其の二 生きている木、パンプットのなやみ
ドードー鳥はじつに足のはやい生き物だった。まわりの景色がざーざー後ろにながれていく。色と色がまざりあって、パレットの絵の具をあらいながしているようだった。
虹の冒険号よりはやそうだとミッチは思った。風のない森で、ドードー鳥は風になった。
ネッチは自満の帽子をとばされまいと、懸命になっている。
しばらく進むうち、ナーシェルは道をふさぐ大木に目をとめた。まわりの木とはまるでちがって、背もひくいし色もちがう。ただ、胴まわりだけはたっぷりあった。
たづなを引いて、ドードー鳥を急停止させる。
「どうしたんだい?」
ナーシェルの背中に鼻をぶつけたネッチが、なにごとかと顔をしかめて問いたずねた。
ドードー鳥はゆっくりと大木に近づいていく。
後ろのふたりも、道をふさぐ巨木に気がついたようだ。
枝振りはみごとだったが、ずいぶん葉が散っている。
ネッチたちが鞍から下りると、地面がガサリと音を立てた。落葉だった。この木だけが、枯れてしまっているのだ。
ナーシェルは、ふと老人の姿を連想してしまった。朽ちていく木というのは、年老いた人間に似ている。
「ジャマだなぁ」
ミッチが本当にジャマそうにいった。
「どかすのは無理だね。迂回しよう」
ネッチがその木をみあげながら付け足した。
道のまわりはデコボコで、起伏がはげしいが、歩いてならさけて通れないほどではない。
ナーシェルがうなずこうとした時だった。
「きみたち」
突然、それまでだまっていた木が口をきいたので、(本当はずっと黙っているものなのだけれど)ネッチたちはひっくりかえるほど仰天した。
樹皮の模様だとおもっていた部分がじょじょに開き、ふたつの眼とひとつの口になった。まんなかには、鼻のかわりか、枝が一本生えている。
そいつは、二三度まばたきすると、口をひらいて問いかけてきた。
「私の名はパンプット。きみたちは木の葉の城に行くのかね?」
「そうだけど」
ただ一人、おどろきもあわてもしないナーシェルが、パンプットの質問にこたえた。
「おい、この木はなんでしゃべるんだっ」
いちはやくショックから立ちなおったシングルハットが、ポケットから身をのりだしてわめいた。
「生きている草木はしゃべるよ」
ナーシェルは不思議そうな顔をして、シングルハットをみおろした。
ここでは、ただの樹木がしゃべっても不思議でもなんでもなく、あたり前の出来事なのである。そんなことを聞くシングルハットの方がまちがっていた。
「きみは本当にお城に行くのかい?」
パンプットは念をおすような口調できいた。
「これから女王さまに会いに行くんだ」
「そうか、きみがナーシェルかっ」
ナーシェルの返事にパンプットは快哉を上げた。あまりの声のおおきさに、答えたナーシェルの方がびっくりしてしまった。
「どうして、ぼくを知ってるの?」
ナーシェルが目をしばたかせると、
「きみは女王さまに呼ばれたんだろう?」
パンプットは返事のかわりにべつのことを聞いた。
「うん」ナーシェルはちいさくうなずいてから首をかしげた。「へんだなぁ。生きている草木は、もっと南にいるはずなのに……」
すると、パンプットはよく聞いてくれたと言いたげに、枝を揺らし、わずかにのこった葉をならした。
「そうなんだ、南ではたいへんなことが起こっているんだっ」
「大変なこと?」
ナーシェルたちは顔をみあわせた。
パンプットは大きくうなずきながら、目をみひらき、必死のうったえをはじめた。
「わたしの友だちや、森のみんなが枯れはじめたんだ。木も草も花もっ。見てくれ、このわたしの体を」
と、ふとった幹をふるわせた。
その体はあちこち痛み、頭の枝たちはほとんど葉を枯らしている。
パンプットは、もとは立派な青葉をはやしていたにちがいない。それが、今はどの枝も、それこそ小枝にいたるまで、きれいに肌をさらしている。中にはまったく葉がない奴もいた。
