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ナーシェルと不思議な仲間たち

  • 2019年9月26日
  • 2020年2月24日
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其の九 雨水の城へ御案内

 ナーシェルたちは雨に打たれつづける森のなかを、樹間をぬうようにして逃げていた。
 背後から、公爵夫人と家政婦長のどなり声がする。
「ドードー……」
 ナーシェルは泣きそうになりながら、友だちの名前をつぶいた。こんなときに、ドードー鳥さえいてくれたら。そう思うとまた悲しくなってきた。
「もぉりはふぅかいにげられない。きちがい屋敷はにげられない。奴隷は奴隷、にげてはいけない。にげたきゃその身をさしだしなぁ~♪」
「やかましい! だまって後を追うんだよ!」
 公爵夫人が、うたっているシーツオバケたちをどやしつけた。
 どうやらきちがい屋敷のきちがいたちよりは、ナーシェルたちの足は速いらしく、しだいにその距離はひらいていった。
「しめた、どうにか逃げられそうだぞ!」
 ネッチが後ろをふりかえり、ほくそ笑んだとき、
「うけけけけっ、にげるなぁ」
 前方の木のうろから、待ちぶせしていたトラビスが、よろめくようにしてとびだしてきた。
「トラビスっ」
 ネッチたちはドロをはねながら急停止して、あわてて左におれまがった。
 そのせいで、公爵夫人との差が、ぐんとちぢまった。
「よくやったぞ、トラビス! お前にはあのデブの足をやるぞ!」
 公爵夫人がおそろしいことを叫んだが、トラビスは、「うけけけけっ」と笑っているだけだった。

 ぬかるみに足をとられながらも、ナーシェルたちはひた走った。こんなにはやく走ったのは、今までになかったことだ。
 しかし、そんなナーシェルたちをあざわらうかのように、つかれ知らずの公爵夫人はちかづいてくる。
 ナーシェルたちは、すっかり息が上がって、だんだんと足のうごきもにぶくなってきた。
 ずぶぬれになった服が、ベタリと身体にへばりついて、なんともはしりにくい。
「ほうら、あとすこしだ。そのこまっしゃくれた顔からバリバリ食ってやる。煮て焼いて食ってやる。ミディアムがいいかい、それともかたいのが好みかい? もっとも、食べるのはあたしだがね!」
 公爵夫人のおぞましい声が、いやに近くで聞こえた気がした。
 ナーシェルは視界がくらんできたが、あたまからバリバリ食われるなんていやだった。
 足はなまりのように重くなり、言うことをきかなくなってくる。それでもナーシェルたちは走りつづけた。
「お、追いつかれるぅ!」
 ミッチがきょうふに金切り声を上げた。
「こいつ、もっとはやく走れ!」
 髪にしがみついていたシングルハットが、ミッチの頭にかみついた。
「い、いてー!」
 顔を苦悶にゆがめたミッチが、木の根に足をとられてはでにころんだ。
「ひゃあ!」
 ミッチがドロに頭をつっこんだひょうしに、うえに乗っていたシングルハットが、みずたまりにころがり落ちた。
「ミッチッ」
 さきを行っていたネッチとナーシェルが、あわててかけもどってくる。
 トラゾーとふうせん男爵がおいつき、公爵夫人たちもすぐそこまできた。
「ひゃははははっ、食って食って食ってやる。骨までしゃぶって食ってやるぅ」
「食うってやる~♪」
 公爵夫人のきちがいなおたけびに、シーツオバケが調子をあわせる。
 ナーシェルたちはもうダメだとおもった。
 公爵夫人の巨体が、ドスドスと近づいてくる。
「おのれっ」
 トラゾーが近くにおちていた枝をひろって、一行の前につと立った。
 ピタリと八双にかまえ、迎撃の体勢をととのえる。
 すると、ミッチたちの後ろでかわいらしい声がした。
「お待ちなさい、お待ちなさい」
 ふりむくと、水滴の体に目と口と、糸のようにほそい手足をつけた兵隊たちが、木陰にかくれるようにして立っていた。
 あまりにかわいらしいその姿に、ナーシェルはとてもかれらが兵隊とはおもえなかった。
「ほらほらコケるよ、きちがいコケる」
 一人がそういって丸っこい手で前をさした。
 ナーシェルたちが顔をむけると、公爵夫人の足もとで、ドロをはねのけたロープがピィンとはられた。
 公爵夫人たちはロープに足をひっかけられ、なだれを打つようにしてころんだ。
「やったぁっ」
「ざまぁみろっ」
 ネッチたちはとびあがって歓声を上げた。
 シーツオバケたちは、おりかさなってうめいているきちがいたちの上で、オロオロしている。
「夫人が、コロンだ寝転んだ。ちがうよ、ロープだ、ひっかけられた。かたくて丈夫で立派なロープだ。ダイコン足をひっかけた♪」
 それでも歌は唄っている。
「やかましい、とっとと上からどくんだよ!」
 きちがいたちの下敷きになった公爵夫人が、がなり声を上げている。
 夫人がもがいている間に、まわりのしげみから、水滴の兵隊たちがおどりでた。かと思うと、四方八方ロープをかけて、がんじがらめにしばってしまう。
「ささっ、あやつめはわれらがとりおさえておきます」
 と、兵隊がナーシェルの白い手を、ちっちゃくてユビのない手でさわった。
「で、でも……」
 ナーシェルがちゅうちょしていると、きりりっと顔のひきしまった兵隊がすすみでて、「雨水の王さまの命令により、おむかえに上がりました」
 と会釈をした。
 ナーシェルたちはそろって互いの顔をみつめあった。助けなどとんとないものと思いこんでいたのである。
 だいたい雨水の王が、自分たちがきたことを知っていること自体、ちょっと信じられない話だった。
「こちらへどうぞ」
 水滴の兵隊が手まねきすると、そこにはふしぎな色にひかるみずたまりがあった。
「これはなんとキレイな」
 おそれ知らずのトラゾーが、腰の水筒に水をうつしている。
 黄金にたゆたう水に、ふりかかる雨が波紋をつくり、そのたびに光もユラユラゆれる。ナーシェルはこのキレイなみずたまりを、いつまでも見ていたくなった。
「どうぞとはなんです?」
 背後を気にかけながら、ネッチがきいた。
 公爵夫人はきちがいたちの下でうんうんうなっている。
「とびこむんですよ」
 兵隊たちがおかしそうにわらった。
「とびこむ?」
 ネッチたちは声をそろえて聞きかえした。
「そのとおりっ。さっ、はやくはやく」
 兵隊たちは、ぐずる一行の背をぐいぐい押しはじめた。
「ここから雨水の城へぬけられます」
 水滴の兵隊が言い終わらぬうちに、まずネッチがドボンとみずたまりにはまった。
 ミッチはみずたまりにはまったネッチがスッと消えたのでおどろいたが、このみずたまりなら不思議はないと思って、じぶんも足をふみいれた。
 トラゾーとふうせん男爵も、そろってみずたまりにとびこむ。
 波をうつ黄金色の水に足をふみだしながら、ナーシェルはひょいと顔だけふりむいた。
 うしろでは、公爵夫人が、もち前の怪力できちがいたちをロープごとはねのけたところだった。

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