
あらすじ
ファイヤーボーイズ
○ 1
「文吾お。なんだこの申し送り書は!」
長谷野辺出張時の所長、高橋は、書類を大きく振って、文吾をどやしつけた。
「なんだよ、おやっさん。ちゃんと書いてるだろ」
「書きゃいいってもんじゃないんだよ。書きゃいいってもんじゃ。こんな汚い字で書き殴りやがって。おまけに何だこの文章は? むずかしいことを書けなんて、一言も言ってねえだろう」
文吾は、字の汚さまで攻められて口ごもった。
高橋の階級は消防指令で、若い頃は、ホースをもたせれば、市局一といわれた。渋みの訊いた小男だが、怒ったときの迫力は誰にも負けない。向こう見ずの文吾が、火事場よりおそれる唯一の男である。結婚して二児の父だが、この頃娘の結婚話もあって、妙に涙もろくなっている。苦労が絶えないせいか、白髪も増えた。
「申し送り書なんて。消防官は、火を消すのが仕事だろ」
「ばかやろう」と高橋はなぐった。「口答えばっかりしやがって。火事を未然に防ぐために、おれたちの仕事はあるんだろうが」
「まあまあ、おやっさん。そのぐらいにしといてやれよ」
宮田がとりなすように言う。キャリア三十年のベテラン消防官で、高橋との付き合いももっとも古くなった。酸いも甘いも知り尽くした、よき理解者である。自慢のひげは、火事場で焦がして剃ったばかりだ。所員の中でも、ずいぶんな古株となったが、体はまだまだ新品のつもりでいる。
「なあ、文吾。申し送り書だって、立派な仕事なんだよ」
「でもさ、一番重要なのは、やっぱり火を消すことでしょ」
高橋は、まだ言ってやがるのか、という目つきだ。
「消火よりも、防災だよ」
「お前ももう成人したんだ。書き物ができなきゃ、りっぱな消防官じゃねえ」
と高橋が口を出した。
「わかってますよ」
と文吾は口ごもった。
出張所は、ちょうど一部と二部の交代の時間である。仲間の視線が痛かった。
「文吾。いいか、出張所では、ともかくなあ、現場では……」
「上官の言うことに絶対服従。わかってますよ。これでも、消防学校でてんだから」
「どうだかなあ、このやろうめ」
と高橋はため息をつき、宮田は肩をすくめた。

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