ファイヤーボーイズ

ファイヤーボーイズ

あらすじ

 消防官の文吾は、異様な火災現場に遭遇する。火種もないのに、超高温にかした部屋。黒ずみと化した両親。
 そんななかで、汗ひとつかかずに立ち尽くす三歳の幼児。少年は両親に虐待を受け、ファイヤースターターの能力を開花させていた。
 文吾の目の前で、高橋は消防服の内側で生身を焼かれるという悲惨な死に方をしてしまう。文吾たち現場にいた消防官は、少年の力を疑うが、上司らは誰も信用しない。事件は未解決のまま、少年は親戚の家に引き取られる。
 文吾たちは少年の身元で事件が起きはしないかと注意を払うのだが。 そんな中、第二の火災という最悪の事態が勃発してしまう。 文吾たちは廃校で少年と対峙する。トランス状態と化した少年は、文吾らにも耳をかさず、攻撃をしかけてくる。消防官対ファイアースターターの戦いがはじまる。

ファイヤーボーイズ

○   1

「文吾お。なんだこの申し送り書は!」
 長谷野辺出張時の所長、高橋は、書類を大きく振って、文吾をどやしつけた。
「なんだよ、おやっさん。ちゃんと書いてるだろ」
「書きゃいいってもんじゃないんだよ。書きゃいいってもんじゃ。こんな汚い字で書き殴りやがって。おまけに何だこの文章は? むずかしいことを書けなんて、一言も言ってねえだろう」
 文吾は、字の汚さまで攻められて口ごもった。
 高橋の階級は消防指令で、若い頃は、ホースをもたせれば、市局一といわれた。渋みの訊いた小男だが、怒ったときの迫力は誰にも負けない。向こう見ずの文吾が、火事場よりおそれる唯一の男である。結婚して二児の父だが、この頃娘の結婚話もあって、妙に涙もろくなっている。苦労が絶えないせいか、白髪も増えた。
「申し送り書なんて。消防官は、火を消すのが仕事だろ」
「ばかやろう」と高橋はなぐった。「口答えばっかりしやがって。火事を未然に防ぐために、おれたちの仕事はあるんだろうが」
「まあまあ、おやっさん。そのぐらいにしといてやれよ」
 宮田がとりなすように言う。キャリア三十年のベテラン消防官で、高橋との付き合いももっとも古くなった。酸いも甘いも知り尽くした、よき理解者である。自慢のひげは、火事場で焦がして剃ったばかりだ。所員の中でも、ずいぶんな古株となったが、体はまだまだ新品のつもりでいる。
「なあ、文吾。申し送り書だって、立派な仕事なんだよ」
「でもさ、一番重要なのは、やっぱり火を消すことでしょ」
 高橋は、まだ言ってやがるのか、という目つきだ。
「消火よりも、防災だよ」
「お前ももう成人したんだ。書き物ができなきゃ、りっぱな消防官じゃねえ」
 と高橋が口を出した。
「わかってますよ」
 と文吾は口ごもった。
 出張所は、ちょうど一部と二部の交代の時間である。仲間の視線が痛かった。
「文吾。いいか、出張所では、ともかくなあ、現場では……」
「上官の言うことに絶対服従。わかってますよ。これでも、消防学校でてんだから」
「どうだかなあ、このやろうめ」
 と高橋はため息をつき、宮田は肩をすくめた。

 望月文吾が、長谷野辺出張所に配属になって一年になる。文吾はふてくされた顔で、持ち場のデスクに大きな体を沈める。両隣には、同僚の駒野俊一と小池雅俊がいる。
 駒野は男前だが、きまじめすぎて女にもてない。三人の中では、ゆいいつ大学を出ている。そのくせ消防官になった辺り、じっとしていられない性格らしい。見た目どおりの秀才で、酔うと議論をふっかけては、バカの文吾とけんかになる。
 小池は三人の中ではもっとも小柄だが、話がうまく、しゃれもので一番もてる。実家が資産家だが、消防官になった変わり種である。彼がしゃれ者なのは、実家の経済状況と関連があるようだ。
 二人に比べると、文吾はもっとも直情径行で、何にでも熱くなっては失敗している。涙もろくて、義理には厚く、そのせいか誰彼となく、世話をやいてもらって、得をしている。がたいが大きく、骨格もしっかりとして、態度のでかさは、市局一。周囲には、スーパーヒーローを目指すバカと思われている。出張所の問題児だが、高橋が大物の見込みあり、と目をかけているのが、この文吾である。よくよく考えずに行動するのが玉に瑕だが、ひらめきにすぐれたタイプで、いざというときは、意外に役に立つ男だ。反面、自分の考えを言葉にするのが苦手で、だから、書類の作成も苦手だ。猫に目がない。
 駒野は文吾より二つ年上で、小池は一つ上になる。三人は年が近いこともあって、なかなかに馬があった。
「おまえ、なにをふててるんだよ」
 小池がささやく。
「だってよ、せっかく消防官になったのに、まともな現場にでてないんだぜ」
「火事を待ってどうすんだよ」
 小池はあきれ顔だ。二人とも、文吾とちがって冷静な男だ。
「現場がおれを待ってるんだよ」
「ハイハイ、お前はスーパーヒーローだよ」
 と駒野は言った。文吾の一つ話を、知っているのだ。

 消防は命をさらす仕事と言うこともあって、横のつながりが深い。高橋たちは、三人の親代わりのような心持ちでいる。それだけに、つい口うるさくもなる。
 高橋は、デスクの三人を見ながら、長いつきあいになる。宮田にぼやいた。
「あいつはどうしようもねえなあ。あのばかを見てるとやきもきする。あのやろう、いつか、現場でひどいめにあうぞ」
「行動力のある男ですからね」と宮田はおっとりしている。「先日の火事も、立派に消し止めましたよ」
「小火じゃあなあ」高橋は嘆息した。少しまじめな顔になる。「あいつ、ほんとにひどい火事場には、まだ出たことがなかったな」
「一度経験すりゃ、やつもおとなしくなりますよ」
「あまりしおらしくなられても困るぜ」高橋は宮田との話を切り上げ、「文吾お、今度学校に、防災指導に回るからよ、そのときはしゃんとしろよ」
「わかってますよ」
 文吾の言葉が終わらぬうちに、出場のサイレンが、所内に響いた。スピーカーが火災指令をがなりたてる。
『第一出場指令! 現場は、高知町、5ー1ー6! 出場隊、長谷野辺1!』
「高知町か」
 駒野が立ち上がった。所轄のなかでも、かなり近い。
 文吾は訓練かと疑った。高橋がそんな考えを、否定するかのように怒鳴った。
「文吾! 来やがったぞ、用意しろお」
「お、おう」

