奥州二代目彦六一家

奥州二代目彦六一家

 彦六が向ったのは、種町にある坂本一家の屋敷である。
「正気ですかい?」
 文悟が脇に立つ彦六にささやいた。
 さっきの今で、坂本一家に出向くのは無茶というものである。坂本の衆は善い悪いをぬきにして、血の気が多い。ただで帰れるとは思わなかった。
 彦六はなにも云わず、考え込むようにして坂本の屋敷を見つめている。
 彦六は仁助のことを悔やんでいた。ああなったのは、伴兵衛じいが何といおうと自分の責任である。詫びがわりに、この一件をなんとかしてやりたかった。
 仁助にしたら、彦六にはもう大人しくしていて欲しいのだろうが、それに気づかないのが彦六の短所であり長所である。
「こりゃぁ、俺もいよいよ覚悟を固めなきゃいけねぇかな?」
 文悟が懐の匕首を無意識に握った。
 すると、彦六が、「よしな」声をかけ、文悟の匕首を奪うと脇に放った。
 さすがの文悟が目を見張った。
「二代目」
 声に咎めるような響きがある。
 彦六はちろりと文悟を見た。こちらの目にも咎めるような色がある。
「どんな理由にせよ、俺たちは坂本のもんを六人も斬ったんだ。わびをいれるのが道理なら、手向かうのは筋外れ……違うか?」
「しかし、次助の野郎は弥太郎親分の命まで狙ったんですぜ」
「もし仁助が死んだとしたら、おめぇは復讐を考えないかい?」
 文悟はつまった。むっと唸っただけだった。
 彦六の云うことは確かに筋が通っている。だが、それが通用するのは向こうの筋が外れていなかった場合だけだ。
 命を狙われて、さらに詫びをいれるとは、なんとも解せない話である。
 彦六が、そんな文悟を横目で見ながら、ゆっくりと口を切った。
「次助がな、こういうんだよ。しょせんはやくざ者、俺もおめぇも変わりがねぇ、ってな。あの世に行ってまで次助の奴に勘違いをされたままじゃ、死んだ親父も立つ瀬がないだろうよ。俺たちゃそんじょそこらのやくざとは違うってところを、見せてやろうじゃねぇか」
 そこまでしゃべって彦六は笑った。吸い込まれるような笑みだった。
 ないことに、文悟の身の内が震えた。
「いいだろう。この身一つ、彦六親分に預けやしょう」
 莞爾と笑った。そのまま二人は坂本一家の門をくぐった。
 おもえば、若衆頭の文悟が、この若い二代目のことを彦六親分と呼んだのは、この時がはじめてである。

 彦六と文悟は、坂本一家の男たちに囲まれながら、弥太郎の前に通された。なんとも痛い視線が集中するが、二人は気にも止めた様子がない。
 堂々と廊下を渡った。これには坂本一家のやくざ者の方が拍子抜けしたほどだ。
 こうと決めたからには文悟はさすがである。
 二人は弥太郎の前にならんで座り、次助とその子分に命を狙われ、やむなくこれを斬り殺したことを報告した。
 六人の死体は千町の林のなかにあるという。
 弥太郎が目を走らせ、配下を向わせた。手を膝に置くと、切り出した。
「なんでそのことを伝えに来た」
「大事な部下が突然いなくなったままじゃ、寝覚めが悪いだろう」
 彦六がうそぶいた。
 文悟がおかしそうに笑いを堪えている。
「二代目のおめぇと、若衆頭の二人でか?」
「そうだ」
 弥太郎はまじまじと彦六を見た。
(なんともあの男にいやんなるほど似てやがる)
「おわけぇの、命は大事にした方がいい」
 両脇のふすまがすっと開いた。男たちが手に手に武器を持ち立っている。
 二人はさすがにヒヤリとしたが、それはおくびにも出さなかった。
「こちらに非はない」
 彦六が床に手をついて身を乗りだした。
「非があろうがなかろうが、そんなものはかまわないんだよ。大事な手駒を殺されて、黙っているわけにはいくめぇ」
 弥太郎が凄味をきかした。
 文悟はこの手駒という言葉がなんともいやだった。彦六ならそんなことは口が裂けても云わない。飛びかかってぶん殴ってやりたくなったが、ああいった彦六の手前、それも出来ない。
(このままなます切りかね)
 そう思うと、奇態なことに腹の底でむずがゆいような快感がわき起こった。この男と道連れなら、それも悪くない。
 腹をくそ落ち着きに据えた文悟を見て、弥太郎はあなどれぬ、と見た。さすが先代彦六に見込まれただけはある。
 だが、そんな男に死んでもいいと思わせる彦六も大したものだとおもわざるをえなかった。いったい坂本一家に自分とともに死ぬような男が何人いるだろう。
 だからこそ、弥太郎は彦六を斬ることを怖れた。斬れば彦六一家は総力を上げて報復に出るはずである。その時は、こちらが一人残らず死ぬるまで、闘争をやめはすまい。全面戦争になる、との予感があった。
「くだらねぇ感傷のために、この場で死ぬる気かね、二代目」
 弥太郎ははじめて彦六を二代目と呼んだ。
 文悟がアゴをしゃくった。
「くだらなくはないよ。第一こちらはあんたの命を救ったんだからね。このまま俺の親分を斬れば、さぞ気分も悪かろう」
「なにっ?」
 弥太郎は文悟に視線を移した。
 目を彦六にもどし、どういうことだと暗黙の内に問いかける。
「次助は俺を殺したあと、あんたに後を追わせ、自分が坂本一家の棟梁につくつもりだったんだね」
 彦六はすらすらと語った。弥太郎は思わずぎくりとなった。
 云われてみれば、思い当る節はいくつもある。次助はかねてから当主の座を狙っていた。
(どうも最近影でこそこそやっていると思ったら……)
 忸怩たる思いがあった。次助の息のかかったものは、残らず殺さねばならぬ。そうせねば、いずれ次助と同じ考えを持った者があらわれる。そう信じた。が、
「次助以外は知らない」
 弥太郎の思念を読んで、彦六が静かに告げた。
 確かだった。次助は共に彦六を襲った子分にすらこの事を告げていなかったのである。
 おそらく、次助は今日まで迷っていたのではないか。だからこそ、自分一人の胸の内におさめていた。そのように思えてならない。
 彦六と文悟が席を立った。
 子分たちが動きかけたが、弥太郎は手を振ってこれを止めた。
 二人が引き上げた後も、弥太郎は動けなかった。
「若造に助けられたか……」
 笑おうとしたが、こめかみに流れる汗に気づき、苦そうに舌を打った。

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