをみつめる。
 ミッチがネッチの脇腹をつついた。まずいんじゃないか、という意味だった。この星では、ドードー鳥が馬のかわりをしているらしい。知らない方がおかしいのである。
 ナーシェルは答えをまっている。今度はミッチが話をそらした。
「きみはどうしてここをとおったんだ?」
 ナーシェルはたづなをうまくあやつりながら、「これから城へ行くんだ」とこたえた。
「城?」
「そうだよ。女王さまに呼ばれたんだ」
 ほこらしげにいうナーシェルに、ネッチたちは顔をみあわせた。城と女王さまに、このナーシェルという少年が、どうしてもむすびつかなったのだ。
「それで、ネッチたちはここでなにをやっているの?」
「それが……」
 ネッチは肩ごしにうしろを見やった。虹の冒険号が頓挫している。
 ナーシェルは目をまるくした。
「うわあ、あれはなに? おおきいなぁ」
 と、感嘆の声を上げている。
「虹の冒険号さ。わしらが空からのってきたんだ」
 と、ミッチが観念したのか、天狗のように鼻をのばして、ほんとうのことをいった。
「空から?」
 ナーシェルは不思議そうに上をみあげた。
 枝葉にさえぎられて、空はみえず陽もささない。
「これが空を飛ぶの?」
 ナーシェルはこらえきれず、吹きだしてしまった。
「ほら、やっぱり信じない」と、ネッチがミッチにささやいた。
「じゃあ、ネッチたちは魔法使いだね」
 ナーシェルはわらいながらドードー鳥の背をおりた。
 ミッチとネッチは、きょとんとした顔で、ナーシェルを見つめている。
「すごいなあ」
 その間に、ナーシェルはたづなを引いて、冒険号のところまで歩いていった。
「どうやってとぶの?」
 と、好奇心にかがやく目で、三人をふりかえる。
「石炭で飛ぶんだよ」
 ネッチも虹の冒険号のじまんは大好きだから、ついうれしくなって教えてやった。
「石炭って?」
「黒い石みたいなかたまりなんだが……」
 いくらかの願いをこめてミッチは聞いたが、ナーシェルはそんなものは知らないと首を横にふった。ネッチたちはがっかりした。
「そのせきたんがないと、これは飛ばないの?」
「それでこまってるんだ。どこかにおおきな町はないかな?」
「町はとても遠いよ。この森を抜けなきゃいけないからね」
 ナーシェルの答えはあまりいいものではない。
「きみの行く城はどこにあるんだい?」
 ネッチは子供のひとり歩きは危険だと思ったので、すこし心配してたずねた。
「町よりはちかいよ」
 と、ナーシェルはいったので、三人は考えこんでしまった。
「町まで行けば、石炭ぐらいはあるんじゃないかな?」
「でも、ずいぶん遠いっていうぞ。もしなかったらどうするんだ」
「代わりになるような物をさがそう」
「どうやって?」
 シングルハットが口をきくと、ふたりはたいへん弱ってしまった。代わりになりそうなものなんてとんと思いつかないからだ。
「女王さまに聞いたらどうかな? 女王さまはとてもえらいから、いろんなことを知ってるとおもうよ」
 と、なやんでいる三人を心配したのか、ナーシェルが口をはさむ。
 ミッチとネッチは、これをしごく単純に理解した。
「それは、とてもいい考えだっ」
「女王に会おうっ」
 ふたりは明るい声で、手をうち合わせた。
「どうかな。女王が会ってくれるとは思えないけど」
 と、シングルハットだけは、うたがわしげに眉をしかめている。ネッチはともかく、こじきのミッチはむずかしい。
「女王さまはなんできみを呼んだんだろう?」
「さぁ、ぼくもくわしいことは知らないんだ」ナーシェルは少しこまったように眉をしかめたが、「でも、女王さまに会えばすぐにわかるよ。ぼくらの女王さまは、とてもいい人で有名なんだ」
 すぐにぱっと笑顔になった。
「ともかく、城まで行こうじゃないか」
 ミッチが元気よくいった。
「ドードーに乗りなよ。これならあっという間だよ」
 ナーシェルが、かたわらに立つドードー鳥の頭をたたいた。ドードー鳥はクェーとないた。
「うんせ、こらせ」
 苦労しているミッチを、先にのったナーシェルとネッチがひっぱりあげた。
「おいらを忘れるなー!」
 下でシングルハットがさけんでいる。ドードー鳥がくちばしにくわえた。
「わっ、やめろ」
 もがいているシングルハットを、ナーシェルがすばやく手にうつした。ポケットに入れると、シングルハットはようやく安心したようで、ほっと息をついてみせた。
「落ちないだろうな?」
 ネッチの腰にしがみつきながら、ミッチが心配そうにたずねた。三人乗るとやはり手狭で、ミッチのしりは鞍から半分はみだしている。
 ネッチはそれには答えずにうしろを向いた。
「冒険号は大丈夫かなぁ?」
「こんなところじゃ、盗む奴もいないだろう」
 ミッチは意外に高いドードー鳥の背に、ひやひやしながら言い返した。
 虹の冒険号は、木々のはざまでしんとしている。
 ナーシェルがたづなを引くと、ドードー鳥はものすごいはやさでかけだした。
 ネッチたちの悲鳴が、後にのこされていく。
「ひいえええええええ!」

◇   其の二  生きている木、パンプットのなやみ

 ドードー鳥はじつに足のはやい生き物だった。まわりの景色がざーざー後ろにながれていく。色と色がまざりあって、パレットの絵の具をあらいながしているようだった。
 虹の冒険号よりはやそうだとミッチは思った。風のない森で、ドードー鳥は風になった。
ネッチは自満の帽子をとばされまいと、懸命になっている。
 しばらく進むうち、ナーシェルは道をふさぐ大木に目をとめた。まわりの木とはまるでちがって、背もひくいし色もちがう。ただ、胴まわりだけはたっぷりあった。
 たづなを引いて、ドードー鳥を急停止させる。
「どうしたんだい?」
 ナーシェルの背中に鼻をぶつけたネッチが、なにごとかと顔をしかめて問いたずねた。
 ドードー鳥はゆっくりと大木に近づいていく。
 後ろのふたりも、道をふさぐ巨木に気がついたようだ。
 枝振りはみごとだったが、ずいぶん葉が散っている。
 ネッチたちが鞍から下りると、地面がガサリと音を立てた。落葉だった。この木だけが、枯れてしまっているのだ。
 ナーシェルは、ふと老人の姿を連想してしまった。朽ちていく木というのは、年老いた人間に似ている。
「ジャマだなぁ」
 ミッチが本当にジャマそうにいった。
「どかすのは無理だね。迂回しよう」
 ネッチがその木をみあげながら付け足した。
 道のまわりはデコボコで、起伏がはげしいが、歩いてならさけて通れないほどではない。
 ナーシェルがうなずこうとした時だった。
「きみたち」
 突然、それまでだまっていた木が口をきいたので、(本当はずっと黙っているものなのだけれど)ネッチたちはひっくりかえるほど仰天した。
 樹皮の模様だとおもっていた部分がじょじょに開き、ふたつの眼とひとつの口になった。まんなかには、鼻のかわりか、枝が一本生えている。
 そいつは、二三度まばたきすると、口をひらいて問いかけてきた。
「私の名はパンプット。きみたちは木の葉の城に行くのかね?」
「そうだけど」
 ただ一人、おどろきもあわてもしないナーシェルが、パンプットの質問にこたえた。
「おい、この木はなんでしゃべるんだっ」
 いちはやくショックから立ちなおったシングルハットが、ポケットから身をのりだしてわめいた。
「生きている草木はしゃべるよ」
 ナーシェルは不思議そうな顔をして、シングルハットをみおろした。
 ここでは、ただの樹木がしゃべっても不思議でもなんでもなく、あたり前の出来事なのである。そんなことを聞くシングルハットの方がまちがっていた。
「きみは本当にお城に行くのかい?」
 パンプットは念をおすような口調できいた。
「これから女王さまに会いに行くんだ」
「そうか、きみがナーシェルかっ」
 ナーシェルの返事にパンプットは快哉を上げた。あまりの声のおおきさに、答えたナーシェルの方がびっくりしてしまった。
「どうして、ぼくを知ってるの?」
 ナーシェルが目をしばたかせると、
「きみは女王さまに呼ばれたんだろう?」
 パンプットは返事のかわりにべつのことを聞いた。
「うん」ナーシェルはちいさくうなずいてから首をかしげた。「へんだなぁ。生きている草木は、もっと南にいるはずなのに……」
 すると、パンプットはよく聞いてくれたと言いたげに、枝を揺らし、わずかにのこった葉をならした。
「そうなんだ、南ではたいへんなことが起こっているんだっ」
「大変なこと?」
 ナーシェルたちは顔をみあわせた。
 パンプットは大きくうなずきながら、目をみひらき、必死のうったえをはじめた。
「わたしの友だちや、森のみんなが枯れはじめたんだ。木も草も花もっ。見てくれ、このわたしの体を」
 と、ふとった幹をふるわせた。
 その体はあちこち痛み、頭の枝たちはほとんど葉を枯らしている。
 パンプットは、もとは立派な青葉をはやしていたにちがいない。それが、今はどの枝も、それこそ小枝にいたるまで、きれいに肌をさらしている。中にはまったく葉がない奴もいた。
「ずいぶん葉がなくなってしまっているね」
 ネッチが見たとおりのことを答えた。
 ミッチはのこった木の葉をかぞえてみたが、どうしても三十枚ほどしかない。これは、パンプットにとっては死活問題である。
「その成れの果てがこれだよ」
 と、パンプットは地面の落葉に目をやった。葉は、枯葉にかわりつつある。
「わたしは、九百九十九の葉っぱひとつひとつに、詩や物語をおぼえこませていた。それが今ではこれだけになってしまった」
 パンプットは、のこった木の葉をふるわせ、かなしそうに目をとじた。
「南では、なぜきゅうに草や木が枯れだしたんだろう?」
 ナーシェルが聞くと、パンプットはうす目をあけた。
「わからない。わたしはそれを確かめるために、城に行こうとしていたんだ。仲間を代表してね」
 それは、パンプットが、九百九十九もの詩や物語を言えるからにちがいない。パンプットは、仲間の木や草のために、さまざまな物語を聞かせていたにちがいない。
 かれは、偉大な木なのだ。
 パンプットは、またつらそうに目をとじた。
「だが、もうだめだっ。ここまで来たのに、こんなに葉っぱが落ちてしまっては、うごくことも、詩を思いだすこともできない……」
 おわりの方は、口端からもれた溜息のためにかすれてしまった。
 パンプットはまた目をひらき、ナーシェルを見つめた。
「だが、わたしはきみに会うことができた。ナーシェル、わたしはきみに頼みたい。女王さまに会って、原因をたしかめてくれ。女王さまも、そのために君を呼んだんだ」
「ええっ?」ナーシェルは驚いて肩をすくめた。「ぼくなんかに出来るわけないよっ」
 そういって、小さな体をもじもじさせている。
 ナーシェルは、そんな大変なことになっているとは思っていなかった。自分は子供だから、女王さまの用事なんてたいしたことがないだろうと、かるい気持ちでここまでやってきたのだ。
「できるとも。だからこそ女王さまはきみを呼んだんだ」
 パンプットはつよく、確信をこめた声でいった。
「でも、ぼく、そんなたいへんなことだなんて、知らなかった」
 ナーシェルは今にも消えいりそうな声でこたえ、目に涙をにじませた。
「弱気になっちゃだめだナーシェル。がんばるんだ」
 ネッチがいそいで応援した。
「おいらたちがついてってやるよ」
 と、シングルハットも子供にはやさしいらしい。
「そうだとも、あっはっはっはっはっ」
 ミッチが豪快にわらって幹をたたくと、葉がバラバラと落ちてきた。
「ワッワッ、枯れちゃうー」
 パンプットが葉を落とすまいと、必死に体を折ったり伸ばしたりしている。
「ミッチ。きみは鬼かね」
 とネッチは身も蓋もない。
(わざとじゃないのに……)
 ミッチは木々を見上げた。
「ぼくが行かないとだめなの?」
 ナーシェルは泣きだしそうな表情で、パンプットのおおきな体をみあげた。
 パンプットはつらそうに、ナーシェルをみおろし、「残念だがきみしかいない。女王さまが呼んだのはきみなのだからね」といった。
「わかったよ。どうしてそんなことになったのか、きいてくる」
 ナーシェルはそういうと、服の袖でまぶたにたまった涙をふいた。
「ありがとう、ナーシェル」
 パンプットはうれしそうに笑みをうかべると、道のわきにのしのしと退いた。
「これこそ冒険だ」
「冒険だ」
 ネッチとミッチは、冒険の予感に心をおどらせ、手をとりあって喜んでいる。
「それじゃあ、パンプット、元気でね。ぼくらが女王さまに会うまで、枯れたりしたらダメだよ」
 ナーシェルたちはふたたびドードー鳥にのっかると、パンプットにわかれを告げ、木の葉の城をめざしてはしりだした。
「気をつけてなー」
 砂煙の向こうで、パンプットが枝を腕がわりにふっている……。
 そのころ、南の領域は、枯れの危機にひんしていた。

◇   其の三 木の葉の国の女王、かく物申す

 森をぬけると、そこは広大な草原だった。
 果てしないくさはらが、起伏をくりかえしながら、ずっと遠くまでつづいている。
 ナーシェルたちの目の前に、大きな大きな木が、どっしりとかまえて立っていた。
「あれが木の葉の城だよ」
 と、ナーシェルがゆびさした。
 それは一本の大木なのだが、大きさは今ぬけてきた森の木を、全部あわせたよりすごかった。あれならちょっとした山が相手なら、相撲をとっても負けないにちがいない。
 なかは空洞になっているようで、窓がわりの穴が、所々にあいている。いちばん下に、これもおおきな門があった。
 窓から、豆粒のような人間が動いているのがみえる。シングルハットは、あんなちいさな人間がいたのかと思っているようだが、これは城が遠いせいである。
 ヘビのように曲がりくねった道が、ぐねぐねと、棒で地面をかきまわしたように伸びている。
 まだずいぶん遠くのようだが、ドードー鳥の足ならあっという間についてしまうだろう。
「あれっ、お城の葉もずいぶん枯れてるっ」
 ナーシェルがすっとんきょうな声をあげた。
 木の葉の城のおおきな枝は、パンプットとおなじように、ほとんど裸になっていて、地面におおきな葉っぱを落としている。
 風がふくと、残った葉ががさがさなって、なんともあぶなっかしい。
「木や草が枯れているのは、南だけじゃないんだ」
 ナーシェルがうめくようにつぶやいて、ゴクリと生ツバをのみこんだ。その顔は恐怖に青ざめている。
 ミッチとネッチも、小手をかざしてつぶやいた。
「「大変なことになってるなぁ……」」

 ドードー鳥は、それからちょっとの間に木の葉の門についてしまった。
 ナーシェルは真下から上をみあげてみたが、あやうく気が遠くなりそうになった。
 その偉容に、みんなはすっかり心をうばわれていた。
 なんともみごとな枝振りだったが、葉がついていないのが、すこし残念だった。
「おおきな城だなー」
 と、ネッチは感嘆としていった。道のわきに退かされた葉も、三人の背よりぐっと高い。
 門番はえらくうすっぺらい男たちで、よく見ると、それはトランプだった。
「なんだ、こいつらはっ」
 ミッチとネッチはふるえ上がってしまった。
 大きなトランプに、クロい棒のような手足が生えている。おまけにそのてっぺんには、クローバー型の頭までついていた。
「トランプ兵だよ」
 と、ナーシェルが答えた。
 ネッチたちは感心しながら、まじまじとトランプ兵をみつめた。
「ずいぶんうすいや。たきぎがわりにもならないな」
 シングルハットがゆかいそうに笑って、ちいさな体をふるわせた。
 ナーシェルたちが近づくと、トランプ兵はどたどたとはしってきて、ドードー鳥のたづなをとった。
 やってきたのは、クラブの7と4である。
「ナーシェルです」
 と、ナーシェルが鞍をおりつつ言った。
「わ、わたしはネッチ」
「わしはミッチだっ」
 ミッチとネッチは慌ててつけくわえたが、トランプ兵は聞いてはいないようだった。
 巨大な閂がはずされ、門が左右にひらいていった。門を押しているのは、ハートのトランプ兵たちである。
 トランプ兵は、ドードー鳥をどこかに連れていってしまった。ナーシェルは不安そうにしていたが、頭にのぼってきたシングルハットにクスリとわらってしまった。
 木の葉の城の荒廃は、おもったよりひどく、あちこち壁や地面がひび割れていた。
 窓から、春のにおいが風とともにはいってくる。ナーシェルたちはトランプ兵に連れられて、木の葉の城を、上へ上へとあがっていった。
 お城には階段なんてなく、坂道がぐるぐると螺旋状につづいているだけだった。
 女王の侍女や側近たちが、偶然のようにとおりがかっては、ナーシェルの顔をじろじろ見ている。
 目を向けると、さっと顔をそむけてしまって、シングルハットなどは、おかしな城だと、また悪態をついた。
 ナーシェルは、自分も木の葉の城にきたのははじめてなのだと、ネッチたちに教えた。
「こんな大きな木があるとは、おどろいたな」
 と、二人はしきりに感心している。
「おい、あいつはなんでしゃべらないんだ」
 シングルハットが、トランプ兵を指さした。
「トランプ兵はしゃべれないんだよ。ご主人さまのいうことしか聞かないんだって」
 すると、ミッチは鼻でわらい、
「それはすごい。どっかのネズミとはえらいちがいだ」
「なんだと、ミッチっ。おまえなんてご主人さまでもないくせにっ」
「なにをっ、だれのせいでこんな目に……」
 ミッチがワシ鼻のさきまでまっかにさせていると、トランプ兵はとある扉の前でたちどまった。
「女王さまの部屋だ」
 ナーシェルはごくんと息をのみこんだ。
 えらい人がニガテなシングルハットは、もうポケットのなかに逃げこんでいる。
「ううんっ」
 ミッチとネッチは、ノドをならして、身形をせっせと整えだした。
 なにせこれから女王さまに会うのである。粗相があってはいけない。
 その点、ミッチはたいへんな問題があったが、そのことにはだれも注意をはらっていなかった。
 トランプ兵が扉をノックした。奥から、「はいれ」と、女のひとの声がした。
 トランプ兵がわきに退いたので、ナーシェルは扉を開いて中にはいった。
 その部屋は、とても広くて明るかった。
 奥には壁がなく、ぽかんと穴があいていて、その先は枝がかさなりあい自然のテラスができていた。
 ナーシェルがはいると、木の葉でできた服をきた女王が、笑顔で三人をむかえてくれた。
 とてもやせていて、ネッチたちよりずっと背がたかい。すこし年をとっているが、そのぶん気品があった。草を編んでつくった冠を頭にのせている。
 部屋にはほかにも数人の側近がいて、トランプ兵も何人かいた。
「よくきましたね、ナーシェル」
 女王はそういって、ナーシェルのほおに手をふれた。ナーシェルはそれだけでカチコチに緊張してしまった。
 女王は、ナーシェルのうしろに立っている、ネッチとミッチに目をはしらせ、
「その者たちは?」ときいた。
 表情は不快そうではなかったが、わけは知りたがっている。
「あっ。えーと、えーと」
 とっさにこたえられないナーシェルにかわって、
「森で会いました」ネッチが答えた。
「そうか。それでナーシェルを連れてきてくれたのだな」
 女王は何度もうなずいた。それからナーシェルの頭に手をのせた。
「おまえを呼んだのはほかでもない。木の葉の城の荒廃ぶりは見たか?」
「はい」
「南でもおなじことがはじまっておる。このあたりはまだましな方だ」
「どうしてそんなことが起こってしまったのですか?」
 ナーシェルはすごくていねいに聞いた。
 女王はとたんに表情を暗くした。
「どうも友だちのブリキどのが、花と草木のストーブを止めてしまったようなのだ」
 ひたいに手をやり、かなしそうに首をふった。深いため息をつく女王に、ネッチとミッチは目をみあわせた。
「どういうことだい?」
 ネッチがナーシェルの背中をつついた。
「木の葉の国の草木はね、ブリキの国が炊いているストーブのおかげで咲いているんだ」
 と、ナーシェルは説明をはじめた。
 ブリキの国の王さまは、友だちである木の葉の国の女王のために、いつのころからか花と草木のストーブを炊きはじめた。
 それ以来、木の葉の国には、春夏秋冬すべての花が咲きみだれていのだが、どうもブリキの国は花と草木のストーブを止めてしまったようなのだ。
「なぜこのあたりはまだ平気なのに、南はだめなんです?」
 妙におもったネッチが問うと、
「ブリキの国は北にあるのだ。ストーブのぬくもりのとどかぬ、遠くの南から枯れはじめたのだろう」
 と、女王がこたえた。
「「これこそ冒険だ!」」
 ネッチとミッチは同時にさけんだ。
「なんの話です?」
「さぁ」
 女王とナーシェルは首をかしげている。
「それでな、ナーシェル。おぬし、ブリキの国へ行ってはくれぬか?」
 と、女王がナーシェルの肩へ手をまわした。
「ブリキの国へっ?」
 ナーシェルはおどろいて女王をみあげた。
 ネッチとミッチも、どきりとして女王に向きなおった。
 女王はうなずきながら、
「そうだ。ブリキの国の王に会い、なぜ花と草木のストーブを止めてしまったのか、またもとどおり、火を入れてくれぬかどうか、聞いてきて欲しいのだ」
「そんな……」
 ナーシェルは、かわいそうにすっかり青ざめてしまって、ほそい肩をふるわせている。
「ぼくにはそんなことできません」
 くしゃと泣き顔になって、首を左右にふった。
 パンプットやみんなを助けたいとは思うのだが、ナーシェルにはうまくやる自信がない。
「なぜナーシェルでなくてはいけないんです? もっとおとなが行けば……」
 ネッチの言葉をさえぎり、
「ブリキの国はオモチャの国。そこへ行くには心きよらかな子供がいちばんなのだ。ナーシェル、お前はわが国ゆいいつの子供だ。ブリキの国への使者は、お前をおいてほかにな
いのだ」
 女王はしずかだが、力強い声でナーシェルをさとした。
 ナーシェルはうつむいたまま聞いた。
「このままほうっておくとどうなるんです?」
 ネッチがうかない顔でたずねると、
「南から枯れはじめ、木の葉の国は荒涼とした大地にかわってしまうだろう」
 女王は淡々と話しているが、それだけにこの話はおもかった。
 ナーシェルはとつぜん決心したように顔を上げると、ハッキリとした口調で言い切った。
「わかりました」
 ええーっ
 ネッチとミッチはびっくりした。
「やめた方がいいよ。きみはまだ子供じゃないか」
 と、そろって反対をはじめた。
 なんせ、ナーシェルはふたりの息子といってもさしつかえのないような年なのである。
そんな危ないマネをさせるわけにはいかなかった。
「でも、パンプットや、南の草木たちがくるしんでいるんだよ。ぼくは木の葉の国が好きなんだ」
 ナーシェルがいうと、女王はこくりとうなずき、
「このままではわらわの服も枯れ落ちてしまうだろう」
 ええーっ
 ネッチとミッチはまたまたびっくりすると、まっかになって鼻血をふいた。
「あっ、お前、みだらなことを考えてるなっ。伯爵のくせにっ」
「み、ミッチこそっ」
 ふたりはあわてふためき、シングルハットはナーシェルのポケットで、所在なさげに身をちぢませた。
「伯爵、そなたは伯爵なのですか?」
 と、ふたりの会話をだまって聞いていた女王が声をかけた。
「え? ええ。そのとおりですが……」
 ネッチが答える。
「そうですか」
 女王は、そういって、少し考えこんでしまった。
「どこの国の方かはわかりませぬが、なにとぞナーシェルを助け、力となってやって下さいまし」
 といって頼みこんだ。
「そ、そんな。よして下さい」
 女王が頭を下げたので、ネッチはおおいに弱ってしまった。
「なにスネてんだ、ミッチ」
「うるさいっ」
 と、ミッチが、ナーシェルのポケットにかくれているシングルハットをどなりつけた。
「木の葉の国が枯れはててしまう前に、なんとか花と草木のストーブに、今いちど火をと
もしてくれ」
 女王はナーシェルの手をにぎりしめた。ナーシェルは不安そうにふたりを見上げる。
 ネッチとミッチは、とてつもなくこまって顔を見あわせたが、やがて、しかたがないというふうに肩をすくめた。
「しょうがない。どうせ、わたしたちも石炭を見つけなければならないのだから……」
 ここまでいって、二人ははっと気がついた。
「「石炭だ!」」
 そうなのである。ストーブがあるということは、きっと石炭もあるはずだ。どうして今まで気づかなかったのだろう?
「石炭? お主たち、石炭をさがしているのか?」
 女王が不思議そうにたずねた。
「知っているんですか?」
「うむ。石炭ならブリキの国にあるはずじゃ」
 と、女王はそのことを思いだすような表情でうなずいた。
「やったー!」
 ネッチとミッチは手をとり合っておどりはじめた。
「へぇー、石炭ってブリキの国にあったんですね」
 ナーシェルが感心していうと、女王はにこりとわらい、
「おまえは知らなくて当然じゃ。木の葉の国の住人なのじゃからな」
 それからパンパンと手をたたいた。
 ナーシェルたちがなにごとかと思案していると、扉がひらいて、トランプ兵が後から後からはいってくる。
 クラブにハートにクローバーにダイヤ、すべてそろってしまった。
「ブリキの国で、なにが起こっているかわからん。この者たちを貸しあたえよう」
 と、女王はいったが、トランプ兵はぺらぺらしていてなんともたよりない。
「もっと増やせないんですか?」
 ミッチがきくと、
「トランプの兵隊は、一組五十二人ときまっておる。とても大事なルールなので、やぶるわけにはいかんのだ」
 三人はなるほどとうなずいた。
「こんなやつらいなくたって、おいらのこの前歯で……」
「そんな前歯でなにができる。わしの金歯があれば十分だ」
 と、ミッチが言ったので、シングルハットはぐわりとキバをむいて怒った。
「やめなよ、二人とも」
 ナーシェルが止めにはいると、
「運、わたしはどっちもどっちだと思うよ」
 ネッチがにこやかに笑って、この勝負はおながれとなった。
「ナーシェルよ。おまえにこの封書をわたす」
 女王はナーシェルに、紙のはいった封筒を手渡した。
「ブリキの王への陳情書がはいっておる。あけてはならんぞえ」
 と、ひとさし指をひらひらふった。
「わかりました」
 ナーシェルが素直に答えたので、女王は満足そうにうなずいた。
 ナーシェルたちは、ブリキの国に向けて、ドードー鳥に乗っての出発となった。

 トランプ兵が四列縦隊をくんで、ナーシェルの命令を待っている。
「もはや一刻の猶予もない。たのんだぞ、ナーシェル」
 女王はやせた手を、ナーシェルのちいさな肩に置いた。
「はいっ」
 ナーシェルは力強くうなずく。
「出発!」
 ナーシェルが片手を上げると、トランプ兵は行進をはじめた。
 城の住民が、窓から身をのりだして、歓声をおくっている。女王とおおくの臣下が、ナーシェルたちを見送っている。
「これこそ冒険だなぁ」
 石炭が手にはいるときいて、ネッチたちは大満足だった。
「うまく行くといいけどな」
 と、シングルハットだけは意地悪くわらうのだった。
 ドードー鳥はトランプ兵といっしょに歩きはじめた。
 ナーシェルがふりむくと、木の葉の城から追い打ちをかけるように、葉っぱが一枚まいおりてきた。
 こうして、ナーシェルたちは封書をたずさえ、ブリキの国をめざすことになったのである。

◇   其の四 トランプ兵のポーカー勝負

 ナーシェルたちは、トランプ兵を連れて、キタの町についた。
 どの家も、城とおなじように木をくりぬいて作られている。この町はどうやらまだ平気のようで、いろいろな草花があちこちで咲きみだれていた。
 道行く人ものんびりしていて、ここもそのうち枯れてしまうなんて、とても信じられない話しだった。
「なあ、ナーシェル。どこかちかくの酒場で休まないか?」
 ネッチとミッチが、ナーシェルの後ろでだらしなくへたばっている。その腹がぐうとなった。
「そうだなぁ」
 ナーシェルはしばらくきょろきょろしていたが、
「むこうに食堂があるから、そこまで行こう」
 と、遠くにある建物をゆびさした。
 二人がおどり上ってよろこんでいると、シングルハットは、
「なさけない奴らだ」
 と、また悪態をついた。