○   2

 防火服を着込み、ポンプ車で現場に向かう間も、無線が現場の様子を伝えてきた。通報では、出火はアパートの二階。家族が取り残されている模様、という。
『火元は、世田谷アパートの203号室! 斉藤孝夫宅! 現場には、家族が居残っている模様! 妻と、五歳になる息子が現場に取り残されている!』
 高橋たちは、的確な無線連絡を、頭にたたき込む。「うちの所轄の現場(げんじょう)だ。俺たちで消し止めるぞ!」
 後部座席で文吾は、早くも防火メットをかぶり、高鳴る心臓をおさえていた。高橋からは、どんな現場でも、平常心をたもてと言われてきたからだ。現場で、セオリーを守れないやつは、大けがをするぞ、と。
 セオリーを守れないやつは、セオリーを忘れるやつだ。
(へ、わかってるよ。)
 文吾は、高橋の言葉を思い出しながら、胸をどんと拳でたたいた。心臓が大丈夫だよ、と答え返したかのようだった。

 現着すると、アパートの周囲では、周辺住民が、火元の部屋を指さして叫んでいる。
 古ぼけたアパートで、空き部屋も目立った。外塀も半ば崩れている。窓枠に干されたワイシャツが、うらさびしくゆらめく。
 高橋たちは、火事場だというのに、風を冷たく感じた。太陽が隠れ、大気が雨気をはらんでいる。
 高橋は住民から、火元の様子を聞き出しながら、5名の部下に次々と指示を飛ばしている。
「消火栓に吸管をつなげ!」
 高橋のそばに、宮田が近づいた。
「おやっさん、おかしいぜ」
 二人は火元を見上げる。
「現場の部屋から、火が見えねえ」
 高橋の言うとおりだった。
「煙もほとんどあがってない。小火ですか?」
「ならなんで、住民が出てこない?」
 そのとき、窓の中央でぱっと火の玉があがった。火種もない空中に、ライターのように燃え上がり、すぐに消えてしまった。
(こんな現象、見たことがないぞ。)
 だが、火勢自体は、強くなさそうだ。
 高橋は、こっちを、ちらちらと見ている文吾を呼びつけた。
「お前が、筒先をもて! 二人で現場に乗り込むぞ!」
 文吾の顔に赤みがさした。彼は言った。
「お、おう」
 文吾は、ボンベや面体、装備一式を装着した。全部で10キロばかりになる。ずっしりと負荷がかかる。が、命を救う重みだ。
 機械班で中堅消防官の遠藤が、行ってこいとばかりに、背をたたいた。
 文吾は筒先を受け取り、トランシーバーのマイクをさぐる。ポンプ車に残る駒野と小池に向かって、うなずいた。

 文吾と高橋は、ホース車をからからと引きながら、アパートの外階段にまわりこんだ。そこからも火は見えない。その場にいた住民が、右から三番目の部屋だ、と文吾に言う。
 階段をのぼる。鉄の階段にふれたホースがジュージューと音をたてる。手すりまでもが熱を放っているように見えた。文吾は、住民たちが、なぜ逃げ遅れた一家を助けに向かわないかわかった。熱くて防火服なしでは、現場に近づけないのだ。
「おやっさん。変だよ、この現場」
「怖いか?」
 面体の後ろで、高橋は静かに訊いた。
 その落ち着いた目を見ていると、文吾は、あせりが、腹の底から、すーっと引いた。
 高橋は、口は悪いが、面度見のいい男だ。口には出さないが、若い所員をかわいがっている。文吾のぼやきを聞いて、現場にふみこむ機会を与えてくれているのだ。
「こ、怖くねえ。大丈夫だ」
 高橋は頼もしげに肩をたたいた。
「その意気だ。踏み込むぞ」
「おお」

 文吾は、重いホースを力任せに引きずった。火元の部屋にたどりつく。
 ノブに手をかけようとする文吾の腕を押さえて、高橋が言う。
「待て。火が消えたのは、中の酸素を食い尽くしたからかもしれん」
 文吾はうなずいた。扉を開けば、炎は酸素をもとめて吹き出してくる。炎が爆発したように空気を求めて広がっていく。バックドラフトという現象だ。バックドラフトはふせぎようがない。
「俺が開ける。扉から離れてろ」
 言われるまでもない。
 心臓がどうしようもなく、高鳴る。まるで、体中が心臓になったみたいだ。喉元から内蔵が出てきそうだ。
(怖くなんかねえ、おれはスーパーヒーローだ。)
「文吾」
 高橋が声をかける。文吾は、マスクの中で、自分の目玉が大きくなっているのがわかる。どうしようもなく怖かった。
 火事場だからじゃない。いやな予感がする。
 高橋が笑いかけた。
「落ち着けよ。スーパーヒーロー」
「お、おお」
 高橋は力強く扉を開けた。吹き出して来たのは、炎ではなく熱気だった。百戦錬磨の高橋が、身を引くほどだ。高橋は無線マイクに向かって怒鳴った。
「こちら高橋。現場に到着した。これから中に踏み込む。合図をまって水をくれ。――文吾、面体着装。放水の準備だ。踏み込むぞ」
 文吾は、酸素マスクの音を聞きながら、小さくうなずいた。のどがからからだ。

