講釈西遊記

講釈西遊記

「いいのか? 一人で俺の相手はかなわんぞ」
 なだ太子がニタリと笑った。
「けっ、子分風情がえらそうにいうんじゃないよ。俺なんか、一番弟子だぞ」
 悟空は白龍の背で空威張りをする。
「しょせん弟子ではないかっ」
「うるせぇ、これでもくらえっ」
 妙意棒が左袈裟に振りおろされた。
 なだ太子は身をひねってこれをいなす。
 剣と棒がはげしくぶつかり合い、雨となる激しさだ。
(ちっ)悟空は本当に舌打ちをしてやりたい気分だった。(頼むぞ、沙悟浄っ)
 弟分への願いをこめて、孫悟空は妙意棒をふるう。

 羅刹女はいつのまにか消えていた牛魔王の部下を率いていた。
 御殿の衛兵が相手をしているが、百戦をこなしてきた妖怪たちにはてんでに押されている。今にも蹴散らされんばかりだ。しかも、彼らは太宗をも守らねばならない。
 三蔵の前に浮かぶ羅刹女が妖艶に笑った。
 両手に持つ青鋒宝剣が、陽光をはねかえし、羅刹女の笑みをきわだたせて恐ろしくしている。
 風がたち、僧衣がはためく。錫杖が、しゃらんと涼やかな音をたてた。
 三蔵は羅刹女と相対したまま、微動だにしない。
 高僧たちが三蔵の後ろで固まって震えている。彼らは三蔵のような法術を持っていない。古代妖怪の羅刹女と、戦えるわけがなかった。
「お前も托羽にさえ見初められなければこんなことにはならなかったのにねぇ」
 羅刹女が口許をゆがめ語りかけてくる。
「あながちそうとも言えぬ。こうしてお主たちの悪業を食い止めることができるのだからな」
 三蔵の言葉に、羅刹女は声をけたてて笑った。
「おかしなことをいうじゃないか。東大寺で、宝玉を奪われるのさえ止められなかったお前たちに、止められるかねぇ」
「止められるとも、私と弟子がさせるものかっ」
 三蔵の腹の据わりように、羅刹女の目が冷えた。
「気に入らない女だね。女はふるえるぐらいがいいのさ」
「手前は出家の身だ。女も男もない」
「じゃあ、なぶり殺しにしても、かまわないね」
 羅刹女の語尾に殺気が交じる。目の色が変わり、口が釣り上がった。憤怒の笑みに、僧たちが気圧されている。膝を折り、へたりこむ者。
 三蔵の頬を、冷汗が伝った。
 羅刹女の肢体が華麗に舞いをうつ。円舞のような剣技が三蔵に迫る。
 玄奘は錫杖をかざし、呪符をとばした。
 符がたちまち獣の形をとり、羅刹女に襲いかかった。青鋒宝剣がやすやすとこれを切り裂いた。
「死ね、三蔵っ」
 羅刹女の目がぐっと大きくなり迫ってきた。三蔵はぴくりとも動けなくなった。
(これは、『射竦みの法』っ)
 か細い体をふるわすが、凍り付いたように指すら動かない。
「これでもう止められない」
 羅刹女がまた笑った。
「て、鉄扇公主……っ」
 ようやくしぼりだした声も、かすれるほどにわずかであった。
 羅刹女の青鋒宝剣がヒラリと空に舞い上がる。
 今や、女僧の首を跳ねんとした時、いずこからか妖怪沙悟浄が駆け込んできた。
「まて、まて、まてぇ~い!」
 沙悟浄は、師匠を助けんとまっさかさまに急降下。地面にふれるかというところで、今度は急制動をかけた。
 三蔵の眼前に躍り出た沙の字は、手にした宝杖で青鋒宝剣をはっしとばかりに受けとめる。
「なんだ、貴様はっ」
 羅刹女は沙悟浄を知らない。お仲間の妖怪にじゃまをされて、目を見開いて驚いた。
「玄奘三蔵が三番弟子っ。姓は沙、名は悟浄にてござる!」