 その酒場にはいったことを、ネッチたちはすぐに後悔することになった。
 席についているのが、どれもとてもこわそうな面相の男たちばかりなのだ。しかも、酒がはいっているからなおのことである……。
 店は昼間だというのにうす暗く、陰気なかんじがする。ネッチたちは、あきらかに場ちがいで、周囲の視線をあびてしまった。
 鳥人間もいれば、パンプットのような生きている木もいる。ただし、目つきの悪さと体格のよさときたら一級品だった。
「やっぱり出ようか?」
 と、ナーシェルがささやいたので、二人はあわててうなずいた。実は、さっきからおっかなくてしょうがなかったのである。
 ナーシェルたちが店を出ようとすると、その前に三人の男が立ちふさがった。
 ナーシェルたちに、
「おいおい、どこ行くんだよ」
「ゆっくりしていけよ」
 とからんでくる。
 ネッチとミッチはおそろしさにふるえ上がってしまった。二人は冒険は好きだが、こういうことは大の苦手である。
「子供がいるぜ」
 男たちはナーシェルに気づいて、ものめずらしそうにながめはじめた。
「し、失礼じゃないかきみたち!」
 ミッチとネッチは口々にわめいたが、声が完璧にうら返ってしまっている。
 ナーシェルは封書が心配になって、さっとふところをかかえこんだ。
「おっ、なんかかくしてやがるぜ」
 男の一人が、おもしろがってナーシェルのほそっこい腕をつかんだ。
「わぁ」
 と、ナーシェルが悲鳴を上げた。
 シングルハットはその声をきき、ポケットから走りでると、ナーシェルの服をかけのぼっり、男の指にじまんの前歯でかみついた。
「いてぇ!」
 男は盛大にどら声をはり上げて、シングルハットごと腕をふりまわしはじめたっ。
「うわあああっ」
「シングルハットォ」
 ナーシェルは泣きそうになりながら、男にむしゃぶりついていった。
 そのとたんに、シングルハットは男の手をはなれ、ミッチの胸にとびこんだ。
「シングルハット……」
 ミッチが頬をぴたぴたと叩くが、かわいそうに、シングルハットはすっかり目をまわしている。
「こいつ、そのネズミをよこせっ」
 男たちは猛然とおこって、ネッチとミッチにつかみかかってきた。二人はすっかり仰天してしまった。
「やめろ、こいつっ」
「わしにさわるなっ。もう何ヵ月とフロに入ってないんだぞ!」
 ミッチがさけぶと、男たちはさすがにいやそうな顔をしたが、またたくまにとり押さえられ、衿をもたれて吊り上げられた。
 ナーシェルを見ると、あちらも組みついた男にかかえられている。
 男たちはシングルハットをうばいとろうとしたが、ミッチは腕に抱えてはなさなかった。
そのうち男たちのほうが音を上げてしまった。
「こいつ、ナーシェルをはなせ!」
 ネッチはツバをとばしてさけんだ。手足をじたばたさせるが、さっぱり埒があかない。
「ネッチは伯爵なんだぞ。後がこわいぞ」
 と、ミッチがまったく通用しないようなことを言っている。
「伯爵ねぇ」ネッチの前で、ヒゲ面の男が下卑たわらいをはりつかせ、表にちらり目をやった。「するってぇと、表のトランプ兵はおまえのだな」
 そういえば、トランプ兵とドードー鳥は、店の外に待たせたままだ。
「わたしのじゃない。ナーシェルのだ。その子をひどい目にあわせると後がこわいぞっ」
「そのわりに助けに来ないじゃないか?」
「命令をしないかぎりうごかないんだ。そのかわり、命令したときはすごいぞ」
 トランプ兵のうすっぺらな体をおもうと、とてもこわいなどとは思えなかったが、とにかくネッチはおどかした。
 男は、また皮肉った笑みをうかべて、こういった。
「知ってるさ。おれも持ってるからな」
「へっ?」
 宙につり上げられたまま、ミッチとネッチは顔をみあわせた。

 それは、たしかにトランプ兵だった。ナーシェルのとは、裏の柄がちがっている。
 ダンカンと名乗ったその男は、ナーシェルたちを表につきだし、自分のトランプ兵を通りにならべた。
 数はきちんとそろっているようで、ダンカンはそれを、手のひらサイズの箱からだした。
(どうしてトランプ兵があんなちいさな箱にはいるのかは、疑問であったが)
 よりそう三人の目の前で、ダンカンは傲岸に宣言した。
「ポーカー勝負だっ」
 ナーシェルたちは顔を見合わせた。
「ポーカー勝負?」
 すると、ダンカンはあきれたように舌打ちをした。
「なんにも知らねぇんだな」
「ナーシェルは主人になったばかりだからしょうがないんだ!」
 目をさましたシングルハットが、さっそくきいきい声をはり上げる。
 ダンカンは、「わかった、わかった」と、どうでもいいふうに手をふった。それからポーカー勝負の説明をはじめた。
「いいか、お互いのトランプを、敵に背をむけてならべさせる。柄をみせるんだ。数字が書いてあるほうじゃねぇぞ……おれはお前のトランプを五つえらぶから、お前もこっちのをえらべ。えらんだらいっせいに表をむけて勝負だ」
「それはわかったけど……」
 しぶるナーシェルに、男はいった。
「安心しな、ズルはなしだ。勝ったほうが相手のトランプ兵をもらえる。どうだ?」
「そんなっ」
 ナーシェルは、女王さまからもらった大事なトランプ兵をとられるときいて、青くなったが、
「いやだってんなら、そのクソネズミは猫にくわせる」
 ダンカンにシングルハットを指さされて口ごもった。
「いいだろう。受けてたとう」
 ネッチが胸をはって進みでた。
「お、おい、ネッチっ」
 ミッチがその袖をひっぱった。こういうとき、貴族のネッチはタチがわるい。たぶん、先祖の血がギャンブルにかりたてるのだと、ミッチは思っていた。
「いいじゃないか、やってみよう。きみはどうだ、ナーシェル」
 ネッチが意見をもとめると、ナーシェルはうかない顔で、「しかたないよ。負けるとはかぎらないし……それに、シングルハットを渡すわけにはいかないもん。勝負してみよう」
 といった。シングルハットにはさきほど助けてもらった恩もある。
 ダンカンは、ネッチたちがいうことを聞いたので、満足そうに笑みをうかべた。
「さぁ、うらを向けっ。トランプ勝負のはじまりだ!!」

 トランプ兵は横二列にずらずらならんだ。
 切るかわりに、でたらめにうごいて、どのカードがどこにいるかわからなくさせるのだ。
 交換なしの一発勝負。しかも、いちど勝負につかったトランプは二度とつかえない。負けたトランプは相手にとられ、最後に多いほうが勝ちだ。
 そうこうするうち、見物人はますます増えて、ざわざわあたりが騒がしくなった。
「これだけみている人が多かったら、インチキなんてできないよね」
 ナーシェルが不安そうにネッチたちをみあげた。
 ようやく用意がおわって、ダンカンとナーシェルたちは、道の中央でうしろにトランプ兵をならべてにらみ合った。
「そいつとそいつとそいつ、それにそいつとそいつ、前に出ろっ」
 まずは、ダンカンがこちらのトランプをゆびさした。それまでじっと並んでいた五人のトランプ兵が、のっしのっしと前に出る。
 といっても、ナーシェルたちのうしろに立っているので、どのカードかはわからない。
 ダンカンはいったいどのカードを選んだんだろう?
 見物人のささやき声が、いやに気になってくる。わらっているところをみると、あまり強くはなさそうだ。
「さぁ、そっちの番だぞっ」
 と、ダンカンが大声をはり上げた。
 ナーシェルはどきどきしながら手を挙げて、
「そいつとそいつとそいつとそいつ、それにそいつ。前にでろっ」
 と、おなじように指でさした。
 ダンカンのトランプ兵が、のそのそと進みでてくる。ナーシェルたちは緊張のあまり心臓がドキドキした。
 ダンカンが、
「もう一歩だ」
 と言うと、二組のトランプ兵は、それぞれナーシェルとダンカンの前に出ていった。
 トランプ兵は後向きに歩いているので、自分たちのカードが見えた。
 ハートの6と7。それにクローバの6に、クラブの4、ダイヤの7であった。
 ミッチがネッチの耳にささやいた。
「ツーペアだっ」
 ネッチが無言でうなずく。
 ナーシェルが不安そうな表情でふりむいた。
「強いの?」
 どうやらナーシェルはあまりポーカーを知らないようだ。
 ネッチたちはなんとも答えることができなかった。実は、ツーペアはそんなに強くない。
「さてと、決着をつけようかねぇ」
 ダンカンがもみ手をしながら言った。
「表を向けぇい」
 ダンカンが両手をふりあげると、トランプたちはくるりと右回りした。
 ナーシェルのトランプがこちらに絵柄をむけ、ダンカンのトランプ兵が数字をみせる。
「あっ」
 と、ネッチとミッチは、声を上げてさけんでしまった。ダンカン側は、なんとフォーカードである。
「ツーペアにフォーカード。俺の勝ちだな」
 ダンカンがにやりと笑った。
 負けたトランプ兵が、勝ったがわに連行されていく。
「負けちゃったの?」
 ナーシェルがふっくらした眉を、いっぱいしかめてふりむいた。
「次だ、次!」
 ネッチとミッチはやけくそになって叫んでいた。

 勝負はつづけられた。
 ネッチたちも二三度勝ったが、ダンカン側にはおよばない。
 勝負がきまるごとに、見物人からどよっと歓声が上がるが、その叫び声はたいていダンカン側にむけられていた。
 何回かくりかえすと、ナーシェルはすっかりやり方をおぼえてしまって、半分まできたころには、さかんに声を上げはじめた。
 ネッチは最初から燕尾服をふりまわすし、ミッチとシングルハットはなかば踊りくるっている。
 ネッチとミッチはポーカーなんてひさしぶりだったし、ナーシェルはこんなに熱中する遊びははじめてだった。負けるとどんどんトランプが減るというのがいい。
 勝ち負けをわすれてポーカーをたのしんでいたから、気づいた時には、こちらのトランプ兵はほとんどのこっていなかった。
 人質はちょびっとで、ダンカンの方にはたくさんいる。
「しまったっ」ネッチがひたいに手を当てくやしがった。「今からまきかえさないと間に合わないぞっ」
 これにはナーシェルもすっかり仰天してしまった。
「本当だ。ずいぶん減ってるよ」
 と自分のトランプ兵をみてさけんだ。
 女王にまかされたとはいえ、ナーシェルもまだまだ子供である。
「まずい、このままではわしらのトランプ兵をとられてしまうぞ」
「なんだってぇ!」
 ミッチとシングルハットもようやく慌てだした。
 ダンカンはその様子をおかしそうにながめている。
 とその時。ナーシェルたちの背後で声が上がった。
「あーあー、見てられねぇなぁ」
 ナーシェルたちがふりむくと、そこにはひとりのトランプ兵が、こちらをむいて立っていた。
 ルール違反になるっ、とネッチたちはひやりとしたが、そのトランプ兵には数字が書かれていなかった。
 おどろいたことに、そいつの頭はただのまんまるで、おおきな口までついていた。周囲の目も気にせずに、頭のうしろで手をくんで立っている。
「なんだ、そのトランプ兵は!」
 さすがのダンカンも、口をきくトランプ兵なんて見たことがなかった。
「おれはジョーカーさまよっ」
 そいつはジョーカーと書かれた胸をたたいて、えらそーにいった。天使と死神をごたまぜにした絵がえがかれていた。
「こんな奴いたっけ?」
 ネッチは、へんだな、という顔でミッチに問いかけた。
「さあ……」
 と、ミッチも首をひねっている。
「こっそり後をついてきたのよ。女王の命令でな」
 ジョーカーはにやりと笑って一同をみわたした。どうやら木の葉の女王の差し金らしい。
「さぁ、ここからさきはおれにまかせな! なんせおれっちはトランプの達人だからな!」
 これは、トランプ本人が言うのだから、まちがいあるまい。無責任な見物客が、「わー」と大声で叫びたてた。まさにとどろかんばかりの嬌声だった。
「どうする、ダンカンさんよ」
 ジョーカーは目も鼻もないくせに、口だけでわらってダンカンを挑発した。
「いいだろう。あいてがトランプなら不足はねぇ」
 と、ダンカンも不適に笑いかえすのだった。

 それからの勝負はまことにすさまじかった。
 自らトランプの達人というだけあって、ジョーカーはなかなかつよい。
 ダンカンも箱をふりまわして一歩もひかず、勝負は一進一退をくりかえした。
「こっちは赤のフラッシュだ!」
「なんのこっちはフォーカード!」
 とまぁ、互いにゆずらないから、盛り上がること。
 ナーシェルたちも声を枯らしてわめきたてたが、とうとう十回目の勝負がおわり、二枚のカードがのこってしまった。
 ジョーカーの巻返しのおかげで、人質の数はおなじである。
「どうするんだ? カードが足りない」
 ネッチのつぶやきとともに、あつまった見物人もざわめきはじめた。二枚でするポーカーなんて聞いたことがない。
「あわてるな、こういう場合は、のこった二枚に、勝負をすませた三枚をくわえて勝負するのよ」とダンカンは、人質にとったトランプ兵を指で指した。「三枚はこの中から選ぶんだ。ただし、のこった二枚はさきに見ていい」
 と、ダンカンがおちついた声で説明した。
 ジョーカーを見ると、しきりにうなずいているから、ルールにいつわりはなさそうだ。
「よし、最後は慎重にえらぼう」
 ネッチたちは顔をつきあわせて討議をはじめた。
 ジョーカーはのこった二枚に顔をむけて、
「こりゃあいつらの数字にかかってるな」
 といった。
「のこった数字はなんだろう?」
 ナーシェルは今まで出た数字をけんめいに思いだそうとするが、勝負に夢中になりすぎて、さっぱり覚えていなかった。
 心臓がバクバクして、いても立ってもいられない。落ち着いているのはジョーカーだけだ。
「ままよ、どうにかならぁなっ。おい出てこいっ」
 と、のこった二枚を手もとに呼ぶ。
 向こうはすでに見たようで、野次馬がわーわーわめいている。
 ナーシェルたちは、トランプ兵のうしろにまわって裏に書かれた数字を読んだ。
「うおっ」
「こいつはっ」
「2のクラブと9のクローバーだ……」
 ナーシェルがつぶやいた。
「なんだ、こりゃ。ろくなもんじゃねぇ」
 と、ジョーカーが地団駄をふむ。
「どうしよう。フラッシュをねらおうか?」
 ネッチがささやくと、
「だめだな。見なよあいつのツラを」
 ジョーカーがうしろをさした。
 ダンカンはいかにも自信ありげに、こちらの出方をうかがっている。
「あれはいいのが残ってるとみた」
 なんにしろ、フラッシュをねらって、ダメだったときのドボンがこわい。
「二枚そろっているとか?」
 と、ナーシェル。見物人がしきりにさわぐので、ろくに考えることもできやしない。
「こっちも大きいのをねらおうっ」
 ミッチとシングルハットが力説した。
「しかし、こいつらじゃなあ」
 ジョーカーはどうしようもないと言いたげに、のこったトランプ兵に視線をくれた。
「とにかくえらぼうよ。勝てるかもしれないんだ」
 ナーシェルが率先していうと、
「うん、ちげぇねぇ」
 と、ジョーカーも気をとりなおしてヒザを打った。
「向こうより大きければいいんだけなんだ。べつにロイヤルストレートフラッシュをだそうというわけじゃない」
「いいこと言うねぇ」
 と、ネッチとジョーカーはすっかり意気投合してしまっている。
「もういいか?」
 ダンカンがにやにや笑って問いかけてきた。
「いいともっ」
 と、こちらの腹もすわっている。
「ならべ!」
 ダンカンがさけぶと、両軍入りみだれたトランプ兵が、わさわさとならびはじめた。
 ダンカンは、じっくりこちらのトランプ兵を見ていたが、
「そいつとそいつとそいつだ」
 意外にあっさり選んでしまったから、これにはナーシェルたちの方があわててしまった。
「どうしよう。はやくえらばなきゃっ」
「おちつけぇ、慌てることはねぇ」
 そういうジョーカーも、顔ではずいぶん焦っている。
 ナーシェルたちは、長いこと、あーだこーだと言い合った。
 結果、五十枚のトランプ兵のうち、三名が厳選された。
「最後は目をつぶって、相手のカードだけを見ることにしようじゃねぇか」
「いいだろう」
 と、ダンカンの申し出をジョーカーが堂々と受けとめたので、ナーシェルはひょっとしたら勝てるかもしれないと希望がわいた。
 一同は、たがいに目をとじあった。
 トランプ兵が、わきを、
 ワサワサ
 と、通りすぎる音がする。
 ナーシェルは緊張のあまり頭がどうにかなってしまいそうだった。
「もういいかぁ」
 まずダンカンの声がした。
「もういいよぉっ」
 つぎに見物人がいっせいに答えた。
「サン、ハイ!」
 とジョーカーが言って、ナーシェルたちは目をあけた。
 そのとたん、ネッチたちは凍りついてしまった。
 フォーカード……。
 ダンカンはダダッと自分のトランプの前にまわりこみ、トランプ兵の肩をいせいよくたたいた。
「ジャーン。またまたフォーカードォ」
 言わずもがなのことを言った。
「こっちはっ」
 ナーシェルたちはいっせいに駆けだし、自軍のトランプたちの前にまわった。
「ああっ!」
 と、ミッチが悲鳴を上げた。
「なんでやぁ!!」
 さしものジョーカーが苦悶している。
 カードはフラッシュどころか、一枚もそろっていなかった。
 ドボン、である。
「おれだって最初はカスだったのよ」
 ダンカンが得意満面で鼻をのばした。
「くそ、あの顔にだまされた!」
 ミッチとナーシェルは歯を食いしばって悔しがった。ネッチとシングルハットは、呆然と自分たちのカードの前で立ち尽くしている。
「やべぇっ、俺っちは逃げるぜ」
 ジョーカーは片手を上げると、逃げにかかったが、
「あまいっ!」
 ダンカンが手にした箱のふたを開けると、あっというまもなくそのなかに吸いこまれてしまった。
 ダンカンはもうひとつ箱をとりだすと、自分のトランプ兵をしまいこみ、
「これは勝負だ。わるくおもうなよ」
 といった。
「女王さまのトランプ兵が……」
 ナーシェルは暗然とつぶやいた。

◇   其の五 ふうせん男爵あらわる

「追いかけて取りもどそう!」
 ようやく立ちなおったネッチが、燕尾服をきこんでさわぎだした。
 ダンカンはどこかへ逃げてしまって、人垣も今ではなくなっている。
「でも、どうやって? もうトランプ兵はいないんだよ」
 そこまで言うと、ナーシェルはとうとう泣きだしてしまった。
「ナーシェルっ」
「泣くな、ナーシェル。おいらがとりかえしてきてやる」
 シングルハットが頭によじのぼってなぐさめるが、ナーシェルは泣きやまない。
「大丈夫だよ、ナーシェル。トランプ兵がいなくなっただけだ。まだわたしたちがついているじゃないかっ」
「そうだぞ、わしのこの金歯をみろ。大丈夫だろう」
 なにが大丈夫なのかは分明ではないが、とにかくナーシェルは泣きやんだ。
「ネッチたちが……?」
 しゃくりあげながら聞く。
「そのとおりだとも」ネッチは鼻高々にうなずき、「こまっている少年をたすける。これこそ冒険じゃないかっ」鼻息もあらくのたまわるのであった。
「ありがとう、みんな」
 ナーシェルが、すこし笑って涙をぬぐったその時だ。
「やーい、やーい、泣き虫ナーシェル」
 妙にハイテンションな声が、大通りにひびきわたった。
「なんだとっ、ナーシェルをバカにする奴はどこのどいつだっ」
 ミッチたちはいろめきたったが、どこにもそれらしい影はない。
 代わりに、
「ふうせん男爵だぁ!」
「物を盗られるぞぉ!」
 道にいた人々が、口々にさけんで家に逃げこんでしまった。
 ネッチたちがオロオロしている間に、周囲の家では窓に立て木し、戸をかたくふさいでしまった。
「なんだっ、なにが起こったんだ?」
 まわりをみわたすと、道にのこっているのは自分たちだけである。
「あれを見てっ」
 とナーシェルが空をゆびさした。
「あっ」
 ネッチたちは同じように上をみあげて目をみはった。まるまると太ったふうせんのような男が、ふわふわと空をとんでいる。
「おどろいたな、ミッチ。あの男空をとんでるぞ」
「見ればわかるぞ」
 ネッチたちが唖然としている間に、ふうせん男爵はふわりふわりと、風にゆられながらまい下りてきた。
 ほおも手足もお腹も、びっちびちにふくらんでいる。これはまさにふうせんという他なく、シングルハットは感心してしまった。
「人間って、空がとべたんだ」
「おなかにガスでもはいってるんじゃないのか?」
 とミッチが答えた。
「やいやいナーシェル。そんなことでよくも女王さまの使者がつとまるな!」
 ふうせん男爵は、地面につくなりそうさけんだ。たいへんな大きさなのに、すこしも音をたてていない。ミッチのいうとおり、ほんとうにガスでも入っていそうだった。
「な、なんでそのことを?」
 ナーシェルの問いかけはかんぜんに無視して、男爵はかってに話をすすめた。
「わたしはふうせん男爵だ。さぁおまえたちの大切なものを、ひとつずついただくぞ!」
「なんだってっ?」
 ネッチたちはおどろいてナーシェルのふところを見た。
 ふうせん男爵はみじかい腕をいっぱいにひろげ、うんうんうなりはじめた。
「やめろ、盗みはいけないことなんだぞっ」
「おまえはそれでも男爵かっ」
 にじりよっくるふうせん男爵に、ネッチたちは口々にさけんだが、男爵はにやりと笑っただけだった。
 そのうち、ネッチがはっと気づいた。
「腕を盗まれたっ」
 見ると、ネッチの両腕がなくなっている。
「ぼくは耳だっ」
 こんどは、耳のあったあたりを押さえて、ナーシェルがあっとさけんだ。ナーシェルの耳は消えてしまって、そこには穴がぽっかりあいているだけだった。
「わしはなんともないぞ」
 不思議そうにしているミッチに、
「カミがなくなってるよ」
 ナーシェルがおしえて上げた。
「なんでわしだけカミなんだ!」
「ほっといてもなくなったのに……」
「うるさいっ」
 つぶやくネッチに、ミッチはわめいた。
「うわあん。オイラの大事な前歯がぁ」
 シングルハットがいきなり泣き声を立てはじめた。見ると、シングルハットのみごとな前歯がなくなっている。
 シングルハットはミッチのきたない服にしがみついて、泣きわめいた。
 ネッチたちがおろおろしている間に、
「はーははは、どうだっ。つぎは封書をいただくぞ!」
 ふうせん男爵が、ナーシェルの胸もとに手を伸ばしてきた。
 ナーシェルはあわてて封書をかかえた。ふうせん男爵は、ナーシェルのちいさな体を覆うようにつつんで、封書をつかんだ。
「封書をよこせ!」
「はなせ、こいつっ。ぼくが女王さまから預かったんだぞ!」
 ナーシェルは封書をひっぱりあいながら、男爵のぷよぷよした手にかみついた。
「いたー!」
 ふうせん男爵が手をはなし、その拍子にナーシェルはしりもちをついた。
「くそっ」
 ふうせん男爵はすばやく立ち上がると、倒れたままのナーシェルにおどりかかった。
「ナーシェル!」
 ネッチたちが悲鳴を上げるうちに、ふうせん男爵はまんまと封書をうばってしまった。
「やったぞ」男爵は満面に不気味な笑みをうかべていばった。「どうだ、みたか、このふうせん男爵の力っ」
「こども相手にいばるな!」
 ネッチがおこってわめいたが、
「ふはは、なんとでもいえ」
 ふうせん男爵は大笑すると、駆けよるネッチたちの目の前で、ふわりと空にまい上がった。
「まて、ふうせん男爵!」
 叫んでいる間も、ふうせん男爵の体はぐんぐん高く遠くなり、
「封書をかえして欲しかったら、わたしの屋敷までとりにこいっ」
 そう言い残すと、風にのってふっと掻き消えてしまった。
「どうしよう、封書をとられちゃったっ」
 ナーシェルがまた泣きそうな顔で言ってくる。
「大変だ。取り戻さなくてはっ」ネッチはすっかりとりみだしてきょろきょろしている。
「ふうせん男爵の屋敷はどこだっ」とわめいた。
「ふうせん男爵は町はずれの一軒家に住んでいるよ」
 家から出てきた男が教えてくれた。
 なんせ、ナーシェルはこの国唯一の子供だから、みんな心配なのだろう。ふうせん男爵が帰ったと知って、ぞろぞろとまわりに集まりはじめた。
「行こう、ナーシェル。ぐずぐずなんてしていられないぞっ」
「う、うん」
 ナーシェルが(目に涙をためたままだが)、いきおいよく立ち上がった。
「封書を取り戻そうっ」
「おいらの前歯もだっ」
 ミッチとシングルハットもやる気である。
 もうトランプ兵どころではなくなっていた。
 ナーシェルはドードー鳥に飛び乗ると、町外れにあるというふうせん男爵の屋敷をめざして駆け出した。

◇   其の六 ふうせん男爵の屋敷

 ふうせん男爵の屋敷は、ちょっとした古城といった感じだった。
 キタの町でみた木の家とはちがって、かたい石でつくられている。古ぼけて、いかにもあやしいやつが住みそうな城だった。
 屋敷にはツタがからみつき、あちこちひび割れている。庭の草ものびまかせのようで、噴水や石像がそのなかにうずもれていた。
 窓もうす汚れて透明感がない。中は見えなかった。
 あたりに人家(といってもただの木なのだけれど)はなく、屋敷はぽつねんとさみしい。上でカラスがかーかーなきだした。
 空がにわかに曇りはじめ、今にもカミナリがなりだしそうな天気になった。
「どうどう」
 ナーシェルはドードー鳥を止めると、門前で男爵の屋敷をみあげた。
「きったないとこだなあ」
「そうかい? わたしはアンティークでいいとおもうがね」
 ネッチたちもかってな感想を述べている。
「はやく行って、わしの髪をとりもどそう」
 ミッチがうしろから言ってくる。
「おいらの前歯もだ」
「わたしは腕だ」
「ぼくは耳と封書だ」
 最後にナーシェルが手をふりあげると、ドードー鳥がクエーとないた。
 四人はかんかんにおこって、ひらいた門に足をふみいれた。

 屋敷の両扉はドデンとおおきく、ナーシェルたちは力をあわせて、右がわの扉を押しあけた。
 さびついた蝶番が、いやな音をたてる。
 びゅうと風がふいて、空きカンがからころところげていく。
 ナーシェルたちは、ドキン、とそのたびに背筋をこわばらせたが、ネッチがようやく(といってもこわごわだが)屋敷にはいろうとしたので、ミッチとナーシェルも、互いにだきあうようにして後につづいた。

 てんじょうには、豪華なシャンデリアがつるされている。床には赤いろのじゅうたんがしかれていた。年代物の置時計に彫刻。壁にかけられた名もしれぬ絵画……。ミッチはそういったものが、ネッチの屋敷にもおかれていたことを思いだした。
 どれも品はよかったが、埃をかぶってみすぼらしい。どうやらふうせん男爵は、あまりきれいずきではないようだ。
「ものを大事にしていないねぇ」
 ネッチがひろいロビーをみわたした。
 中はカビくさくて、しめっぽかった。
「きっと盗賊だからだよ」
 と、ナーシェルが憤慨してつけたした。
「やいやい、ふうせん男爵! よくもわしの
大事なカミを、盗んでくれたな!」
 ミッチが怒ってとびあがった。すると、
「わっはっはっ、よくきたな、ナーシェル!」
 うえから大音声がふってきた。ナーシェルたちがビクリと天井をみあげると、ふうせん男爵がシャンデリアのあたりから、ふわふわと傘をひらいてまいおりてきた。
「なにがよくきたなだっ。じぶんで呼んだくせにっ」
 ナーシェルがおこって手をふりまわすが、男爵はそんなことにはおかまいなしに、「さっそく封書をとりもどしにきたな」といった。さらに、「なんならわたしがブリキの国にいってやってもいいんだぞ」といったので、みんなはすっかりおどろいてしまった。
「えっ、なんでそのことを知ってるの?」
 ナーシェルが目をまるくしていると、ネッチたちが口々にさけんだ。
「かってなことを言うな、もともとナーシェルがたのまれたものなんだぞっ」
「そうだそうだ」
「あー、うるさい!」男爵はネッチたちの声をはらいおとすように両手をふった。「そんなにかえしてほしくば、力ずくでかかってこい。それとも腕に自信がないのかっ?」
 いじわるくいう男爵に、ミッチは頭から湯気をふいた。
「腕に自信がないかだって? くそ、ネッチに腕がないのを知ってて言ってるなっ」
「いや、そういうわけでは……」
 ふうせん男爵はろうばいした。
 ミッチはその男爵の腹をゆびさし、
「うるさい、なんていやな奴なんだっ。わしの金歯で腹に穴をあけてやるぞっ」
 といったので、ふうせん男爵はあわてて腹をかかえてしまった。
「そんなことはさせんぞっ」
 とわめいた。
「おいらの前歯があれば、お前なんかペシャンコだ。腹にあなをあけて、お空のうえまでとばされちゃえばいいんだっ」
 シングルハットがじゅうたんに手足をつきたて吠えたてたので、これには男爵もケムリをふいて怒ってしまった。
「よくも言ったなあ! よぉし、みてろみてろ」
 といって、顔をまっかにさせたかとおもうと、男爵は口から息をすいこんで、ぐぐんと体をふくらませはじめた。
「あっ、なにかはじめるつもりだよっ」
 ナーシェルが危険をさっしてさけんだ。
 ふうせん男爵は、二倍ぐらいにふくれ上がると、その場でぼうんぼうんとバウンドをはじめた。
 とび上がるたびに勢いはつよくなり、そのうち天井にふれてしまいそうになった。
「まさか……」
 ネッチはいやな予感がしてうめき声をもらした。
 ふうせん男爵はとうとう天井にぼよんとあたった。かとおもうと、こんどはすさまじい勢いで床におちてきたっ。
「うわぁあああ!」
 そのままピンボールのように、部屋中はねまわりはじめたからたまらない。
「うわっ」
 あやうくペシャンコにされそうになって、ネッチの顔はまっさおになった。
 シャンデリアや置時計が、ふうせん男爵の巨体にふみつけにされ、ごしゃんとあえなくつぶれてしまう。
「もったいない……」
 と、シングルハットはつぶやいた。
 ふうせん男爵は、ボンボン壁や床にはじきかえされ、そのたびにスピードをましていった。ナーシェルたちには、とうぜん止める手だてなんてなく、ころげまわってよけるしかなかった。
 男爵がはねるたびに、埃がもうもうとたちのぼる。
 そのうち、にげおくれたシングルハットが、ふうせん男爵の下敷きになってしまった。
 男爵がノソリと巨体をどけると、シングルハットは紙同然にひきのばされてノビていた。
「シングルハットがペシャンコにされちゃったっ」
 と、ナーシェルがさけんだ。
「はっはっはっ、こりゃおかしい。後でアイロンをかけてやるぞ」
「わらうなミッチ!」
 トランプ兵よりペラペラになってしまったシングルハットが、トマトみたいにまっかになってわめきちらした。
「いいきみだ。無礼な口をはいた罰だ」
 またバウンドをはじめながら、男爵が高笑いした。
「くそっ。あれがはじまったらどうにもとめられんぞ」
 ネッチがくやしそうに歯ぎしりをした。
「あれをつかおう」
 ナーシェルがカベぎわにおかれたヨロイ一式をゆびさした。
 まわりの棚や時計はふうせん男爵のとばっちりでガラクタになっているのに、そのヨロイだけは無事だった。右手におおきなランスをもっている。
 先がとがっていて、ささるといたそうだ。
「よし、あいつはきっとバウンドがはじまると自分では止まれないから、あのランスでブスリとやってやろう」
 ネッチたちがうち合せをしている間に、ふうせん男爵は高く高くはねあがった。
 やがて、天井にとどいて、例のピンボールがはじまった。
「いまだ!」
 ナーシェルとネッチたちは大いそぎでヨロイまではしっていった。
 シングルハットはひらひらとただよって、男爵の視線をそらしている。
「よいしょ、よいしょ」
「うんうん。ずいぶんおもいな」
 ネッチたちはうなり声を上げながら、重たいランスをどうにかこうにかもちあげた。
「やい、男爵っ、こっちをみろ!」
 ミッチのどなり声に、ちろりとそちらに目をやった男爵は、そのとたんにぎくりと心臓をちぢみあがらせた。
 ナーシェルたちが、特大のランスを自分にむけている。そのせんたんは、鋭利にとがっていた。
 あんなものにつきさされてはたまらない。男爵は、すぐさまバウンドをはじめたことを後悔した。このままだと、自分は破裂したふうせんみたいになってしまうだろう。
 男爵の悔恨をよそに、ネッチたちはむちゅうになってランスをもちあげていた。
「わぁ、そっちじゃないよ、こっちだよ」
「もっと右によれっ。ネッチ、そっちじゃないってばっ」
 よたよたよたよた、ランスの穂先はふらふらふらとさだまらない。
 そうするうちに、ふうせん男爵がすさまじい勢いでこちらにはねかえってきた。
「うわああああ!」
 ふうせん男爵はものすごくおおきな声でさけんだが、それはネッチたちもおなじだった。なにせ自分の身長の何倍もある特大ランスなのである。三人がかりでも持ち上げるのがやっとで、ささえることもままならない。
 もし失敗したら、じぶんたちはシングルハットとおなじ姿にされてしまう。そんなのいやだっ。
 ふうせん男爵がボビュンとすごいはやさでとんできた。
 先頭でランスを肩にのせてささえていたネッチは、おそろしさのあまり頭のてっぺんまでシビれ上がった。
「あげろぉぉぉぉ!!」
 われ鐘のような大声をあげて、ネッチは肩のランスをもちあげた。ナーシェルとミッチは、もう死にものぐるいで、男爵のくるほうに穂先をむけた。
 男爵は手で目をおおったし、ナーシェルたちもかたくまぶたをとじこんだ。だから、その光景をみていたのは、シングルハットだけだった。
 男爵のはりだしたおなかが、ランスの先端にズブリとつきささり、パァンと音をたててはれつした。
 男爵はもちろん、ナーシェルたちまでランスと一緒にとばされて、背中のカベにたたきつけられた。
 男爵が腹にためこんだ空気の量は、知ることもできないほどで、とおくにいたシングルハットでさえ、乱気流にまきこまれ、体がちぎれてしまいそうになった。
 ナーシェルたちがカベに手をついてうなっているあいだ、ふうせん男爵は悲鳴をあげて、屋敷中をとびまわっていた。