 屋内に踏み込んだとたんに、途方もない熱気が二人をつつんだ。部屋は、サウナ以上の熱が渦をまいている。防火服の中で、体が冷気を求めてうめきをあげる。マスクをしているから無事だが、まともに空気を吸ったら、のどがやける。
 高橋は中に踏み込むのをためらった。これほど異常な熱気を発しているのに、火が見えない。
「行こう、おやっさん」
「ああ、わかってる」
 二人はさらに、すすんだ。アパートは古い木造で狭い。入ってすぐが台所になっている。炊飯器のボタン光が、やけに明るい。狭い部屋に、レンジやガス台がギュウ詰めにされている。三段のカラーボックスには、新聞や雑誌が無造作につっこまれている。入り口は火種にみちている。燃え広がるのはあっという間だろう。
 しめきっていない蛇口から、水滴が垂れ、ジュッと音を立てて蒸発する。文吾は息をのんだ。熱を帯びて縮んだ肌が、身動きをするだけで、きしみをあげる。
(こんな熱じゃあ、要救助者が、生きてるはずがない……。)
 文吾はそんな考えを振り払うかのように首を振る。メットの中で汗がダラダラと吹き出しているのに、すぐさま蒸発する様子が、見えるかのように感じられる。
 高橋が文吾の肩に手を置き、足を止めた。
 暗い室内の中央で、誰かが立っている。
「おい、大丈夫か?」
 影が小さい。無線報告にあった、斉藤孝夫の一人息子だろう。
 文吾は、妙だな、と思った。年頃の少年にしては痩せすぎている。病的といってもいい。
 少年は、高橋の言葉にも聞こえなかったように立ちつくしている。うつむき、顔はかげで見えない。
「おやっさん」
 文吾が高橋の肩をつかんだ。指が、熱を帯びた肌に食い込み、高橋は顔をしかめた。
(これほどの熱なのに、あんな子供がなぜ無事なんだ?)
「あ、あれ……」
 高橋は文吾が指さす先をみた。
 幼児の足下に、真っ黒にこげた人形がころがっている。それが人だと気がついたとき、高橋は息をのんだ。なんども火事場で見てきたものに、似ていた。
(消し炭だ。あの子の親が炭にかわってやがる。ろくに火もねえのに、なんで……)
 だが、高橋の胸に去来したのは、少年に対する同情だった。あの子は、目の前で親が焼け死ぬのを見ているのだ。
 少年の眼前で火が上がった。
「文吾お。火だあ。消し止めろお」
 そのとき、少年が顔を上げ、こちらをむいた。文吾が、息をのむような速さだった。
 高橋は、きれいにパンチをもらったボクサーのように、突然両膝を落とした。
「う、うああ」
 高橋が畳に転がり、手足を大の字に広げ、苦しみだす。
「お、おやっさん」
 防火服の隙間から、煙と肉の焼けるにおいが立ち上る。
(燃えてる。おやっさんの体が? 火点もなにもないのにっ)
 文吾の脳裏から、火事場のことも要救助者のこともふきとんだ。防火服の中が燃えるという異常事態に、なんの疑念も浮かばない。
(大変だ! おやっさんが焼け死んじまう!)
 文吾は無線マイクをつかむと怒鳴った。
「水くれえ! 放水開始だ! バルブを開けろお」
 文吾の手は忙しく、筒先をひねる。水量を最小限にしぼることしか頭になかった。
 文吾が手をこまねいているうちに、防火服のすきまから火が噴き出してきた。文吾は筒先を片手に、大あわてで高橋の体をたたき始めた。自分が見ているものが信じられなかった。
 文吾は筒先に目を落とした。腹の奥底、ほんのわすが冷静な部分が、
(人に向けるのか?)
 とささやいた。
 ぐずぐずしているひまはない。文吾は防火服の下に水を入れるために、高橋の体をひっくりかえした。
「うお……」
 マスクの下に、高橋の顔はなかった。火があった。高橋の目玉が、ぱちんぱちんとはじける。体内の水分が、音をたてて、蒸気に変わる。
 ぺちゃんこのホースがぼこぼことふくらむ。文吾の心は、平常心とはほど遠かったが、それでも、体は放水にそなえて、かまえをとった。
 ホースの先から、水が噴き出し、文吾は、ありがてぇ、と快哉をあげた。命の水が、防火服の上をすべりおちる。文吾は、防火服の胸元を開くと、そこにホースの水をつっこんだ。
「おやっさん、返事をしてくれ! 死んじゃだめだ!」
 高橋はもう、呻き声すら上げない。ぴくりとも動かない。
 文吾は放水を続けながら、マイクに呼びかける。
「誰か来てくれ! 助けてくれ!」
「文吾! どうした! おやっさんを無線にだせ!」
「おやっさんが火事だ! 現場に来てくれよ! おやっさんが死んじまう!」
 文吾の放水で、高橋の火は、ジュージューと音をたてて消えていく。文吾は振り向いた。少年はその間も、異様ともいえる熱心さで高橋を見つめ続けている。
 文吾の背筋に、ぞくり、と寒気が走る。
 こいつ、なんて目で、おやっさんをみるんだ。
「何をしてるんだ! 歩けるんなら、外に出ろ!」
 少年が、その目を、文吾に向けた。
 文吾の視界に、少年の開いた瞳孔が、巨大にふくらみながらせまってきた。心臓にちりりっとした痛みを感じる、彼は夢中で転がる。
 ホースから手が離れ、筒先がまるで生き物のように部屋をのたうちまわる。文吾は腰を抜かしてへたりこんだ。
 さきほどまで自分がいた空間に、巨大な炎が浮かび上がっていた。
 文吾は、横目に火の玉を見、黒こげになったおやっさんを見た。居場所を変えたことで、部屋の奥が見えた。少年の足下に黒こげの死体が二つある。
 ここから見る部屋はひどい惨状だ。テレビは、原子爆弾を食らったかのように、溶けて固まっている。部屋の壁も崩れ落ちていた。文吾は、少年が、この異常な現場で、汗一つかいていないことに気がついた。
「お、おまえが……」
 火の玉は、少年が見つめている間、ぶるぶると震えながら宙にういていた。
 文吾の胸の奥で、するどい痛みが走る。
 玄関先から、防火靴が階段をたたく音が聞こえる。
「く、来るなあ! きちゃだめだ!」
 駒野、小池、宮田の三人が、熱気をものともせずにふみこんできた。
「文吾お! どこだあ!」
「来ちゃだめだって!」
 文吾は夢中で暴れる筒先を拾おうとした。もう何もかも信じられなかった。自分の胸に走る痛みも、高橋の死も。信じられるのは筒先だけだ。
(放水だ。火を消すんだ。)
 駒野、小池、宮田は、倒れている高橋と、その枕元で、筒先を拾う文吾を呆然とみた。
「文吾お!」
 温厚な宮田が、聞いたこともない怒声で、高橋の首を抱き上げた。
 高橋のマスクがとけている。顔がない。宮田の手の中で、高橋の体はグズグズと崩れた。
「ああ、うそだ! おやっさん、返事をしてくれ!」
 今度のけぞったのは、宮田だった。後方に倒れ込むと、胸元をかきむしる。
 駒野と小池は、暴れる宮田の手足をとり、落ち着けようとする。
 文吾は自分も胸を押さえた。
(まただ、あれが起こりやがった。)
「やめろ! このやろう!」
 少年の目が、三度、向いた。文吾の腰骨を恐怖がつらぬく。
(火がつく。俺に、火がつく)
 文吾は夢中で突進した。後方で、文吾を追うかのように、次々と、火の玉がおどる。
「うわあ!」
 文吾はフットボーラーのように、少年の体にくみついた。ぞっとするほど、冷たかった。
 文吾は少年といっしょに吹っ飛んだ。少年の頭が柱に激突する。少年の体から、ぐにゃりと力が抜け、床にくずおれた。
 文吾は、少年の胸ぐらをつかむと、憎しみをこめて拳を振り上げた。
「文吾! やめろお!」
(こいつが、こいつが殺したんだ……!)
 だが、目の前にいるのは、血を流して弱々しくうなだれる少年だった。気絶して、意識をなくしている。
(ほんとに、こいつがやったのか? ほんとにそんなことが、あるのか?)
 駒野、小池が息をのんで見守る中、文吾はやっとの思いで手を下ろした。
「要救助者、一名確保……」
 文吾のつぶやきが、狭い室内にむなしく響いた。