「ずいぶん葉がなくなってしまっているね」
ネッチが見たとおりのことを答えた。
ミッチはのこった木の葉をかぞえてみたが、どうしても三十枚ほどしかない。これは、パンプットにとっては死活問題である。
「その成れの果てがこれだよ」
と、パンプットは地面の落葉に目をやった。葉は、枯葉にかわりつつある。
「わたしは、九百九十九の葉っぱひとつひとつに、詩や物語をおぼえこませていた。それが今ではこれだけになってしまった」
パンプットは、のこった木の葉をふるわせ、かなしそうに目をとじた。
「南では、なぜきゅうに草や木が枯れだしたんだろう?」
ナーシェルが聞くと、パンプットはうす目をあけた。
「わからない。わたしはそれを確かめるために、城に行こうとしていたんだ。仲間を代表してね」
それは、パンプットが、九百九十九もの詩や物語を言えるからにちがいない。パンプットは、仲間の木や草のために、さまざまな物語を聞かせていたにちがいない。
かれは、偉大な木なのだ。
パンプットは、またつらそうに目をとじた。
「だが、もうだめだっ。ここまで来たのに、こんなに葉っぱが落ちてしまっては、うごくことも、詩を思いだすこともできない……」
おわりの方は、口端からもれた溜息のためにかすれてしまった。
パンプットはまた目をひらき、ナーシェルを見つめた。
「だが、わたしはきみに会うことができた。ナーシェル、わたしはきみに頼みたい。女王さまに会って、原因をたしかめてくれ。女王さまも、そのために君を呼んだんだ」
「ええっ?」ナーシェルは驚いて肩をすくめた。「ぼくなんかに出来るわけないよっ」
そういって、小さな体をもじもじさせている。
ナーシェルは、そんな大変なことになっているとは思っていなかった。自分は子供だから、女王さまの用事なんてたいしたことがないだろうと、かるい気持ちでここまでやってきたのだ。
「できるとも。だからこそ女王さまはきみを呼んだんだ」
パンプットはつよく、確信をこめた声でいった。
「でも、ぼく、そんなたいへんなことだなんて、知らなかった」
ナーシェルは今にも消えいりそうな声でこたえ、目に涙をにじませた。
「弱気になっちゃだめだナーシェル。がんばるんだ」
ネッチがいそいで応援した。
「おいらたちがついてってやるよ」
と、シングルハットも子供にはやさしいらしい。
「そうだとも、あっはっはっはっはっ」
ミッチが豪快にわらって幹をたたくと、葉がバラバラと落ちてきた。
「ワッワッ、枯れちゃうー」
パンプットが葉を落とすまいと、必死に体を折ったり伸ばしたりしている。
「ミッチ。きみは鬼かね」
とネッチは身も蓋もない。
(わざとじゃないのに……)
ミッチは木々を見上げた。
「ぼくが行かないとだめなの?」
ナーシェルは泣きだしそうな表情で、パンプットのおおきな体をみあげた。
パンプットはつらそうに、ナーシェルをみおろし、「残念だがきみしかいない。女王さまが呼んだのはきみなのだからね」といった。
「わかったよ。どうしてそんなことになったのか、きいてくる」
ナーシェルはそういうと、服の袖でまぶたにたまった涙をふいた。
「ありがとう、ナーシェル」
パンプットはうれしそうに笑みをうかべると、道のわきにのしのしと退いた。
「これこそ冒険だ」
「冒険だ」
ネッチとミッチは、冒険の予感に心をおどらせ、手をとりあって喜んでいる。
「それじゃあ、パンプット、元気でね。ぼくらが女王さまに会うまで、枯れたりしたらダメだよ」
ナーシェルたちはふたたびドードー鳥にのっかると、パンプットにわかれを告げ、木の葉の城をめざしてはしりだした。
「気をつけてなー」
砂煙の向こうで、パンプットが枝を腕がわりにふっている……。
そのころ、南の領域は、枯れの危機にひんしていた。