「あいたた、ひどい目にあった」
 ミッチは腕のないネッチを、苦労してたすけおこしながら、しきりに腰痛をうったえている。
「じつに──じつにすさまじい破裂だった」
 と、ネッチがいたそうに奥歯をかんだ。
「男爵はどこに行ってしまったんだろう?」
 ナーシェルがきょろきょろとふうせん男爵の姿をさがしている。そのうち、乱気流にもまれていたシングルハットが、ふらふらふらりとおりてきた。
 あいかわらずぺらぺらのままだが、それでもへらず口だけは健在のようで、
「よくもおいらをこんな目にあわせたなっ。男爵め、前歯がもどったらおぼえてろっ」
 と、怒っている。
 後ろから、ネッチとミッチもやってきた。
「男爵のすがたが見えないね」
「あいつめ、きっと逃げたにちがいないぞ」
 四人はしばらくふうせん男爵をさがしたが、いっかな姿がみえない。
 なかばあきらめかけた時、
「おーい、おーい」と、上から声がした。
 みあげると、ふうせん男爵のしぼんだ体は、こわれたシャンデリアにからみついていて、そこから助けをもとめているのだった。

 シングルハットはしかたがないというふうにため息をついて、シャンデリアにからまった男爵の体をほどいてやった。
 下におりてきた男爵のからだは、みるも無残にちぢんでしまって、干柿のようになっていた。
 血色のよかったほっぺたは、ウソのように青白く、おじいさんのようにシワだらけになっている。なんせ、皮がたれ下って目がなくなったのだから、その変貌ぶりといったらなかった。
 だから、
「お願いだから、ポンプで空気をいれてくれよぉ」
 といったときには、ナーシェルはすっかりたすけて上げる気になっていた。
 ポンプは足でふむタイプの奴で、男爵はホースをへそに当てて、空気を体にためこんだ。
 ナーシェルがポンプをふむたびに、もりもりもりと、男爵の体がふくれていく。
「もとにもどったら、また悪さをするんじゃないか」
 とミッチたちは心配したが、男爵はしょげてしまって、その心配はまったくなかった。
 数分後、もとのサイズにもどったときにはすっかり感謝して、おとなしく封書をさしだした。

◇   其の七 ふうせん男爵、仲間になる

「ありがとう。でも、なんで封書を盗んだりしたの?」
 封書を受けとりながら、ナーシェルがきいた。
「女王さまが、わたしをたよってくれなかったから……ごめんよ、ナーシェル
 あやまる男爵に、
「封書はいいからオイラをもとにもどせっ」
 と、シングルハットが横から口をはさんだ。
「そうだ、ぼくの耳っ」
「わしの髪」
「わたしの腕もだ」
 四人はめいめい盗られたものを口にして、ふうせん男爵につめよった。
「はいはい、わかりましたよ」
 男爵はめんどくさそうに言って、ナーシェルたちに盗んだものをかえした。
 シングルハットは前歯がもどって大喜びだし、ミッチもカミの感触をしきりにたしかめている。
 ネッチにいたっては腕をぬすまれていたのだから、その喜びようといったらたいへんなものだった。
 なにせ物も持てなかったのである。おかげでドードー鳥にのったときも、その鞍から何度となくころげおちてしまった。
 シングルハットは、男爵とおなじ方法で体をもとにもどし、(もっとも、ミッチのいたずらで空気をいれすぎ、一時はふうせんのようになってしまったのだけれど)今はナーシェルのポケットで一息ついている。
「男爵、もうぬすんだりわるいことをしてはダメだよ。女王さまが男爵をたよらなかったのは、きっと男爵がわるいことをしていたからだとおもうよ」
「うん、わかったよナーシェル」
 と、ふうせん男爵は気味がわるいほどおとなしくなってしまった。
 ミッチたちは、空気といっしょになにか妙なものでもはいったかな、とうたがった。
「どうしたの、男爵?」
 気のやさしいナーシェルは、すこし心配になってたずねてみた。
 男爵は、なにやらおもいつめた表情で顔をあげると、
「ナーシェル。わたしもブリキの国へつれていってくれっ」
 と、きりだしたから、ナーシェルたちはすっかり動転してしまった。
 男爵はどろぼうだし、これからブリキの王にだって会わなきゃならない。それに、よけいな人をつれていったりしたら、木の葉の女王はなんというだろう。
「たのむよ、ナーシェルっ」
「で、でも……」
 ナーシェルがとまどっていると、
「おねがいだよ、もう物をとったりしない。わたしを冒険の仲間にくわえてくれっ」
 ふうせん男爵ははっしと諸手をついて土下座をした。
「ほう、きみは冒険が好きなのか?」
 おもしろそうにきくネッチに、
「もちろんっ。わたしは春になったら偏西風にのって、木の葉の国中を旅するんだ……」
 と、男爵はべらべら旅の模様をかたりはじめた……。
 空からみえる、木の葉の国の景色のすばらしさや、そこでくらすひとびとの生活のしぶり。南にさく草花のうつくしさ、北国ではわたり鳥といっしょに、風にふかれてあそぶこと……。
 それはとてもいい話で、ナーシェルたちはいつのまにかふうせん男爵の話にききいっていた。こんなステキな旅をする人といっしょに、冒険ができたらすばらしいだろうな、とみんなはおもった。
 ナーシェルは立ち上がって、手をさしだした。
「いいよ。ほんとうはトランプ兵がいなくなって、不安になってたんだ。一緒に行こうよ」
「ほんとうかい!」
 男爵はナーシェルの手をとって、じつにうれしそうに快哉を上げた。
 ナーシェルが同意をもとめると、
「わたしはかまわないよ。旅は道づれ世はなさけというしね」
 と、ネッチは器用に片目をつぶって答えた。
 ミッチも、「ふんまぁいいだろう」といい、シングルハットは、「いっとくが、お前はドードー鳥には乗れないぞ」といったから、男爵はさっとヘソのふたをひきぬいた。
「あ、お、おいっ」
 ネッチたちがどもっている間に、男爵の体からはどんどん空気がぬけ、ついにはシングルハットぐらいの大きさになってしまった。
「さっきはしわくちゃになったのに……」
 ナーシェルがおどろいていると、
「このヘソ蓋は不思議なんだ」
 と男爵がこたえ、
「不思議なのはお前だろ」
 と、シングルハットがつけたした。
 それから、五人はさきほどまでのけんかをすっかり忘れて、おおいに笑いあった。
 ナーシェルのひだりのポケットには、シングルハットがはいり、みぎのポケットは、ふうせん男爵がねぐらときめこんでしまった。
 つぎの日の夕刻、ナーシェルたちはブリキの国についた。

ブリキの国

◇ 其の一 ブリキの国のゆううつ

 ブリキの国は木の葉の国の北にある、タイクン山を越えたところにあった。巨人や人食い鳥が住むことで、大変な難所として知られているが、ナーシェルたちはふうせん男爵の
力を借りて、どうにかこの山をのりきった。
 ブリキの国はまさしくブリキでできていた。家はもちろんブリキで、住んでいるひともブリキのにんぎょうなのである。
 まさに、木の葉の国とは正反対の国だった。木も草もブリキでつくられていて、にぶく光沢をはなっている。ここでは世界すべてがスズ色にそまっていた。
「おかしいなぁ」
 ナーシェルは、ブリキの国についてから、さかんに首をひねっていた。
 ブリキの国についたとたん、どしゃぶりの雨にみまわれたのである。雨はいっこうにやむことなく、なおもはげしさをまして、今につづいている。三人はフードのついたカッパをかぶり、雨をさけねばならなかった。
 ナーシェルがなにを不思議がっているのかというと、そもそもブリキというのは、錫をメッキしただけの、うすい鉄板なのである。だから、ブリキの国には雨なんてふらないし、水気のものは、コップ一杯にいたるまでいっさいなかった。
 花は風がふくたびに、ギーギーいやな音をたてている。すっかりサビついているのだ。
 ナーシェルはブリキの国に来たのははじめてだったが、話ぐらいはきいている。
「どうやら、ブリキの国にも、なにごとか起こったようだね」
 ナーシェルに話をきいたネッチが、まじめな顔をしてそんなことを言った。
 雨にうたれるブリキの町は、シンとしてしまっている。バラバラという、この国にはめずらしい雨音だけが、やけに耳についた。
 地面はぬかるんで、みずたまりが一筋の川となってながれている。
 ブリキの国の住人は家のなかにこもっているようだが、この湿気ぶりでは、やがてはサビてうごけなくなるにちがいない。
「おいら、ネズミでよかった」
 と、シングルハットはナーシェルのポケットのなかで、ふうせん男爵と大まじめにうなずきあった。
 雨のせいでサビてうごけなくなるのは、とてもかわいそうだが、それでもやっぱり、
(ブリキでなくて、よかったっ)
 とは、思うらしい。
 ドードー鳥は、水をはねつつ、かぽらかぽらと歩いていく。
 風もふかず、雨は垂直に落ちてくる。木の葉の国に降るようなからっとした雨ではない。ここでは服のすきまにまで、湿気がしのびこんでくる。いらいらしてくるような天気だった。
「あれはなんだろう?」
 ナーシェルは雨にけむる街道をすかしみた。
 しのつく雨のむこうに、何者かが腰をおろしている。
「ずいぶんおおきいなー」
 ネッチが小手をかざして感嘆した。
 そいつは、大きくなったふうせん男爵より、さらに巨大だった。道ばたにひとりですわりこんでいる。
 ここからではちょっと視界がわるくてどんな奴かはわからないが、肩をおとして、さびしそうにしているのだけはわかった。
「おい、やばいぞ。近づくのはやめようっ」
 とミッチがネッチの肩をたたいた。
 ふうせん男爵が、ポケットからひょいと顔をだし、「ブリキだ。あの男、ブリキでできてる」といった。
「あんなでかい奴に追いかけられたら、とても逃げられないぞ」
 ネッチがゴクリとのどを鳴らした。この一言で、みんなは少しふるえてしまった。
 シングルハットが、ひょこんとポケットから顔をだす。
「あいつ、あのままだとサビついちゃうぞ……」

 ドードー鳥はしずくをたらしながら、錫色の巨人のところに歩いていった。
 ブリキの巨人は、ものうそうに目をこちらに向けてきた。あぐらをかいて座っているが、それでも高さは5メートルほどもあった。
  ナーシェルたちは、顔にふりかかる雨に目をほそめながら、巨人をみあげた。
「やぁ」とナーシェルが声をかけると、巨人はそれに答えるように、すこし首をふった。
「ぼくはナーシェル。きみはこんなところでなにをしているの」
 と、たずねると、巨人はさもおもたげに口をうごかした。
「わたしはバッカス。ブリキの国のただの住人さ。だから、こうしてすわっているんだ」
「どうしてすわっているの?」
「うごけないんだ。ブリキの住人はみんなそうさ。外にでると、雨にやられてうごけなくなってしまう。ほら」
 と巨人がとつぜん腕をあげた。ギギィと音がして、赤サビがパラパラとおちてきた。
 ナーシェルたちは、びっくりしてドードー鳥の背からころがりおちた。ぶん殴られるかとおもったのだ。
「やい、わしはミッチモンドだぞっ。いいかぁ、でかいからって調子にのるなあ」
 ミッチがキンキン声で虚勢をはった。
「わかってるよぉ」
 と、バッカスはおっかなそうに体をちぢめた。おおきなわりに、気はよわそうだ。
「なんだ、こいつ。全然こわがりだぞ」
 ミッチが図にのってたたくフリをした。
「よしなよミッチ」
「そうだよ、かわいそうじゃないか」
 と、ネッチとナーシェルが非難する。
「ずるいぞネッチ。じぶんだけいい子になってっ」
 ミッチはひとりでおこって手をふりあげた。
「このとおり、あちこちサビて立つこともできない」
 バッカスはここで、とてもおおきなタメ息をついた。巨人のタメ息は、ちいさな竜巻となって、ナーシェルたちをなぎたおした。
「こんなに大きいのに、うごけないのかい?」
 ネッチがどろんこになりながら聞くと、
「どんなに大きくてもダメさ。こんなにさびついてしまってはね」
 バッカスはかなしそうに答えるのだった。
 それから、すこしながい話をはじめた。
「雨がふりはじめたとき、ブリキの国は大さわぎになった。いままで、ひとつぶの水も降ったことがなかったからね」ナーシェルたちはここでおおきくうなずいた。「みんなは急いで家にとじこもった。そうしないと、ブリキの体はすぐにサビついてしまう。ところが、わたしだけは逃げおくれてしまった。だからこうしてサビるのを待っているのさ」
 バッカスはまたタメ息をつき、ナーシェルたちはまたも顔からドロにつっこんだ。
 ナーシェルはあわてて身を起こして、バッカスのひざにしがみついた。
「そんなのダメだよバッカス。ここからうごくんだ」
 しかし、バッカスはくびを横にふる。
「やがてはおなじことさ。このまま雨が降りつづけば、いずれブリキの国の住人は、サビだらけになってしまうんだ」バッカスはとおくに目をやった。「うしろを見てごらん」
 バッカスの言葉に、みんなはふりむいた。たがいの息を飲む音がした。
 背後のブリキの草原には、すでにサビついてしまったブリキの国の住人たちが、墓標のように立っていたのだ。
「わたしとおなじだ、逃げおくれたんだ。みんないいやつらだった。ブリキの国はいつも晴れていて、わたしたちは油をさすたんびにブリキの原をはしりまわったもんさ。それがどうだい」
 バッカスの語尾はかなしみにかすれてしまって、そのふたつのおおきな目玉からは、油がポロリポロリとこぼれてしまった。
「おなじことさ」
 と、バッカスはくりかえした。
「おなじじゃないよ。ぼくはこれからブリキの城に行くんだ。そうしたら、きっとこの雨もなんとかなるよ」
 ナーシェルはバッカスのブリキの体に手をついて、いっしょうけんめいはげました。
「そうだ、わたしたちがもどってくるまで、待ってるんだ」
 と、ネッチたちも口々に言いたてる。
 バッカスは、おおきな手で、目のあたりをゴチゴチとこすった。
「ありがとう、ナーシェル。ここでがんばってみるから、ブリキの王にこのことを伝えてくれ」
 バッカスはひとつ泣いてすっきりしたのか、雨雲がのぞかれたようなはればれとした声で言うと、頭をギイと下にさげた。
 ドードー鳥が、ドロをはねあげながら駆けていく。
 ギィーコギィーコと、へたくそなオールこぎみたいに腕をふっていたバッカスは、
「ブリキの王は、大丈夫かなぁ」
 ふきしぶる雨に顔をあおのけた。

 ドードー鳥にのってしばらく進むと、やがてブリキの町にたどりついた。
 錫色の町はたいへん美しかったが、ここもやがてはサビつき、赤銅色になってしまうのかとおもうと、ナーシェルたちはひどく残念な気分になるのだった。
「みろ、城だっ」
 体をたたく雨と、カッパのなかにまでしみこんでくる湿気に辟易していたミッチが、前方をゆびさしさけんだ。
 ブリキの城が、雨にけむって、ひっそりと佇んでいる。ところどころに、妙な棒がニョキリとつきだしているのが、いかにもブリキの城らしかった。
 錫色のブリキが、雨にぬれてぬらりと光る。
「わぁ、ほんとにブリキでできてる」
 ナーシェルの歓声は、雨音にかき消された。

◇   其の二 ブリキの王さま、頭をなやます

 ブリキの城にも門番がいる。木の葉の国ではトランプ兵。こんどはブリキの兵隊だった。
 ところが、かれらはたいへん元気がなく、うごいても体をギーギーいわせるばかりで、まったく精彩というものがない。
「雨水のせいだ」
 ナーシェルはいまいましそうに雨雲をみやった。
 木の葉の国からの使いだというと、ブリキの王はすぐさま会ってくれた。
 ブリキの王さまは、やはりブリキでできていて、あたまにブリキの王冠をかぶり、せなかにはブリキのマントをはおっている。
 ブリキでできたかたそうな椅子に、どしりとすわって待っていた。
「おお、よくきたな。木の葉の国の女王は元気でおるか?」
 と言われたので、ナーシェルたちはひどくびっくりしてしまった。
「んっ? どうしたのじゃ?」
 王さまはナーシェルたちのようすに気づいて声をかけた。
 ナーシェルはだまって封書をもっていった。
 王さまはしばらくうんうん言いながら封書をよんでいたが、やがて顔を上げると、
「そうか、木の葉の国はやはり……」
 と、苦しそうにつぶやいた。
 それから視線をナーシェルにむけて、
「お主がナーシェルなのだな。木の葉の女王のくるしみはよくわかるぞよ。なにせ木の葉の国を苦しめている原因は、この国にあるのだからな」
 王さまはつらそうに言葉をはきだされた。ナーシェルはまよっていたが、おもいきったように口をきいた。
「王さま、王さまはなぜストーブをとめてしまったの?」
「…………」
 ブリキの王はだまっている。なにか言いにくそうだった。
 ナーシェルは質問をかえることにした。この国についてから、ずっと気になっていた疑問だった。
「ブリキの国はどうなってしまったの? こんなに雨がふっては、国中がやがてはサビだらけになってしまうよ」
「うむ……」
 と王さまは静かにうなずいて、ブリキのヒゲをゴシゴシしごいた。
 王さまは窓に目をやった。雨が滝のようにながれている。ざーざーという音が耳ざわりだった。
 やがて、王さまは話をはじめた。
「雨水の王がとつぜんわが国に雨をフラしはじめたのだ。おぬしのいうとおり、このままでは国のものはみなサビてしまうだろう。わしの体もほれ」
 と、ブリキの王は玉座をたった。
 関節をうごかすたびに、ギーギーと音がする。王さまの体も、すでにサビがはじまっているのだ。
「もうサビがはじまっておる」
 かなしそうに言った。
 王さまはつかれたように椅子に腰をおろしたが、そのときもブリキのあわさる音がした。
まわりの側近が、さめざめと泣きはじめた。
「なぜ雨水国は雨をふらすの?」
「わからん。とつぜんのことだった。たしかめようにも、ブリキの国の住人では、いっぽも外にでれんのだ」
 ここでブリキの王はつよい視線をナーシェルにむけた。
「まさか……」
 ポケットのなかで、ふうせん男爵はうめいた。いやな予感が、頭のなかではしりまわっている。
 はたして、その予感は的中した。
「虫のいい願いだとはわかっている。だが、このことをたのめるのは、お主たちをおいてほかにないのだっ。たのむ、ブリキの国のために、雨水国に行ってくれっ」
「でも、ぼくは……」
 ナーシェルは言葉につまった。ふりかえり、仲間の顔をみる。
 ネッチたちもこまってしまった。とても石炭のことをきけるふんいきではない。それに、ナーシェルはまたやっかいごとを押しつけられそうなのだ。
「王さま。せめて木の葉の国のために、花と草木のストーブに、火をともしてもらえませんか?」
 王さまはかなしそうにナーシェルを見つめていたが、すこしたって口をひらいた。
「ついてきなさい」
 そういって、さきに立つと歩きはじめた。
 ナーシェルたちは顔をみあわせ、王さまの後についていった。

 ナーシェルはとても見ていられなかった。
 王さまはうごくたびにギーギー音をたてるのである。動作もかんまんで、このままほうっておいたら、ブリキの王はいつかうごけなくなってしまうにちがいない。かわいそうだな、と思った。
 とある扉の前で、王さまはたちどまった。
 番兵が、体をぎーぎーいわせながら敬礼をする。
「とびらをあけよ」
 王さまが片腕をさっと水平にふると、番兵がいそいで、(もっとも体についたサビのせいで、とてもいそいでいるようには見えないのだが)扉を左右に押しひらいた。
「見なさい」ブリキの王はうしろにある九十九個のストーブをしめした。「あれが花と草木のストーブじゃ」
 あっ……とナーシェルたちはおどろいた。花と草木のストーブは、こんなにたくさんあったのだ。
「手前のあの」ブリキの王は指をのばした。
「あのストーブだけが火をともしている」
 たしかに、ひとつだけあかあかと火をおこしている、ストーブがある。
「なぜのこりのストーブには火をつけてくれないのっ」
 とがめるようにさけぶナーシェルを、ブリキの王はかなしげにゆれる瞳でみつめていた。が、やがて、
「ブリキの国に大量にあった石炭を、雪と氷の女王にこおらされてしまったのだ」
 といった。
「ええーっ!?」
 ナーシェルたちは、仰天のあまりカチコチに硬直してしまった。それは、雪と氷の女王にこおらされてしまったようだと、ブリキの王はおもった。
「そ、それでは、石炭はもうないんですか?」
 すっかりうろたえているネッチに、
「うむ。残ったわずかな石炭で、あのストーブの火だけはたやさぬようにしているのだ。しかし、それもいつまでもつか……」
 王さまはため息とともに、首をかるく左右にふった。
 ネッチたちは残らずこけた。
「あの最後のストーブがきえてしまうと、木の葉の国の草木はすべて枯れはて、荒涼とした大地のみになってしまうことじゃろう」
 ブリキの王は心からつらそうに言った。
 ナーシェルは、石炭が雪と氷の女王にこおらされたと知っておどろいたけれど、ブリキの王が女王との約束をやぶったわけではないと知って、内心ひどくよろこんでいた。
「雪と氷の女王に、石炭の氷をとかしてもらえば……」
「むろん、そうなればストーブたちは息を吹きかえすじゃろう」
 その言葉をきいて、ネッチたちははね起きたが、
「でも、このままだと、王さまたちはサビついてうごけなくなってしまうんだね」
 ナーシェルの暗澹たる言葉に、また肩をおとした。
「なぜ雪と氷の女王は、石炭をこおらせてしまったんです?」
「わからん。ただでさえ降りつづく雨でそとに出れんのに、雪と氷の国は万年雪におおわれているのだ」
「それではこの雨がやんでも、女王には会えない」
 問いかけるミッチに、王さまはゆっくりとうなずいた。
 ネッチとシングルハットは頭をかかえてしまった。虹の冒険号は、もう二度ととべなくなってしまったのだ。
 ふうせん男爵は、ナーシェルのポケットのなかで、ゴクリと唾をのみくだした。
 ナーシェルは決意した表情で、ブリキの王をみあげた。
「わかりました。ぼく、雨水の国に行って、雨をとめてもらいます。その上で雪と氷の女王にあって、石炭の氷をとかしてもらいます」
「ナーシェル?!」
 ネッチとミッチは仰天してさけんだ。ナーシェルはかんたんに言ったが、この旅は口でいうよりずっと困難でつらいにちがいない。
「だって、このままだと木の葉の国は枯れ果ててしまうんだよ。雪と氷の女王に石炭をとかしてもらっても、雨が降りつづけば、王さまやバッカスたちはうごけなくなってしまう……」
 ナーシェルはふるえる唇をかみしめ、つかえつかえしながら言い終えた。
「ナーシェル……」
「えらいぞ、ナーシェル。それでいいんだ」
 シングルハットはポケットの中でしきりにうんうんやっている。
 ブリキの王はナーシェルの手を包むようにしてとった。
「ありがとう。これでわが国も──ひいては木の葉の国も救われるだろう」
「どこまでやれるかわからないけど、ぼくやってみます」
 と、ナーシェルはたのもしく言い切るのだった。
 ミッチとネッチは無言で視線をかわした。
「ええい、どうせやらなきゃ、虹の冒険号は動かないんだ!」
 ミッチは半ばやけくそになってさけんだ。
 ネッチも大きくうなずき、
「これこそ真の冒険じゃないか。こんなおおきな冒険はまたとないぞ、ミッチっ」
「名を上げるチャンスだな、ネッチっ」
 もりあがる二人をポケットからのぞかせた目でながめながら、シングルハットはつぶやいた。
「あーあ」

 後にのこった石炭は、もって一週間が限度だという。しかも、燃えているストーブはたったひとつ……。
 南ではどんどん枯れが進むだろうし、ブリキの国にもサビがひろがっている。
 ナーシェルたちはいそがなければならなくなった。雨水の王にあって、ブリキの国にふる雨をとめてもらわなければならない。
 ナーシェルは、ふいにどうしてこんなことになってしまったんだろうと考えた。どの国もとても仲がよかったのに、いまでは理由もつげずに相手をこまらせている。
「これは雨水の王へのわたしの気持ちだ」
 そういって、王さまはブリキのオモチャをナーシェルに手わたした。
「でも……」
 と、ナーシェルは口ごもった。おとなの雨水の王さまが、オモチャなんかで喜ぶだろうかとおもったのだ。
 その気持ちをさっして、ブリキの王がいった。
「いいのだ。心のこもった贈り物は、ひとの心をうつはずだよ。それはわたしの雨水の王にたいする気持ちなのだ」
 ブリキの王はじっとナーシェルの目をのぞきこんだ。
 雨はまだ降りやまない。
 ナーシェルは、だまってオモチャを、べつのポケットにしまいこんだ……。

雨水国

◇    其の一 サムライトラゾー、ナーシェルの部下になる

 雨水国の雨は、ブリキの国よりずっとずっとすさまじかった。
 風は轟々とうなりを上げ、大粒の雨をこまぎれにするいきおいだ。
 雨水国は、地表の大半をあふれた水におおわれている。洪水の状態がずっとつづいているようなものだ。
 そうでないところも、大地は泥濘にかわっている。雨水国の住人は、そのわずかに露出した地表にへばりついて暮らしている。
 ナーシェルたちはいたるところをながれる濁流をさけ、ゆっくりと歩いていかなければならなかった。
 あちこちに川ができ、濁流となって、ついには湖ができてくる。その水はさまざまな国へながれていくが、管理しているのは雨水の王であった。
 稲光りがゴロゴロと空をとどろかせ、まるで雨水の王のいかりをあらわしているようだとネッチたちはおもった。
「なあ、ナーシェル。この国はずっと夜なのかね」
 後ろでネッチが声をはり上げたので、ナーシェルはおどろいてドードー鳥の足を止めた。
「どういうこと?」
「だって、もう雨水国にはいってからずいぶんたつのに、まっくらのままじゃないか」
 これにはみんな納得して、おおいに変だとうなずいた。
「たしかにおかしいぞ」
 ミッチが首をひねると、ふうせん男爵もふところから懐中時計をとりだし、
「本当だ。もうほとんど一回りしているよ」
「どういうことだろう?」
 ネッチはぼうぜんと空をみあげた。
 稲光がはしると明るくなるが、それ以外のときは、空をおおう雨雲さえみえない。いまはランプがあるからいいが、なければお互いの顔もみえないにちがいない。
「いやな予感がする……」
 シングルハットが半眼のままつぶやいた。
 ナーシェルが眉根をひそめ、
「ぼくは雨水国のことがあまりよくわからないから……」
「わたしもあまり知らない」
 とふうせん男爵も、いって顔をあおのけた。
 これぐらいおおきな雨粒となると、濡れるだけではすまず、むしろ痛いぐらいだった。
 ナーシェルは、おおきな木をみつけるたびに、その下にかくれてドードー鳥をやすませていた。ちかくに木立をみつけたので、そこまで行こうとしたのだが、ドードーはナーシェルがなにも言わないのに、道の中央でピタリととまってしまった。
「ドードー、どうしたの?」
 ナーシェルがたづなをあやつっても、ドードー鳥はちっとも動かない。地面に鼻をつけて、もぞもぞとにおいをかいでいる。
 ナーシェルは下におりて、鞍のわきにつけたランプで前方をてらした。暗闇がはらわれ、粘土のような地面が姿をあらわした。
「あっ、ひとがたおれてる!」
 と、ナーシェルが大声を上げた。
 ネッチたちはおどろいてナーシェルのところへかけよった。
「本当だ……」
 ネッチはごくりとのどを鳴らした。
 そこには、ミノと三度笠を身につけた老人がたおれていた。とてもかわった服装をしていて、ネッチたちは見たことがなかった。
「おじいさん、大丈夫ですか?」
 ネッチは少々うわずった声で、老人の肩をゆさぶった。その間も、ふきすさむ嵐がかれらの体を叩いていく。
 ランプの明かりにてらされて、老人がわずかにまぶたをひらき、うめいた。
「め、めし……」