○   3

 呆然と、部屋に立ちつくす一同の耳に、サイレンの音が新たに響く。遠藤の呼んだ、応援隊と救急車が到着したのだ。
「おやっさん……」
 文吾は、倒れたままの高橋に近づく。面体に手を伸ばすと、宮田が腕をつかむ。
「文吾。お前は見るな」
「でも……あれはおやっさんだ」
「もうちがうんだよ……おやっさんには、さわるな」
 宮田の言うとおりだった。人型の固まりがそこにはあった。
「生きてるかも……」
 宮田は首を振った。
「気持ちはわかるがな……」
 宮田は血をはき、言葉につまる。
 文吾たちは、宮田の枕頭にあつまったが、
「もういい。お前たち、あの子を連れて、外に出ろ」
 宮田は疲れたように首を落とした。
 文吾は高橋の生死を確かめたかった。彼の心はふるえた。消防官としての知識が、あんなふうに燃えて、生きているはずがないと告げていた。だが、同時に、あんなふうに燃えるはずがない、と知ってもいたのだ。
「それは親父さんなのか?」
 と、小池は言った。二人とも、自分が見ているものが、信じられない様子だった。
 文吾が高橋の手をとると、まるで、泥細工のように、防火服の中で腕が崩れた。文吾は悲鳴を上げて、へたりこんだ。
「もういいだろう。おやじさんをそっとしといてやれ」
 宮田が言った。宮田は泣いていた。高橋とのつきあいがもっとも長かったのが、彼だ。
「でもよ……」
「ばかやろう。はやく、要救助者を助けてやれ」
 文吾はまだ抗弁しそうになった。彼には、その要救助者が、高橋に火をつけたようにしか思えなかった。
(おやっさんだけじゃねえ、おれだってやられそうになったんだぞ。)
「宮さん、立てないのか?」
「俺のことはいい。残火処理に当たれ」
 部屋は燃えたというよりも、破壊されたというほうが合っていた。テレビが溶け、壁がハンマーの一撃をうけたように砕けている。焦げ目がある他は、火のあった形跡がない。
 部屋にある死体は、一つではなかった。完全に炭とかした遺体の他に、女のものと思われる腕が残っていたからだ。体があったと思われる部分には、人型の焦げ目が残っている。
 文吾たちは、無言で少年を見下ろした。駒野が少年の体に手をさしいれると、ひどく体が熱い。汗をかいているようだった。呼吸も荒い。駒野が抱えるうちに少年は震えだし、泡をふきはじめた。舌をかむかもしれない。小池が少年の口に布をつっこんだ。
 次に、文吾たちは、抵抗する宮田の防火服を脱がせた。内出血を起こしているのか、腹が真っ赤だ。頑固者で、我慢強い宮田が、脂汗をかいている。
 無線がガーガーと音をたてた。
「宮さん。遠藤です。応援の第二小隊と救急が到着しました。中の様子はどうなっとります」
 宮田は気力をふりしぼり、マイクを手に取る。
「こちら宮田。要救助者を、一名確保した。犠牲者は、三名の模様。火はない」
 ない、としかいいようがない。
「要救助者を確保したのに、犠牲が三名とはなんです? 家族以外に人がいたんですか?」
 宮田は別のことを言った。「担架がいる。第二小隊をもって、残火処理に当たらせてくれ。文吾たち三名は、帰署させる」
「おやっさんは? 高橋消防指令はどうしとります?」
 宮田は歯を食いしばった。「高橋消防指令は、犠牲になった。俺は動けない」
 遠藤は無言だ。宮田がマイクをもった腕を落とすと、部屋は急に静かになった。
 外の廊下に足音がした。長谷野辺消防の第二小隊と、たんかを抱えた救急隊員が姿をみせた。彼らは、部屋の惨状と、人肉のこげついたにおいにうめきをあげた。
 生身の体を内部から燃やされるという激痛に耐えながら、宮田は若い隊員に指示を出し、少年を連れ出させると、そのまま意識を失った。