 妖怪沙悟浄は大声でよばわる。聞いていた高僧たちが、またも驚倒して腰を抜かす。
 鉄扇公主、かっとおこって目を光らせた。
 その瞬間、三蔵の神通力が弾けた。『射竦みの法』がわずかにとける。
「目を見るな、悟浄!」
 この声に、師に忠実な悟浄は反射的にまぶたを閉
じた。
「おのれっ」
 羅刹女は悟浄を呪ってとびはなれる。
 河童は深追いはせずに、動けぬ師匠にかけより守った。
「なんだ貴様っ。坊主のくせに妖怪なんぞ飼いならしおって」
 にくたらしい妖怪に手を挟まれて、羅刹女はムッときたのだろう。
「私にとってはかわいい弟子だ。愚弄は許さんぞっ」
 三蔵はやはり人物である。沙悟浄はグッと胸が熱くなった。許すまじ、鉄扇公主っ。
 悟浄は宝杖を真っ向にたてて走った。
「いやあああ!」
 悟浄の気迫に、羅刹女は驚いて剣を正眼にかまえた。
 宝杖を左右に振って、猛然と打ちかかれば、青鋒宝剣を手にした羅刹女は得意の二刀流で対抗する。
 しかし、羅刹女も大雁とまともに渡り合った妖怪である。
 沙悟浄はよく戦ったが、三十合もすぎた頃にはその差が如実に現われはじめた。しだいに防御一辺倒にかわり、見るにもあやうくなってくる。
「悟浄っ」
 三蔵が声をはり上げたときには、悟浄は胸を切り下げられ、弾け飛んでいた。
「悟浄!」
 のどがつぶれるほど悲痛に叫んだ三蔵に、鉄扇公主が切りかかる。
「お師匠っ!」
 倒れこんだまま、悟浄は絶望に心を凍らせた。
 羅刹女は三蔵に向かって、一直線に打ちかかる。
 あわや、斬られるかというところで、三蔵は何者かに突き飛ばされていた。
「托羽殿……っ」
 三蔵は息がつまるほど驚いた。彼女を突き飛ばしたのは、なんと第一太子の托羽である。
「おおっ」
「托羽殿っ」
 僧たちが感嘆の声を上げた。
「なぜ……?」
 三蔵が托羽の肩に手をかけた。
「すまぬ、三蔵っ。俺は……っ」
 後は声にならず、涙だけが流れはじめた。「托羽殿……」
 三蔵には托羽の気持ちが痛いほどにわかった。今、托羽を満たしているのは後悔だ。今までの所業を悔い、泣いている。
「じゃまをするかっ!」
 羅刹女が剣を振り上げる。
 托羽がこれで最後と目を閉じた瞬間、雷鳴とともに、広場の中央に稲妻が落ちた。
 衆目の目がつどうなか、砂煙が晴れていく。
 後に現われたのは、憤怒の形相をした仁王である。
「あれは、毘沙門天……」
 羅刹女の口から、ポツリとうめきにも似たつぶやきがもれた。
「そこまでだ、鉄扇公主!」
 見得を切っての登場に、羅刹女は大いにあわてた。
 毘沙門天の怒声が轟きわたる。この仏は須弥山を護る守護神である。かなわじと見て、羅刹女はとんぼ返りをうった。
 すると、彼女の体を衣が包み、ぎゅるぎゅると鞠ほどの大きさの球体にかわった。
「おぼえておいで、必ず出し抜いてやるからね!」
 鞠になった羅刹女が、ピョンピョンとびはね喚き散らす。
 毘沙門天がおのれと打ちかかると、羅刹女は一歩早くこれを逃れた。
「うぬ、逃げ足の早い奴めっ」
 毘沙門天が悔しげに呻く。
 羅刹女が逃げたのを見て、妖怪たちも泡を喰っての逃走をはじめた。
 我に返った太宗が、
「三蔵をとらえろ!」
 と叫んだ。
 三蔵は『射竦みの法』が効いてまだ動けなかったが、毘沙門天が、駆け寄る衛兵より早く袖に包み込みこれを救った。
 沙悟浄は、
(『天地を袖に包む法』だ)
 と思っているうちに、自分も袖に包まれていた。