 ガガガガッと、まっくらな空に稲妻がはしった。
 そのたびに世界はうきぼりとなり、また闇にしずんでいく。雨水国では、ずっとこれのくりかえしだった。
 ナーシェルたちは木陰に老人をつれていき、そこでおにぎりをさしだした。
 老人は物もいわずに両手につかむと、ものすごい勢いでかぶりついた。
 かぶりつく、という表現は適当ではないかもしれない。かむという行為を放棄して、とにかく口におしこんでいるのだ。
 ナーシェルたちはそのあまりの食いっぷりに、呆然とみているしかなかった。
 老人は、腰にさげていた竹の水筒を口におしあて、ゴクリゴクリとのどをならした。
「ゲプ……」
 どうやら一息ついたようだ。
「ずいぶんお腹が空いてたんだね」
 ナーシェルがいささか呆気にとられていると、老人はだしぬけにその場にはいつくばった。
「どこのだれとは存ぜぬが、この御恩、トラゾー生涯わすれませぬぞ!」
 と、老人とはおもえぬ大声できりだしたのである。
「ず、ずいぶんおおきな声ですねぇ」
 ネッチがテレて、どうでもいいようなことをいった。
「サムライになりたくて、長年修業をしておったのじゃ」
 とトラゾーじいさんは答えた。
 ミッチがランプをもち上げると、トラゾーの五体が明かりのなかにうかび上がった。ずぶ濡れになってしまっているが、紋服に袴と

◇ 閑話休題

 大変なことが起きました。大変なのかな?
 この先の原稿がないのです。ないというか、ワープロからの変換がうまくいきませんでした。面目次第もありません。はい。
 さて、先に、出てきたあのトラゾー。彼は、雪と氷の国の住人なのですが、かの国でも住人たちはとんでもない寒波に苦しんでおり、トラゾーは一同を代表して、ブリキの国に向かうところだったのですね。ブリキのカイロに使う石炭を集めるためだったのですが、ナーシェルたちから話を聞いて、トラゾーは旅の一味に加わることに相成ります(そうだったと思います)。
 ところが、雨水国の騎士団が現れ、一行は牢獄に入れられてしまいます。
 松明のたかれた薄暗い牢獄の中に、きちがい公爵夫人が現れます。それはとても不気味な公爵夫人でも、ナーシェルたちは奴隷として買われていくのですが……。
 物語は、きちがい公爵夫人の屋敷にて、奴隷となったナーシェルたちが、掃除を仰せつかったところから再開されます。


 そいつは奇態な嬌声を上げて、ナーシェルたちの間を、ものすごい速さでとおりすぎていった。
 みんなは尻餅をつき、男の背中を見送っている。
「な、なんなんだ……」
 暗闇に消えていく男の後ろ姿に、ネッチはおもわず問いかけていた。……

 屋敷ではそのあとも不思議なできごとが連続した。
 床からいきなり人間の顔が出現したり、暗闇をしろいシーツのようなものがとおりすぎたり……。
 ナーシェルたちは、そのたびに悲鳴をあげ、にげまどった。
「この屋敷はなんなんだ!」
 とうとう堪忍袋の尾もきれて、ネッチは怒気をはらんだ声をとどろかせた。
 ふうせん男爵はおどろきのあまり空気がもれて、しょうしょうシワがよっている。ミッチがポンプをおしてやっているところだ。
 あおい顔で立ちつくしているナーシェルのほおを、後ろからしのびよった、ホネのようにやせた女がスルリとなでた。
「わぁっ」
 それは信じられないほどつめたい手で、ナーシェルは心臓をわしづかみにされたような気分になった。
「ナーシェル公になにをするかっ」
 トラゾーが骨女につかみかかったが、女は身軽に体をかわすとにげてしまった。
 とにかく、この屋敷の人間というのは逃げ足が早い。ネッチとトラゾーがどんなにがんばっても、まばたきの間に逃げてしまうのだ。
 ふうせん男爵はこの手のことがニガテのようで、腰がぬけるほどふるえ上がって、フーフー言っている。
「大丈夫か、ナーシェル」
 シングルハットが肩にのぼってささやいた。
「ああ、ありがとうシングルハット」
 ナーシェルはつかれた表情で、無理にわらった。
 ふうせん男爵の身体ももとに戻り、ミッチはようやくひと息ついた。
 じつをいうと、ミッチもこういうことが大の苦手である。みんなの手前、つよがってはいるが、ほんとうはふうせん男爵といっしょに腰をぬかしてしまいたかった。こうやって男爵の世話をやくのも、腰をぬかす時はいっしょだっ、という心理がはたらくためである。
 ミッチはナーシェルたちに向きなおると、
「やっぱりにげようっ。公爵夫人がなんだ、保釈金がなんなんだ! わしはミッチモンドだぞ!」
 そんなことは知っているので、みんなは気怠げにふり向いた。そして──
「アッ」とネッチたちはおなじ形に口をひろげた。
 ミッチはいやな予感がして、背後を横目をつかって見ようとした。
 その肩に、何者かが、ポンとおおきな手を置いた……。
「ノオオオオォォォ!」
 ミッチは精神の限度をふみにじられ、魂もけしとぶような絶叫を上げた。
 ふうせん男爵は、ひゃっと悲鳴を上げて、とうとう腰をぬかしてしまった。
「ど、どうしたんですっ?」
 ミッチの声には逆に男のほうがおどろいたようだ。
「ああ、この人はまともだ……」
 ネッチが安心したように溜息をついた。
 ミッチはかんぜんに燃えつきている。
 女物の服をきてはいるが、その男の反応はまともだった。ナーシェルはようやく安心してたずねた。
「あなたは?」
「ぼくはトラビス。あたらしく入ったのは君たちだね。あまり遅いんで、迎えにきたんだ」
「そ、そうだったのか……」
 そういうトラゾーも、顔があおざめてしまっている。
「こんなところ、はやく出ていった方がいいよ。ここはきちがい公爵の屋敷なんだからね」
 トラビスは暗い顔をしていった。
 ナーシェルたちは、「きちがい?」と、おうむ返しにくりかえす。
 トラビスはおおきく首をたてにふった。
「この屋敷にいると、みんなしだいにきちがいになってしまうんだ……」
 トラビスの真にせまった物言いに、ナーシェルたちはしばらくことばがでてこなかった。
「あなたはなんでだいじょうぶなの」
 ナーシェルはとうぜんの疑問を口にした。
「ぼくはまだ新入りだから」
 トラビスがわらったおりもおり、屋敷のおくから女の絶叫がひびいてきた。
「キャアアアアア!」
 屋敷の隅々までひびきわたるようなさけび声に、ナーシェルたちはとびあがった。
「気にしなくていいよ。一日いちどはああなんだ」
 トラビスはなれているのか、平然としたものだ。
 ナーシェルたちは互いに身体をよせあった。
「おい」トラゾーがトラビスの服をひっぱった。「ここには、家政婦の服しかないのか?」
 そういえば、トラビスが着ているのもおなじものである。
「さぁ。でも家政婦長がこれしかくれないから……」
 トラビスはしかたないというふうに肩をすくめた。
「家政婦長って、あのひとのこと?」
 ナーシェルはさいしょに部屋にあらわれたふとった女のことをおもいだした。
「そう、この屋敷のことは、彼女がひとりできり盛りしてる」
「家政婦長も、やっぱり」
 ネッチがきくと、トラビスは真顔でうなずいた。やはりあの女もきちがいだったのかと、ネッチとミッチは納得したようにうなずきかえした。
「だからはやくにげた方がいいんだ」
「しかしなぁ」
 といって、ミッチは水滴のついた窓を見やった。
 なかはローソクの火で明るいのに、そとはあんなにもくらい。この屋敷からにげだしても、自分がどこにいるのかもわからなくなるにちがいない。
 ドードー鳥はデヨニール三世にとられてしまった。ナーシェルは生まれた時から一緒だった友だちがいなくなって、さびしいらしい。
 ナーシェルたちだけでは、とても森はぬけられそうになかった。どこかで足をふみはずして、濁流におちこんでおしまいである。 
 みんながだまりはじめてしまったとき、 
「うおー、うおー!」
 なにやら腹の底にひびくような声がとどろいてきた。
「家政婦長が飯をつくってるんだよ」
 とトラビスが説明した。
 飯をつくるのに、なんでほえるんだ? と、ナーシェルたちはおもったが、あの家政婦長ならやりそうだった。なにせきちがいなのだから……。

 一夜にして家政婦になってしまったナーシェルたちは、それからさまざまな雑徭をおおせつかった。
 部屋のそうじから、せんたく、窓ふき、皿あらい。
 しかも、そのつど、例のきちがいたちがあらわれてジャマをするのだ。
 トイレの便器からいきなり手がつきでてきて、ミッチとトラゾーはしりもちをついてしまった。洗濯機からは生首がでてくるし、窓のそとには女の顔がうかんでいる……。
 ナーシェルたちが、皿洗いをやっていたときである。部屋をでたときに会ったナイフ男が、またも闇からぬうっと出現した。
 ナイフをカチャカチャいわせながら、こんどは通りすぎずにネッチとナーシェルにおそいかかったっ。
「うわぁ」
 ネッチは悲鳴を上げるナーシェルをかばって、フォークを武器にナイフ男とやりあった。
「せっしゃが相手じゃあ!」
 と、トラゾーが皿をたてがわりに加勢する。
 ミッチとシングルハットは、ナーシェルをかばいながら、食器棚のあたりにさがっていった。
 すると、そこには骨女がまちかまえていて、さがってきたミッチの首筋をスルリとなでた。
「う、ぎゃあ~~~~~!」
 ミッチはかかえていたナーシェルをほうりだして、わめきにわめいた。肩にのっていたシングルハットは、その声でころげおちてしまった。
「わっ、わっ」
 ナーシェルはしりもちをついたまま後ずさりした。シングルハットがその腹にのっかり、女にむかって前歯をガバとおったてる。
「ふうせん男爵っ」
 ナーシェルが助けをもとめるが、
「空気がぬけるぅー」
 ふうせん男爵は、かべを自由にとおりぬけるスリヌケオバケに、ヘソ蓋を抜かれてしぼみつつあった。
 それをみたナーシェルは、
「こいつ、ヘソ蓋をかえせ!」
 と、シングルハットとともにスリヌケオバケにつかみかかった。
 しかし、そいつはナーシェルの手がとどくよりはやくに、体を床にひっこめてしまった。
 目標をなくしたナーシェルが、バタンと床にたたきつけられる。
「なぁしぇるぅ」
 ふうせん男爵がぬける空気にくるしそうにしながら、ナーシェルをたすけおこした。
「いたた……」
 ナーシェルが泣きべそをかいているうちに、ふうせん男爵の体はどんどんちぢんでいってしまう。
 スリヌケオバケがにやにやわらって床から顔をだした。
 シーツをかぶった幽霊たちが、どこからかあらわれて、ナーシェルをかこみこんだ。
 ナーシェルはおどろいてたすけを呼ぼうとしたが、ネッチとトラゾーのところにもシーツオバケはあらわれていて、カミや服をひっぱたりする。
「いたたっ」
「やめんか、こら!」
 シーツオバケたちは部屋中にあふれでて、台所をあらしはじめた。
 口もないのにソースビンの中身を顔にぶちまける者。残り物のスープをひっくり返す者。ピザをわしゃわしゃ口につめこむナイフ男。
(だめだ……)
 ミッチをみると、かれは骨女に抱きすくめられてなかば気をうしなっていた。
 ナーシェルは、ちいさくなってしまったふうせん男爵と、服にへばりついているシングルハットを、せまい胸にかかえこんだ。
 シーツオバケは、そんなナーシェルのカミや服をひっぱたり、白い肌をつねったりする。
「ナーシェルっ」シングルハットが目をむいてシーツオバケにくってかかった。「こいつ、ナーシェルにさわるなっ」
 しかし、あえなく髭をつかまれ、宙づりにされてしまった。
「シングルハットッ」
 ナーシェルのなみだでかすむ目に、さかさにされてキーキーいってるシングルハットがうつった。
 ナーシェルはふいに泣きたくなってしまった。
 どうしてこんな目に合うんだろう。ぼくはなにも悪いことはしてないのに。ブリキの王さまのオモチャをとどけにきただけなのに。木の葉の女王さまはどうしてぼくにこんなつらいことを押しつけたりしたんだろう。ぼくはオバケにもかなわない弱虫なのに……。
 そうおもうと、ナーシェルは胸のあたりが熱くなって、たまらなく涙があふれでてきた。
「わーん、わーん、わーん!」
 大声で泣きだしたナーシェルに、シーツオバケたちはまともに面食らい、ぎょっとした顔でその場をとびはなれた。
 骨女も、ナイフ男も、ネッチたちも、くしゃくしゃになって泣くナーシェルを呆然とみつめている。
 シーツオバケがけんめいになぐさめようとするが、ナーシェルは泣きやまない。
 それどころか、泣き声はますばかりだ。
「ワーン、ワーン、ワーン!」
 シーツオバケはすっかりおろおろしてしまって、とうとう部屋からにげだしてしまった。
 ナイフ男も、骨女も、あわてて物陰にかくれてしまう。
「た、たすかった……」
 髪の毛までくちゃくちゃにされたネッチが、呆然自失とつぶやいた。
 きちがい屋敷のきちがいたちも、泣く子には勝てないらしい。
「ひっく、ひっく……」
 まだしゃくりあげているナーシェルを、ふうせん男爵とシングルハットが、汗をかきかきあやしている。
 ネッチはほうけた顔で、台所をみわたした。
 まるで台風がとおりすぎた後のようなありさまだった。食器棚のなかまであらされて、テーブルにはケチャップやマヨネーズがベタベタ中身をぶちまけている。カーテンはたれさがり、床にはなべやわれた皿がころげていた。天井につるされたロウソク台が、惨劇のあとは夢ではないといいたげにゆれている。
 ミッチはようやく気がついて、からだをおこすといったものだ。
「わしのねぇちゃんは?」
 ミッチがみんなに睨まれて、オタオタしたのはいうまでもない。

◇   其の七 きちがい料理をお食べなさい

「飯だぁ! ろくでなしどもー! 飯だぁー!」
 つかれきった表情でかたづけをしていたところに、家政婦長のガラ声がひびいてきた。
 ナーシェルたちはやれやれと顔をみあわせ、声の聞こえる方に歩いていった。
 あんな目にあっても、腹はへるものらしい。
 ナーシェルたちがつれてこられたのは、くらくてジメジメした台所だった。
 かまどではなにやらあやしげなスープがぐつぐつと煮たっている。
 家政婦長はあいかわらず怒気もあらわに、ナーシェルたちを部屋におしこみ、むりやり席にすわらせた。
「そら、飯だよ」
 とスープを皿にぶっかけ、ナーシェルたちの前にどんとおいていく。
 それはかわったスープだった。硫黄のにおいがする。表面には目玉をギョロつかせた魚のあたまがプカプカういている。
「これはなんだ……」
 ミッチがトラゾーの脇腹を指でつついた。
「知らん……みたこともない」
 トラゾーはゴクリとつばをのみこんだ。
 ネッチは皿に顔をちかづけにおいをかぎ、
「食えるんですか?」ときいた。すでに敬語である。
 家政婦長は冷厳とこたえた。
「死にたかったら、食ってみな」
 すでに食っていたふうせん男爵は、口のなかのスープをふきだした。
「ゲーホゲホゲホッ」
「「そんな物食わせるなぁ!」」
 ミッチとトラゾーがテーブルをひっくりかえした。
「いやならいいさ、今晩はメシぬきだ」
 家政婦長はでばった腹をことさらつきだし、やせほそったミッチとトラゾーはそれだけで圧倒されてしまった。
「しかし、家政婦長。わたしたちは今まできちんと労働を……」
「労働? そんなくだらないことをやってたのかい?」
「あんたがやれと言ったんじゃないか!」
「知らないね」
 平然とこたえる家政婦長に、一同は言葉をなくしてしまった。
 壁ごしに、悲鳴や嬌声がたえまなく聞こえてくる。
 ナーシェルたちは、つばをのみこみ、スープをみつめた。
 晩飯は、どうやらあきらめた方がよさそうだ。

◇    其の八 きちがい屋敷をお逃げなさい

 家政婦長がどこかへ消えた後、ネッチたちはトラビスの部屋にかけこんだ。
「聞いてよトラビスっ。みんなひどいんだ!」
 ナーシェルは今日一日でおこった厄介ごとを、おもいつくままに話した。
「それでね、家政婦長なんか食べられない料理を出して、それがいやなら御飯は抜きだなんていうんだ」
 ナーシェルが必死にうったえると、
「ここではそんなのしょっちゅうだよ。言っただろう? ここはきちがい屋敷なんだから、にげた方がいいって」
 力なくわらうトラビスを、奇妙におもって聞いてみた。
「トラビスはなんで逃げないの?」
 みんなはもっともだと思ってうなずいた。
 トラビスはうつむいたかと思うと、憑かれたように話はじめた。
「ぼくもさいきん妙なんだ。ときどき自分で自分がわからなくなって、ひどくゆかいな気分になる。そんなときは、ふだんは思いもよらないようなことを、平気で考えるんだ……」
 トラビスはぐっと首をもたげた。
「ほら。今がそうだよ」
 トラビスはこうこつとした笑顔を向けてきた。口が裂けるほどおおきくなった。そのくせ目だけはわらっていない。
 トラビスは、すでに狂っていたのだ。
 あのやさしいトラビスはどこかに消え、もうひとりきちがいがあらわれたようだった。ナーシェルはそれが同一人物だとはとても理解できなかった。
「うけけけけけっ」
 トラビスは立ち上がって、きちがいじみた笑声を上げはじめた。
「うわあああああ!」
 ナーシェルたちは大声でわめきながら、扉をけやぶり、トラビスに背をむけにげだした。
 すると、廊下のさきに家政婦長がたっていた。
 ナーシェルたちはその場で立往生してしまった。後ろからは、きちがいになったトラビスが、首をがくがくさせながら近づいてくる。
「あの……なんですか?」
 ナーシェルはいまにも消えいりそうな声で、家政婦長に問いかけた。
「公爵夫人がおよびだよ。ついてきな」
 家政婦長はアゴをしゃくると、こちらの返事はまるできかずに歩きはじめた。
 ナーシェルたちはこまったように顔をみあわせたが、後ろからはトラビスがちかづいてくる。
 一同はしかたなく、家政婦長の後についていった。

 家政婦長はルリー公爵夫人の部屋に案内した。
 ナーシェルたちがはいってみると、ひどくあつい。これは部屋の中央でおおきな鍋を煮ているためだった。
 鍋をみつめるうちに、ネッチたちの腹がグーとなった。今日ははたらきづめだったうえに、なにも食べていないのである。
 鍋の中身はただのお湯で、なにもはいっていなかった。
「なにを煮るの?」
「お前にきまっているだろう」
 家政婦長はおそろしい目つきで、ナーシェルをにらみおろした。
「あたしの旦那はかたくてまずかった。おまえはどうだろうね?」
 ネッチたちはいっしゅん冗談だろうとおもったが、公爵夫人は以前とおなじ笑顔をうかべたままだった。
 ネッチは、東の牢屋で、ルリー公爵夫人がいった言葉をおもいだした。
 公爵夫人はナーシェルをみて、おいしそう、おいしそうと言ったのだっ。
「ほんとうにおいしそうな子供だこと」
 夫人はまたおなじ言葉をくりかえした。
 決定的だった。公爵夫人は、本気でナーシェルを煮て食おうとしているらしい。
「そんなのいやだよ!」
 ナーシェルが泣き顔でさけぶと、ネッチが素早くその体をさらって、小脇にかかえた。
 ふうせん男爵が床のじゅうたんをひっぱり大鍋をひっくりかえした。
「うぎゃあ!」
 公爵夫人が、にたった湯をあびて悲鳴を上げた。
 家政婦長が、おたけびを上げてかけよってきた。そこをトラゾーが、足をひっかけけころがす。
「おお、強いぞ、トラゾーっ」
 とシングルハットが、ナーシェルの肩にのって歓声を上げた。
 家政婦長がころんでくれたのは、もちろんまぐれ以外の何者でもないが、トラゾーにとってはまさに面目躍如のできごとである。
 当然、鼻息もあらく見得をきりはじめた。
「ふっ、このていどでおどろいてもらっちゃあ、あいこまるっ。サムライ一匹、ころがしましょう家政婦長。男トラゾー、おみせしましょうこの技を。艱難辛苦ものりこえまして、男トラゾー一人立、ち……あれっ?」
 トラゾーはきょとんと部屋をみまわした。
 トラゾーが見得をきっている間に、みんなはすたこら逃げていた。
「うう……」
 後ろでは、家政婦長がはやくも立ち上がりかけている。
「待ってくれぇ~」
 トラゾーはあわててナーシェルたちの後をおいかけた。

 ネッチたちは自分たちの部屋にもどるなり、ドアをしめ、厳重にカギをかけた。
「にげよう、こんな屋敷!」
 大急ぎでもとの服に着がえると、荷物をひっかきあつめて、ふろしきがわりにじゅうたんでつつんだ。トラゾーじいさんが、それを首にひっかつぐ。
 ネッチたちは次から次へとカーテンをひきはがし、端と端をむすびだした。これをロープがわりに窓からにげるつもりだった。
 ふうせん男爵が窓をあけると、暴風雨が部屋になだれこんできた。わきにいたナーシェルは、わっぷわっぷと息もできない。
 木はきしみ、枝がおれとんだ。豪雨は風においたてられ、雨雲は稲妻にこげている。この国にきたときより、ひどくなっているようだった。
 部屋中の火がふっと消えた。シーツオバケたちが壁をすりぬけ、ローソクの火をふきけしたのだ。
「う、うあ、うわぁ」
 ネッチとミッチはなさけない声を上げつつ、大いそぎでカーテンを窓枠にくくりつけた。
 その間も、シーツオバケはネッチたちの体にまとわりつき、
「どこ行くのぉ、どこ行くのぉ」
 ときいてくる。
「ほっといてくれ!」
 ネッチが怒ってシーツオバケをけとばした。
「降りよう」
 カーテンロープはちょうどの長さで、下にたらすと先っちょが地面についた。
 ネッチたちは窓枠を乗りこえると、カーテンにしがみつき、壁づたいに降りはじめた。
 ナーシェルにトラゾー、ネッチにミッチの順だ。
「うわぁ!」
 壁からスリヌケオバケが顔をだし、シーツオバケが後を追ってとんでくる。
 ナーシェルたちは泣きべそをかいて、ひっしに腕をうごかした。
「この、この、このっ」
 ふうせん男爵が、風にあおられ、ふわりふわりとまいながらシーツオバケをおっぱらう。
「ああ、よせ、バカ!」
 ミッチの頭に乗っているシングルハットが、上になにやらさけんでいる。
 ミッチが顔を上げると、ナイフ男がロープをきろうとしているところだった。
「う、うわあっ」
 四人はあわをくってけんめいに手足をうごかすが、ナイフ男はそれよりはやく、カーテンをぶつりときっていた。
「ここの屋敷はいいところぉ。とっても楽しくとってもおかしい、ゆかいだゆかいだああきちがいだぁ♪」
 地面にたたきつけられ、ドロまみれになってもがいているナーシェルたちの頭上で、シーツオバケがでたらめなうたをうたっている。
「うるさい、だまれ!」
 ミッチが片手をふりあげると、ひだりの角からルリー公爵夫人と家政婦長が、屋敷中の人間をひきいて走ってきた。
 五人は肝をとばして、からみついたカーテンをはねのけると、立ち上がって遁走した。

◇    其の九 雨水の城へ御案内

 ナーシェルたちは雨に打たれつづける森のなかを、樹間をぬうようにして逃げていた。
 背後から、公爵夫人と家政婦長のどなり声がする。
「ドードー……」
 ナーシェルは泣きそうになりながら、友だちの名前をつぶいた。こんなときに、ドードー鳥さえいてくれたら。そう思うとまた悲しくなってきた。
「もぉりはふぅかいにげられない。きちがい屋敷はにげられない。奴隷は奴隷、にげてはいけない。にげたきゃその身をさしだしなぁ~♪」
「やかましい! だまって後を追うんだよ!」
 公爵夫人が、うたっているシーツオバケたちをどやしつけた。
 どうやらきちがい屋敷のきちがいたちよりは、ナーシェルたちの足は速いらしく、しだいにその距離はひらいていった。
「しめた、どうにか逃げられそうだぞ!」
 ネッチが後ろをふりかえり、ほくそ笑んだとき、
「うけけけけっ、にげるなぁ」
 前方の木のうろから、待ちぶせしていたトラビスが、よろめくようにしてとびだしてきた。
「トラビスっ」
 ネッチたちはドロをはねながら急停止して、あわてて左におれまがった。
 そのせいで、公爵夫人との差が、ぐんとちぢまった。
「よくやったぞ、トラビス! お前にはあのデブの足をやるぞ!」
 公爵夫人がおそろしいことを叫んだが、トラビスは、「うけけけけっ」と笑っているだけだった。

 ぬかるみに足をとられながらも、ナーシェルたちはひた走った。こんなにはやく走ったのは、今までになかったことだ。
 しかし、そんなナーシェルたちをあざわらうかのように、つかれ知らずの公爵夫人はちかづいてくる。
 ナーシェルたちは、すっかり息が上がって、だんだんと足のうごきもにぶくなってきた。
 ずぶぬれになった服が、ベタリと身体にへばりついて、なんともはしりにくい。
「ほうら、あとすこしだ。そのこまっしゃくれた顔からバリバリ食ってやる。煮て焼いて食ってやる。ミディアムがいいかい、それともかたいのが好みかい? もっとも、食べるのはあたしだがね!」
 公爵夫人のおぞましい声が、いやに近くで聞こえた気がした。
 ナーシェルは視界がくらんできたが、あたまからバリバリ食われるなんていやだった。
 足はなまりのように重くなり、言うことをきかなくなってくる。それでもナーシェルたちは走りつづけた。
「お、追いつかれるぅ!」
 ミッチがきょうふに金切り声を上げた。
「こいつ、もっとはやく走れ!」
 髪にしがみついていたシングルハットが、ミッチの頭にかみついた。
「い、いてー!」
 顔を苦悶にゆがめたミッチが、木の根に足をとられてはでにころんだ。
「ひゃあ!」
 ミッチがドロに頭をつっこんだひょうしに、うえに乗っていたシングルハットが、みずたまりにころがり落ちた。
「ミッチッ」
 さきを行っていたネッチとナーシェルが、あわててかけもどってくる。
 トラゾーとふうせん男爵がおいつき、公爵夫人たちもすぐそこまできた。
「ひゃははははっ、食って食って食ってやる。骨までしゃぶって食ってやるぅ」
「食うってやる~♪」
 公爵夫人のきちがいなおたけびに、シーツオバケが調子をあわせる。
 ナーシェルたちはもうダメだとおもった。
 公爵夫人の巨体が、ドスドスと近づいてくる。
「おのれっ」
 トラゾーが近くにおちていた枝をひろって、一行の前につと立った。
 ピタリと八双にかまえ、迎撃の体勢をととのえる。
 すると、ミッチたちの後ろでかわいらしい声がした。
「お待ちなさい、お待ちなさい」
 ふりむくと、水滴の体に目と口と、糸のようにほそい手足をつけた兵隊たちが、木陰にかくれるようにして立っていた。
 あまりにかわいらしいその姿に、ナーシェルはとてもかれらが兵隊とはおもえなかった。
「ほらほらコケるよ、きちがいコケる」
 一人がそういって丸っこい手で前をさした。
 ナーシェルたちが顔をむけると、公爵夫人の足もとで、ドロをはねのけたロープがピィンとはられた。
 公爵夫人たちはロープに足をひっかけられ、なだれを打つようにしてころんだ。
「やったぁっ」
「ざまぁみろっ」
 ネッチたちはとびあがって歓声を上げた。
 シーツオバケたちは、おりかさなってうめいているきちがいたちの上で、オロオロしている。
「夫人が、コロンだ寝転んだ。ちがうよ、ロープだ、ひっかけられた。かたくて丈夫で立派なロープだ。ダイコン足をひっかけた♪」
 それでも歌は唄っている。
「やかましい、とっとと上からどくんだよ!」
 きちがいたちの下敷きになった公爵夫人が、がなり声を上げている。
 夫人がもがいている間に、まわりのしげみから、水滴の兵隊たちがおどりでた。かと思うと、四方八方ロープをかけて、がんじがらめにしばってしまう。
「ささっ、あやつめはわれらがとりおさえておきます」
 と、兵隊がナーシェルの白い手を、ちっちゃくてユビのない手でさわった。
「で、でも……」
 ナーシェルがちゅうちょしていると、きりりっと顔のひきしまった兵隊がすすみでて、「雨水の王さまの命令により、おむかえに上がりました」
 と会釈をした。
 ナーシェルたちはそろって互いの顔をみつめあった。助けなどとんとないものと思いこんでいたのである。
 だいたい雨水の王が、自分たちがきたことを知っていること自体、ちょっと信じられない話だった。
「こちらへどうぞ」
 水滴の兵隊が手まねきすると、そこにはふしぎな色にひかるみずたまりがあった。
「これはなんとキレイな」
 おそれ知らずのトラゾーが、腰の水筒に水をうつしている。
 黄金にたゆたう水に、ふりかかる雨が波紋をつくり、そのたびに光もユラユラゆれる。ナーシェルはこのキレイなみずたまりを、いつまでも見ていたくなった。
「どうぞとはなんです?」
 背後を気にかけながら、ネッチがきいた。
 公爵夫人はきちがいたちの下でうんうんうなっている。
「とびこむんですよ」
 兵隊たちがおかしそうにわらった。
「とびこむ?」
 ネッチたちは声をそろえて聞きかえした。
「そのとおりっ。さっ、はやくはやく」
 兵隊たちは、ぐずる一行の背をぐいぐい押しはじめた。
「ここから雨水の城へぬけられます」
 水滴の兵隊が言い終わらぬうちに、まずネッチがドボンとみずたまりにはまった。
 ミッチはみずたまりにはまったネッチがスッと消えたのでおどろいたが、このみずたまりなら不思議はないと思って、じぶんも足をふみいれた。
 トラゾーとふうせん男爵も、そろってみずたまりにとびこむ。
 波をうつ黄金色の水に足をふみだしながら、ナーシェルはひょいと顔だけふりむいた。
 うしろでは、公爵夫人が、もち前の怪力できちがいたちをロープごとはねのけたところだった。