○   4

 一同が病院につくと、宮田の手術はすでにはじまっている。文吾たちが出てきた看護婦に聞き出すと、開腹が必要となる大手術のようだった。文吾は、宮田の妻や子供の顔が見られなかった。
 高橋の家族も来ていたが、遺体には会わさないことに決めたようだ。
 文吾たちは、長椅子にすわり、手術がおわるのをまちかまえた。
 市局長の二宮が駆けつけた。非番だった二部の消防官も、病院にやってきた。彼らは、現場で何があったのかを、文吾たちから聞き出した。
 文吾は現場についたあとの出来事を詳しく語った。少年が振り向いた瞬間に、高橋の体が防火服の下で燃えだしたこと。その目が自分に向いたとたんに、胸に痛みが走り、空中には火がともった。
 二宮たちは唖然として、話に聞き入った。
「君たちが、気が動転しているのは、わかるが、自分の言っていることがわかっているのか? それでは、まるで……」
 二宮は言葉に詰まった。
「だけど、斉藤夫婦と思われる死体は、完全に消し炭になっていましたよ」と遠藤が言った。「鑑識に聞いたんですが、骨ものこっていないそうです。それに、妻と思われる遺体ですが、腕を残して、残りは燃え尽きてなくなったとしか思えない」
「誰かが、腕を切り落として連れ去ったんだろう。警察は殺人の線でも、捜査を進めていると報告があった」
「でも、部屋の壁に、人の燃えた跡がありましたよ」と文吾が言った。
 二宮はいらいらと、背中を向けた。
「そんな報告はあげられない。火だねもないのに、火がついたりするか。防火服の中だけが燃えることもない。あの子供が火をつけたみたいな言い方はやめろ!」
「そうは言ってませんよ」と小池が言った。「ただ俺たちは見たんだ。たしかに、空中に火がついたし、それに、防火服の中が燃えたのは……」
 小池はつばを飲んだ。
 一同は黙り込んだ。
「なにか説明のつくことがあるのかも」と駒野はつぶやいた。「あの部屋の温度は異常だった。防火服の中でなにか化学反応をおこしたのかも」
 文吾たちは疑わしげに駒野をみた。彼らは消防官だけに、火事や火災事故に関する知識が一般人よりある。人体が、骨ものこさず、炭にかわるような高熱の炎などは、考えられない。それならば、人体だけが燃えて、なぜあの部屋が燃えなかったのか、その説明がつかなかった。
「君らは、なにかるあの五歳にもならん少年が、念力発火かなにかをやったとでもいうつもりかね」二宮は言った。「信頼する所長が目の前で死んで、動揺しているのはわかるが……」
「防火服の中が燃えたんですよ。いっしょにいた自分には火がつかなかったのに……」
「もういい」と二宮は言った。「児童福祉局から連絡があった。あの斉藤哲朗という少年は、福祉局に保護されたことが一度ならずあったそうだ。君たちは両親から虐待をうけていた五歳の子供を、このうえ放火犯として報告するつもりか。それが良識ある消防官のいうことか。マスコミにはかっこうの餌だぞ。まともな消防官の言ったこととはとても思えん。いまの話は聞かなかったことにする」
「市局長、彼らだって、そんな話を信じてるわけじゃない……」大野がとりなすように言ったが、
「三人とも三日間の謹慎をもうしつける。プレスにあっても、なにもしゃべるな。その間に頭を冷やすんだ」
 二宮は湯気をたてて去ってしまった。
 沈黙のおちた廊下で、時間だけが過ぎていった。

 文吾は、屋上にのぼった。
 欠けた月が、照っている。空の半分ほどに、雲がある。
 宮田の手術は、まだ終わらない。
 文吾は金網のそばまで行った。風が強かった。高橋のことが思い起こされてならなかった。ふいに、泣けた。
「おやっさん、ごめんよお」
 文吾の声を風が吹き払った。文吾は、自分の声に、高橋が死んだことをようやく受け入れた。
「一人前になるまで、生きててくれりゃあよかったのに」
 月が高橋の顔に見えてきた。
「おやっさんのために、なにかしてやりゃあ、よかった。ごめんよお」
 文吾は手すりをつかみ、膝を落とすと、よよ、と泣き崩れた。

○   5

 高橋の葬儀は、三日後に執り行われた。多くの消防官と、報道関係者が集まっていた。病院での会話が、あちこちに伝わっているのか、文吾たちは注目のまとになった。
 遺体のない葬儀で、満足な別れもできなかった。
 葬儀の後、文吾は、小池、駒野といっしょに河原に向かった。何度も放水訓練をおこなった場所である。
 いい天気だが、テニスコートにも、サッカー場にも人がない。
 文吾たちは土手にすわり、しばらく黙ったままでいた。宮田は、脊髄を損傷し、下半身不随だそうだ。
 駒野が、「謹慎も終わりだな」とつぶやいた。「補充員が来るらしいぜ。所長には大野さんがなるってよ」
「哲朗って子は、どうなるんだろうな?」
 小池が訊いた。
「火災現場もずいぶん調べたみたいだけど、結局火の出た理由はわかんないらしいぜ」
「殺人じゃなかったのか?」
「鑑識のしようがないんだと。遺体が、もう、灰に近い状態だったし、骨まで燃えてたろ? 警察はまだ疑ってるみたいだけどな」
 小池の口調は、どこか人ごとのようになっていた。
「文吾、まだ疑ってんのか?」
「わかんねえよ。なんで、おやっさんが死んだのか、でも、おれは、あのガキの目が忘れられないんだよな」
 駒野は、念力発火について、いろいろと調べたようだった。消防官なだけに、もともと、そうした現象に興味があった。だが、しょせんは映画や小説の出来事で、現実のこととは思えなかった。数日たった今では、信じることすら、難しい……。
「現場についたとき、あの子の様子はたしかに尋常じゃなかったんだ。でも、念力で火がついたなんて話、しらふじゃ考えらんねえよな」
「ファイアースターターか。スティーブン・キングの小説じゃないんだ」
 駒野は自分の言葉を、バカにするようにつぶやいた。
 だが、三人ともが、腑に落ちないのは確かだ。知識や理性が、念力発火を否定しているのに、状況証拠だけは、やまと残っているのである。
 小池が言った。「もし、だぞ。もし、可能性として、あの子にそんなことができたとするよな。その場合、事件はまた起こると思うか?」
 三人は顔を見合わせた。
「ばからしい。お前、そんなこと言ってると、そのうち懲戒免職くうぞ」
 文吾が言うと、二人は首をすくめた。
「なんで、よりによって。おやっさんが死んじまったんだろうな」
 文吾はわざと明るく言ったのだが、声がしけって、いけなかった。
 駒野が立ち上がった。
「おい。宮田さんに会いに行こうぜ。もう面会できるかもよ」

○   6

 宮田は病室にいた。家族は幸いに、外出をしていない。消防官たちがもちよった見舞いの品が、部屋のあちこちにあふれている。宮田は、入ってきた若いのをみて、いやになつかしそうにほほえんだ。そんな表情の一つ一つがいじらしく、文吾たちは、宮田の引退を悲しんだ。力なく横たわる姿をみて、ああ、もう動けないんだな、と悟った。
 文吾たちは、宮田になら、思う存分、自分たちの考えを話すことができた。宮田なら、そんな幼稚な考えですら笑わないだろうし、なによりも宮田自身が大けがを負っているのだ。
「市局長が悩んでたぞ。お前らを怒鳴って悪かったってよ」
「もう怒ってないんですか」
「怒っちゃいない。でもな、おやっさんが死んで動転したのは、二宮さんだっておんなじなんだよ」宮田が腹を撫でていった。「俺の体、腹の中が焼けてたらしい。公表はできないんだが……」
 宮田は意味ありげに三人をみた。しゃべるな、と言っているのだ。
「消防官二〇年やって、こんなこと、はじめてだ。だけどな、お前らの言うとおりだったとしたら、気をつけろ」
「やっぱりあの子が……」
「おやっさんなら、敵をうてなんていわねえよ。あれが、誰かの放火にしろ、あの子がつけたにしろ、助けてやれっていうはずだ」
「もし、放火犯がいるんなら、あの子がねらわれるってことですか?」
 宮田はうなずいた。「あの子は犯人をみたかもしれない」
 文吾たちは顔を見合わせた。そんなふうには誰も考えてこなかったのだ。
 文吾だけはそんな宮田の考えを否定した。あのときの哲朗の目を見た。宮田とておなじだ。そんな文吾の気持ちを読み取ったかのように、宮田はうなずいた。
 文吾は言った。「目が合ったとき、あいつは意識がないみたいだった。そうでなきゃ、五歳のガキにあんな目つきは無理ですよ」
「あの子はいま、親戚の家にいる」宮田は言った。「これは公表されていないことだ。二宮さんがおれにだけ話したんだ。上本町にいる」
「管轄外ですね」
「お前らのそばじゃ、あの子も不安だろう」
 と宮田は笑った。
 宮田は窓の外を見た。やがて振り向いた。
「文吾、お前、あの子をはってろ。お前らだから、あの子の居場所を話すんだ。忘れるな、あの子は要救助者なんだ。想像どおりだとしたら、また事件は起こるぞ」

