其の五 ふうせん男爵あらわる
「追いかけて取りもどそう!」
ようやく立ちなおったネッチが、燕尾服をきこんでさわぎだした。
ダンカンはどこかへ逃げてしまって、人垣も今ではなくなっている。
「でも、どうやって? もうトランプ兵はいないんだよ」
そこまで言うと、ナーシェルはとうとう泣きだしてしまった。
「ナーシェルっ」
「泣くな、ナーシェル。おいらがとりかえしてきてやる」
シングルハットが頭によじのぼってなぐさめるが、ナーシェルは泣きやまない。
「大丈夫だよ、ナーシェル。トランプ兵がいなくなっただけだ。まだわたしたちがついているじゃないかっ」
「そうだぞ、わしのこの金歯をみろ。大丈夫だろう」
なにが大丈夫なのかは分明ではないが、とにかくナーシェルは泣きやんだ。
「ネッチたちが……?」
しゃくりあげながら聞く。
「そのとおりだとも」ネッチは鼻高々にうなずき、「こまっている少年をたすける。これこそ冒険じゃないかっ」鼻息もあらくのたまわるのであった。
「ありがとう、みんな」
ナーシェルが、すこし笑って涙をぬぐったその時だ。
「やーい、やーい、泣き虫ナーシェル」
妙にハイテンションな声が、大通りにひびきわたった。
「なんだとっ、ナーシェルをバカにする奴はどこのどいつだっ」
ミッチたちはいろめきたったが、どこにもそれらしい影はない。
代わりに、
「ふうせん男爵だぁ!」
「物を盗られるぞぉ!」
道にいた人々が、口々にさけんで家に逃げこんでしまった。
ネッチたちがオロオロしている間に、周囲の家では窓に立て木し、戸をかたくふさいでしまった。
「なんだっ、なにが起こったんだ?」
まわりをみわたすと、道にのこっているのは自分たちだけである。
「あれを見てっ」
とナーシェルが空をゆびさした。
「あっ」
ネッチたちは同じように上をみあげて目をみはった。まるまると太ったふうせんのような男が、ふわふわと空をとんでいる。
「おどろいたな、ミッチ。あの男空をとんでるぞ」
「見ればわかるぞ」
ネッチたちが唖然としている間に、ふうせん男爵はふわりふわりと、風にゆられながらまい下りてきた。
ほおも手足もお腹も、びっちびちにふくらんでいる。これはまさにふうせんという他なく、シングルハットは感心してしまった。
「人間って、空がとべたんだ」
「おなかにガスでもはいってるんじゃないのか?」
とミッチが答えた。
「やいやいナーシェル。そんなことでよくも女王さまの使者がつとまるな!」
ふうせん男爵は、地面につくなりそうさけんだ。たいへんな大きさなのに、すこしも音をたてていない。ミッチのいうとおり、ほんとうにガスでも入っていそうだった。
「な、なんでそのことを?」
ナーシェルの問いかけはかんぜんに無視して、男爵はかってに話をすすめた。
「わたしはふうせん男爵だ。さぁおまえたちの大切なものを、ひとつずついただくぞ!」
「なんだってっ?」
ネッチたちはおどろいてナーシェルのふところを見た。
ふうせん男爵はみじかい腕をいっぱいにひろげ、うんうんうなりはじめた。
「やめろ、盗みはいけないことなんだぞっ」
「おまえはそれでも男爵かっ」
にじりよっくるふうせん男爵に、ネッチたちは口々にさけんだが、男爵はにやりと笑っただけだった。
そのうち、ネッチがはっと気づいた。
「腕を盗まれたっ」
見ると、ネッチの両腕がなくなっている。
「ぼくは耳だっ」
こんどは、耳のあったあたりを押さえて、ナーシェルがあっとさけんだ。ナーシェルの耳は消えてしまって、そこには穴がぽっかりあいているだけだった。
「わしはなんともないぞ」
不思議そうにしているミッチに、
「カミがなくなってるよ」
ナーシェルがおしえて上げた。
「なんでわしだけカミなんだ!」
「ほっといてもなくなったのに……」
「うるさいっ」
つぶやくネッチに、ミッチはわめいた。
「うわあん。オイラの大事な前歯がぁ」
シングルハットがいきなり泣き声を立てはじめた。見ると、シングルハットのみごとな前歯がなくなっている。
シングルハットはミッチのきたない服にしがみついて、泣きわめいた。
ネッチたちがおろおろしている間に、
「はーははは、どうだっ。つぎは封書をいただくぞ!」
ふうせん男爵が、ナーシェルの胸もとに手を伸ばしてきた。
ナーシェルはあわてて封書をかかえた。ふうせん男爵は、ナーシェルのちいさな体を覆うようにつつんで、封書をつかんだ。
「封書をよこせ!」
「はなせ、こいつっ。ぼくが女王さまから預かったんだぞ!」
ナーシェルは封書をひっぱりあいながら、男爵のぷよぷよした手にかみついた。
「いたー!」
ふうせん男爵が手をはなし、その拍子にナーシェルはしりもちをついた。
「くそっ」
ふうせん男爵はすばやく立ち上がると、倒れたままのナーシェルにおどりかかった。
「ナーシェル!」
ネッチたちが悲鳴を上げるうちに、ふうせん男爵はまんまと封書をうばってしまった。
「やったぞ」男爵は満面に不気味な笑みをうかべていばった。「どうだ、みたか、このふうせん男爵の力っ」
「こども相手にいばるな!」
ネッチがおこってわめいたが、
「ふはは、なんとでもいえ」
ふうせん男爵は大笑すると、駆けよるネッチたちの目の前で、ふわりと空にまい上がった。
「まて、ふうせん男爵!」
叫んでいる間も、ふうせん男爵の体はぐんぐん高く遠くなり、
「封書をかえして欲しかったら、わたしの屋敷までとりにこいっ」
そう言い残すと、風にのってふっと掻き消えてしまった。
「どうしよう、封書をとられちゃったっ」
ナーシェルがまた泣きそうな顔で言ってくる。
「大変だ。取り戻さなくてはっ」ネッチはすっかりとりみだしてきょろきょろしている。
「ふうせん男爵の屋敷はどこだっ」とわめいた。
「ふうせん男爵は町はずれの一軒家に住んでいるよ」
家から出てきた男が教えてくれた。
なんせ、ナーシェルはこの国唯一の子供だから、みんな心配なのだろう。ふうせん男爵が帰ったと知って、ぞろぞろとまわりに集まりはじめた。
「行こう、ナーシェル。ぐずぐずなんてしていられないぞっ」
「う、うん」
ナーシェルが(目に涙をためたままだが)、いきおいよく立ち上がった。
「封書を取り戻そうっ」
「おいらの前歯もだっ」
ミッチとシングルハットもやる気である。
もうトランプ兵どころではなくなっていた。
ナーシェルはドードー鳥に飛び乗ると、町外れにあるというふうせん男爵の屋敷をめざして駆け出した。