奥州二代目彦六一家

奥州二代目彦六一家

 話を訊いたきねは、わずかながら顔色を変えた。正座した足をモゾモゾさせている。かなり気になっているようだった。
「それで奴はなんと云っている」
 探るように訊いた。
「さて、二人ほど後を追わせていやすがね。二代目のほうはなんとも……」
 文悟はおかしそうに首筋をぴしゃりとやった。
「白昼堂々頭を襲われるとは、彦六一家もなめられたもんだね」きねは変に感心したように独白した。「こうなるとはわかっていたがねぇ……」
「何も云わなくても、二代目は腹を据えているようです」
 文悟の方は満足気だ。
「そうでなくちゃいけないよ。ここで一つびっとしなきゃ」
「今後もなめられる、というわけですね」
 文悟が急に真顔になった。
 隣に座っている大男の雷造が、「売られたケンカは買いやしょう」と、身を乗り出した。
 一家一のケンカっぱやさと、背中に彫った八幡大菩薩がご自慢で、酒とけんかが何より大事。そのくせ図体に似ずうぶで、女の前だとろくにしゃべれないときている。
 六尺を越す大身で、目方も悠に百貫はある。いわゆる大兵肥満である。
 気性はさっぱりしているが、短気と早とちりだけは困ったものだった。
「おめぇの意見を聞いてたら、まとまるもんもまとまらねぇよ」と、文悟が鼻を鳴らした。
「だがなぁ、文悟……」
 雷造はそこまで云って、後の言葉は溜息にかえた。
 若衆頭の文悟は、今年で二十五になる。若い者にも頼られている、兄貴肌の人間である。
 彦六はそれまでは文さんとか呼んでいたが、「二代目、二代目らしくして下せぇ。文悟でよござんす」
 文悟は生真面目だ。伴兵衛じいの、「呼び名なんてどうでもいいことだよ」
 の一言で、彦六はそのように呼ぶことになった。
 伴兵衛じいは、ときおりドキリとするような目で、真理をつくようなことを云う。

 彦六は自室で匕首の目釘をあらためていた。
 伴兵衛じいが戸をすいっと開けた。彦六は気づいたが、見向きもしない。無言で刃を木鞘にしまった。その音と戸の閉まる音が同時だった。
 伴兵衛が、彦六の背後にふわりと座った。
「してやられそうになったそうだね、ボン」
 伴兵衛だけはいつまでたってもボンだった。彦六もそれがありがたい。
「耳がさといなぁ、じいちゃんは」
 振り向いたときは、もう笑顔になっていた。匕首を懐にいれ、帯の辺りに差し込んだ。
 それを見て、
「無茶はしない方がいいな」
 伴兵衛はつい本音が出てしまった。しくじったと舌を打ったがもう遅かった。
 照れたように顔をしかめると、手を伸ばして障子を開けた。外は明るくもなく暗くもなかった。彦六は困ったように眉を曲げた。
「いやだな、そういうわけにもいかないのを知ってるくせに」
 伴兵衛は苦笑した。二代目になっても、この男はあいかわらずのようだった。
「まぁ、一応云ってみたのさ」伴兵衛は座布団の上に座り直した。「わしはな、先代に世話になった。黒田彦六に与えられたもんは数え上げたらきりがないんだ。寝床と居場所、仕事に仲間。息子代わりの彦六と、孫の代わりのお前だよ」
 そう云ってにこりとする伴兵衛が、彦六はたまらなく好きだった。
 伴兵衛はすべてを彦六に与えられたように云うが、そんなことはない。流れ者だった彦六と共に、伴兵衛は一家の暖簾を築き上げてきたのだ。だが、きっかけを与えたのも、独り身の虚しさから救ったのも、今は亡き彦六親分だった。
 その彦六がこの世からいなくなり、二度と会えなくなったことを、もっとも悲しんだのが、この伴兵衛じいだった。
「だからおい、心配ぐらいはさせてくれよ。お前になにかあったら、あの世で親分に会わせる顔がねぇ」
「親父ならなんとも思いやしないよ。俺がへまをやったら、あの世でドジめと悪態をつくぐらいのものさ」
「そうかもなぁ……」
 ひとしきり笑って、二人は庭先の松に目をやった。ちらちらと、雪でも舞いそうな午後だった。
「彦六一家の暖簾やニワバを守るのは大事なことかもしれねぇ。でもな、俺はそんなにたいそうなもんではないと思ってるよ。つぶれればそれで仕方のないことさ。元々事のはじめには、そいつぁ小さな一家だったんだ」ここで伴兵衛は言葉を切り、手をごしごしとやった。「大事なのは、ここにいる一家の衆とお前なんだよ。それを忘れないでくれ」
 彦六はうつむいて唇をかんだ。胸がつまってなにも云えなかった。
「お」と、伴兵衛が声を上げた。本当に雪が降りはじめた。
「俺が来た時も冬だったな」
 愉快そうに云って、障子をしめた。身に辛い風が吹き込んできたためだった。