○   7

 文吾は、口には出さないが、宮さんはあの子を疑っていると思った。文吾にとっては心強いことだった。
 三人は仕事に復帰し、平常通り、仕事や訓練をこなした。斉藤哲朗がいるはずの、本町には、たえず火災が起こらないか注意をむけていた。管轄外だが、いつ第二出場指令がかかるかわからない(出場指令のかかる消防署は、火災の規模に応じてふえる)。
 文吾は、たえまなく悪夢にうなされた。夢にみるのは、哲朗の目だった。五歳の子供ににらまれて、生身を焼かれる様は、夢とわかっていても恐ろしい。文吾は火事が起こらないことを願い続けた。彼らは、火災警報のたびに、一喜一憂することになる。
 そして、一ヶ月後、事件は起きた。

○   8

 火災指令は、当初第一出場だった。じきに、第二出場指令がかかった。文吾は、防火服を装着しながら、駒野、小池をそばによんだ。自分たちが、出場のときに火災が起きたのは、むしろ幸いだ。
「でもよ、文吾。あんときは、ほとんど火が出てなかったろ。第二出場がかかるほど燃えてるってことは、前とはちがうんじゃねえかな」
「でも、火がついたのは、あいつのいる家だ」
 ポンプ車が現着すると、出火宅は、ごうごうたる炎に包まれ、燃え尽きようとしていた。応援隊がつぎつぎと到着し、ホースの数がふえていくが、火勢は強くなるばかりだった。

 三時間後に、火は消し止められた。木造の二階家屋は、なかば焼け落ちている。文吾たちは、哲朗がこの中にいたとしても、もはや生きてはいまいとあきらめていた。なにかすっきりしない気持ちがした。
 全焼した家屋から出てきたのは、大人の遺体だけだった。残火処理にあたった消防官たちは、屋内にいたはずの哲朗少年を捜索したが、遺体は見つからなかった。
 すぐさま、周辺住民の聞き込みがはじまった。外出していて、火に巻き込まれなかったのならいい。だが、文吾たちは別の可能性を考えていた。
 哲朗は、火災現場にいた。火がついたあとに、現場を離れたのだ。
 文吾は、酸素ボンベの残圧を確かめた。まだ十分にある。
 彼は、駒野と小池に言った。
「俺たちだけでいくぞ。装備をとくなよ」
 文吾たちは、仲間の目を盗んで、消防車に隠しておいた消化器を持ち出した。
「文吾、ほんとに行くのか?」
 小池が言った。持ち場放棄は重大な違反行為だ。
「みんな、哲朗のこと探してるだろ? おれたちが行ったって変じゃねえよ」
「そうじゃねえよ。おまえ、ほんとにあの子が火をつけたって思ってるのか?」
 文吾は黙った。彼らの部署は、家屋での残火処理である。第二小隊の他のものは、中で、放水を続けている。
「あの子がやったんじゃないんなら、それが一番いいよ。でも、お前、絶対ないっていえるか? あの子のいる家で、立て続けに火事があったんだぞ」
 駒野たちはうなずいた。
「前回はあの子が気絶した。でも、今回は、あの状態のまま、ふらついてる可能性があるんだ」
(もし、哲朗が、なんの装備も持っていない、一般住民と接触したら?)
 三人は、最悪の事態を想像して、息をのんだ。
 彼らは、逃げ出すように、現場を離れる。重い装備を背負ったまま、哲朗の姿を探し歩いた。
 文吾たちの想像は当たった。哲朗は、道のあちこちに痕跡を残していた。住宅の壁や、道の土手に焼けこげた痕があった。彼らは、もしや、黒こげの死体に行き当たりはしないかと、びくびくしながら、跡をたどった。
 住宅は減り、田畑が多くなった。文吾たちの目に、三年前に廃校となった長谷野辺小学校がとまった。辺りには人家も少なく、よりいっそうの廃墟に見えた。誰も手入れしていない校庭を砂埃が舞い、あらゆる音を吸い込んでいる。
 校庭の門が、開いていた。
「おい、見ろよ」
 二階の教室の一角に、火の玉があがり、小さな人影も見えた。文吾は腰にはさんだトランシーバーのマイクに呼びかける。
「長谷野辺1、こちら望月。火災現場に現着した。火点が見える。応援をたのむ」
 応答はなかった。
「遠藤さん、ガキをみつけた。校舎に火がついてるかもしれない。ポンプ車をまわしてくれ」
 トランシーバーが雑音をひろう。
「だめだ。届かない。俺たちだけで行くぞ」
「冗談だろ。応援をよばねえのかよ」駒野が振り向いた。
「見失ったらどうするんだ。あいつは、みさかないなく火をつけるんだぞ」
 まさにその通りだ。哲朗は、世話になった親戚すら殺した。
「あいつの親戚は、虐待なんかやってない。あいつは、無意識でも火をつけるんだ。トランス状態ってやつだ」
 駒野は無言で、文吾を見つめていた。やがて消化器を抱え直すと、校舎に向かって歩き始めた。
「お前も、この一ヶ月調べてたんだな。でも、忘れんなよ。おれたちはふつうの消防官なんだ。超能力者の専門家じゃない」

