奥州二代目彦六一家

奥州二代目彦六一家

お目通り

「やい、起きろ彦六!」
 安らかな眠りの中、頭までひっかぶっていた蒲団をはぎとられ、念入りに氷までいれた水をぶっかけられて、黒田彦六は跳ね起きた。
「なにをしやがる、くそばばあ!」
 櫂桶をもって突っ立ているくそばばあに喚きながら、彦六は犬のように体を震わせた。
「よくもまあ、いつまでもぐうたら寝れるもんだよ。一家の主人がそれでいいと思っているのか」
「その手に持っている桶はなんだ」と、彦六は殺気すらきらめかせたことだった。
 桶を持ったきねは、「ああ、忙しい」白々しくおてんと様にしゃべりかけながら、ととっと縁を逃げていった。
「ちくしょお、くそばばめ。ふんどしまでぐしょぐしょだぁ」
 彦六は着物の裾をしぼりながら、悪態をついて、一つくしゃみをした。

 彦六は念入りに体を拭くと、麻の着流しにきがえ、「彦六」と縫い打ちされた紺のはんてんを羽織った。
 びしょぬれのふとんの始末は子分にまかせ、飯を喰らいにひやりとする部屋を出ていった。
 ここからが大変だった。
 先に座布団についていたきねが、じっくりと茶わんにご飯をよそっている。さきほどがさきほどだけに、なんとも不気味だった。
「ほれ」と、彦六に茶わんを手渡しながら、自分も箸を取って、飯を喰う。
 じろりと彦六を見上げ、さっさと食えというように顎をしゃくって見せた。
 彦六はしょうしょう調子を外しながら、漆塗りの箸をとって、飯を口に運んだ。
 次の瞬間にはウッと呻いて、いま入れたばかりの飯を吐いた。
「な、なんだこりゃあ」
「塩入りだよ」
 きねは平然といってのけたものだ。
 彦六は臓腑までちぢみ上がるようなしょっぱさに堪えながら、「飯に塩を交ぜるとはどういう料簡だ」とわめいた。
 彦六一家の朝は、この二人の舌戦からはじまる。メシを食う時も、朝起きて顔をあわす時も、かならずと云っていいほど喧嘩をする。
 この日も、朝からいつも通りの切り口上を聞きながら、彦六一家の面々は、やれやれと息をついていた。

 まだ舌の根に居残る塩辛さに、辟易している彦六に、若衆頭の文悟が近寄ってきた。
「二代目、ちょいとお話が」
 と、いつもの気軽さで声をかけた。
 彦六には元は半兵太という名前があったが、今は父親の名をついで彦六と呼ばれている。文悟たちの呼び様も、いつのまにか若から二代目に変わっていた。
 だからといって、別に他のなにが変わるわけでもなし、彦六の生活は以前となんら変わりがない。
 ところが、今日に限ってなにか変った事があったものかと、文悟の微妙な語調の変化から、彦六はすばやくその事を感じとっていた。
 そろって庭先へ出て、石灯篭などをながめながら互いに切り出す機会を待っていた。
 いつもならなんでも気さくに語る文悟が、今日に限って言葉を選んでいるようだったから、これはよほどのことだと彦六は思った。
 文悟は花をつけない桜を愛でながら、とうとつに口を切った。
「これから四日後に、長老衆にお目通りをいたしやす」
 文悟のは明日の天気でも占うような気やすさだったが、彦六はさすがにドキリとした。
 いよいよか、とも思う。彦六は正式に一家の暖簾を受け取ったのだから、長老衆に会わないわけにはいかないのである。会って報告を行なわなければ、町の者は誰も彦六を二代目と認めないだろう。
 文悟たちは、ここ数日その会合をもつために走り回っていた。その甲斐あってか、今日になって長老衆から連絡が入った。
 二代目に会うということは、長老方が、彦六を半ばまで認めているということである。
「そうか……」
 彦六は呟いた。珍しく、わずかに緊張した面持ちであった。
「粗相のねぇようにおねげぇしやす」
 文悟がひょいと頭を下げた。
 長老方に何がしの力があるというわけではなかったが、それでも厳然と威信だけは保っている。権力とも、見えない力とも云える。
 とにかく文悟はこのお目通りだけは無事にすませたかった。一家の者も、それは重々願っているはずである。
「こっからが、正念場……だな」
 独り言のように呟いて、彦六はちらりと文悟を見た。文悟はなにも云わずに黙ってこちらを見返している。さすがに、彦六は事態を正確に飲み込んでいた。
 文悟は満足そうに微笑んで、秋晴れの空を見上げた。

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