◇    其の十 昼と星の消えた国

 みずたまりにとびこんだナーシェルたちは、腰がちぢみ上がるような浮遊感から、きゅうに体重をひきもどされ、床にがしんと足をつけた。
「なんだ、ここは?」
 そこはじつに不思議な空間だった。
 雨水の城というのは、ひと目でわかった。なにせ水でできた部屋なのだ。
 そのくせ床はかたく、天井の水はおちてこない。水のなかで、ガラスにかこわれているようなものだった。
 水はたえずユラユラゆれていて、いやゆれているのではなく流れているのだ。ざーざーと水の流れる音がする。その上、澄んでいるのに壁のむこうは見えなかった。
 床にうつる自分の顔が、おかしいほどにゆがんでいる。
 ネッチたちが壁や床をこんこん叩いてしらべていると、部屋のおくでゴホンとせきばらいの音がした。
 そちらをむくと、まっしろなヒゲをたらした王さまが、水の玉座にすわっている。
「雨水の王だ……」
 ナーシェルの口から、おもわず声がもれてしまった。
 ブリキの王さまにとてもよくにている。ちがっているのは、雨水の王さまは生身のにんげんで、水のはごろもをはおっているということだった。
「あなたが、われわれをここに呼んだんですね?」
 ネッチがたずねると、雨水の王はおうようにうなずいた。
「いかにも」それから一同をながめわたした。「その方ら、ブリキの王の命令でわしに会いにきたそうだな」
「なんでわしらのことを?」
 こじきのミッチが口をきいたので、雨水の王はろこつにいやな顔をした。
 雨ばかり降らしていると、性格まで陰険になるにちがいないと、ミッチはおもった。
「わしにはわが国でおこったことは、すべてわかる。雨がおしえてくれるのだ」
 雨水の王は、すこし怒ったような口調でこたえた。
 王さまの言うことがよくわからず、ミッチとネッチはきょとんと顔をみあわせた。
「王さまはなんでブリキの国に雨を降らせたりするんです」
 ナーシェルがきくと、雨水の王はかっと怒りをあらわにした。
「なんでだと! あやつはそんなこともいわずに使者をよこしたのか!?」
 王の剣幕にはナーシェルの方がおどろいてしまった。
 ブリキの王は雨をふらせられる理由は知らないと言ったのである。知らないことをおそわれるはずがない。しかし、それをいうと、雨水の王はいまよりもっと怒ってしまいそうだった。
「お、王さま」
 ナーシェルはトラゾーのふろしきから、ブリキの王からあずかったオモチャをとりだした。
「こ、これを」
 オズオズと王にさしだす。
 雨水の王はそれをいちべつし、「なんだこれは?」と不快そうに顔をゆがめた。
「ブリキの王さまからの贈り物です。王さまは……」
 ナーシェルの言葉のおわりを待たずに、雨水の王はブリキのオモチャを手ではらいのけ、
「あやつからの贈り物などいらんっ。わが国がブリキの王のせいで、どれほど苦しんでいるとおもう?」
 と、いらだたしげに声をあらげた。
 かわいた音を立て、ブリキの小馬が床におちた。
 ナーシェルはきっと目をむいて、雨水の王をにらみつけたっ。
「な、なんだ……」
 王さまはナーシェルの剣幕にたじろいだ。
「なんてことをするんだよ、これはブリキの王さまが、こころをこめた贈り物なのにっ」
 ナーシェルは泣きながら雨水の王さまにつかみかかっていった。
 ナーシェルの脳裏には、パンプットや木の葉の国の女王、サビた巨人のバッカスや、とほうにくれるブリキの王の姿がいっしゅんにしてよぎっていた。
 ブリキの王はいっしょうけんめい心をこめて、このちいさなオモチャをつくったのだ。雨水の王のいかりをやわらげるために、自分を信用してわたしてくれた。
 デヨニール三世にいれられた東の牢獄や、きちがい屋敷でのできごとが、頭によみがえる。ナーシェルはそのすべての苦労を、雨水の王にふみにじられた気がした。
「こら、ナーシェルっ。よしなさい」
 ナーシェルの怒りようにはネッチたちもびっくりして、雨水の王からひきはがした。
「ブリキの王さまはこまってるんだぞ、木の葉の国もこまってるんだ。王さまのせいだっ」
 ふうせん男爵のふとい腕にかかえられ、ナーシェルは泣きながら手足をジタバタさせた。
「木の葉の国? それはどういうことだっ」
 雨水の王は水でできたころもをずり上げながら、わずかにとまどいの色をみせた。
 ネッチはこれまでおこったできごとを、かいつまんで話した。
 ブリキの国の石炭が、雪と氷の女王によって、こおらされてしまったこと。そのせいで花と草木のストーブがうごかなくなり、木の葉の国の草木が枯れかかっていること。
「そんな話は信じられん」
 雨水の王はつぶやくようにいった。
「王さまが降らす雨のせいで、ブリキの国はさびついてしまいます。雪と氷の女王にたのんで、石炭をとかしてもらっても、ストーブをもやす者がいないと、わたしの故郷は枯れてしまいます」
 ふうせん男爵がいささかぼう読み口調で言った。すると、王さまは非難がましい口調で反論した。
「だが、わしの国はブリキの王のせいで光がなくなったのだぞ」
「えっ?」
 雨水の王のつぶやきに、ネッチたちはおどろいて目をしばたかせた。
「ブリキの王が太陽と月の王になにかしたらしいのだ。おかげでわが国は、一日じゅう夜となり、星と月もすがたをみせなくなった。国中まっくらやみで、稲光でてらさねばなにもみえんほどだ」
 雨水の王は一息にしゃべって、ふーと玉座にもたれかけた。
「月と星はまぁいい。だが、太陽はこまる」
 道理で、昼間なのに暗くてしょっちゅうカミナリがなっていたはずである。あれは明かりがわりだったのだ。
 雨水国の国民にとっては、さぞめいわくな明かりだったにちがいない。
 じっさい、雨水国では昼と夜がわからなくなり、のべつくまなしに鳴る雷鳴のせいで、不眠症の者がふえつつあるという。
「ブリキの王がなにをしたというんです?」
 とネッチが聞くと、
「そんなことわしが知るかっ」
 と、雨水の王はこたえる。
「じゃあ、なぜブリキの王のせいだと思うんです?」
 ネッチがあきれたように顔をしかめて問いつめた。
 雨水の王は、ぶぜんとした表情で、
「雪と氷の女王がいってきたのだ。ブリキの王が、太陽と月の王をたぶらかし、雨水国から光をうばったのだと」
「ブリキの王はそんなことしないっ」
 ナーシェルが浮いた足でけるまねをした。
「わかるものかっ、水がこわいからブリキの国は雨水国をおとしいれようとしているのだ!」
「そんなことはないぞ、ナーシェル公はただしいっ。ブリキの王さまは、ほれ、わしらのためにカイロまで作ってくださったのじゃ」
 とトラゾーは例のカイロをふところからとり出し、印篭のようにかかげてみせた。
「雪と氷の女王にだまされているんですよ。ブリキの国の石炭は、あの女王にこおらされたんですっ」
「それだってどうだかわかるものかっ。おまえたちはこおった石炭をみたのか?」
「それは……」
 ネッチはこまってミッチと視線をあわせた。じつをいうと、こおった石炭まではみせられていない。
 ブリキの王は、ほんとうに雨水国から、光をうばってしまったのだろうか?
「よいか、ブリキの王とわしは友だちだった。だが、こんなマネをされては、もはや信用できん」
 王さまはかなり意固地になって言い放った。「じゃあ、雨水国に昼がもどったら、ブリキの王を信用してくれますね?」
 ナーシェルの問いに、雨水の王はすこしの間沈黙した。
 ナーシェルの目を、じっとみつめてから口をひらいた。
「いいだろう。その時はブリキの国に降らせている雨をとめ、わびをいれよう」
 とうなずいた。
「ナーシェル、どうするつもりなんだ?」
 心配したシングルハットが、ナーシェルの耳にささやいた。
「太陽と月の国へ行こう。なぜ昼間をなくしてしまったのか、しらべるんだ」
 ナーシェルが力強くこたえる。
 ネッチは少々不安げに問いかえした。
「昼をとりもどせなかったら?」
「……なんとかなるよ」
 ナーシェルはいささか自信なさげに答えた。
「よしっ、太陽と月の国へ行こうっ」
 ミッチもかんだかい声で威勢をあげる。
 ドヤドヤと部屋をでようとした五人に、雨水の王が声をかけた。
「おい、まてっ」
 ナーシェルたちが、なんだろうと眉をひそめてふりかえる。
 雨水の王はムスリとした顔で、「出せっ」と手の平をつきだした。
「は?」
 いきなり言われたので、ナーシェルの頭はこんがらがってしまった。
「出せといっておるっ」
 と雨水の王はいらだった声をあげる。
「だからなにを?」
 ナーシェルはまだわからない。雨水の王はすっかり頭に血をのぼらせて、「ブリキの王から預かった物があっただろう。それを出せっ」とさらに手を伸ばしてきた。
 ナーシェルはぱっと笑顔になって、雨水の王にブリキのオモチャをてわたした。
 王さまはやっぱりブリキの王を心のどこかで信じていたのだ。本当はナーシェルたちのことを、ずっと待っていたにちがいない。
「欲しいなら欲しいって言えばいいのに」
 テレかくしにどなっているのがおかしくて、ナーシェルはクスリとわらってしまった。
 雨水の王は、うけとったオモチャを衣の下にてばやくしまうと、おほんとせき払いをして、
「時間がないのだろう。わしが太陽と月の国までおくってやる」
 と気前よく言った。どうやらオモチャをとどけたお礼らしい。
 雨水の王が、ちょっと身体をうごかした瞬間、ナーシェルたちの立っていたあたりの床が、とつぜんもとの水にもどってしまった。
 足がすくむひまもなく、ナーシェルたちはストンとみずたまりに落ちていた。
「うわあぁぁ!」
 さけび声だけが、部屋に余韻を残している。 雨水の王は、なくした信頼をさがすかのように、ブリキのオモチャを、いつまでも手のなかでながめていた。

太陽と月の国

◇    其の一 暗闇の国

 ナーシェルたちは、上げた悲鳴も消えぬうちに、太陽と月の国についていた。
 体重がもどったと思ったら、こんどは目がみえない。すぐに、それはここに太陽がないからだということに気がついた。
 ナーシェルはごくりとのどをしめらせ、ぐっと目をみひらいた。太陽と月の国は、おもくるしい闇にしずんだままだ。
 光の象徴だった太陽と月の国は、すっかり姿をかえてしまっていた。もとは夜でも月と満天の星がてらす、うつくしい国だったのだが、今は一寸先さえもみえない。
 周囲で衣ずれの音がする。ひとの気配はちゃんとある。
「ここは?」
 まっ暗な地面を手さぐりでたしかめながら、ナーシェルはまわりにいるはずの仲間に問いかけた。
「太陽と月の国じゃないかな。雨がふっていないし、地面もブリキじゃない。ほら、雨水の王のいったとおり、太陽も月もでていないよ」
「へんだな、自分の国の太陽もかくしてしまったのか?」
 ミッチが首をひねっている気配がする。
 すると、かれらの背後から、タッタタッタと、なにかが地面をかける音がした。
 ナーシェルがふりむくと、鞍にくくりつけたランプの明かりにてらされて、ドードー鳥がはしってきた。
「ドードー!」ナーシェルは歓声を上げて、ドードー鳥の首ねっこにしがみついた。「元気だったかい、ドードー? ずっと心配してたんだ」
 ドードー鳥が、ナーシェルのほっぺに、うれしそうにくちばしをすりよせる。
 元気になったナーシェルに、ネッチたちはうれしそうに目をほそめ、
「きっと、雨水の王さまが気をきかせてくれたんだよ」
「ちゃんと贈り物をうけとったし、いいところあるなぁ」
 とネッチとふうせん男爵が笑い合っている。「あっ、刀が!」
 トラゾーは自分の腰を見てわめいていた。トラゾーの腰にはちゃんと愛刀が戻っていた。
「よかったなぁ、トラゾーじいさん」
 腰帯からぬいて、鞘にほおずりしているトラゾーの肩を、ミッチたちがたたいた。
「もってても役に立たないのにな」
 シングルハットの悪態も、今はとんとこたえない。
「おい、あれをみろ!」
 ミッチとシングルハットが、暗闇をゆびさした。
 ランプの明かりがかすかにとどくあたりに、いく本もの足がならんでいる。
「こっちもだっ」
 ナーシェルたちはいつのまにかぐるりをとりかこまれていた。ひとの気配が急速にたかまりつつある。ざわざわと何者かがあつまる音がする。
「だれ?」
 ナーシェルの誰何の声に、かれらは明かりのなかに入ってきた。
 それは、かすかな明かりをもとめて集まった、太陽と月の国の住民たちだった。

◇    其の二 住人たちもこまってる

 集まった太陽と月の住民たちは、種々さまざまな姿をしていた。
 あたまが三日月のかたちをしている者。アルマジロが二足歩行している者。体長三十mのヒゲクジラ……。
 みんなは、
「やぁ、光だ光だ」
 といって、うれしそうにランプのまわりにあつまってきた。
「きみたちはこの国の住人じゃないようだね」
 がっちりした体格の、普通の男がはなしかけてきた。
「木の葉の国からきたんです」
 とネッチがこたえた。
「木の葉の国っ。それは大変な長旅だなぁ」
 男が感嘆の声を上げると、太陽と月の国の住民たちは、そろってうなずいた。
 どうやらわるい人たちではなさそうだとナーシェルはおもった。
「この国はなんでこんなに暗いんだ?」
 ミッチがたずねると、
「そりゃあんた、太陽が出てないからさ」と男は空をゆびさした。
「もうずっとこの調子なんだ。こんなことは今までなかったから、みんなおどろいてるよ」
 どうやら困っているのはここも同じらしい。
「しかし、またなんで太陽がなくなったりするんです?」
「そりゃ太陽の王さまがかくしてしまったからだよ」
「ええっ」
 男の返事に、ナーシェルたちは仰天してさけんだ。
「じゃあ、やっぱり雨水の王のいったことは本当なのかな?」
「そ、そんなのまだわかんないよ」
 鼻をつきあわせて話し合っていると、さっきの男がナーシェルの肩をつついた。
「いったい、なんの話だね?」
「じつは……」
 ナーシェルはこれまでのいきさつを、わかりやすく話して聞かせた。
「そうだったのか……」
 男がおもくため息をつくと、それを皮切りに住民たちがザワザワとしゃべりだした。
「うちの王さまたちのしでかしたことで、そんなたいへんなことになるとはなぁ」
 という男のつぶやきを、ネッチとミッチはききのがさなかった。
「「たち?」」
 と二人は同時にきいた。男はうなずいて答えた。
「太陽と月の国は、太陽の王と月の王の、ふたりがおさめているんだ」
 ナーシェルたちはまたまたびっくりした。男の話では、国からひかりが消えさったのは、この二人のケンカが原因なのだという。
「その二人の王さまには会えないんですか?」
「さぁなぁ。太陽と月の城は閉鎖されてしまったし、王さまたちもどこにいるのか、おれたちにもわからないんだ」
 ナーシェルはがっかりした。
 すると、黒いスーツをきたうさぎが、
「いや、でも待てよ。シドじいならなにか知ってるんじゃないかな?」といった。
「おお、そうか。シドじいのことをわすれていた」とかれは手をうちあわせた。
「シドじい?」
「天文学者のじいさんのことさ。あのひとなら事情通だから、行けばいろいろ話してくれるよ」
 男はいきおいこんで身をのりだした。
「そのシドじいさんはどこにいるんだ?」
「たしか、北の天文台で、ガス塔をつくっているはずだ」
「ガス塔?」
 ナーシェルたちは、なるほどなぁと思った。今、太陽と月の国にたりないのは、明かりだったからだ。
「よし、おれが案内してやろう」
 と男が腰を上げた。
 あたりは風もなく、重苦しい闇だけが沈澱している。
 その中を、ランプの光が、ユラユラと周囲の闇をはらいながら、移動をはじめた。

◇     其の三 シドじいの話

 北の天文台はそこからすぐ近くのところにあった。
 空にむかって、バカデカイ望遠鏡がつきでている。まるでおわんをひっくりかえしたような形だと、ナーシェルは口のなかでつぶやいた。
 とびらからは明かりがもれていて、トンテンカンと音がする。シドじいがガス塔を作っているのだろう。
「シドじいー」
 男──シッカが、天文台の扉をどんどん叩いた。
「鍵ならあいとるわい。勝手にはいれっ」
 扉ごしに、しわがれた不機嫌そうな声がかえってきた。
 ナーシェルは扉を開くと、おそるおそる中にはいった。天文台はしっちゃかめっちゃかに散らかっていて、ガス塔らしきものが幾本もころがっている。しかし、シドじいのすがたが見えない。
 ナーシェルたちがキョロキョロしていると、さきほどの声がまたひびいてきた。
「ここじゃ、ここじゃ」
 声のするほうを目で追うと、そこにはナーシェルのひとさし指ほどの背丈しかない小人がいた。
 左手に、体にあわせたちいさなトンカチをもっている。丸眼鏡をかけた気むずかしそうな顔は学者にふさわしいが、なんともちいさな体である。ネズミのシングルハットがおおきく見える。
「この人が?」
 ナーシェルがたずねると、シッカはこくりとうなずいた。
「おい、シッカ。この三本を東の方にたててきてくれ」
 とシドじいができあがりを指さしていった。
「シドじい。今日はガス塔のことできたんじゃないんだ」
「あん?」シドは丸眼鏡の隙間からシッカ、それからナーシェルたちをのぞきみた。「そっちは?」
「木の葉の国から来た人たちだよ。シドじいの知恵を借りたいんだ」
 シッカはナーシェルから聞いた話を、かなりはしょって話してきかせた。
「ほほう。わしのところにくるとは、それだけでも目がいいわい」
 シドじいはニヤッと笑って手をさしだした。
「おじいさんはずいぶんちいさいですねぇ」
 ネッチがシドのちいさな手とあくしゅした。
「子供のころはもっとちいさかったさ」
 シドはしわくちゃな顔を、もっとしわくちゃにして笑った。
「シドじい、このひとたちが太陽と月の王さまたちに会いたがってるんだ」
「なるほどのぉー」
 とシドじいはいって、うすくなった頭のかわりに、胸元までのびたヒゲをなでつけた。
 テーブルのはじに尻をおろし、じっくりと腰をおちつけてから話をはじめた。
「そもそもなぜ太陽と月の王がいっしょにいるかというと、この二人は極端と極端にいるようでいて、じつはすごく近くにいるんじゃな。関係が複雑にからみあっておるんじゃよー。どちらが欠けてもいけない。昼と夜をもとにもどしたかったら、ふたりの王を同時に太陽と月の城にいれなければならんのじゃよ。昼のうらには夜がある。夜のうらには昼がある。このルールをやぶると、世界はむちゃくちゃにこわれてしまうんじゃ」
「はぁ……」
 なんだかよくわからない話だ。
「それで、なんで太陽と月の王さまたちはケンカをしてしまったんです」
 とネッチがいった。
「わしが知るわけがないじゃろう」
 いまいましそうにシドはこたえた。
「なんでまた太陽や月をかくしたりするんです」
「うむ、それはな……」
 シドはながぁいため息をついた。それから、これもながい話を淡々としゃべりはじめた。
「太陽の王は星の夜空がみたくておかくれになる。月の王は太陽にてらされた地上の景色がみたくて、朝になるとおかくれになる。ふたりは相手を尊敬し、とても仲がよかった。しかし、ふたりはケンカをしてしまったから、太陽は地上をてらさなくなり、月は太陽のすきな星をかくしてしまった。つまり、互いが互いにたいする、こどもじみたいやがらせなのじゃよ。だれがあんな奴に地上をみせてやるか、星の夜空をみせてやるか。とまぁ、こういうわけじゃな」
「めいわくな話だね」
 ナーシェルが正直に感想をのべた。
「まったく、いやはやもって、こんなことは今までなかったことじゃよ。おかげで好きな学問もできんっ」
 シドはおこって鼻から息をふいた。
「シドじいはこの国一番の天文学者なんだよ」
 シッカがじまんそうにいうと、シドも胸をはって、
「いかにも……と言いたいところじゃがな、星も出てこんのでは天文学者の仕事なんて上がったりじゃ。ふたりの王のために、雲もなく、この国はつねに明るさがたもたれておった。なのに、いまでは国中にくばるガス塔をつくらねばならん。わしははっきりいって、怒っておーる!」
 と叫んだ。
「わかる、わかるぞ、シドじい」
 と、なぜかミッチが同調している。
「そうかぁ。だからいちばん近かった雨水国が、まっさきに影響をうけたんだ」
「そういうことじゃよ」
 なにやら感心しているネッチに、シドはおうようにうなずいた。
「雨水の王さまは、太陽と月の王がケンカをしたのは、ブリキの王のせいだって言ってたんだけど……」
「さぁのぉ、本当のところは、わしにもわからん」
 シドじいのこたえに、ナーシェルはがっかりした。
「太陽の王と月の王は、いったいどこへ行ったんです」
 ふうせん男爵がきくと、シドはヒゲをなでつけこたえた。
「うむ、月の王は月にかえってしまったから、会うのがむずかしい。まずは太陽の王に会うのがいいじゃろう」
「どこにいるか、知っていますか?」
「とうぜんじゃ。太陽の王は、天の岩戸、そこにおる」
「天の岩戸?」
「ここから東に行ったところにある。大きな大きな岩の洞窟のことじゃ。もっとも、入り口は岩でふさがれておるがの」
「月の王さまは?」
「月に行くのはとてもむずかしいから、もし天の岩戸でいろよい返事をもらえなくとも、まずはここへもどってこい」
「はいっ」
 とナーシェルが元気よくうなずいた。
「天の岩戸に案内しよう」
 シッカがさきに立って歩きだす。
 一同が出ていった後、ひとりその場にのこされた小人のシドじいは、
「わしらの王のしでかしたことで、事態がそこまでややこしくなっておるとはのぉ」
 と、やや感慨ぶかげにため息をついた。それから、天の岩戸に出かけたナーシェルたちのことを考え、つぶやいた。
「やっぱりダメかもな」

◇    其の四 岩戸の王さま

 天の岩戸は、考えていたよりずっとずっと大きかった。ナーシェルがランプをかかげるが、とても照らしきれない。いり口をふさいでいる岩のあつみも、かなりありそうだった。
 まず、太陽と月の国の住人たちが呼びかけることにした。
「王さまー、出てきてくださいよー」
 しかし、まったく反応がない。
 ヒゲクジラがドスンドスンとすすみでて、ぐぃーと後頭部まで裂けた口で、
「オウサマー、デテキテクダサイヨー!」
 と、大音声にわめいたからたまらない。
 そばにいた太陽と月の国の住人たちはのこらずひっくりかえり、大気はビリビリふるえて森にいた鳥たちはギャアギャア文句をいってくる。ナーシェルたちも鼓膜をつんざかれて、気をうしないそうになり、体のちいさなシングルハットは、ポケットの中でのたうちまわった。
 しかし、天の岩戸の反応はなかった。
「おい、でかいの! きさま、加減ってものを知らんのか!」
 トラゾーが耳をおさえてキイキイわめいた。
「死ぬぅ」
 シングルハットはナーシェルのポケットのなかで完全にへたばっている。
「だめだ。これはちょっとやそっとじゃ出てこないぞ」
 ネッチはそれでも応答のない天の岩戸にびっくりしながらいった。
「太陽の王さまは、すごくガンコなんだ」
 とシッカがすまなそうにこたえた。
「どうしよう?」
 これでは話し合いにもならない。ナーシェルは、こまって仲間の顔をみやった。
「こういうときはべつの手でひきずりだせばいいんだ。相手の注意をこちらにむけるんだ」
 とふうせん男爵が意見した。それはとてもいい考えだと、みんなは賛成した。
「しかしねぇ、どうやってこちらに注意をむけるね」
「だれかがケガをしたって言ったら出てくるかなぁ」
「いや、それより外の方がたのしいってわかったら出てくるよ、きっと」
「たのしいと言えば……」
「酒もりじゃな」
 トラゾーがやけにきっぱり言いきった。
「酒もりか……よし、みんな集まってくれ!」
 シッカが仲間をあつめて、うち合せをはじめた。
「篝火をたこう、はでにやろう!」
「酒をそろえよう、仲間もあつめよう!」
 話が具体的になってきた。
「よし、まずはやぐらをつくろう」
 ネッチがみんなに呼びかけた。そこでやぐらをつくることになった。
 ヒゲクジラとふうせん男爵が、森から木々を集めてきた。シッカたちは酒と仲間をそろえにいった。
 やがてやぐらは組みあがり、酒と仲間をあつめたシッカたちももどってきた。
「ここの木はようかわいとるわい」
 トラゾーが火打ち石で火をおこした。やぐらがゴオゴオともえ上がる。
 さぁ、それからがたいへんだった。
 一同はやぐらをかこんで、飲めや唄えやの大宴会である。
「てやんでぃっ。どこの国もかってにけんかしやがって、これいじょう知ったことかよぉ」
 ナーシェルがとつぜん管をまきはじめた。手には酒びんをもっている。
「ああっ」
「酒を飲んだらしいぞっ」
 ネッチとミッチがあばれるナーシェルをおさえにかかる。トラゾーとふうせん男爵は、はやくもできあがって千鳥足である。
 トラゾーは、一升瓶から酒を直接口に流しこみ、篝火をバックに天の岩戸によびかけた。
「てやんでぇ、ばーろーちくしょおっ。太陽の王がなんだってんだっ。天の岩戸がなんだってんだっ。しょんべんかけるぞ、この野郎っ」
「いいぞ、やれやれぇっ」
 と、酒びんを離さないナーシェルが、無責任にあいづちをうつ。
「酒ぐせわるいな、こいつ」
 ミッチが汗をかきかき、ナーシェルの指をひらいている。
 酔っぱらいというのは、歯どめがきかない。集まった住人たちが、トラゾーにあおられて声を上げはじめた。
「太陽の王のバカ野郎ー」
「われわれに光をかえせー」
「ちゃんと仕事しろー」
「万年ポカポカあたまー」
 などと、てんででたらめに無礼な口をたたいている。
「ぶうおん、ぶうおん」
 ふうせん男爵がでばった腹をつきだして、天の岩戸に再現なく体当たりをくりかえしている。
「よってらっしゃい見てらっしゃい、切りさきましょうこの岩戸。愉快なるかな、人生よ。酒さえあれば、王などいらぬ。天の岩戸よつぶれてしまえっ」
 と呼ばわって、トラゾーがガチャンガチャンと岩戸を刀で切りつけだした。
「ぶうおん、ぶうおん」
「うりゃあ、うりゃあ」
「ぶうおん、ぶうおん」
「うりゃあ、うりゃあ」
 篝火が赤々ともえあがる中、ふうせん男爵の体当たりとトラゾーの刀を打ちつける音がつづいた。
 一同はそれをサカナに、でたらめにわめきながら酒を飲むのである。
 天の岩戸が、ゴゴゴ……と、不気味な地響きをたてながらひらいていることに、みんなはまだ気づいていなかった。
「いいかげんにせぬかぁ!」
 太陽の王さまはとうとう怒って、天の岩戸からどなりでてきた。
 その剣幕のすさまじさといったらない。
「ひ、ひぇええっ」
 みんなはいっぺんに酔いがさめて、おそろしさのあまりに、ガタガタとふるえながらその場に平伏した。
「神聖な天の岩戸にしょんべんをかけるとぬかした奴はどこのどいつじゃ」
 みんなはいっせいなトラゾーをゆびさした。
「いや、これは、せっしゃのあずかり知らぬところ……」
 トラゾーはまだわけのわからないことを言っている。
 太陽の王さまはトラゾーを無視して、住人たちに向きなおった。
「きさまら、なんでここにあつまったっ。月の王のさしがねかっ」
「そ、それはちがいます」
 話が妙な方向にそれはじめたので、ネッチがあわてて注進した。
「ならばなぜだっ?」
 王さまはカリカリしながら問いつめてきた。
 ナーシェルは泣きそうになりながら、一同を代表して、これまでのいきさつを語らねばならなくなった。
「そうか、わしらのケンカのせいでそのようなことが……」
 話をききおえた王さまは、うーんとなやんで両腕を組んだ。
「そうなんです。ですから月の王と仲なおりして、昼と夜をもとにもどしてください」
「ばかもの! あんなやつと仲なおりなどできるか!」
 王さまがまたすごい声でどなったので、ネッチたちはいっせいに首をすくめた。ふうせん男爵など頭が体にめりこんで、ぬけなくなってしまったほどだ。
「もっとも、月の王があやまるというのなら、考えてみんでもないが……」
 王さまがポツリともらしたのを聞いて、ナーシェルたちは顔をみあわせた。
「それで、けっきょくケンカの原因はなんなんです?」
 ネッチがきくと、王さまは思いだすのもいまいましそうに、
「ことの発端は、チェスが原因じゃった」
 とはなしだした。
「チェス?」
 ナーシェルたちが唖然とくりかえすと、王さまはそのとおりだと言いたげにうなずいた。
「そうじゃ。あいつはわしのためにとてもきれいな星を見せてくれたんじゃ。なのにたった一度のチェスで、あいつは駒に細工をして、わしをだましおった!」
 なんともきいてみるとばかばかしいかぎりの話だが、王さまがこわくてだれも口にはできなかった。
「せめて太陽だけでも、もとにもどしてもらえませんか」
 とたのむのだが、
「むりじゃ、月の王がもどってこんことには、わしにもどうにもならん。自然の摂理じゃからな」
 と太陽の王はこたえた。ネッチが、
「月の王さまは本当に駒に細工をしたんですか?」
 ときくと、
「した。この目でみた」
 と、きっぱりした答えがかえってくる。ナーシェルはふしぎそうに眉をしかめた。
「でも、王さまは夜になると、かくれるんでしょ。どうやって月の王さまとチェスをやったの?」
「わしらは朝と夕の交替の時間に顔を会わすのだ」
 王さまは吐きすてるようにして言った。
「王さまっ、王さまだってほんとうは月の王さまと仲なおりがしたいんでしょ? 星の夜空をまた見てみたいんでしょ?」
 ナーシェルが王さまの服にすがりついた。
「それはまぁ、わしだって、あいつがあんなことをせなんだら……」
「そうでしょう。またふたりで地上をてらしてくださいよ。あんなに仲がよかったじゃありませんか」
 シッカたちが言いつのる。
 すると、王さまはそっぽをむいてこう言った。
「向こうがあやまるなら、やってやらんでもないっ」
「ここの王さまってさ」ミッチはネッチにささやいた。「どうしてこうガンコなのかな?」
「月の王さまがあやまるなら、太陽をもとにもどしてくれるんですね」
「ああ、月の王があやまるんならな」
 くいさがるナーシェルに、王さまはうるさそうにうなった。
「こんなことをしてる間に、木の葉の国は枯れてしまうんじゃないだろうか?」
「わしの国の住人だって、今ごろこおりついとるかもしれん」
 不安そうに空をながめるふうせん男爵とトラゾーに、
「そんなことないよっ。さぁ、はやくシドじいのところにもどろう」
 ナーシェルはおこったようにいって、大股に歩きだした。
「ああっ、ナーシェル公っ」
「ぶおん、まってくれよぉ」
 二人が後をおいかけていく。
 シッカたちが、「王さま、そんなこといわずに、仲なおりしなさいよ」といったが、王さまは、「ふんっ」といって、そっぽを向く。
「まったくいじっぱりなんだから」
 シッカたちはあきれてしまって、説得をあきらめた。
「はやく来いよぉ」
 ナーシェルの肩のシングルハットが、ミッチとネッチをせかしている。
 ミッチとネッチは顔をみあわせた。
 冒険好きの二人はともかく、ナーシェルにはとてもつらい経験なのにちがいない。酒に酔って、どなっていたナーシェルが、頭の裏によみがえってくる。
「はやくこいってぇ」
 やけに遠くになったシングルハットの呼び声に、二人ははっとわれにかえった。
 ナーシェルのちいさな肩が、闇にすこしづつとけていく。
 二人はあわてて後をおいかけた。