 一同が、運動場をよこぎる間も、校舎からは、哲朗が放ったと思われる火点が、一度ならず見えた。文吾は振り向いた。本町の方角からは、まだ煙があがっている。焼け跡に転がった死体や、ベッドに寝たきりの宮田、防火服を着たまま炭になった高橋のことを思った。彼は怖くてふるえている。膝に力が入らない。
(ちくしょう、ほんとは、あんなとこに行きたかねえよ。)
 マスクをもつ手が震えた。なんとか口もとにあてがう。冷たい酸素を吸い込んだ。
「面体着装……」
 無意識につぶやく。重い装備も、今は心許ない。
「あいつが火をつける瞬間はわからないのか?」駒野が訊いた。
「見られたらまずいと思った方がいい。いいか、チリッときたら逃げろ。あいつの火は追ってこない」
 文吾が、校舎につづく扉を開けようとすると、鍵のあった部分が溶けているのがわかった。文吾はその扉を、そっと開く。校舎から熱風が吹き出し、屋内で影が揺らめいた。まるで熱帯の砂漠にいるかのようだ。
(あのときと、おなじだ……)
 三人は、消化器のピンを抜いた。つばをのんで、屋内にふみこんだ。
「あ、熱い……」
 校舎全体の温度があがっているかのようだ。
(どんな熱量があったら、こんな温度になるんだよ……)
 柱に温度計が残されている。赤い筋が、ガラス管をふりきっている。
 文吾はのどをしめらせたかったが、舌の根までカラカラだ。
 ふるえるブーツが廊下に音をたてる。
「廃校に入ってくれて、助かったぜ」小池は強がったが、声がふるえている。「燃え種が少ないぞ。鉄筋なら、燃えにくいはずだ」
「あいつ、よく家出してたんだってよ。この校舎にも、来たことあるのかもな」
 駒野がつぶやく。彼らは、暗い階段をゆっくりとのぼる。空気が、濃密だ。体がだるい。緊張のあまり、逆に筋肉が弛緩している。文吾の目に涙がにじんだ。胃袋の中身を戻しそうだ。
(消防官になって、なんどもチビリそうなことがあったけど、こんなに怖かったことはねえ。)
 彼の頭脳は、危険信号を最大デシベルで発している。引き返せ。全身の肌が、細胞が、冷や汗をにじませ叫んでいる。恐怖の分泌物が、もれだして、文吾の脳を支配する。
 踊り場に出る。上を見上げる。誰かが待ちかまえているような気がしたが、誰もいなかった。彼らは、横一列になり、消化器のホースを前方に向けて、階段を進んでいく。一度火がついたら、こんなものが役に立たないことはわかっていた。あいつの炎は、体の中につくのだ。大切なのは、絶対にくらわないことだ。
 階段がとぎれた。三人はじりじりと廊下をすすみ、壁際から、教室へと続く、通路をのぞいた。
 二階の廊下には、これまで以上の熱気が渦をまいている。三番目の教室だ。と文吾はつぶやいた。二人には聞こえなかったようだ。
 文吾は、以前に駒野がつぶやいた言葉が、なぜか頭をかけめぐった。
 ファイアー、スターター。

○   9

 彼らは身を低くして、最初の教室のドアを開けた。
 あいつは移動しているかもしれない。
 文吾は、扉の上にかかった札をみる。一年A組。
(あいつだって、将来は、小学校に通うかもしれないんだよな。)
 文吾は、自分でも、こんなときに妙なことを考えるなあ、と思った。ここにはいなかった。
 駒野が手を挙げて、前方に指をふる。いけ、の合図だ。
 文吾は覚悟をきめて、次の教室を目指した。
 校舎には、自分たち以外は無人のようだが、残念ながら、机のたぐいは撤去されておらず、教室の後ろに固めてある。こいつを燃やされたらことだぞ、と文吾はつばをのもうとした。ポンプ車の援護が欲しかった。それに、熱い。ここは熱くてたまらない……。
 二つめの教室もいない。
 三人が確認して、先を急ごうとしたとき、C組の教室が開き、哲朗が姿を現した。
 文吾たちは悲鳴を上げて、消化器の筒先を振り上げた。小池は、自分の胸元に異様な熱の固まりを感じた。
(チリリッときたら、逃げろっ)
 小池は夢中で後ろに飛んだ。その瞬間、胸元で、火の球がふくれあがり、小池の体を吹き飛ばした。
「あ、あぢぃ」
 小池は、廊下にもんどりうって転がる。背中のボンベが、乾いた金属音を立てた。
「小池え!」
 文吾があわてて、駆け寄ると、防火服が、溶けている。
「あ、熱い。焼けるう」
「動くな」
 二人は、小池の防火服を脱がしにかかる。体に、火がとどかなかったのは、幸いだ。火の玉は、空中に出現してすぐに消えた。
 防火マスクまで脱いだ小池は、熱風に咳き込んだ。
「ばか、面体を外すな!」
 文吾が急いで、マスクを装着させる。
「肺が、焼ける……」と小池は恐ろしいことをつぶやく。
 三人は胸元が溶けた防火服をみおろす。
「おい。防火服って、1800度の熱でも、15秒は持つって習わなかったか?」
 駒野は、そいつが溶けるって、どんな温度だよ、とつぶやいた。
「防火服だって、燃えないわけじゃない。十分な温度さえあれば、煉瓦だって、なんだって燃えるんだ」
 文吾は自分に言い聞かそうとしたが、頼りにはならなかった。そんな炎が存在すること自体、信じがたかった。
 廊下をかえりみる。哲朗の姿がない。
「あいつがいない。隠れたんだ」
 文吾はむしろほっとした。今、攻撃をうけていたら、おしまいだったはずだ。
 二人は、小池を見た。彼には、もう、防火服すらない。
「お前、外に出てろよ」
 文吾は心にもないことを言った。
「えっ?」
「防火服がないんだぞ。あいつが火をつけたら、どうする?」
「防火服の、意味なんかあんのか?」
 小池は立ち上がった。ふいに駒野は気がついた。自分たちは火消しの専門家だが、ファイアースターターについてはろくすっぽ知っちゃいないのだ。
「よし、小池、俺たちのサポートをしてくれ。あいつをとっつかまえて、正気にもどすんだ」
 駒野が文吾を止めた。「どうやってだよ」
「知らねえよ。気絶でも、なんでもいいから、あいつをとめろ」
 廊下の奥で、教室の扉が、吹き飛んだ。
「いるぞ」
 駒野は言ったが、体が動かないようだった。小池が、消化器の縁で、窓をたたき割った。風が吹き込み、三人はほっと息をついた。
「こちとらファイアーファイターだ……。ファイアースターターなんか怖くねえぞ」
 文吾は、強がる。だけど、怖い。怖くて、足が出なかった。
(ちくしょう、おやっさん。助けてくれ。)
 宮田は、高橋の仇はとるな、と言った。あいつを助けてやれ、と。哲朗を助ければ、せめて弔いのかわりになるんだろうか? 文吾にはわからない。
 文吾は、意を決して、足を踏み出した。彼らは、教室に向かって、踏み出していった。

