ザ・戦国
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ザ・戦国

  • 2020年6月23日
  • 2020年6月23日

織田信長の住まう城

天下布武男の築いた城! 日本初の天守閣 一時は天下人目前にせまりながらも、本能寺で落命したことで、野望潰えた戦国武将・織田信長――その49年の生涯で、六つの城に住んだ。 古渡城、那古野城、清洲城、小牧山城、岐阜城、もっとも有名なのが、安土城でしょう。 […]

  • 2020年4月4日
  • 2020年6月23日

延暦寺、焼き討ちの真実

 織田信長の残虐性をあらわすものとして、これまで幾度となく語られてきた、比叡山焼き討ち――  けれど今では信長の性格も含めて後世の脚色がかなり入っていることがわかってきています。比叡山についても、戦国と現在の格差は大きく、現代のイメージで戦国の比叡山 […]

  • 2020年2月22日

明智光秀の名ゼリフ

敵は本能寺にあり―― 明智光秀が、織田信長に謀反を起こすときに放った一言。 日本の歴史上でもかなり有名なセリフの一つですが、残念ながら後世の創作。 確認できるもっとも古い記述は、明智軍記、で、本能寺の変から、百年ほどのちに書かれたものです。筆者は不明 […]

  • 2020年2月11日
  • 2020年2月17日

足軽と甲冑

漫画や映画では、甲冑を着けた足軽が行進する場面が描かれていますが、残念ながら、当時の甲冑には相当の重量があり戦闘直前になってから初めて身に付けていました 着用したまま行軍する事は、なかったみたいですね 1+

  • 2020年2月7日
  • 2020年2月17日

味噌汁の起源

朝飯には、やはり味噌汁がないと この味噌汁、生まれたのは戦国時代と言われています 「汁張講」という集まりがあり、味噌汁のなべに、魚や野菜をぶち込んで、サムライたちが語り合っていたそう 味噌汁の種にバリエーションが増えたのは、江戸時代のことだそうです […]

  • 2020年1月1日
  • 2020年2月17日

無礼講実情

年末、忘年会などでみなさん無礼講を楽しまれたとは思いますが、この無礼講、言葉の起源は、鎌倉時代までさかのぼります 当時の貴族階級は、酒宴の席でも儀礼がやかましく、座席酌の順、杯の回数など細かく決められていました 当時、後醍醐天皇は、力をつけた鎌倉幕府 […]

  • 2019年12月30日
  • 2020年2月17日

奴隷と日本人

魏志倭人伝ては、日本にも奴隷制があったことが書かれています その後廃れ、平安時代以降は公的な奴隷制度がしかれることはありませんでした けれど鎌倉時代以降も、裏社会では人身売買が横行し、幕府の禁止令も功をなしませんでした 被害は日本人だけでなく、倭寇に […]

  • 2019年12月30日
  • 2020年2月17日

家康の気持ち

徳川家の支配を盤石とするために、豊富家を滅ぼしたとされる家康 実際の家康は、秀吉との遺言を守り、豊富家との融和を行っていました 関ヶ原の戦いでも、西軍東軍ともに、秀頼への反逆者を倒す、という大義名分を掲げていました 関ヶ原のちの、1603年にも孫娘を […]

  • 2019年12月29日
  • 2020年2月17日

幻のジパング

マルコポーロに紹介された黄金の国ジパング 実際の日本は、少量の金しか採掘されなかったと子供の頃ならいましたが、最新の定説は…… 戦国時代中期以降、日本では鉱山開発が隆興し、金銀は、海外に輸出できるほど、大量に採掘されていました 最盛期は、江戸時代です […]

  • 2019年12月12日
  • 2020年2月17日

戦国と、抜刀術

るろうに剣心で、つとに注目を集めた抜刀術 ねじまげ物語の冒険に登場する奥村太助も、子供ながらに抜刀術の達人! 西洋の騎士を相手に得意の腕を振るいますが、この抜刀術のルーツは、林崎甚助、と言われています せんごくきの、居合術の大家で、父親の仇を討つため […]

  • 2019年11月27日
  • 2020年2月17日

元寇今昔

学生時代にならった元寇には、蒙古襲来絵巻、なる物が載っていました 主役は、肥後の御家人竹崎季長 馬上の季長が、三人の蒙古人を相手に奮戦してます 蒙古兵より射放たれたる幾本もの弓矢 季長の側近くではてつはうが炸裂し、勇壮な絵巻物です ところが、現在では […]

  • 2019年11月27日
  • 2020年2月17日

戦場の付け火

江戸の火付けは、罪が重い 必ずし死罪ですが、戦国時代の火事も、大変厳しい物でした 陣中で火事が出た場合、犯人の見つけ方は、なんとくじ引き 引き当てたら、死罪なんです なんとも理不尽な話ですが、忍者らが闊歩して放火や略奪が何時起こるかわからない戦場での […]

  • 2019年11月18日
  • 2020年2月17日

鉛玉の行方

種子島以来、大量の鉄砲を製造した戦国日本ですが、鉄砲玉は、それ以上に必要だったはず 国内だけでは、鉛が足りず、遠くメコン川流域からも輸入していました 信長も秀吉も、鉛の確保には苦労したのかもしれませんね 0

  • 2019年10月12日
  • 2020年2月17日

最近の鉄砲伝来事情

慶長年間に書かれた鉄砲記には、こうある。1543年、100人あまりがのった外国船が、種子島南端に漂着した。船には三人のポルトガル人が乗っており、鉄砲の射撃を実演した。 領主種子島時尭は、これを買い取り、鍛冶職人に命じて、国産銃を製造した。 鉄砲伝来を […]

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丸竹書房

七味春五郎の著作を中心に、無料連載や、電子本の販売、書籍の販売を行っています。 編集人「ゴンさん」の雑学も充実しております。

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