◇   其の五 ふうせん男爵、気球になる

「そうかやっぱりダメだったか……」
 話をきいたシドじいは、そういって何度もうなずいた。
 ナーシェルたちは太陽の王の説得をあきらめ、天文台にもどってきたのだが、
「月の王はどこにいるんです?」ネッチがきくと、「あそこじゃよ」シドじいは天井をゆびさした。
「屋根裏にいるの?」
 ナーシェルたちが妙な顔をしていると、シドじいはあきれたように頭をふった。
「ちがう。空のうえ、つまりはお月さまじゃよ」
「は──?」
 ナーシェルたちはかたまってしまった。まさかこの地上からいなくなっているとは思わなかったのだ。
「月にいるだとっ? そんなのどうやって行けばいいんだよっ」
 シングルハットがおこってシッポをふりたてると、
「だから、月の王に会うのはむずかしいといったじゃろうっ」
 シドじいもムッとしてやりかえす。「ほかに月に行く方法はないんですか?」
「あることにはあるが、月の王さまにしかできんわい」
 と答えた。ナーシェルは愕然と問いかけた。
「じゃあ、月に行くのは?」
「ムリ、ということじゃ」

◇ 閑話休題

 大事なお知らせですけど、またお話が切れております。この後、ナーシェルたちは気球づくりにおおわらわとなるのですが。
 お話は、気球で飛び立った直後、順調な空の旅から始まります。

 それからは、じつに順調な空の旅がつづいた。
 地上はずっとずっと遠くなり、遠方に、雲におおわれた雨水国、雨のふりやまぬブリキの国、落葉のつづく木の葉の国などがみえた。やっぱり、ブリキの国のはんぶんは闇にとざされている」
 と、ふうせん男爵が上からいった。闇はとうとうブリキの国にまで及んでいたのである。
「木の葉の国も、もうはんぶんも枯れちゃってる」
 ナーシェルが形のいい眉をぐっとよせた。
「雪と氷の国だ」
 ミッチがさけんだ。
 ネッチがその方角をみると、雪におおわれた銀色の国がある。
「おお、あれがわが故郷、雪と氷の国じゃっ」
 トラゾーがうれしそうにさけんだ。
「そもそもの元凶なんだよなぁ」
 シングルハットがまた悪態をつく。
 気球は最上層をぬけていき、やがて国々の姿も見えなくなった。かわってあらわれたのは、天をうめつくさんばかりの星だった。
 ナーシェルたちはその光景に心をうばわれた。
「おお、この景色、ひさしぶりだなー」
 と、ネッチとミッチは手をとりあってよろこんだ。ナーシェルが、
「ひさしぶりって? まえにも来たことがあるの?」
 ときいた。
「ああ、まぁうん……」
 ネッチが言葉をにごしていると、ふうせん男爵がにわかに大声を上げた。
「みろ、月の御殿だ!」
 本当だ。
 黄色くデコボコした月のうえに、星明かりのように、青白くてる御殿がたっている。
 ふうせん男爵は御殿のうえまでいくと、ポンプをはずして空気をぬいた。
 しゅーしゅーと音がして、気球は月の引力にひっぱられはじめた。
 ゴトン、とカゴが月面におりたつ。
 御殿とおなじ素材の床ばりで、それが青白く光沢をはなつのが、なんとも印象的だった。
「キレイなとこだねぇ」
 とネッチはいった。カゴにつづいて、ふうせん男爵も月面におりてきた。
 男爵はヘソからポンプのホースをぬき、
「おーい、はやくヘソ蓋をしめてくれよ。また空気がぬけちまう」とピョンピョンはねながらどなった。
 月はとてもしずかで、清涼な空気に満ち満ちていた。
 ナーシェルがすこしわらった。
「ちょっとさむいね」
「月面だからねぇ」
 とネッチがのんびりこたえた。
「月の王、出てこい!」
 シングルハットがおどり上がると、ミッチがその頭をつかみ、
「調子にのるな、ハツカネズミ。わしらは重大な使命をおびて月にきたのだぞっ」ぐっとりきんだ。
「なにが使命だ。だれもミッチになんてたよってないやい」
「なにをーっ」
 ケンカをする二人をしりめに、トラゾーは刀を(相当に苦労して)スッパぬいて歩きまわった。
「うーむ、敵よ、出てこい! 我が愛刀ヒポトンクリス三世の、サビにしてくれる!」
 と大声で呼ばわるトラゾーに、ナーシェルがあわててしがみついた。
「ケンカしに来たんじゃないんだってばっ」
「ヒポトンクリス……そんな名前だったのか?」
「三世……なんでだ?」
「ふはははは、血がさわぐわっ」
 あきれる一同を前にトラゾーはますます快調に息を巻くのであった。
「さぁ、どいつでもいいから、かかってこいっ」
 と御殿にむけて大声でさけぶ。
「ふうせん男爵、刀をとり上げてよっ」
「ばかに刃物だっ」
 みんなでトラゾーを押えつけていると、宮殿からワラワラと影がいくつも走りでてきた。
「さわいでいるのは誰だ!」
 と、かんかんに怒って槍をかまえたのは、かわいらしい月うさぎの兵隊である。
 これには、トラゾーも毒気をぬかれてしまった。
 うさぎたちは、みんなりっぱな服をきて、手にはみじかい槍をもっていた。ながい耳をぴんとつきたてながら、
「ここは月の王の御殿だぞ、どうやってはいってきたっ」
 と問いわめいた。
 ナーシェルは自分の腰ほどしかないウサギにどなられても、ちっともこわくなかった。
「こいつ、わらうな!」
 すると、月ウサギは、おこって槍をシッシとつきだした。
「あ、あぶないっ」
 ナーシェルたちが肝をひやしてとびのく。
「こやつ──」
 トラゾーがススとすすみでて、そいつの頭をしこたまたたいた。
 月うさぎは横転して、ボンヤリしている。
 その月うさぎに、
「まいったかっ」
「トラゾー……」
「うさぎ相手に……」
 なんだかひんしゅくを買ったトラゾーじじいである。
「抵抗したなー! もうゆるさん!」
 月うさぎたちはかっと激怒して、槍をずらっとならべてきた。ナーシェルはしどろもどろに弁明した。
「やめてよ、ぼくらは月の王さまに会いにきたんだ」
「王さまに? なんの用だ!」
 えらそーにわめく月うさぎに、シングルハットは頭にきて、
「ばかやろうっ。月の王のせいで地上はとんでもないことになってるんだぞ!」
 と言ってやった。
「そんな言いがかり……」
 反論しようとしたうさぎたちは、背後に人の気配をかんじてふりむいた。
 御殿からやさしげな老人がすたすたとでてきた。
 ながくのびた白いヒゲに、月をかたどった装飾の杖。
「なにをさわいでおるのだ」
 老人のとがめるような口調に、月うさぎたちはさっとひざまづいて言いわけをはじめた。
「月の王だっ」
 とナーシェルがふりかえると、みんなはいっせいにうなずいた。
「あの者たちがとつぜん御殿にあらわれまして……」
 うさぎがいうと、月の王はナーシェルたちに目をむけた。
「そなたたたちは何者だ?」
 としずかな声できいた。
 さすがに月の王だけあって、太陽の王さまよりはおしとやかだな、とナーシェルたちはおもった。
「王さま。地上はいま、王さまたちのケンカのせいで、大変なことになってるんですよ」
「わしらのせいで?」
 と月の王はすっとんきょうな声を上げた。
「そうです」
 すると、月の王はうーんとなやみだした。
「みな、なかにはいってくれ。くわしい話をききたい」
「王さまっ、こんなやつらを御殿にいれる気ですかっ」
 反対する月うさぎに、シングルハットはアカンベーをしてやった。

◇     其の七 イカサマ師はどちら

 ナーシェルから話をきいた月の王は、うーんとうなったきり、腕をくんでなにもいわなくなった。
「王さま、素直に太陽の王さまにあやまってくださいよ」
 ネッチがたのみこむと、
「なにをいうか、もとはといえば、太陽の王がチェスの駒に細工をしたのが発端なのだぞっ。わしからおれたりするものかっ」
 と大喝したので、
「あれ、へんだな。太陽の王さまもおなじことを言っていたよ」
 ミッチがはてと小首をかしげた。
「なにっ?」と月の王はおどろいた。「そんなはずはない。イカサマをしたのはあっちの
方じゃっ」
 ネッチたちはなんともこまって視線をかわした。
 おたがいがおたがいをイカサマだと言っている。いったいどちらを信じたらいいのだろう。
「ひょとしてさ……」ミッチはネッチにささやいた。「両方イカサマしたんじゃないかな?」
 それをきいて、ネッチはうなずきながらこたえた。
「そうかもしれない」
 ふうせん男爵はむずがゆそうにはらをブルブルっとふるわせ、
「なんともみょうな話だなぁ」といった。
 月の王は太陽の王をイカサマ師だとののしり、むこうからあやまらないかぎり自分はゆるさないし、月をもとにもどしたりもしないと言いはった。
「太陽の王とおなじことをいっとるぞ……」
「説得はむりなんじゃない」
 トラゾーとシングルハットが互いの耳にささやいている。
「そんなこといわずに、太陽の王さまと仲なおりをしてよ」
 ナーシェルが月の王にすがりついた。
「いやじゃ、あんな奴とはぜったいに仲なおりなんかするものか!」
 月の王がその手をふりはらい、ナーシェルはしりもちをついた。
 ナーシェルの鼻の頭がみるみるうちに赤くなり、目にはなみだが一杯たまってしまった。意固地になった王さまは気づきもしない。
「おのれ、ナーシェル公になにをするかっ」
 トラゾーがおこって柄に手をかけたが、ふんふんいうばかりでちっともぬけない。
 王さまがさめきった視線を向けると、
「「もういい!」」
 ミッチとシングルハットが同時にさけんだ。トラゾーと月の王は同時にびっくりした。
「それってわしのこと?」
 自分をゆびさすトラゾーを無視し、ミッチは肩をそびやかした。
「こうなったらどっちがわるいか、はっきり白黒をつけようじゃないか!」
 とさけんだ。
「どうやって?」
 ナーシェルが眉をしかめると、
「わしらのほし──故郷には、面とむかって口論できる場所がある」
 ネッチがあっと声をあげた。
「そうかっ」
「チェス裁判だっ」
 シングルハットがおもしろがってわめいた。

◇    其の八 地上へとつづく道

「チェス裁判? なんじゃそれは?」
 月の王が眉根をよせると、ネッチがおおきく、興奮したようにうなずいた。
「どちらがただしいかを審判するんですよ。話し合いの場をつくりましょうっ」
「話し合いだと?」
「そうです。太陽の王も月の王も、自分がただしいと思うなら、会ってそのことをいうべきです」
「なるほど、それはとてもいいっ」
 と快哉をあげたのはふうせん男爵であった。
「そうですよ。ふたりともはなれて相手の意見をきかないからいけないんですっ。会えばほんのすこしでも進展があるはずですっ」
 ふうせん男爵がりきむごとに、おおきな腹がぷるぷるゆれる。
「なにをいうかっ。月の王は地上になどいかんぞ」
 月うさぎたちが、つばをとばして反対するので、
「じゃまする者はきーるっ」
 トラゾーがまた刀と格闘をはじめた。
「まともにぬけないもんなー」
 ミッチが口をあんぐり開けてあきれている。
「裁判だ、裁判やるぞっ。みんなをあつめて裁判やるぞっ。わるいほうが負けだぁっ」
 シングルハットが興奮して手をふりまわした。
 しかし、月の王は気がうかないようすで、
「しかしなぁ、どうせ悪いのはあいつなんだし……」
「おやっ? 負けるのがこわいんですかね」
 と、ネッチがいじわるく笑った。
「な、なにを言うか!」
 月の王が真っ赤になってつめよると、
「これで白黒はっきりすれば、また太陽に照らされた地上がみれるんですよ」
 ネッチが半眼になって、さぐるようにそうきいた。
 すると、月の王はまた怒りはじめた。
「そうじゃ、あいつはわしへの意地悪で太陽をかくしおったのだっ」
「それはどっちもどっちなんじゃ……」
 これにはミッチたちまで半眼になった。
「王さまっ、裁判をやろうよっ。もとはとっても仲がよかったんでしょ。太陽の王さまはあなたのために地上をてらしてくれたんでしょ」
「うむ。あやつはわしのために地上に色をつけてくれた……だからわしはあやつのために、素敵な夜空をみせてやったのじゃ」
 ナーシェルの迫力におされ、王さまはモゴモゴと本心をはいた。
「太陽の王さまも、夜空を見たがってるんだろうなぁー」
「太陽の王さまと仲なおりをするチャンスかもしれませんよ。これをのがしたら、二度目はないかもしれない」
 ネッチたちが月の王をうまく話にのせた。
「ふん、あんなやつと仲なおりしようなどとはおもわんが……」
 月の王はぶつぶつ言っていたが、まぁいいだろうと顔をあげ、
「月うさぎたちよ、わしは地上にもどるぞっ」
 といった。
「王さま」
「地上への橋を設けよっ」
 月の王は、さっそうと命じるのであった。
 月の御殿から金色の橋が、ズウッと地上までつづいている。
「この橋をわたっていくんですかっ?」
 ナーシェルたちはおどろいてしまったが、よく考えるとふうせん男爵の気球はもどりにはつかえない。月の王についていくしかなかった。
「ううっ」
「王さまぁ」
 月うさぎたちが橋をかこんでさめざめと泣いている。
「月うさぎたちよ。後のことはまかせたぞよ」
 月の王はそういって、いきおいよく足をふみだした。
 ナーシェルたちが橋にあがると、急に地面がうごきだした。
「うわぁ」
 あわててバランスをとっていると、月の王がふりむいた。
「自動じゃ」
 だそうである。
「さようならあ」
 後ろで手をふる月うさぎたちが、どんどんちいさくなっていく。くろい豆粒になったかと思うと、月の黄色にとけていった。
 月うさぎたちは、きっと橋がえるまで手をふりつづけているにちがいない。そう思うと、ケンカをした月うさぎたちのことも、今はなつかしく思い出されるのであった。
 月の王とナーシェルたちを乗せた金色の橋は、きらきらきらときらめきながら、地上へむけてはしっていった。
「あっ」
 肩ごしにふりむいて、ナーシェルはおどろいた。
 ナーシェルたちがすすむごとに、うしろの橋は消えてなくなっている……。
 とても幻想的な光景で、ふわりとあたたかとした気分になった。
「月にきた甲斐があったな」
 トラゾーがそうつぶやいたが、みんなおなじ気持ちだった。

 地上でナーシェルたちの帰りを待ちわびていた太陽と月の国の住人らは、月からおりてきた金色の橋に、心臓がとびでるほどギックリしてしまった。
 そうこうするうち、月の王を連れたナーシェルたちが、暗やみをすべりおりてきたのである。
「おお、王さまっ」
「王さまっ」
 住人たちが口々に月の王を出むかえた。
 住人にかこまれる月の王を見て、「うまくいったようじゃな」得たりとわらうシドじいに、「それがそうでもないんですよ」ネッチたちは月でのいきさつをかたった。
「ふうむ。なるほどのぉ」
 シドじいは事情をきくと、さも納得したようにうなずいた。
「それはたいへんいい方法じゃな。しかし、太陽の王さまがくるかな?」
 とその点については難色をしめした。
「よし、俺たちがつれてこよう」
 これはシッカたちがひきうけた。
「んっ、では月の王には天文台にいてもらって、ほかの者は裁判の準備じゃっ」
「明かりがいりますね」
「国中のガス塔をあつめよう。さぁ、とりかかってくれ」
 シドじいが手をパンパン打合せると、みんなはそれぞれの準備にちっていった。
「おもしろくなってきたなぁ」
 不安げなナーシェルをよそに、ネッチとミッチはたがいにほくそ笑んでいた。
 こうして、太陽と月の国はおろか、周辺諸国までまきこんだ、チェス裁判がはじまった。

◇   其の九 チェス裁判はじまる

 チェス裁判は星の降る丘でとりおこなわれた。
 シドじいの用意したガス塔が、丘のいたるところをてらしている。傍聴席には、太陽と月の国の住人たちがあつまっている。
 ヒゲクジラがいちばんたくさん席をとってしまって、はじのみんなはそうとう詰めねばならなかった。
 裁判長はミッチ。その補佐はシングルハットである。二人は黒い服とひらべったい帽子をかぶってすましこんでいる。
 月の王と太陽の王は、裁判席のまえで、西と東にわかれてむかいあった。
 太陽の王のわきにたっているのは、ネッチとふうせん男爵。月の王がわは、ナーシェルとトラゾーである。
 太陽と月の国の住人たちは、急ごしらえのステップに腰をおろしていた。ステップは円形で、裁判場をぐるりとかこんでいる。みんなしんと王さまたちをみおろして、しゃべり
もしない。
 ミッチはあつらえてもらった裁判長の席から、ぐるり百八十度をみまわし、
「せいしゅくに、せいしゅくにっ」
 手にしたトンカチでつくえをバンバンたたいた。
(こりゃけっこういいもんだ)
 と、ミッチはおもった。
「みんなせいしゅくにしてるよ」
 いちいち指摘するシングルハットをぐいとしめ上げ、「こぉれよりっ、チェェスさいばぁんを、とりおこなぁう!」
「ウワ──!」
「今回の判事はぁ、太陽の王さまに、ネッチモンドとふうせん男爵! つぅきの王さまには、ナーシェルとトラゾーじいさんだ! 今回の主旨はぁ、チェェスっ裁判っ。どちらがいかさまか、この場で決着をつけてもらう。ウソいつわりはいっさいなしっ。公正を期しとりおこなうことを、ちかぁうぅ!」
 またも、どわーとどよめきがおこった。ミッチとシングルハットは満足げにうなずいて、
「それでは、当事者の意見を拝領したい。事件の内容は、先月のすえにあったチィェッスだっ。このチェスでイカサマがあったとおたがいが主張している。二人はケンカをし、地上からは光がきえてしまった。なんともめいわくな話だ。まちがいないなぁ、みんなぁ!」
「おー!!」
 観客たちはそろって腕をふりあげた。
 ミッチはさらにふたりの罪状をよみあげる。
「月は太陽のすきな星をかくし、太陽は地上をてらさなくなった。まちがいありませんなっ?」
「うむ」
「うむ」
 と、ふたりの王さまはうなずいた。
「さて、けんかの原因ですが……」
 ミッチがいうと、
「そうじゃ、原因はあいつのイカサマなんじゃ」
「なにをいうかっ、イカサマをしたのはそっちの方じゃっ」
 二人は悪しざまに罵りあう。
「これってさ」ネッチはふうせん男爵にささやいた。「さらに仲がわるくなったらどうなるのかな?」
「おしずかに!」と、ミッチはまたも机をたたいた。「まずはどのようなイカサマをしたかをくわしくおはなしねがいます」
「どちらから?」
 シングルハットにきかれて、ミッチは一瞬まよったが、「では太陽の王から」
 太陽の王はにがにがしげに奥歯をかみしめ、怒りをおさめるのに少々時間をついやした。しばらくたってから話はじめた。
「あのチェスでは……(と太陽の王はすこしおもいだすフリをして)そう十五手は駒をすすめたとおもう。そしたら、あいつはボーンをナイトにすりかえおったのだっ」
「うそじゃ、ボーンをナイトにかえたのはそっちじゃないかっ」と月の王が口をはさむ。
 ミッチはなんともよわってタメ息をついた。
「これでは平行線だ。判事の意見は?」ときかれたので、判事たちはたがいの相棒と顔をみあわせた。
 王さまが判事にひそひそとささやく。
「太陽の王はやってないと言っています」
「月の王もそう言ってます」
 ネッチとナーシェルはややめんどそうに答えた。
「ええーい、役にたたん判事だっ」
 ミッチは苦々しそうに身もだえした。
 ふたりの王さまはそろって大口をあけると、
「だからいっておるじゃろうっ。ズルをしたのはむこうじゃっ」
「だまれ、このウソつきめっ。わしが、あんなに地上をみせてやったのにっ、その恩をわすれおってっ」
「わしだって、夜空をみせてやったじゃないかっ」
 言いあらそう二人に、ミッチは頭をかかえてしまった。これでは裁判はいつまでたってもおわらない。
 裁判場に気まずいムードが流れはじめたとき、シングルハットがひょいと顔をもたげた。
 なにやら観客席のほうがざわついている。シドじいを肩にのせた、シッカが裁判所にはいってきた。
 それに気づいて、「裁判長っ」とネッチが手をあげた。
「なにかね?」
「シッカが問題のチェスをもってきました」
 すると、シッカは裁判所の中央まですすみでて、ミッチをみあげた。
「では、これからシドじいにチェスをしらべてもらいます」
 と、ナーシェルが片手を上げて宣言した。
 ミッチは神妙な顔でうなずき、
「それでは、シドじいに問題の、チェスゥを、しらべてもらうっ。シドは天文学者だが科学者でもある。シッカは今回はその助手だ。シドじいの腕がたしかなのは、みんな御承知のとおりっ。さぁ、せいしゅくに結果発表をまってくれっ」
 と宣した。
 会場内は、しん、とみずをうったように静まりかえった。
 シッカは四角いテーブルのうえに、チェスの駒と板とをおいた。
 シドじいはシッカの肩からとびおり、じぶんの身長ほどもある駒を、しがみつくようにしてしらべはじめた。
 まずは白の駒からである。
「白の駒をつかっておったのは、太陽の王じゃ」
 と月の王はいった。
 みなが息をつめてみまもるなか、シドじいは手もとの駒を仔細にながめまわした。
「ほほー、こりゃよくできとるわい」とシドじいは少しかんだかい声ではなした。「たしかに十五手めで駒がかわるように細工されておる」
「ほーらみろ……」と胸をはった月の王の声はしだいにしりすぼみになり、は? という顔で消えてなくなった。「十五手めでかわるじゃと? そんなおかしなインチキがあるはずないじゃろうっ」
 と今度は怒りはじめた。
 ネッチたちも、
「たしかに変ですねぇ」
 と首をひねってなやんでいる。どうも雲行きが妙だ。観客もざわざわと騒ぎだした。
 月の王は、「それでは自分が勝っていた場合はどうなるっ?」とかみつくような調子で言った。
 赤の駒をしらべていたシドじいは、「おなじことですよ。どんな場合も十五手めでナイトにかわります。おっ、どうやらこっちもおなじのようだ」と赤い駒をかたむかせてこたえた。
「赤の駒も? では互いにインチキを……」
「まてまて、わしはしておらんぞっ」
「わしだってやっておらんっ。だいたいそんなインチキをやるはずがない」
 たしかにこれではゲームがなりたたない。「これはこの国の魔法ではなさそうですな」
 丸眼鏡をずりあげながら、シドじいがつけたした。
「いったいこのチェスはどこで手にいれたんです?」
 シドじいのところへ行って、ネッチは駒をつまんでみた。
「雪と氷の女王からの贈り物だ」と月の王はこたえた。
 ナーシェルが、「雪と氷の女王っ」とすっとんきょうな声をあげたので、シドじいたちはびっくりした。
「どうかしたのか?」
 とみょうな顔をしてきいてきた。
「きっと女王ですよっ。雪と氷の女王が、王さまたちを仲たがいさせるために、チェスに細工をしかけたんですっ」
 ネッチが一気にしゃべると、ナーシェルはそのとなりで大きくうなずいた。
「やっぱりブリキの王はわるくなかったんだ」
 しかし、納得できないのはふたりの王さまである。
「ばかな、なぜ女王がこんな真似を?」
 すると、ネッチはテーブルに両手をついて、説明をはじめた。
「いいですか? 雪と氷の女王はですね、まずブリキの国の石炭をこおらし、木の葉の国を枯れの危機におとしいれたんです。つぎに、太陽と月の王を仲たがいさせ、雨水国を暗闇にしたのはブリキの王だと雨水の王にざんげんし、ブリキの国に雨をふらさせた。そして、今回が、これです」
 ネッチはチェス板をゆびさした。
「で、では、わしらは女王にだまされたのか?」
 信じられない顔で問う太陽の王に、ネッチは力づよくうなずいた。
「そういうことです」
「そうとも知らずにわしらは……」
 二人はガクリと肩をおとした。
「太陽の王よ、ゆるしてくれ。わしはなんの罪もないおぬしをうたがってしまった」
「なにをいう、わしだってっ」
 二人ははっしと互いの手をとりあった。
 トラゾーが泣きながらふたりの肩に手をおいた。
「うむ、けんか両成敗。非をみとめるは罪にあらず。よしとしましょうぞ」
 といった。
 ミッチは涙をながしながら、足を机にひっかけ身をのりだした。
「みんなぁ、みてくれこの光景をっ。王さまたちはたがいの非をみとめ、信頼をとりもどしたんだっ。またもとのあかるい毎日がもどってくるぞっ」
 ミッチのことばに、観客は総立ちになり、ふたりにむけて拍手と歓声をおくった。
 ガス塔にてらされる空に帽子がまい、口笛がふきならされた。ステップを足でふみならし、二人の王をたたえている。
「判決を言いわたすっ」とミッチはいった。「両名、ともに信頼をうしなった罪はおもいが、たがいの友情と、あいてをおもいやる心にめんじ、地上をてらし、夜空をもとにもどすことで処罰を減ずっ。以上、閉廷!」
 王さまたちは、顔をみあわせ笑いあった。

◇   其の十 太陽と月の国

 月の王と太陽の王は、手をとりあって城のまえに立っていた。
 太陽と月の城は、篝火にてらされて、闇夜にうきたっている。門はおろされ、橋はかかったままだ。主人の帰りを、まっていたのである。
 太陽と月の国の住民たちが、あつまって城をみあげている。先頭にいるのは、ナーシェルとネッチたちだった。
「世話になったな。いろいろとすまなかった」
 月の王が、ふりかえってナーシェルたちをみた。
「太陽と月は、これでもとに戻るじゃろう。おぬしら、これからどうする」
 と太陽の王がきいた。
「北よりの道をとおって、雪と氷の国にちょくせつ行きます」
 と、ナーシェルがこたえた。
「そうか、雪と氷の国は極寒の地だ。女王の目的もわからん。気をつけていけ」
「はいっ」
 ナーシェルたちが返事をすると、二人の王さまは、太陽と月の城へときえていった。
「わぁっ」
 みんなは感嘆の声を上げた。
 太陽と月の国は、あれよあれよというまに光にみちていった。空は青くすみわたり、地上は色をつけてゆく。
 月の王がスキだった地上の景色が、また復活した。
 昼がもどり、太陽の王と月の王は、またもとのように仲よくなった。雨水の王はよろこび、ブリキの国にふらさせていた雨をとめた。
 城の窓から姿をみせたふたりの王に、群衆が歓声をおくっている。
 シッカたちが気づいたときには、ナーシェルたちの姿はなかった。