 文吾が扉を開くと、哲朗は待ちかまえるように、こちらを見ている。あわてて身をかわすと、文吾の頭があった場所に、炎が炸裂した。
 文吾の頭が振動で震えた。幸い、その教室には、教壇のたぐいがない。机も撤去され、広々している。
「やめろ、坊主。おまえ、おれらとやりあう気か?」
 と文吾は呼ばわった。次の攻撃が来た。哲朗の目が迫った瞬間に、文吾は、首をすくめてそれを交わした。教室に転げいった。
 駒野が後を追おうとした瞬間、彼の体に火がついた。駒野が絶叫をあげて転げ回る。小池はあわてて消化液を拭きかけた。
「駒野お!」
 文吾は助けに走ろうとしたが、背後の視線に振り向いた。胸元に焼け付くような痛みが走る。文吾は脇に身をかわした。逃げ遅れた肘が燃え上がった。まるで、肘が火点になったみたいだ。
「うああ」
 文吾は、尻餅をついた。肘がもげたと思った。右手でさわると、まだ肘はある。炎が出現した瞬間に、腕を抜いたおかげで助かった。だが、左腕は、もう動かない。消化器が扱えない。
 文吾は、転がったまま、哲朗を見上げた。視線があった。尿道が、ゆるむのを感じる。
「も、もう」つばを飲む。「もうやめろ。もう十分だろ」
 駒野たちが見守っている。哲朗は無言で、文吾を見返す。そこに、意志は感じない。強烈な怒りだけがある。
「お前が、虐待されて、つらかったのは、わかるけどよ。もう、殺さなくても、いいだろ」
 消化器が、音をたてて破裂した。鉄の筒が、天井まで跳ね上がり、蛍光灯を砕いて、落下する。木製の床を砕いて、転がった。蛍光灯の破片が、遅れて降ってきた。
 温度が上がった。
 文吾は、むかっ腹が立った。哲朗を虐待した親にも腹が立った。高橋が死んだことにも、腹が立った。駒野や小池が傷ついたことにも。
「火ぃつけられりゃあ、いてえんだよ。お前の親戚も、おやっさんだって、お前を助けようとしたんだぞ」
 文吾は、マスクを外し、哲朗に歩み寄った。熱波がおそってきたが、彼を外れて、天井に突き刺さる。コンクリートがガラガラとふってきた。
「ちくしょう、俺だって、お前を助けようとしてんだぞ」
 また、背後で黒板に火がついた。駒野たちが、やめろ、文吾、と叫んでいる。
 のどが、顔が、焼けそうだ。
 文吾は、哲朗の足下にひざまずいた。小さな体を力任せにだきすくめた。
「そんなにしんじらんねえなら、俺の心を読んでみろ。ファイアースターターなら、できんだろうが」
 文吾は、もう死ぬと思った。高橋とおなじになるんだ。せっかく消防官になったのに、いっしょうけんめい、やってきたのに、もう死ぬんだ。
「ちくしょう、おっかねえ」文吾は哲朗の体を抱きながら、ガタガタとふるえる。「おやっさん、助けてくれ。助けてくれよお……」
 文吾は自分が震えていたので、しばらくその変化に気づかなかった。ふるえていたのは、哲朗の体だった。しゃくり声を上げながら、泣いている。
「ごめんなさい」と彼は言った。
 文吾が体を離すと、辺りの熱気が薄くなっている。呆然と哲朗を見た。目の前で哲朗が泣きじゃくっていた。
 駒野たちがそばにきた。三人は、放心して、哲朗をみつめた。
 真っ赤になって泣きながら、ごめんなさいを繰り返した。

○   10

 河原の風は、いつものように涼やかだ。
 包帯で、腕をつった文吾がいる。河川では、長谷野辺消防の第二小隊が、放水訓練を行っている。
 文吾が人の気配に気づいて見上げると、駒野がいた。駒野は無言で、隣に腰をおろす。
 二人は、しばらく、訓練を眺める。
 二人の足下にはツクシが咲き、タンポポの群れがあちこちに見えた。こうして親父さんが死んでも、土手の景色は相変わらない。文吾は、なんだか、ありがたかった。
 やがて、どちらともなく口火を切る。二人は、訓練の様子をからかう。ときおりは、笑い声をあげる。そして、少年のことを考える。
「あいつ、なんで正気に戻ったんだろうな」
 と駒野はつぶやいた。
 文吾はしばらく黙って考えた。
「あいつ、自分がやられたことを、他人にやってるってわかったんだよ。おっかねえ、助けてくれって、あいつはいつも思ったんだろうな」
「そうか」
 と駒野は嘆息した。
 文吾は首を垂れた。あーあ、とおおげさに頭をかいた。
「やつぱりおれは、スーパーヒーローなんかじゃねえよ」ため息をつく。「おっかなくてふるえてただけだもんな」
 駒野がほほえんだ。「おまえは、スーパーヒーローだよ。おれを助けてくれたろう」
 文吾はクシャリとなった。「ばかやろう……」

○   11

 持ち場を勝手に離れたことで、文吾たちはこっぴどくしかられたが、それ以上のおとがめはなかった。
 長谷野辺小学校は、もう廃校だったし、校舎が破損したところで騒ぐものはいなかった。ともあれ、哲朗少年は保護されたのだ。
 あの子が、自分のしたことを覚えているのか、文吾にはわからない。いまは、この町の福祉局に引き取られている。
 また、火災はあるかもしれない?
 火災はいつだってある。理由はどうあれ、火事場がなくなることは、たぶんないのだ。だから、消防官は訓練をおこたらない。
 自分たちが駆り出される、そのときのために。

○   12

 子供の頃、スーパーヒーローに会った。俺は、スーパーヒーローにあこがれて、消防官になった。今も、その仕事についている。格別な才能もないし、火事場がおっかない。書類仕事は、やっぱり苦手だ。
 俺はたぶん、スーパーヒーローなんかじゃない。だけど、どこかで、俺のことを見た少年は、俺をヒーローだと思うかもしれない。
 俺は、それで、十分だ。

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