其の二 氷のキャンプ
雪と氷の国にやってきたナーシェルたちは、そこで凄まじいまでのふぶきの洗礼をうけた。
一年中、ずっと雪がふるこの国は、他国人はおろか、そこに住むひとびとにとっても、じつに苛酷な環境なのである。
地上のあらゆるものが雪にうもれ、大地は顔をだす機会すらない。視界がはれることはなく、巨大な迷路のなかにいるようなものだった。事実、毎年行方不明者や、凍死者がでるらしい。
しかし、トラゾーたちのようにカイロやストーブとあらゆる手段を駆使して暖をとらねばならない者もいれば、このさむさのなかでしか生きられない者もいるのだ。
ナーシェルたちは、雪と氷の国にはいって二日後に、トラゾーのいたキャンプへたどりついた。
ふりしきる雪のむこうで、みえかくれする円形の建物に、トラゾーは目をこらしていたが、
「あった!」
ようやく確信がいって、こちらをふりむいた。
それは雪のドームだった。つもった雪を長方形にくりぬき、レンガがわりに積みかさねたもののようだ。
このさむいなか、雪でできた家に住むなんて、しんじられないとナーシェルはおもったが、トラゾーの話では、これがあんがい暖かいらしいのである。
形は円形で、正面に入り口がついている。木戸だった。雪と氷がへばりついている。上にエントツが一本のびているが、煙は出ていなかった。
ネッチたちは、もっとちいさなものを想像していたのだが、キャンプは意外におおきかった。トラゾーは集団で暮らしていたといっていたから、こんなものかもしれない。
雪と氷の国では、これぐらいのキャンプはふつうだという。きびしい自然のなかでは、たがいに助けあわねば生きていけないらしい。
トラゾーにとって、外の世界というのは一種のあこがれだった。トラゾーがあんなにも生き生きとしていたのは、そのせいもある。
ナーシェルには、こんなツライところで暮らしている、トラゾーたちの心のうごきが知れなかった。
おりからのふぶきにあおられ、ドームは雪にとじこめられている。
ナーシェルたちは歓声を上げながら、雪のドームに走っていった。
ドームのなかは、トラゾーの言うとおり、外よりかくだんにあたかかった。
「いったい、雪と氷の国にきて、何日がたってしまったんだろう」
さむさに腕をかかえながら、ネッチがひとりごとのようにつぶやいた。ふうせん男爵の時計は、こおってうごかなくなっていた。
ふぶきのなかでは、ねむることもできなかったから、安心したとたんに強烈な眠気がおそってきた。
胸もとをたぐりよせてまどろんでいると、
「おーい、だれもおらんのかぁ」
トラゾーの大声で、ナーシェルたちはとじかけていた目をパッとひらいた。
トラゾーの声が、通路にぐわんぐわんとひびきわたる。
「へんじゃな?」
トラゾーは何度かさけんだが、それでも応答がなく、ひとの気配すらしない。
ナーシェルたちの心のなかで、急速に不安がたかまってきた。
ドームの壁はあつく、はいってすぐは三メートルほどの通路になっている。ナーシェルたちが立っているのもそこだった。
そのさきは、円形の広間になっていて、部屋はそのひとつきりだった。
トラゾーたちは、そこで十数人からがかたまって寝起きしているのだという。凍死者をださないためにも、燃料の節約のためにも、これがいちばんいいらしい。だから、トラゾーにとって、キャンプの仲間というのは、家族もどうぜんだった。
「だれも出てこないね」
腕をこすりながら、ナーシェルがトラゾーをみあげた。
「はて? 面妖な……」
とトラゾーは首をかしげている。
自分がいつ遭難者になるやもしれぬこの国では、旅人や迷い人をとても大事にする。ただでさえ雪にとざされた国だから、はいる情報もない。
来訪者はそれだけで格好の娯楽となるのだ。カイロ業者などは、各キャンプからひっぱりダコで、たずねる先々で三日も四日もひきとめられるそうである。
ナーシェルたちはトラゾーからそんな話をきいていたから、キャンプをたずねることになんの不安をいだいていなかった。
それがトラゾーがよべどさけべど、むかえにも出てこない。
「石炭をもって帰らなかったんで、おこってるんじゃないのか?」
シングルハットはみんなに睨まれ、ナーシェルのふところにひっこんだ。
「どうしたのかな?」とネッチ。
「いつもなら、すぐにでも出迎えて、まずはあたたかいスープをさしだすものじゃがなぁ」
トラゾーがいささか不満そうにこたえた。
通路をぬけて、広場まで出たトラゾーたちは、そこに異様なものをみて足がすくんだ。
雪と氷の国の住人はたしかにそこにいた。いずれもトラゾーの仲間たちだった。
それが、一様に氷漬けにされているのである。いや、そこにあるすべてのものが、透明な氷のなかにとじこめられていた。ストーブまでもがこおりつき、薪がもえかけのままこおっている。
氷漬けにされたひとびとは、ぜんぶで十数人にものぼった。
「こ、これは、なんということじゃ!」
トラゾーは驚いてまた声を反響させた。
立っている者もいれば、すわっている者もいる。じつに様々な姿でこおりついている。
ふうせん男爵がそばの男の氷にふれた。とてもひやっこくて、男爵はあわてて手をひっこめてしまった。「これはほんものの氷だ」
そのとたん、トラゾーはガクリとひざをついてしまった。
「石炭さえ、手にはいっていれば……」
トラゾーは胸からしぼりだすような声でつぶやいた。
「トラゾーじいさん……」
ナーシェルがその肩に、なぐさめるように手をおいた。
「しかし、こんなみごとにこおるものかな」
