ファイヤーボーイズ

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 防火服を着込み、ポンプ車で現場に向かう間も、無線が現場の様子を伝えてきた。通報では、出火はアパートの二階。家族が取り残されている模様、という。
『火元は、世田谷アパートの203号室! 斉藤孝夫宅! 現場には、家族が居残っている模様! 妻と、五歳になる息子が現場に取り残されている!』
 高橋たちは、的確な無線連絡を、頭にたたき込む。「うちの所轄の現場(げんじょう)だ。俺たちで消し止めるぞ!」
 後部座席で文吾は、早くも防火メットをかぶり、高鳴る心臓をおさえていた。高橋からは、どんな現場でも、平常心をたもてと言われてきたからだ。現場で、セオリーを守れないやつは、大けがをするぞ、と。
 セオリーを守れないやつは、セオリーを忘れるやつだ。
(へ、わかってるよ。)
 文吾は、高橋の言葉を思い出しながら、胸をどんと拳でたたいた。心臓が大丈夫だよ、と答え返したかのようだった。

 現着すると、アパートの周囲では、周辺住民が、火元の部屋を指さして叫んでいる。
 古ぼけたアパートで、空き部屋も目立った。外塀も半ば崩れている。窓枠に干されたワイシャツが、うらさびしくゆらめく。
 高橋たちは、火事場だというのに、風を冷たく感じた。太陽が隠れ、大気が雨気をはらんでいる。
 高橋は住民から、火元の様子を聞き出しながら、5名の部下に次々と指示を飛ばしている。
「消火栓に吸管をつなげ!」
 高橋のそばに、宮田が近づいた。
「おやっさん、おかしいぜ」
 二人は火元を見上げる。
「現場の部屋から、火が見えねえ」
 高橋の言うとおりだった。
「煙もほとんどあがってない。小火ですか?」
「ならなんで、住民が出てこない?」
 そのとき、窓の中央でぱっと火の玉があがった。火種もない空中に、ライターのように燃え上がり、すぐに消えてしまった。
(こんな現象、見たことがないぞ。)
 だが、火勢自体は、強くなさそうだ。
 高橋は、こっちを、ちらちらと見ている文吾を呼びつけた。
「お前が、筒先をもて! 二人で現場に乗り込むぞ!」
 文吾の顔に赤みがさした。彼は言った。
「お、おう」
 文吾は、ボンベや面体、装備一式を装着した。全部で10キロばかりになる。ずっしりと負荷がかかる。が、命を救う重みだ。
 機械班で中堅消防官の遠藤が、行ってこいとばかりに、背をたたいた。
 文吾は筒先を受け取り、トランシーバーのマイクをさぐる。ポンプ車に残る駒野と小池に向かって、うなずいた。

 文吾と高橋は、ホース車をからからと引きながら、アパートの外階段にまわりこんだ。そこからも火は見えない。その場にいた住民が、右から三番目の部屋だ、と文吾に言う。
 階段をのぼる。鉄の階段にふれたホースがジュージューと音をたてる。手すりまでもが熱を放っているように見えた。文吾は、住民たちが、なぜ逃げ遅れた一家を助けに向かわないかわかった。熱くて防火服なしでは、現場に近づけないのだ。
「おやっさん。変だよ、この現場」
「怖いか?」
 面体の後ろで、高橋は静かに訊いた。
 その落ち着いた目を見ていると、文吾は、あせりが、腹の底から、すーっと引いた。
 高橋は、口は悪いが、面度見のいい男だ。口には出さないが、若い所員をかわいがっている。文吾のぼやきを聞いて、現場にふみこむ機会を与えてくれているのだ。
「こ、怖くねえ。大丈夫だ」
 高橋は頼もしげに肩をたたいた。
「その意気だ。踏み込むぞ」
「おお」

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