「まっ、気を落すなよ、半ちゃん」
といったのは、半兵太にとっては兄のような存在にあたる、灸蔵である。
彼は彦六がとりしきる店の一つで働く、一家の若いもんであった。今も、店の戸口で石をとんとんやっている。
年も四つしかちがわないから昔から何かとかわいがってもらっている。灸蔵だけはいつ何時も、半兵太の味方であった。
つい先刻、座敷であった大詮議のことは、伴兵衛の方から半兵太にも伝えられてある。
そういうわけだから、なんとかしてくれ、とのことであった。
「ああ」
半兵太は二代目なんて気が進まなかったから、気のない返事をしている。
文悟たちの心配は、まさにこの一点にあった。当の半兵太に、二代目におさまるつもりが全くないのが問題なのである。
きねの真の目的もこれにあった。一件を利用して、半兵太のやる気を呼び起こす腹積りなのである。
きねは手は出ないが、口は講釈師より出る。数年前から彦六一家にとりついた貧乏神(といっても、これはどこの一家でも同じだったが)も、きねにかかれば半刻で荷物をまとめてしまいそうな気がするのである。
半兵太は完全にやりこめられていたが、これは仕方のないことだった。一家の若いもんはおろか、古いもんでさえこのきねは苦手だったからだ。
(親父……)
家長の彦六がどのように思っていたかは判然としない。あれで親思いであったから、わがままは聞いてやっていたようだ。
座敷の奥で、子分から隠れるようにして、肩を叩いてやっている父の姿を、半兵太は何度か見かけたことがある。軽い嫉妬を覚えたものだ。
半兵太にはできない。理由があった。
彼の母は、五年も前に死んでいた。
「こまったばあさまだなぁ」
ちっとも困っていない口調で灸蔵はひとりごちた。
不思議なことに、家中の者できねを嫌う者はいない。憎まれっ子、世にはばかるの典型だろうか。とにかくどんないたずらをしても、人に恨まれるという事がなかった。
そんなきねが、みなうらやましいらしい。年をくっても、きねのように生きたい、と思うのである。
灸蔵は、黙っている半兵太を横目で見ながら、ふと疑問に思った。
喧嘩ばかりしているが、半兵太はきねにとっても可愛い孫だ。憎いはずはないのに、なんでこんなことを云い出したんだろう。
そのことを口にすると、半兵太はこう答えてきた。
「ばっちゃんのは半分冗談、半分本気なんだろうよ」
さすが孫だけあって、灸蔵よりは見抜いている。
灸蔵は、そうかもしれねぇなぁと、またとんとんやりはじめた。
半兵太は正面にある石に見入った。灸蔵が少しづつ削って形を造ったものだ。
半兵太の母はいない。目の上のこぶだった親父が死んだ。辛くないはずがなかった。
灸蔵は石をこんこんやりながら、ぽつりと云った。
「元気だしなよ。二代目」
灸蔵のやさしさが、胸に沁みた。半兵太は何も云わずに黙りこくった。