 屋敷の土間に、一家の若いもんが顔をそろえている。彦六が襲われたと訊いて集まった者たちだった。文悟は板間に立って、上から子分どもをながめつらし、浪人とやくざ者を追った二人の帰りを待っていた。
 子分たちには、「人に云うな、それが一家の者でもだ。あまり事を大きくするな」と厳命してある。
 彼の後ろでは、篠山休臥斎が、大刀を抱え座り込んでいた。この男は大抵意見をはさまない。物も言わずに行動するのが常だった。
 集まった男たちの中でも、一際いらだっているのは雷造である。この男は、文悟を手伝って下の者をいさめたりしない。いつだって、自分が真っ先にことを起こすのだ。
 この日も、目付け二人の帰りを、待ちわびはがゆがり、苛立っていた。
 その隣で石屋の灸蔵が黙念としているのが対照的だった。
「文悟っ、あいつら、ひょっとして返り討ちにあったんじゃないのか」雷造がわめいた。
「まだ早い。少し待て」こちらは落ち着いたものである。
 雷造は、「うぬ」とうなって、また開け切った戸口をにらみはじめた。
 それから数刻の後に、二人は帰った。玄関で雷造が物凄い形相で立っているので、思わず腰を抜かしそうになった。
 文悟が、「どうだった?」と聞かなければ、本当に背骨を外していただろう。
「奴ら、坂本一家の屋敷に戻りやした」と、一人がようやく云った。
 文悟はうめいた。「そうか、相手は坂本か」
 彦六の生前は、散々もめた一家である。血の気の多いことでも有名な一家だった。つい最近も、ニワバのことでケンカを売られたばかりである。
「その意趣ばらしにしては、いきすぎでやすねぇ」
 灸蔵がやけにのんびりした声で云った。
「長老方とのお目通りのことをかぎつけたようだな」
 文悟がなんの感慨もこめずに云う。
「奴ら、やっぱりやくざ者か……」
 雷造があごに手を添え、またうなった。体に似て、頭の方はあまりうまくない。
「もう一人は、この町の者じゃありませんね」
 仁助がそう云って土間を見渡す。
「私と同じ、流れの浪人でしょう」
 壁にもたれかけたまま、休臥斎が答えた。すると、後をつけた男が口を開き、
「それと、旅篭で落ち合った男がいたんですがね、そいつがこう頬傷のある」
 と、頬を指で切ってみせた。
「頬傷の次助かっ?」
 文悟がはっとした声を上げた。頬傷の次助と云えば、その筋では知られた男である。
 坂本一家の幹部で、彦六一家ともあさからぬ因縁があった。なによりその陰険な性格が忌み嫌われている。
「これで下手人の目当てはついたな」
 古株の忠次郎が文悟を見やった。その目が見開かれたのを見とって、文悟はひょいと後ろを向いた。
 休臥斎が見上げると、彦六と伴兵衛じいが立っている。
「二代目」「二代目」
 子分たちが口々に云うのを聞きながら、彦六はじっく
り土間を眺めわたした。
「話は訊いたよ。坂本一家か」
「正確には次助の奴ですぜ」と、雷造が勢い込んだ。
「厄介なのに、目をつけられましたな」
 文悟がからかうように苦笑した。
 彦六が口を開いた。
「四日のうち……だな」
 これは目通りを意識してもれた言葉だった。一座の者は残らずうなずくしかなかった。
「相手がわかっただけでも、よしとしましょうや」
 忠次郎はにこりともしないが、確かに、わからないよりはよかった。
「どう思う?」
 彦六は文悟を見やった。
「どうもなにも、坂本の親分の指図かどうかは如何と
も」
 文悟はそう云って目をつぶった。
「次助の奴は気違いですぜ。早めに処断した方がいい」
「浪人を雇ったからには、奴ら本気だなぁ」
 子分たちのがなり声を聞きながら、彦六は顔をしかめていた。
「さて、どうしたものか……次助と奴ら、どうした?」
「それが、また旅篭に戻りやしたんで」
「どこのだ?」
「いくみ屋」
 短く答えた。
「乗り込もうぜ、二代目!」
 短気の雷造がかっと頭に血を上らせる。
「ばかっ、大事にできないといったろう」
「しかしよぉ……」
 文悟がたしなめるが、雷造はまだ諦めない。
「奴らの狙いはこの俺だ。お目通りまで一歩も外に出なけりゃすむことだ」
 彦六が険しい表情で答えた。
 文悟はふと胸騒ぎを覚えた。彦六の口調はどこか妙だった。いや、言葉のすべてが喉元にひっかかる。この男が、果たして狙われているとわかった四日間を、大人しく引込んでいるだろうか。いや、けしてそうはなるまい。
 文悟は甘く見ていた。危険をおかして次助たちを引きずりだしたはよかった。だが、あの男は彦六の命を狙っている。
 文悟はせいぜいやっても痛め付けるか、ニワバのいやがらせ程度がいいところだろうと思っていた。自身の読みの甘さに腹が立った。
(狂人め……)
 苦々しく思う。次助は彦六を殺すことで引き起こす事態を少しもわかっていない。
 当主を失った彦六一家は、坂本一家に復讐するに決まっている。それをわかっているのか、坂本の親分はこの事を知っているのか。
(いや……)
 文悟は知ってはいないと思った。坂本の親分は悪党だが、頭のきれる男だ。お目通りを控えた二代目を、殺したりはすまい。おどせ、ぐらいは云ったかもしれないが、だとしても次助のはやりすぎである。
「二代目……」
 灸蔵が呟くように云った。彦六にも聞えた。
「四日、四日がまんしろ」
 険しい表情のまま、彦六が答えた。
 彦六の落ち着きぶりが、文悟は気にかかる。
 二代目にこうまで云われては、集まった衆も、もはやどうにも出来なくなった。
 お目通りまでの四日間、彦六一家は当主の彦六を、誰に知られることもなく守り通さねばならなくなったのである。

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