奥州二代目彦六一家

奥州二代目彦六一家

 その夜
 彦六は自室の居間を出た。
 雪はすでにやんでいる。三日月が々と照っていた。
 寒さばかりが身を切るようだが、彦六は気にならない。片腕を懐に入れ、廊下を渡った。
 その後ろで、仁助が襖の隙間から顔を出した。彦六は気づかない。仁助にも気づかせる気は毛頭なかった。
 彦六は次助とのいざこざに、決着をつけるつもりだった。
 文悟の心配は当っていた。やはり大人しくしているつもりなどなかったのだ。彦六の思考を正確に読んでいたのが、この仁助だった。
(弱いくせに、無茶をするんだもんな)
 仁助はどこまでも彦六についていくつもりだった。相手は殺しが職のような奴らだが、かまわない。仁助にとっては、彦六がいなくなったこの世の方が、よほど辛いのである。
 かすかに雪の積もった路上をわらじを湿らせながら、いろは屋を目指す彦六と、後をつける仁助。
 それをよしずの陰から見つめる目があった。
 二人の姿が遠ざかり、休臥斎は物陰から路上に出た。
 彦六の殺気に感づき、よしずの陰で番をしていたのだが、
(どうにもならんか……)と思った。止めて止められる彦六ではない。
 休臥斎は正直いらだったが、この無鉄砲な行動こそ、彦六が一家の男たちをひきつける由縁ではないか。休臥斎も、そこが気に入っているだけに弱かった。
 無意識に、手が束を撫でていた。二尺三寸五分の刀がチィンと鳴った。
 休臥斎はふいにおかしくなってきた。予想どおり一人で次助のところへ出向いた彦六が、じつは愉快でしょうがなかった。笑いをおさめるのに苦労した。
 そのまま、休臥斎は物も云わずに二人の足跡を追った。彦六をねらった浪人と、決着をつける腹積りだった。

 いくみ屋で、彦六は下男をつかまえ、次助たちを呼びにやった。
 下男にはなんのことだかわからない。事を正確に次助たちに伝えた。
 話を聞いた次助は、にわかには信用できなかった。当然であろう。自分の命をねらう相手の袂に、飛び込むバカがどこにいようか。
 次助は、意想外の出来事に対処したときが一番怖い。どう出ていいかわからなかった。
 それに、今度の一件、次助は弥太郎にも黙ってやっている。彦六を殺し、ニワバを奪いとる。弥太郎には死んでもらう。その後釜に、自分が座るつもりだった。
 子分の一人が引き戸を開けた。下に彦六が立っていた。
 それを眺めおろしながら、知らず次助はうめいていた。
「罠……でしょうか?」
 次助もそうは思う。しかし、弥太郎から訊いた西田屋との一件を思い出した。
(あいつならやる……)
 呻きだしたい気分だった。同じだ。死んだはずの黒田彦六が、目の前に立っているようだった。
 次助はさすがに、先代とも面識がある。自分を三下のように扱った彦六が憎かった。彦六自身も自分を嫌っていたろう。
 彦六が死んだとき、次助は狂気した。あの厄介な男がいなくなったのだ。
 二代目となった彦六が、路上からこちらを見上げている。先代の面影をどこか残している風があった。
 次助はその目が気に入らなかった。厄介者がまた増えたと思った。彦六が戻って、自分を叱り付けているようで、うそ寒かった。
「矢坂を呼べ」
 そう、云った。次助が雇った浪人である。生憎とここにはいなかった。別のところに潜んでいる。
 男が出ていき、階下に足音が消えていく。闇と静寂が沈澱した。
 次助はゆっくりと引き戸を閉めた。

 次助が子分を連れて、旅篭を出てきた。確かに頬傷がある。へどの出そうな悪人づらだ。
 彦六は袂に手を入れたまま、黙っている。双方、無言である。
 次助がアゴをしゃくった。すると、子分たちが、彦六をかこんで歩きだした。
 彦六はちらりとも逆らわずについていく。
 その様子を、仁助は物陰からじっと覗いていた。
 これでは飛び出すわけにもいかなくなった。いまさら人を呼びに戻るわけにもいかない。結局、後を付けていくしか法がなかった。
 手下が一人、裏口から出ていった。休臥斎はその後を追った。

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