雪と氷の国

◇   其の一 閉ざされた国

 ゴオオオオォ……
 ビュウウウゥゥ……
 雪と風がたえまなくふきつけてくる。
 木の葉の国そだちのナーシェルは、ふぶきどころか雪を見たのもはじめてである。雪と氷の国にはいるまえに、冬物の服にきがえてはおいたが、たまったものではなかった。あまりの寒さに、身をちぢこめてふるえている。
「いろんな冒険はしたが、こんなに寒いのははじめてだ」
 とミッチとネッチは話し合った。ふうせん男爵など、たらした鼻水がつららになってぶらさがっている。
 トラゾーだけが、なれている分まだマシらしく、見ただけでふるえがくるほど薄着なのに、意にかいした様子もない。
 ナーシェルたちはものも言わずに、黙々と前方に足をすすめた。ふぶきで一寸さきも見えぬ状況なので、先頭を行くトラゾーだけが頼りだった。
 ドードー鳥が、心配そうにナーシェルに顔をすりよせてくる。ナーシェルはシングルハットをふところにいれて、ガタガタふるえている。
 極寒の地とは聞いていたが、ここまでさむいとはだれもおもっていなかった。もうツマ先の感覚がない。手袋ごしにだいた肘が、かたまっている。うごくのは足だけだった。
 風の音が、空間をみたしている。この国には雪しかないようにナーシェルにはおもえた。
 汗すらもこおり、ほおやひたいにうすい氷の膜ができている。
 吸う息は冷たくて、鼻毛をちりちりと凍らせる。
 はく息までがたちまち凍りつき、それが霧となって空中にただよう──といったことがずっとつづいた。だから雪がいくぶんおさまっても、視界はわるいままだった。
「うわぁ」
 ナーシェルが雪に足をすべらせてころんだ。トラゾーがたすけに走りよる。
「大丈夫か、ナーシェル」
 ふうせん男爵がおおきな身体を利用して、風よけをつくった。
「雪の道が、こんなに歩きにくいなんて、おもわなかった」
 ナーシェルはむらさき色のくちびるのなかで、今にもこおりそうな舌の根をうごかした。
 雪と氷の国はそれほど寒かった。ふところにいるシングルハットも、じまんのヒゲがこおっている。
「トラゾーじいさん、その仲間のところまでは、まだだいぶあるのかい?」
 ネッチがきいたのは、この先にあるという、トラゾーの暮らしていたキャンプのことである。そこまで行けばメシもあるし、暖をとることもできる。なにより体をやすめたかった。
「そうさな……雪のせいでうまくはわからんが、あと一刻もせんうちにつくじゃろう」
 うまくわからないというのがなんとも不安だったが、とりあえずナーシェルは元気がでた気がした。
「カイロがほしいのもよくわかるよ。石炭がなくていちばんこまってるのは、雪と氷の国の住民じゃないのか?」
 ふうせん男爵がいうと、トラゾーは大きくうなずいた。
「そのとおりじゃ、雪や寒さが好きな種族はいいが、わしらはこまる。女王は、なにを考えているんだか……」
 と無念そうにくちびるをかんだ。
 ようやく雪と氷の国に到着したナーシェルだったが、そこはふぶきにおおわれた国だった。
 どこまでいっても、雪と氷しかない。風景はどこもかわらず、本当にすすんでいるのかさえ不安だった。ひょっとしたら、おなじところをぐるぐる回っているだけかもしれない。ナーシェルは歩いてきた方向をみやった。雪がふきあれて、なにもみえない。自分たちの足跡は、ふりかかる雪にしだいに消えようとしていた。きた道をもどるのは不可能のようだ。
 もし自分がこの場で二三度回転させられたら、どっちが前かもわからなくなるにちがいない、とナーシェルは思った。
「この国は毎日こうなの?」
 ナーシェルがたずねると、トラゾーはコクリとうなずいた。
「年がら年中このとおりじゃ。雪と氷の女王は、さむいのとたえまなく降る雪が好きなのじゃ」
 一同は空をみあげた。ドカ雪が顔にまで積もりそうだ。事実、まつげやまゆげは、すでに雪で真っ白である。
 風はいくぶんおさまったが、雪は一向にふりやまなかった。

 そもそもなぜこんなことになったかというと、すべては雪と氷の女王が原因なのである。
 女王はブリキの国の石炭をこおらせ、花と草木のストーブが炊けなくした。雨水国に光がなくなったのは、ブリキの王のせいだといつわり、ブリキの国には雨をふらさせる。
 太陽と月の王を仲たがいさせたのも、雪と氷の女王である。
 ナーシェルはそのたびに原因を解明するべく、仲間とともに国をおとずれ、王さまたちに会ってきた。
 さきに太陽と月の王を仲なおりさせたナーシェルは、ちょくせつ雪と氷の国にやってきた。そこは雨水国で出会ったサムライ、トラゾーの故郷でもある。
 トラゾーが旅にでた要因も、もとはといえば、ブリキの国からカイロ業者がこなくなったせいだった。そのため、雪と氷の国では石炭が激減し、住人がさむさにふるえているという。
 雨水国で、空腹にたおれていたトラゾーは、そこで雨水の城にむかう道中だった、ナーシェルたちにあう。
 ブリキの国の石炭が雪と氷の女王にこおらされてしまったときいたトラゾーは、大恩あるブリキの王のために、ナーシェルたちと行動をともにするようになった。
 しかし、結局トラゾーは石炭を手にいれられず、その身ひとつで雪と氷の国にもどることになってしまったのである。

◇   其の二 氷のキャンプ

 雪と氷の国にやってきたナーシェルたちは、そこで凄まじいまでのふぶきの洗礼をうけた。
 一年中、ずっと雪がふるこの国は、他国人はおろか、そこに住むひとびとにとっても、じつに苛酷な環境なのである。
 地上のあらゆるものが雪にうもれ、大地は顔をだす機会すらない。視界がはれることはなく、巨大な迷路のなかにいるようなものだった。事実、毎年行方不明者や、凍死者がでるらしい。
 しかし、トラゾーたちのようにカイロやストーブとあらゆる手段を駆使して暖をとらねばならない者もいれば、このさむさのなかでしか生きられない者もいるのだ。
 ナーシェルたちは、雪と氷の国にはいって二日後に、トラゾーのいたキャンプへたどりついた。
 ふりしきる雪のむこうで、みえかくれする円形の建物に、トラゾーは目をこらしていたが、
「あった!」
 ようやく確信がいって、こちらをふりむいた。
 それは雪のドームだった。つもった雪を長方形にくりぬき、レンガがわりに積みかさねたもののようだ。
 このさむいなか、雪でできた家に住むなんて、しんじられないとナーシェルはおもったが、トラゾーの話では、これがあんがい暖かいらしいのである。
 形は円形で、正面に入り口がついている。木戸だった。雪と氷がへばりついている。上にエントツが一本のびているが、煙は出ていなかった。
 ネッチたちは、もっとちいさなものを想像していたのだが、キャンプは意外におおきかった。トラゾーは集団で暮らしていたといっていたから、こんなものかもしれない。
 雪と氷の国では、これぐらいのキャンプはふつうだという。きびしい自然のなかでは、たがいに助けあわねば生きていけないらしい。
 トラゾーにとって、外の世界というのは一種のあこがれだった。トラゾーがあんなにも生き生きとしていたのは、そのせいもある。
 ナーシェルには、こんなツライところで暮らしている、トラゾーたちの心のうごきが知れなかった。
 おりからのふぶきにあおられ、ドームは雪にとじこめられている。
 ナーシェルたちは歓声を上げながら、雪のドームに走っていった。

 ドームのなかは、トラゾーの言うとおり、外よりかくだんにあたかかった。
「いったい、雪と氷の国にきて、何日がたってしまったんだろう」
 さむさに腕をかかえながら、ネッチがひとりごとのようにつぶやいた。ふうせん男爵の時計は、こおってうごかなくなっていた。
 ふぶきのなかでは、ねむることもできなかったから、安心したとたんに強烈な眠気がおそってきた。
 胸もとをたぐりよせてまどろんでいると、
「おーい、だれもおらんのかぁ」
 トラゾーの大声で、ナーシェルたちはとじかけていた目をパッとひらいた。
 トラゾーの声が、通路にぐわんぐわんとひびきわたる。
「へんじゃな?」
 トラゾーは何度かさけんだが、それでも応答がなく、ひとの気配すらしない。
 ナーシェルたちの心のなかで、急速に不安がたかまってきた。
 ドームの壁はあつく、はいってすぐは三メートルほどの通路になっている。ナーシェルたちが立っているのもそこだった。
 そのさきは、円形の広間になっていて、部屋はそのひとつきりだった。
 トラゾーたちは、そこで十数人からがかたまって寝起きしているのだという。凍死者をださないためにも、燃料の節約のためにも、これがいちばんいいらしい。だから、トラゾーにとって、キャンプの仲間というのは、家族もどうぜんだった。
「だれも出てこないね」
 腕をこすりながら、ナーシェルがトラゾーをみあげた。
「はて? 面妖な……」
 とトラゾーは首をかしげている。
 自分がいつ遭難者になるやもしれぬこの国では、旅人や迷い人をとても大事にする。ただでさえ雪にとざされた国だから、はいる情報もない。
 来訪者はそれだけで格好の娯楽となるのだ。カイロ業者などは、各キャンプからひっぱりダコで、たずねる先々で三日も四日もひきとめられるそうである。
 ナーシェルたちはトラゾーからそんな話をきいていたから、キャンプをたずねることになんの不安をいだいていなかった。
 それがトラゾーがよべどさけべど、むかえにも出てこない。
「石炭をもって帰らなかったんで、おこってるんじゃないのか?」
 シングルハットはみんなに睨まれ、ナーシェルのふところにひっこんだ。
「どうしたのかな?」とネッチ。
「いつもなら、すぐにでも出迎えて、まずはあたたかいスープをさしだすものじゃがなぁ」
 トラゾーがいささか不満そうにこたえた。
 通路をぬけて、広場まで出たトラゾーたちは、そこに異様なものをみて足がすくんだ。
 雪と氷の国の住人はたしかにそこにいた。いずれもトラゾーの仲間たちだった。
 それが、一様に氷漬けにされているのである。いや、そこにあるすべてのものが、透明な氷のなかにとじこめられていた。ストーブまでもがこおりつき、薪がもえかけのままこおっている。
 氷漬けにされたひとびとは、ぜんぶで十数人にものぼった。
「こ、これは、なんということじゃ!」
 トラゾーは驚いてまた声を反響させた。
 立っている者もいれば、すわっている者もいる。じつに様々な姿でこおりついている。
 ふうせん男爵がそばの男の氷にふれた。とてもひやっこくて、男爵はあわてて手をひっこめてしまった。「これはほんものの氷だ」
 そのとたん、トラゾーはガクリとひざをついてしまった。
「石炭さえ、手にはいっていれば……」
 トラゾーは胸からしぼりだすような声でつぶやいた。
「トラゾーじいさん……」
 ナーシェルがその肩に、なぐさめるように手をおいた。
「しかし、こんなみごとにこおるものかな」
 ミッチがしげしげと氷漬けにされた男をみつめている。
 キャンプの住人は、人間もいればけむくじゃらの雪男もいた。トラゾーとおない年ぐらいのおじいさんもいれば、わかい男女もこおっている。
「うん。わたしもそう思っていたんだ。みんなふつうに生活していたときのままの状態でこおっているよ」
 ネッチが氷漬けにされたひとびとを眺めわたしながら言った。かれのそばでは、ミノをきた白クマが、あぐらをかいてこおっている。
「そういえば妙だな」
 ふうせん男爵もあごに手をそえなやみはじめた。
 暖炉に手をやろうとしているものや、椅子に腰かけようとしているもの。氷さえなければ、そのまま動きだしてしまいそうなのだ。
 どうやら、寒さのためにジワジワとこおった──というわけではないらしかった。
 なにより燃えかけの薪まで、こおっているというのがなんともおかしい。
「そんなこと、どうでもいいわいっ」トラゾーはダダッ子のように手をジタバタさせた。
「もうダメじゃ。わしの仲間はみんなこおってしまった。暖もとれん、メシも食えん、もうここから一歩だってそとに出れーん!」とわめいた。
 トラゾーに指摘されて、ネッチたちはとんでもないことになってしまったことに気がついた。さむさになれたこの国の住人でさえ、氷になってしまったのだ。あたたかくてあた
り前の自分たちでは、いっしゅんも気をぬくことをゆるされない。
「そんなこといわないでよトラゾーじいさん。雪と氷の女王が寒さをやわらげてくれたら、すぐにとけて元にもどるよ」
 ナーシェルは懸命にトラゾーを元気づける。
「そとはこのふぶきじゃ。雪と氷の城まではとても行けんわい」
 トラゾーが言いかえすと、ふうせん男爵の頭にぱっとあることがひらめいた。
「そうだっ。雨水の王さまに、雪と氷の国にくる水をとめてもらおう。そうすれば、女王も雪をふらせることができないよっ」
 と顔をかがやかせてまくしたてた。
 刹那、
「そんなことはさせんぞっ」
 とドームの奥から、怒声がとんできた。
 トラゾーたちがふりむくと、目の前にまるい玉がうかんでいた。四方からちいさな手足がニョキと生えている。頭のてっぺんにあるのは角だった。
「ゆ、雪鬼じゃっ。こいつはなんでもこおらせてしまうぞっ」
 トラゾーがうわついた口調でさけんだ。
 おおきな雪の粒のような体だ。ナーシェルたちは雪鬼とはよく名づけたものだと思った。
 その雪鬼は、ナーシェルたちをにらんだまま、「みんな出てこいっ」と叫んだ。
 そのとたん、てんじょうや壁にはりついていた雪鬼たちが、いっせいにナーシェルたちの前にとびだしてきた。ひらひらと雪のように降りてくる。空中をただよいながら、ナーシェルたちをとりかこんだ。
「うひゃあ」
 みんなは魂までちぢみ上がって、なさけのない悲鳴を上げた。
 雪鬼は真っ白なので、雪でできた壁や天井にはりついていると、見わけがつかなくなるのだ。
「おのれっ」トラゾーが刀を抜きにかかるが、鞘にひっかかっていっかな抜けない。うしろをむいてネッチにたのんだ。「おい、手伝ってくれっ」
 二人がかりで、ようやく愛刀が顔をだした。
「あんた、ほんとにサムライか……」
 あきれるシングルハットには委細かまわず、
「こいつら、どこからは入りこみおった」
 と腹立たしそうにつぶやいた。
 ひとりだけ角が二本はえている奴がいるが、どうやらそいつが親玉らしい。
 ナーシェルたちは、こいつらがキャンプのみんなをこおらせたと知って、ふるえ上がってしまった。かわいらしい姿をしているのに、なんとおそろしい奴らだろう。そうおもうと、雪鬼たちの顔はとても邪悪に見えてくるのであった。
「雪と氷の国じゃ、こんな奴らがうろついているの?」
 ふうせん男爵にうしろに追いやられながら、ナーシェルが問いかけると、
「いや、こいつらはもっと寒いところでしか活動できんはずなんじゃが……」
 トラゾーが、おかしいな、という顔でこたえる。
 すると親玉の二本角が、「どういうわけだが、人間どものつかう石炭がなくなって、あちこち暖かくなったもんでおれたちも自由に国中を動きまわれるのさ。とりあえず動きのにぶった人間たちを、氷漬けにしてやった。動いている奴らはみんな氷にしてやるっ。そしたらもう暖かくなんてできないぞっ」
 とゆかいそうにこたえた。
「そんなのひどいよ。ここにいるひとたちは寒いのが苦手なんだ」
「そんなこと知るかっ。こいつらはおれたちのキャンディーだっ」
 キャンディーときいて、ネッチたちは顔をみあわせた。こんなちびっこいのにしゃぶられるのは、なんともゾッとしない話である。
「この雪だまやろうめっ、みんなをもとに戻せっ」
 トラゾーが刀をふりまわして、ちかくにいた雪鬼たちに斬りつけた。すると、雪鬼にふれた刀は、ピキィンと澄んだ音をたててこおりついてしまった。
「やっ、わしの刀がっ」
 トラゾーは、あわをくったついでに転びそうになってしまった。
「どうだ、おれたちにはさわってもダメなんだぞっ」
 二本角がじまんそうにいばった。みんなは血の気がひいてまっさおになった。
「逃げよう、トラゾーじいさんっ」
 ネッチたちはトラゾーの襟首をつかむと、いちもくさんに逃げだした。
 通路にかけこみ、扉をひらいた。
「くぇっ、くぇっ」
 ドードー鳥が奇声をはった。風とともに、雪が戸口からふきこんできた。ナーシェルたちにはそれがすべて雪鬼にみえた。
「にがすな、こおらせてしまえっ」
 という雪鬼の声がきこえたので、ナーシェルたちは、とび上がって外にころがりでた。

◇     其の三 雨水の城へ

 ナーシェルたちはドームのわきにあるちいさな納屋に逃げこんだ。
「わっ、わっ」
 ふうせん男爵が、扉に、みるからにもたつく手で閂をかけた。
「どうしよう。このままじゃこおらされてしまうぞっ」
 ミッチが、青い顔で納屋を入ったり来たりしている。
「うわぁ」
 壁ぎわにいたネッチが、悲鳴を上げてしりもちをついた。
 窓ガラスに、雪鬼たちがびっしりとはりついているのだ。
「のぉがぁさぁん」
 二本角がめだまをぎょろつかせる。ネッチは腰をぬかしてその場にへたりこんでしまった。
「ドードー」
 ナーシェルはすっかりおびえて、いっしょに逃げてきたドードー鳥の首にかじりついた。
「こっちもだっ」
 雪鬼たちは戸口にもまわって、さかんに体をとびらにぶつけてくる。ふうせん男爵が体をふくらませ、とびらをドシンとふさいだ。
「かこまれちゃったよ」
 ナーシェルが眉をしかめて泣きべそをかいた。
「こんなときに、あのみずたまりがあったらなぁ」
 ネッチの独り言に、「みずたまり?」とミッチが問いかえした。
「ほら、雨水国で、ひかるみずたまりにとびこんで、雨水の城までいっきに移動したじゃないか」
「そんなものここにあるもんかっ」
 ミッチがおこって罵声をあげた。
 すると、トラゾーが、
「いやっ、ちょっとまて」
 といって、自分の腰に腕をまわした。
「これじゃっ」
 トラゾーがひっぱりだしたのは、あの竹の水筒である。
「それが、いったいなんだってんだっ」
 おこるシングルハットを手で制し、
「わしはこの水筒にみずたまりの水を汲んでおいたのじゃ」と説明した。
「本当っ?」
 ナーシェルが少しかん高い声で問いかけた。
「はっはっはっ。こんなこともあろうかと思って、わざわざ仕込んでおいたのじゃよぉ」
 トラゾーは鼻高々にわらったが、シングルハットはそれはウソだとおもっていた。
「でも、水筒なんかにいれてしまって、大丈夫かな?」
 ネッチがつぶやいている間に、トラゾーは水筒の中身を床にぶちまけてしまった。
「やっぱり……」
 ネッチの不安どおり、水筒の中身はただの水にかわっていて、あの時のように輝いたりはしていなかった。
 トラゾーは床にひろがったタダの水をみつめ、「もうダメじゃ!」とわめいた。
 雪鬼たちが納屋に体をぶつける音がする。「このままじゃ、窓が割れてしまうぞ」
 ネッチがじりじりと下がってきた。ふうせん男爵も、戸をささえるのをあきらめて、ドスドスとこちらに近づいてくる。
 ナーシェルたちはひとところに固まりながら、なすすべなく立ちすくんだ。
 窓はとりついた雪鬼たちのせいで、いまにも割れてしまいそうだった。納屋をたたく音が、しだいにおおきくなる。うえから埃がぱらぱら落ちてきた。
「このままじゃ納屋ごとつぶされるっ」
 とネッチが金切り声をはり上げた。
「「キャンディーはいやだぁ!」」
 ミッチとシングルハットが同時にわめいた。
「雨水の城へ、雨水の城へ行きたぁいっ」
 やけになったナーシェルが、床をはげしくたたいてさけんだ。
 すると、透明だった水が、黄金色にかがやきはじめたではないかっ。
「とびこむんだ!」
 ネッチがいちはやく快哉を上げた。
「さあ、ナーシェル公はやくっ」
 トラゾーにいざなわれ、まずナーシェルとドードー鳥がとびこんだ。
「大変だぁ」
 ミッチと、頭にのったシングルハットが大声でわめいた。
 窓ガラスにヒビがはいり、そのすきまから雪鬼たちがはいりこもうとしているっ。
「逃ぃがぁすもぉんかぁっ」
 二本角が、腹の底からにじみでるような声でいった。
「はやくにげよう!」
 ネッチがかんばしった声をはり上げる。
「ぶおん、はいらなぁい」
 見ると、みずたまりがちいさすぎて、ふうせん男爵のふとった体が、とちゅうで穴にひっかかっている。
「ヘソ蓋をぬけ、ふうせん男爵っ。体をちぢませるんだ」
 ネッチがさかんに声をかけるも、ふうせん男爵のふとった腕は、ヘソ蓋までとどかない。
「なにやってんだっ」
 はしりよったシングルハットが、ヘソ蓋を口にくわえてひきぬいた。
 ふうせん男爵の体からすごい勢いで空気がぬけ、みるみる体はちぢんでいった。
 男爵がみずたまりに消えた瞬間、窓がワレて、雪鬼たちがなだれこんできた。
「ひぃええ」
 残ったネッチたちは、あわててみずたまりに身をおどらせた。

◇    其の四 雪鬼、雨水国にやぶれる

「うわぁああっ」
 みずたまりにとびこんだナーシェルとドードー鳥は、どこかの壁からいきおいよく外にはじきだされた。
 ばっと身をおこし、あたりをみまわすと、そこはたしかに雨水の城だった。王さまと側近が、おどろいた顔でこちらを見ている。
 ナーシェルが呆然としていると、
「うひゃあ」
 と、後ろからふうせん男爵がころがり出てきた。
「ふうせん男爵っ」
 ナーシェルが男爵のポヨポヨしたおなかに抱きついていると、それにつづいてネッチた
ちも、壁をつきぬけるようにしてとびだしてきた。
「あ、雨水の城だぁっ」
 ネッチとミッチは手をとりあって喜んだ。しかし、
「ぎゃあ!」
 とトラゾーが絶叫をした。
 雪鬼たちが、みずたまりをとおってあとを追いかけてきたのだっ。
「ひええええっ」
 ナーシェルたちはすざと後退さった。
「な、なんとしつこい奴らじゃ」
 トラゾーがむきだしの刃をふりかざすが、ヒポトンクリス三世は根元までこおりつき、もはや使いものにならない。
「な、なにごとじゃっ」
 雨水の王が立ち上がってわめいたが、ナーシェルたちには答える余裕もなかった。
 雪鬼たちは、空中にとどまったままうめきつづけている。
「な、なんだ?」
 ネッチは、ようやく雪鬼のようすがおかしいことに気がついた。
 おそいかかってくるどころか、シューシュー音をたてて、苦しみだしたではないか。
「あ、あつい。なんだ、ここは?」
 二本角が頭をおさえて言った。
「そうか、ここは雨水国だったんだっ。雪と氷の国みたいに寒くないんだ」
 ナーシェルがするどく叫ぶと、みんなはハッと気がついた。
「雨水国だとぉっ」
 雪鬼たちは、うめきながら、シューと気体にかわってしまった。
「たすかった……」
 ミッチはきつねにつままれたような表情でつぶやいた。
「使者、ナーシェルどの。これはどういうわけなのですっ?」
 きちがい屋敷の森であった水滴の兵隊たちが、ナーシェルをかこんで詰問した。
 そこで、ナーシェルは事情を説明せねばならなくなった。
「そうか、よしわかった。雪と氷の国におくる水は、とめておこう」
 話をきいた雨水の王は、こころよく承諾した。
「ただし、女王は雪がやむとひどく不機嫌になる。あたたかいのがきらいじゃからな」
 といった。
「冷え性なのかな?」
 ささやくミッチの胸を肘でどつき、
「雪と氷の国にもどりたいんですが」
 ネッチがいうと、雨水の王はさっと腕をふって、床に例のみずたまりを用意した。
「そこをとおれば雪と氷の国だ」
「その前にわしの刀をどうにかしてくれっ」
 トラゾーがこおった刀をふりまわす。水滴の兵隊たちが、お湯をもってきてようやくとけた。
 こんどは、池ほどもある黄金のみずたまりに、ネッチたちはピョンピョンとびこんでいく。ふうせん男爵も、今回はどうやらひっかからずにすんだようだ。
 最後にみずたまりに足をふみだそうとしたナーシェルに、雨水の王が声をかけた。
「ナーシェルよ」
 ナーシェルがふりかえる。雨水の王はその目をまっすぐに見つめた。
「ブリキの王のことはすまなかった」
 すると、ナーシェルはテレたように笑った。
「もういいよ。誤解もとけたんだし」
 雨水の王は満足そうにうなずきかえした。
「またいつでもきたい時にきなさい。お前はただ一人のこどもなんだから」
「はい」
 みずたまりに足首をもぐらせながら、ナーシェルは、あの雨さえなければなぁ、とおもっていた。

◇    其の五 キウイ族のマチルダばあさん

 雨水の城でみずたまりにはいったナーシェルたちが、空から雪のうえへと落ちてきた。
 ぼずんっ
 たまった雪に頭からつっこんで、ネッチたちがうめいている。
「いたたっ」
「雨水の王め、こんなところに出すことないのに」
 とミッチが悪態をついた。
 気がつくと、すでに吹雪はやんでいた。あれほどふぶいていたはずなのに、粉雪すらまわない、静かな雪原。
 ミッチはその光景を、不思議そうにみながら立ち上がった。
 視界がはれ、周囲がみわたせる。空は曇天模様だが、ネッチたちはずいぶんと助かった。
「これで雪と氷の城にいけるな」
 シングルハットはやれやれと肩をすくめ、身震いをした。雪がやんでも、そとはまだまだ寒いらしい。ナーシェルの胸元にもぐってしまった。
「あっ」
 鼻や頭に雪をのっけたナーシェルが、すっとんきょうな声をはりあげた。
 その声で、ネッチたちも周囲の状況に気がついた。
 あらゆるところで、人や動物がこおりついている……。
「こ、これはっ」
 トラゾーがヒポトンクリスをひっつかんで立ち上がった。
 それは、雪鬼にこおらされた、雪と氷の国の住人たちだった。今までは雪にジャマされて見えなかったのだ。
 恐怖を顔にはりつかせたもの、知らない間に氷漬けにされたもの……。
 ナーシェルは、雪と氷の国にのこっているのは、自分たちだけではないんだろうかと思ってしまった。
「人間だ、人間だ。人間たちがのこっているぞ」
 どこからか、揶揄するような声が辺りにひびいた。
 ナーシェルたちが顔をむけると、積雪にまぎれていた雪鬼たちが、もぞりもぞりとはい起きてきた。
「雪鬼だあぁ!」
 ナーシェルたちは恐怖にヒザがぬけて、こぞってしりもちをついてしまった。
「こいつら、こんなに残っていたのかっ」
 とネッチがわめいた。
「トラゾーじいさん、なんとかしてよっ」
 ナーシェルはワラにもすがる思いでさけんだが、
「し、しかし、あやつらなんでも凍らせてしまうし……」
 さきほど刀をこおらされたばかりのトラゾーは、気乗りがしない。
 あらわれた雪鬼たちは、もはやかぞえることもできなかった。無数の雪鬼が、あたりを
うめつくしている……。
「どうしよう……」
 ミッチとネッチが互いに顔をみあわせた、そのときである。