ミッチがしげしげと氷漬けにされた男をみつめている。
キャンプの住人は、人間もいればけむくじゃらの雪男もいた。トラゾーとおない年ぐらいのおじいさんもいれば、わかい男女もこおっている。
「うん。わたしもそう思っていたんだ。みんなふつうに生活していたときのままの状態でこおっているよ」
ネッチが氷漬けにされたひとびとを眺めわたしながら言った。かれのそばでは、ミノをきた白クマが、あぐらをかいてこおっている。
「そういえば妙だな」
ふうせん男爵もあごに手をそえなやみはじめた。
暖炉に手をやろうとしているものや、椅子に腰かけようとしているもの。氷さえなければ、そのまま動きだしてしまいそうなのだ。
どうやら、寒さのためにジワジワとこおった──というわけではないらしかった。
なにより燃えかけの薪まで、こおっているというのがなんともおかしい。
「そんなこと、どうでもいいわいっ」トラゾーはダダッ子のように手をジタバタさせた。
「もうダメじゃ。わしの仲間はみんなこおってしまった。暖もとれん、メシも食えん、もうここから一歩だってそとに出れーん!」とわめいた。
トラゾーに指摘されて、ネッチたちはとんでもないことになってしまったことに気がついた。さむさになれたこの国の住人でさえ、氷になってしまったのだ。あたたかくてあた
り前の自分たちでは、いっしゅんも気をぬくことをゆるされない。
「そんなこといわないでよトラゾーじいさん。雪と氷の女王が寒さをやわらげてくれたら、すぐにとけて元にもどるよ」
ナーシェルは懸命にトラゾーを元気づける。
「そとはこのふぶきじゃ。雪と氷の城まではとても行けんわい」
トラゾーが言いかえすと、ふうせん男爵の頭にぱっとあることがひらめいた。
「そうだっ。雨水の王さまに、雪と氷の国にくる水をとめてもらおう。そうすれば、女王も雪をふらせることができないよっ」
と顔をかがやかせてまくしたてた。
刹那、
「そんなことはさせんぞっ」
とドームの奥から、怒声がとんできた。
トラゾーたちがふりむくと、目の前にまるい玉がうかんでいた。四方からちいさな手足がニョキと生えている。頭のてっぺんにあるのは角だった。
「ゆ、雪鬼じゃっ。こいつはなんでもこおらせてしまうぞっ」
トラゾーがうわついた口調でさけんだ。
おおきな雪の粒のような体だ。ナーシェルたちは雪鬼とはよく名づけたものだと思った。
その雪鬼は、ナーシェルたちをにらんだまま、「みんな出てこいっ」と叫んだ。
そのとたん、てんじょうや壁にはりついていた雪鬼たちが、いっせいにナーシェルたちの前にとびだしてきた。ひらひらと雪のように降りてくる。空中をただよいながら、ナーシェルたちをとりかこんだ。
「うひゃあ」
みんなは魂までちぢみ上がって、なさけのない悲鳴を上げた。
雪鬼は真っ白なので、雪でできた壁や天井にはりついていると、見わけがつかなくなるのだ。
「おのれっ」トラゾーが刀を抜きにかかるが、鞘にひっかかっていっかな抜けない。うしろをむいてネッチにたのんだ。「おい、手伝ってくれっ」
二人がかりで、ようやく愛刀が顔をだした。
「あんた、ほんとにサムライか……」
あきれるシングルハットには委細かまわず、
「こいつら、どこからは入りこみおった」
と腹立たしそうにつぶやいた。
ひとりだけ角が二本はえている奴がいるが、どうやらそいつが親玉らしい。
ナーシェルたちは、こいつらがキャンプのみんなをこおらせたと知って、ふるえ上がってしまった。かわいらしい姿をしているのに、なんとおそろしい奴らだろう。そうおもうと、雪鬼たちの顔はとても邪悪に見えてくるのであった。
「雪と氷の国じゃ、こんな奴らがうろついているの?」
ふうせん男爵にうしろに追いやられながら、ナーシェルが問いかけると、
「いや、こいつらはもっと寒いところでしか活動できんはずなんじゃが……」
トラゾーが、おかしいな、という顔でこたえる。
すると親玉の二本角が、「どういうわけだが、人間どものつかう石炭がなくなって、あちこち暖かくなったもんでおれたちも自由に国中を動きまわれるのさ。とりあえず動きのにぶった人間たちを、氷漬けにしてやった。動いている奴らはみんな氷にしてやるっ。そしたらもう暖かくなんてできないぞっ」
とゆかいそうにこたえた。
「そんなのひどいよ。ここにいるひとたちは寒いのが苦手なんだ」
「そんなこと知るかっ。こいつらはおれたちのキャンディーだっ」
キャンディーときいて、ネッチたちは顔をみあわせた。こんなちびっこいのにしゃぶられるのは、なんともゾッとしない話である。
「この雪だまやろうめっ、みんなをもとに戻せっ」
トラゾーが刀をふりまわして、ちかくにいた雪鬼たちに斬りつけた。すると、雪鬼にふれた刀は、ピキィンと澄んだ音をたててこおりついてしまった。
「やっ、わしの刀がっ」
トラゾーは、あわをくったついでに転びそうになってしまった。
「どうだ、おれたちにはさわってもダメなんだぞっ」
二本角がじまんそうにいばった。みんなは血の気がひいてまっさおになった。
「逃げよう、トラゾーじいさんっ」
ネッチたちはトラゾーの襟首をつかむと、いちもくさんに逃げだした。
通路にかけこみ、扉をひらいた。
「くぇっ、くぇっ」
ドードー鳥が奇声をはった。風とともに、雪が戸口からふきこんできた。ナーシェルたちにはそれがすべて雪鬼にみえた。
「にがすな、こおらせてしまえっ」
という雪鬼の声がきこえたので、ナーシェルたちは、とび上がって外にころがりでた。