「ホホッ、ホッホホ」
「ホッホ、ホッホ」
 と、陽気な声がきこえてきた。
 かとおもうと、雪鬼たちの後から後から、チビでそのうえ小太りの、チマチマしたやつらがやってきた。
 みじかい手足で、雪をかきわけ、いっしょうけんめいこちらに来ようとしている。その姿にあんまり愛敬があるので、ナーシェルはついふきだしてしまった。
 全身を毛におおわれていて、どんな寒さもはねのけてしまいそうだ。現に、あたまのスカーフ以外服をきていない。
 色は茶色に黒とさまざま。赤いスカーフを頭にまいて、手にはみじかい棒をもっている。
 くりくりしたかわいい目に、ちっちゃな口。頭のてっぺんには丸い耳がついていて、ナーシェルよりずっとちいさい。コロコロと、まるまった生きものだった。
「キウイ族じゃっ」
 トラゾーが、目をみはってみんなに教えた。
「キウイ族? きいたことないな」
 ふうせん男爵が、はて、と首をかしげた。
「最北にすんどる種族でな、あのとおり寒さにつよいんじゃ。雪鬼にもやられんかったらしいわい」
 なるほど、キウイ族は雪鬼につよいらしく、かれらがあらわれたとたん、雪鬼たちは悲鳴を上げて逃げちってしまった。
「おそれをなしたか」
 自分が追いはらったわけでもないのに、トラゾーはじまんげに肩をそびやかせてヒポトンクリスを鞘におさめた。
 キウイ族は、えいこらえいこら、深い雪に難儀しながらこちらにやってくる。
 はまった穴からとびでるような歩き方で、それを二十回ほどくりかえすと、ナーシェルたちの前に立っていた。
 体力は旺盛なようで、あれだけうごいて息ひとつ乱れていない。
「ホッホッ、ホッホッ、ホッホッホッ」と、例のあかるい声でさかんに申したてている。それを、「ふむふむ」と、トラゾーがあいづちをうちながら、耳をかたむけ聞いている。
「わかるの?」
 ナーシェルがきくと、
「わしは、ここの住人なんじゃぞ」ばかにするなと言わんばかりにやりかえし、「雪と氷
の国の住人たちは、じぶんたち以外はみんな雪鬼たちにこおらされてしまった。はやくと
かしてしまわないと、たいへんなことになる、といっておる」
 通訳した。
 ナーシェルたちは、雪鬼たちがこおらせた人間を、キャンディーにすると言っていたのを思いだした。
「ホーホッホッホッ」
「あんたらはまだ大丈夫なようだから、なんとかしてやってほしい、といっておる」
 ナーシェルたちは互いの顔に目をやった。
「もし、あたたかくなったとしたら、みんなはもとに戻るのかな?」
 ナーシェルが少しかがんでたずねると、
「ホウ、ホウ」
「もどるそうじゃっ」
 トラゾーが明るい顔でふりかえった。
「よかった。石炭がもどって国があたたかくなれば、雪鬼も住んでたところにもどるしかないよ」
 ネッチが安心したようにナーシェルにいった。
 キウイたちは棒でナーシェルをさした。
「ホーホホ。ホッホッ」
「おまえはなんで子供なのか、と聞いておる」
 トラゾーもこの質問はめんくらったらしい。みょうな顔で通訳した。
「わからない。どういうわけか、ぼくは子供なんだ」
 キウイたちは、顔をみあわせホーホー言い、わかったというようにうなずいた。ネッチとミッチは、ここにはナーシェルのほかにはひとりも子供がいなかったことを思い出した。
 そのとき、横に目をやったネッチは、ドードー鳥がたおれていることに気がついた。
「ナーシェルっ」
「あっ、ドードー」
 ナーシェルがおどろいてドードー鳥のかたわらにひざまずいた。
 ドードー鳥はくるしげな息をはいて、舌をダランとたらしている。
「ドードー、ドードー。しっかりしてっ」ナーシェルはらんぼうにドードー鳥の体をゆさぶった。ドードーはまぶたを閉じている。
「あっ、すごい熱だ」
 ひたいにふれた手が、ひどく熱かった。
 ネッチとミッチが、どういうことかとたずねると、
「ドードー鳥は、もともとあたたかい国の生き物なんだ。雪と氷の国の寒さにやられてしまったらしい」
 と、ふうせん男爵が説明した。
 おなじようにドードー鳥をのぞきこんでいたキウイたちが、「ホホッ、ホーホホ、ホッホッホッ」といっせいにまくしたてる。
「ふむふむ」トラゾーはしばらくウンウンうなずいていたが、やがて、「どうやら医者がおるらしいぞ」とふりかえった。
「そのひとに見せればドードーはなおる?」
 ナーシェルがきくと、キウイたちは大きくうなずいた。これは期待してもよさそうだ。
「この先にキウイのキャンプがあるそうじゃ」
 トラゾーが話している間にも、キウイたちはワラワラと群れて、ドードー鳥をかかえ上げた。
 黒と白の毛なみのキウイが、ナーシェルの手をひっぱって、「ホッホッホッ」と歩きだした。
「気にいられたようだね、ナーシェルは」
 ネッチがうれしそうにいうと、ミッチはふんと満足気に鼻をならした。

 キウイたちに連れられたナーシェルたちは、こおった森や川を横切り、やがてなだらか
な丘陵地帯にでた。
 ナーシェルの手をひいたキウイがたちどまり、下をホッホッとゆびさした。
 雪をかぶった雑木林がひろがっているだけで、なにもないように見える。みんなはよわってトラゾーの顔をあおいだ。
「ホーホホホ」
「ふーん。地面に穴をほった住居があるといっとるな」
 トラゾーが感心したように言った。たしかに地下の住居というのはあたたかそうだ。
「ホホッ」
「ホホッ」
 どこかへ消えていたキウイたちが、おおきな布を頭上にかかげて戻ってきた。
「ま、まさか、それですべり降りるのか」
 ネッチがおどろいたようにたずねると、キウイたちは楽しそうにうなずいた。
「みんないっしょに乗ってかっ」
 またうなずく。
「冗談じゃない!」
 シングルハットが、ナーシェルの胸もとでわめいた。
「わたしは、えんりょするよ。このとおり図体がでかいし」
「じゃあ、ころがっていくんだな」
 しり込みする男爵の背中を、ミッチは無情にけとばしてやった。
 ふうせん男爵は、丘を雪玉のようになってころげていった。
「うわあああああああっ」
 ふうせん男爵の悲鳴が、雪原にしみわたる。
 男爵はたっぷりころがったあと、木にぶつかってようやく停止した。
「わしらも行こう」
 トラゾーは大刀を鞘ごと腰からぬくと、キウイが敷いた布のうえに、ドシリと腰をおろした。
「やっはっはっ」
 ミッチがもみ手をしながら後につづいた。
「こういうことは好きなんだもんなー」
 ネッチが呆れ果てながらもとなりにすわる。
「ほんとにやるのー」
 しぶるナーシェルも、キウイたちに急かされてはしかたがない。
「大丈夫だ、ナーシェル。おいらがついてる」
「うん……」
 シングルハットなどあまり頼りにはならないのだが、ナーシェルはとりあえずうなずいた。
 キウイたちがそのまわりにすわって、足をオールがわりにして布をこぎはじめた。
 ナーシェルは首をのばして行く手をのぞきみた。丘はずいぶん急にみえる。下からふうせん男爵が手をふってよこした。
 ネッチとナーシェルはドキドキしたが、元来こういうことが好きなミッチとトラゾーは胸を躍らせているようだ。
「ホホ」
「ホッホ」
 キウイたちが最後のひと押しをすると、ナーシェルたちをのせたスノーボードは滑降をはじめた。
 最初のうちはやけにのんびりしていたが、徐々に速度を上げていく。
 ナーシェルははじめはこれなら大丈夫だとおもったが、スノーボードはしだいに早くなり、やがては弾丸のような速さになった。
「うわああ!」
「ひえおーい!」
 布はときおり右に左にぶれながら、一直線に下降していく。
 デコボコがあるたびにはねるのだが、そこはキウイたちがうまくバランスをとって、けっしてころばない。そのことがわかると、ナーシェルはだんだんと楽しくなってきた。スノーボードはドードー鳥よりはやくて、ずっとスリルがあった。風が顔にあたってはじけていく。左右の景色がドンドンながれ、前方の森がグングンせまる。
 ふところから顔を出しているシングルハットは、「おー、おー、おーっ」とばかり言っている。
「すごいやっ」
 ナーシェルはすっかり有頂天になって、自分もキウイたちに合わせてバランスをとった。そのため、スノーボードはますますはやくなる。
「うわっ、はははははっ」とよろこんでいたネッチだが、下に雪の壁があるのをみて不審におもった。「ね、ねえ、ミッチ。あれはなにかな?」
 ミッチもネッチの言うほうに視線をくれた。トラゾーも気づいたようで、三人はいちどきにあおくなった。
「あ、あれをつかって止まる気かっ?」
「方向をかえろおー!」
 かわったりしない。
 ナーシェルたちを乗せた雪滑り号は、雪の壁に激突した。
 上にのっていたキウイとナーシェルたちは、豪快にふっとばされて、降りつもった雪につっこんだ。
 ナーシェルたちは全身をうってうなっているが、キウイたちはキャッキャッとよろこんでいる。
「ねぇ、いつもこんなふうに止まるの?」
 ナーシェルがきくと、そのとおりだとそばのキウイがうなずいた。
 派手に飛んだところで、毛におおわれているキウイたちは、ケガなんてしないのだろう。
 はしゃいでいる姿が、いかにも楽しげで、怒る気もうせてしまった。
「ミッチもころがった方がよかったんじゃないのか?」
 ミッチにけりおとされたふうせん男爵が、意地わるそうに尋ねてきた。
「次からはそうするよ!」
 とミッチはどなった。

 キウイたちの住みかは、そこからすこしばかり離れたところにあった。
 なかに雪がはいらないように工夫をこらした穴があって、そこを降りると横穴がつづいていた。
 ナーシェルたちは、ドードー鳥を木板にのせて下におろした。
「ホッホッホッ」
 なかにいたキウイたちが手伝ってくれる。
 トラゾーが、「キウイ族の住みかは、雪と氷の国中に縦横無尽にのびていて、そこら中に入り口がある。じゃから、入り口をひとつさえ知っていれば、どのキウイにも会えるんじゃ」とおしえてくれた。
 洞穴は天井がひくく、ふうせん男爵は体をちいさくせねばはいれなかった。
 もっとも、こどものナーシェルにはちょうどよく、ネッチとミッチは腰をかがめておけば問題ない。いちばん苦労したのが、トラゾーだった。
 通路はゆるやかな傾斜がついていて、しだいに下にさがっていく。そこをぬけると、広間に出た。
 大人二人分の高さが悠にあり、トラゾーたちはぐっと腰をのばすことができた。
 奥行もあり、他に四つほどの通路が見える。さすがに地下はあたたかだった。
「ようやく来たね。まっていたよ」
 奥からしゃがれた声がひびいてきた。キウイたちの住みかで、ちゃんとした言葉がきけるとは思っていなかったので、ナーシェルたちはびっくりした。
 進みでてきたのはまっ白なキウイである。女性で、かなりの高齢らしかった。
 そのキウイは、
「あたしゃマチルダだ。よろしくな」
 といった。
「あなたはしゃべれるんですか?」
 ネッチが疑問を口にすると、マチルダばあさんは、
「当然だよ。あたしゃキウイのなかでも長生きでね」
 とこたえた。
 ミッチたちは、これはもう、うっかりしたことはしゃべれないな、とおもった。
「いったい何才なんだ」
 ミッチがきくと、マチルダばあさんは目をむいて、
「女に年をたずねる奴があるか!」
 と、どなった。
「おばあさん、それよりドードーの病気をなおして」
 ナーシェルがマチルダの腕にとりすがった。
 マチルダは、わかっているというふうにうなずいて、木板のうえのドードー鳥にちかづいた。そして、
「これは霜降り病じゃな」
 マチルダばあさんはしばらくドードー鳥をジロジロみた後、ナーシェルたちにそう告げた。
「なおる?」
 泣きだしそうなナーシェルに、マチルダばあさんは安心しろという風にうなずいてみせた。
「ヒマシユを飲ませればすぐによくなるわい。さて、わしの部屋で話でもしようか。ドードー鳥のことは心配するな。この者たちに任せておけばよい」
 マチルダが言うと、まわりにいるキウイたちがにいっと笑った。

◇閑話休題

 面目ない。三度目ですが。
 ナーシェルたちはキウイ族に助けられ、雪と氷の城にたどり着くことができます。女王と対面する事になるのですが、この女王が大変怖い人で……。
 物語は、雪と氷の城にて、ミッチたちが女王の魔法に追いつめられるところから始まります。


 ネッチたちも必死に身をかわしながら、ツララをのりこえ先をいそいだ。
 女王が、すぐ後ろまでせまってくる。
「く、くそぉ、追いつかれるぅ」
 ネッチたちはひっしの形相でジタバタとツララにしがみつく。
 ばかでっかいツララが、ミッチの顔をかすめて壁につきささった。
「お、おわぁああっ」
 ネッチたちは足元の柱をのりこえると、いちもくさんに逃げていった。

 吹雪は静まるどころか、いっそうはげしさをまし、目もあけられない。
「もうダメだ。とうてい逃げられっこない」
 二階に着いたところで、ナーシェルたちはとうとう根を上げてしまった。
「ホ、ホッホッ」
 とマルが舌をだしている。
「あの部屋に逃げこもう」
 シングルハットがてまえの扉をゆびさした。
 ナーシェルをくわえたドードー鳥が、ドタドタとかけこむ。ネッチがふうせん男爵をひきずりこんで、扉をしめた。
 しばらくはものも言えずに、へたりこんで、乱れた息をととのえる。まだ元気なトラゾーが、男爵に空気をおくりこみはじめた。
「どぉこぉだぁ」
 扉ごしに、女王のくぐもった声が聞こえてくる。ナーシェルたちは文字どおりとび上がり、トラゾーはうごきを止めた。
 廊下から衣ズレの音がする。ナーシェルたちはたがいの口を手でおさえあって沈黙をまもった。
 音が、しだいにとおざかっていく。
「そうか、女王はさびしかったのか……」
 深々とタメ息をついてから、ネッチは思慮ぶかげにつぶやいた。
「そんなこと理由になるかっ。女王のせいで、そこら中の住人がめいわくしとるんだぞっ」
 ミッチが反論して、みんなの顔をみまわした。それもまちがいではない。
 しかし、ナーシェルは悲しげにうつむき、
「でも、ミッチ。ぼくらは大勢友だちがいるよ。なのに、女王はひとりぼっちで広いお城に住んでたんだ。すごくさびしかったとおもうんだ。ぼくだって、木の葉の国の女王に使者をたのまれたときは、すごく不安だった。でもやりとげられたのは、みんながいたからなんだ。こわくて逃げたかったけど、逃げずにすんだんだ」
 ナーシェルは、ながい言葉を憑かれたように一気にしゃべった。
 ここにいるみんなは、本当に孤独になったことがないから、女王の気持ちなんてわかりやしない、とナーシェルはいっている。それはみんなも同感だった。
「たしかに、わしも一人なら冒険なんてしないかもな」
 ミッチもやけにしんみりした声で同意した。
 しんとしはじめた空気をうちやぶるように、シングルハットが口を切った。
「おい、ちょっと待てっ。ここで女王に同情したって解決になんかならないぞ。女王はおいらたちを凍らせようと狙ってるんだからっ」
 すると、ネッチは大きくうなずき、
「そうだな。なんとかしなきゃ」
 とひざをたたいて、すらりと立った。
「なんとかするって、どうやるの?」
 不安そうにナーシェルがたずねた。
「マチルダばあさんは、からっぽが原因だっていってたな」
 ミッチがいうと、ネッチはさっと指をたてた。
「そうだっ。だから、からっぽをなんとかすればいい」
「しかし、そりゃ、どうやるんじゃ」
 トラゾーがポンプを押し押し問いかける。
 ナーシェルが明るい声をたてた。
「そうか、友達がいないからさびしいんだっ」
「そういってるんだよ、ナーシェル」
「ちがうよっ。だから友だちをつれてくればいいんだっ」
 ナーシェルの表情がだんだんとかがやきだす。しかし、ネッチたちは顔をしかめたままである。
「友だちって言っても、こんな寒いところに住める奴なん……て……」
 ミッチの視線はマルに釘づけになってしまった。
「そうだよ、マルなんだ。キウイ族なら、こんな寒さへっちゃらだよっ」
「そうかぁっ」
 ネッチがパチンと指をならした。
「しかし、キウイ族がうんというかな?」
 ミッチが小首をかしげると、ナーシェルが、
「マル、きみたちは女王さまと暮らしてくれる?」
「ホーホッホッ」
「たぶん、大丈夫だといっとる」
 トラゾーが手をやすめて通訳した。
「よし、さっそく、キウイ族を呼びに行こう」ネッチはきゅうに元気になって部屋を出ようとしたが、自分で自分のことばに疑問をもった。「どうやって呼びに行けばいいんだ?」
 ノブに手をかけふりむいた。
「そうか、外には雪の女王がいるし、とても呼びになんて行けないぞ」
 ミッチがよわって、うーんとうなった。
「女王に事情を説明しようか?」
「あの怒りっぷりを見たろう? 説明する前にこおらされてしまうよ」
「キウイ族のところまで逃げるか?」
「だめ。とても保たない」
 ネッチがつぎつぎ意見をはねのける。
「ぷう」
 このとき、もとに戻ったふうせん男爵が、ヨタヨタとおきあがった。
 みんなはバカみたいな顔をして、ふうせん男爵を凝視した。
「な、なんだよぉ」
 男爵がふとい体をちぢめて狼狽する。
 ミッチが顔を輝かせてわめいた。
「ふうせん男爵なら空を飛んで、女王に気づかれないうちに、キウイのところまで行けるぞっ」
「なるほど、その手があったか。行ってくれ、男爵っ」
 ネッチがつめよると、
「ぶおん、それはいいけど……」
 言葉につまる男爵を、ナーシェルが助けた。
「でも、男爵ひとりじゃことばが通じないよ」
 かといって、マルでは事情を説明できそうにない。
「わしがいっしょに行こう」
 トラゾーがノソリと立った。
「一人ぐらいなら大丈夫」
 と、ふうせん男爵は頼もしくうなずくのであった。

 男爵はおおきく息を吸いこみ、渾身をふくらませた。
 トラゾーがその背におぶさるように乗っかり、男爵はまるまった足をボテボテと窓まではこんでいった。
「それじゃあ、あとは頼んだぞ」
「おう、ナーシェルたちも見つかるなよ」
「わしらがもどるまでの間、持ちこたえるんじゃぞ、わかったな」
 その瞬間、ふうせん男爵とトラゾーは、城の窓からとびおりた。
 ナーシェルたちは、いっせいに窓にはしりよったが、ふうせん男爵はうまい具合にはらから着地して、ボヨンボヨンとはねながら、キウイたちのまっている入り口のあたりへ移動していった。
「だいじょうぶかな?」
 ミッチがしんぱいそうに、遠ざかるふうせん男爵を小手をかざしてながめた。
「むこうは大丈夫さ。危ないのはこっちだね」
 となりでシングルハットがぶつくさ言った。
「これからどうしようか」
 おなじように男爵のはねる姿を遠目にみながら、ナーシェル。
「そうだなぁ、しばらくはここにかくれていよう」
 ネッチがナーシェルの肩に手を置き答えた。
 そのときマルがなにか言ったが、ことばがわからないので、だれも気にもとめなかった。
「くえーくえー」
 ドードー鳥がさわいで、ようやくかれらは異常に気づいた。
「どうしたの、ドードー……」
 むきなおったナーシェルは、そのとたんに息を飲んでしまった。
 氷でできた壁に、女王の顔が、一面に大きくうつしだされている。信じられない光景だった。
 しかも、その目がギロリとこちらをにらんだではないか。
「あ……」
 一同は言葉もなかった。ノドがからからにかわいて、頭がジワジワと飽和してくる。
「じょ、女王だよね……」
「いかにも」
 ナーシェルはそばの二人にたずねたのだが、答えたのは雪と氷の女王であった。
 女王の巨大な顔が、だんだんと壁からせりだしてきた。ネッチたちは恐慌にかられた。
「逃げようっ」
 とびらに走って、がちゃがちゃやるが、いっかな開かない。
「なにやってんだ」
「開かないんだよっ」
「どけっ」
 ミッチがネッチをおしのけて、扉と格闘するが結果はおなじである。
 女王の顔は部屋の半分ほどまでせりだしてきて、横目でジロリと一行をにらんだ。
「クエー、クエー!」
 ドードー鳥がなきさけぶ。
 女王の目が赤くかがやいたかと思うと、またも雪が吹きつけてきた。しかも、今度のはすさまじい量で、ネッチたちはたちまち首まで埋もれてしまった。
「マルっ、マル、助けてくれ」
 ネッチがわれを忘れて救いをもとめると、マルは雪の下で、ちっちゃく杖を縦にふった。
「ホーホッ」
 すると、三人の手のなかに突然スコップがあらわれた。
「ほれほれ、ほーれいっ」
 かれらはふりつもる雪をスコップでかきわけ、出口をめざしてトンネルを掘った。
 部屋はすでに雪に埋もれてしまっている。ナーシェルのスコップが、ガツっとかたいものに突きあたって、ようやくとびらをさぐり当てた。
「やっぱり開かないよっ」
 ナーシェルがノブをまわして叫ぶと、マルが手にした杖でコンコンとノブをたたいた。
「まわったっ」
 ナーシェルが快哉を上げ、扉を押し開けた。
 ネッチたちは雪ごと表になだれでる。
「し、下に逃げよう」
 ミッチは立ち上がると、ネッチといっしょに、ナーシェルとマルをドードー鳥の背にのせた。
「女王がくるっ」
 シングルハットが金切り声を上げた。
 トンネルの奥から、等身大にもどった女王が、両手をかざして近づいてくる。
「うわあああっ」
 ネッチとミッチは、ドードー鳥を連れて、死に物狂いでかけだした。
 階段まで後少しというところで、ネッチとミッチの靴底から、マルのトゲトゲが消えた。
 あっ、とおもったときには、二人はスロープになった階段をころげおちていた。
「ああっ」ナーシェルがたづなをあやつって、階段の縁から下をみおろした。「ミッチ、
ネッチ!」
 ナーシェルの悲鳴が、耳の奥で鳴っている。二人はからみあいながら、痛みをこらえて立ち上がろうとした。
 まぶたをひらいたネッチは、自分たちの目の前に白い足があることに気がついた。
「まさか……」
 二人は同時につぶやいて、チラリと上に視線をあげた。
「やっぱり……」
 そこには、雪と氷の女王が立っていた。

◇    其の八 女王、かくのごとく笑う

 ナーシェルは階上から、階下の三人をながめおろしていた。
 ミッチとネッチのまえに、女王が仁王立ちしている。二人は氷ついたようにうごけないでいた。
 シングルハットが、
「まずいぞ……」
 とさしせまった表情でうめいた。
「女王、あなたはもうひとりじゃないよっ。これからあなたとともに暮らす友人がくるんだっ」
 ナーシェルが階下にむけて大声でさけんだ。
「うそを申せっ、そんな者が来るものかっ」
 女王はカミをふりみだして否定した。
 二人はこのすきに、スザとうしろにはいさがった。
「う、うそじゃないっ、ほんとにくるんだ」
「そ、そうなんだ。いま仲間が連れに行ってるっ」
「おのれ、まだ言うか!」怒りにもえる女王が、頭上に巨大なツララを出現させた。「串刺しにしてくれるっ」
「やめてぇ、おねがいだよ、女王!」
 ナーシェルがノドがひしゃげたような悲鳴を上げた。
「死ねぇっ」
 氷柱の鋭利なせんたんが、ふたりに向かって、まっしぐらに空をつきすすんだ。
 ネッチとミッチはたがいに抱き合い、かたく目をとじあった。
「ミッチ、ネッチ!」
 シングルハットが絶叫した。
 ナーシェルが顔をそむける。
 あわや、ふたりにつきささるかと思われた氷柱は、その寸前に微塵にくだけちった。
「なんじゃとっ」
 女王が目をみはった。すると、
「ホーホッホッ」
 ふりむくと、門のあたりでキウイ族がはねまわっていた。
 トラゾーとふうせん男爵が、キウイをひきつれこちらにやってくる。
 マチルダたちが力を合わせて女王の魔法をうちやぶったのである。
 ネッチとミッチはほっと気がぬけて、その瞬間バタリとねころがってしまった。
「な、なんじゃおぬしらっ」
 女王はおどろいて、ちかづいてくるキウイ族をにらみすえた。
 トラゾーとふうせん男爵がひたりと止まり、それに連れてキウイたちも立ち止まった。
 
「女王」
 その中から、まっ白なキウイがしずしずと出てきた。マチルダばあさんである。
「マチルダばあさん……」
 ネッチたちのところまで降りてきたナーシェルが、つぶやくようにその名を口にした。
「マチルダ……」
 と、女王も呆然とうめく。
「われら、キウイ一族、女王のお許しがあれば、終生をともにしとうござりまする」
「わらわと……」
 女王は凝然とかたまってしまった。
 マルはナーシェルの腕からおりて、女王のところへ歩いていくと、ぴょんとその胸にとびこんだ。
 女王は口をあっという形にして、マルを抱きとめた。
「そ、そなた」
 愛しげにマルを抱きしめる女王のまわりを、キウイ族がかこんだ。
「あなたはわれらが女王にござりまするゆえ」
 マチルダが深々と頭を下げた。
「そうか、わらわとともに暮らしてくれるのか」
 女王は花のように顔をかがやかせ、あつまったキウイたちを両手でかきいだいた。
「礼を、礼をいうぞ」
「なにを申される、この国は女王の物じゃ。よいのですぞ」
 トラゾーがサムライらしくきちんとしめた。
「そうか、そうであるか」
 女王は目尻に涙をにじませ、なんどもうなずいた。
「われらキウイは女王とともにあり!」
 マチルダが杖をふりあげ、高らかに宣言する。
 今や、城は集まったキウイ族にうめつくされている。キウイたちがいっせいに歓声を上げ、あたりをはねまわりはじめた。
「ふうせん男爵っ、トラゾーじいさんっ」
 六人はひとかたまりになって、互いの無事をよろこびあった。
「よかった、間に合ったようだな」
「間に合ってるもんかっ、わしは死ぬかとおもったんだぞっ」
 ミッチが手をふり上げて怒った。
「はっはっはっ、終わりよければすべてよしじゃよ」
 トラゾーが調子よく笑っている。そこへマチルダが杖をつきつつ歩いてきた。
「マチルダばあさんっ」
 とナーシェルがはしり寄ると、
「われらは寒さにつよい。任せておきなさい」
 とマチルダはたのもしい。
「女王さまぁ」
 ナーシェルがさわいでいる一同からはなれ、輪のなかにいる雪と氷の女王のもとへと走っていった。
「ふん、全部はきだしたらスッキリしたわい」女王はサバサバした表情でいった。「わらわはずっと友だちがほしかった。大勢の仲間とともに、暮らしてみたかったのじゃ」
「はじめからそういえばよかったのに」
 シングルハットがコソリと悪態をついた。
「うむ……最初から素直になっていれば、あんな思いはせずにすんだのやもしれん」
 女王は思いだすかのように上をあおいだ。
 いつのまにか、ナーシェルのうしろに立っていたネッチが、口をきいた。
「これからは、月にいちど晩餐会を開いて、みんなを招待するといいよ。ずっとここにいるのは無理だけど、一日ぐらいはなんともないんだし……ただし、その時は雪は降らせないといいよ」
 女王はトロンとした目でネッチを見つめた。
「おぬし、名前は?」ときいた。
「ネ、ネッチモンド……」
 異様なものを感じとりながらも、こたえるネッチ。
「伯爵だぞっ」
 と、シングルハットが自慢げにいった。
「おお、伯爵、それはすばらしいっ」と女王は顔を輝かせた。しかも、「そなたわらわの婿になってくれぃ」とネッチにせまったのである。
「う、うええっ?」
 ネッチは目玉がとびだすほどおどろいた。
 そりゃ今の女王は、さっきの鬼婆はどこかとおもうほどに美しい。しかし、ネッチにはつぎなる冒険が待っているのである。
「み、ミッチ、助けてくれぇ」
 と、なさけない声で助けをもとめた。
「助けないのか?」
 肩の上でシングルハットが問いかけた。
「ほうっておこう」
 ミッチはつめたく、相棒を見捨てるのであった。

◇ そして……

 雪と氷の城はとてもにぎやかになった。
 女王は、国民のために万年雪をやめることにし、ネッチの言うことを聞きいれ、毎月晩餐会をもよおすことにした。
 人々は女王の魔法でもとにもどった。これからは、雪と氷の国にも、月に一度くらいは太陽が顔をだす。その日は晩餐会がもよおされるのである。
 女王はブリキの国の石炭の氷をとかし、ここに、ナーシェルのながい旅は、おわったのであった。

◇   さようなら、不思議国

 ネッチたちはブリキの王からもらった石炭を、船が浮かばないほどつみこんだ。
 はじめて出会ったあの森で、ナーシェルとネッチたちはわかれることになった。
 木の葉の国は枯葉の危機からすくわれ、もとのおおらかでへいわな国にもどった。
 ながらく主人のかえりをまっていた虹の冒険号が、ぼぶんぼぶんとエントツから煙をはいている。
 森はいつものように静かで、鳥の声がヒューヒューきこえた。
「ネッチたちは、ずっと遠いところからきたんだね」
 冒険号をみあげながら、ナーシェルがいった。
 見送りは、ナーシェルとドードー鳥しかいない。
 トラゾーはナーシェルについて木の葉の国までやってきたが、いまはふうせん男爵とともに近衛隊長として木の葉の女王にやとわれている。
 ふたりとも見送りにきたがったのだが、あまり虹の冒険号を見られてはいけないので、ネッチたちは丁重にことわっておいた。
「ナーシェル、元気でな」
 元気者のシングルハットが、めずらしくまぶたをごしごしやっている。
「ほんとうに行っちゃうんだね」
 ナーシェルがさびしそうにうつむいた。
「なぁに、また来るさ」ミッチがなぐさめた。
「お前さんも元気でな、ドードー」
 ドードー鳥が、クエーとないた。
「今回の冒険は、とてもたのしかったよ。もちろんしょうしょうおっかないこともあったが」
 ネッチがおどけると、ナーシェルはすこし声を上げてわらった。
「なんでも途中でなげだしちゃだめなんだね。ぼく、一生懸命やってよかった」
 ナーシェルが満面に笑顔をうかべて語りだした。
「女王さまに頼まれてよかった。ネッチたちやいろんなひとたちに会えたんだもん。ぼくは永遠の子供だけど、いつかおとなになれるよね」
 ナーシェルがしあせそうな笑顔になった。
 ネッチがからかった。
「これは夢かもしれないよ」
「夢でもいいよ。ずっと忘れない」

 虹の冒険号は、ガタゴトといささか頼りなげにうかび上がって、しだいに高度をとりはじめた。
 冒険号の窓から、ネッチたちが手をふって、なにやらさかんに口をうごかしている。
 ナーシェルは走った。虹の冒険号が雲間に消え、やがて見えなくなっても、ナーシェルは走りつづけた。
 親友のドードー鳥が、ドタバタとその後をおいかけていく。
「わすれないからねー!」
 虹の冒険号の船底めがけてナーシェルは叫んだ。
 冒険号は梢にすいこまれ、やがて見えなくなった。

 木の葉の城では、女王やトラゾー、ふうせん男爵などが、窓から空をみあげている。
 虹の冒険号は、ボブンボブンとケムリをはきながら、雲間にすいこまれていった。そこにあらたに虹が生まれた。
 生きた木パンプットは、故郷の森で、ゆっくり目をとじ、たくさんの詩を吟味している。枯れはてていた枝には若葉がやどり、そのなかにはナーシェルたちの冒険譚も、千枚目としてくわえられた。
 国々は仲なおりをし、もとのように平和になった。
 ブリキの国は、もうサビの心配はなくなったし、花と草木のストーブは今日もげんきにケムリをはいている。
 雨水国には光がもどり、太陽と月の王は、今でもときどきはチェスをたのしんでいるようだ。
 木の葉の国の草木は、青々としげり、もとのうつくしい国にもどった。風になる草原を、ナーシェルをのせたドードー鳥がかけていく。
 雪と氷の女王は、それからはおおくの友人にかこまれ、心たのしく、暮らし、ましたと……さ。

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