逃れた牛魔王

 牛魔王と二郎真君の戦いは、ますます激しさをましていた。辟水金晴獣が駆け回り、牛の字の混鉄棒が流星のごとく飛びかう。
 魔王が頬げたをぶったたけば、真君は柄頭でアゴをかちあげる。
 風がゴオゴオと渦を巻き、二人の周囲には鳥も近づけぬ。
 そこへ雷とともに、時国天、広目天、増長天の三人が出現した。
 甲冑をつけた怒気あらわな武将形。無論、残りの三天王である。
「うぉっ」
「なんだ」
 二人は肝をつぶして左右に飛びすさった。
「帝釈天さまのご命令により、参上つかまつった」
 増長天が時代がかってよばわった。
「帝釈天だと、おのれっ」
 真君は神通力を発し、三王に向けて紫電をはなった。
 時国天たちが飛びのけば、紫電は三方に散って後をおう。三王は結界をはって、紫電を微塵に粉砕した。
「四天王が、出すぎるな!」
 真君は悪鬼の形相で、広目天に神鋒をうちこむ。胸にくらって、ふらつく広目天を、救いにかかる時国天。
 真君は小枝のように神鋒をふるって、三王を相手に意気天を衝く勢いである。
「俺を忘れるなよ、二郎神っ」
 ここに、牛魔王まで加わり、真君は四人をことごとく相手にせねばならなくなった。
 さしもの真君も、牛魔王に三王が相手では分が悪すぎる。
「これはかなわん」
 真君、身を引けば、四人は激怒して追撃する。
 あやうし、二郎神。
 三王はこぞって、太刀や鉾を振り降ろす。
 すんでのところで半身をひねった真君の横っ面を混鉄棒がひっぱたいた。
 その瞬間、真君の懐から宝玉が転げ落ちた。「しまった、宝玉がっ」
 真君が鋭く舌打ちをした。牛魔王の乗る辟水金晴獣が真っ先にとびだし、三王が一拍遅れて後を追う。
 宝玉はなだ太子と戦う悟空の目の前に落ちてきた。
「んっ?」
 悟空がとっさに空いた手で受けとると、牛魔王が混鉄棒で不意打ちをくらわした。
 ドタマにきつい一撃をくらって、悟空はたまらず気を失った。
「それは宝玉っ」
 悟空の手のなかにある玉を見て、なだ太子は驚いた。と、見る間に、宝玉は悟空の手から転がり落ちる。
 転げ落ちた宝玉を、牛魔王がとりもどした。「おのれ、牛魔王!」
 魔王めがけて三天王が殺到する。
 悟空は完全にのびて、白龍の背に横たわっている。
「しゅ、主人っ、しっかりしろっ」
 白龍が背中の悟空をゆすっている間に、騒ぎを聞きつけた托塔李天王と八戒もあらわれた。
 托塔李天王は、すぐさま牛魔王におどりかかったが、八戒はのびている悟空に気づいてこちらに来た。
「あ、兄貴、しっかりしてくれよ」
 八戒がゆすると、悟空はう~んと目をさました。
「うっ、いてて、なにが起こったんだ」
 悟空は軽く左右に頭を振りながら目を開く。
 八戒は托塔李天王にさんざんやられて、満身創痍である。
「宝玉はどうした?」
 見ると、あちらでは牛魔王をとりかこんでの大殺陣である。
「ありゃあ、四天王までまざってやがるぞ」
 小手をかざして眺めみれば、悟空の胸がわくわくと躍った。
「いきなり奴ら現われたかと思うと、二郎真君と戦いはじめたんでさ」
 悟空はすこんと状況を飲み込んだ。
「行くぞ、八戒っ」
 もはや逡巡もなく、弟分をひきつれ戦場に飛びいった。
 牛魔王に向かう真君を、なだ太子と托塔李天王が守っている。
 二郎神は広目天を押し退けながら、魔王に神鋒を突き立てた。牛魔王は混鉄棒をふるって、まさに羅刹の勢いである。
 恐るべき怪力で鉄棒をふるう牛魔王に、さしもの仏たちも容易には近づけない。
 そうするうちに三蔵を救った毘沙門天まで下から上がってきた。
 そこへ、悟空が乗り入れて、なだ太子に強烈な一撃を見舞った。そのうえ、
「伸びろ!」
 と、妙意棒をぐーんとのばして、ふらつくなだ太子を魔王の方に押しやった。
 牛魔王は無造作に飛び込んできたなだ太子に、驚いて鉄棒をふるった。なだ太子は横殴りにされて消し飛んだが、牛魔王も体勢を崩している。
 四天王と真君が、この機をのがさじと打ちかかる。
 遅れて、悟空が四天王を飛び越すようにして妙意棒をくりだした。
 牛魔王はたまらず、鉾をかいくぐって上へとのがれる。
 四天王が印を組んで次々と光球を打ち出せば、牛魔王は混鉄棒でことごとく打ち返す。
「兄貴ぃ」
 八戒が叫んだ。
 あっと思うや、牛の字はぺろりと宝玉を飲み込んでしまった。
「て、てめぇ牛公っ。大事な宝玉を飲み込むたぁ、どういう了見だ!」
 悟空は怒り狂って妙意棒をふりまわした。
 牛魔王は金晴獣と一体となり、巨大な白牛となった。黒煙をはき、猛然と角をふりたてる。
 仏に妖怪、人間まで加わり、まさに三つ巴の決戦である。
 そのうち四天王と托塔李天王たちが争いはじめ、戦いは乱闘の相を呈しはじめた。
 牛魔王はこの間隙をぬって、黒雲をよびよせた。
 濛々たる雲が急速に空をおおい、辺りは真っ暗になった。四天王は目から光を放射し、白牛を照らしだす。白龍と八戒も、同じように双眼から光を放った。
 黒雲はまだまだ増えて、層を厚く濃くしていく。
 四天王はめくらうちに神通力をこめた光球を放ち、牛魔王は角から稲光を放射して対抗する。
 白龍は体をのたくらせながら、上空の牛魔王に追いすがった。
「待ってくれよ、兄貴」
 八戒がまぐわをおっとり追いかけてくる。
 牛魔王はまっしぐらに黒雲をめざし、かっと角から雷を放ちながら、雲間に飛び込んでしまった。
 この黒雲は牛魔王の領域である。
「しまったっ!」
 真君は叱咤をもらし、なだ太子と托塔李天王をつれて、黒雲のまわりをぐるぐると飛びかった。
 悟空と八戒は迷わず、雲に飛び込もうとする。
「待て、悟空っ」
 毘沙門天が一声わめいて追いかけてきた。
 悟空と八戒はその手を逃れ、するりと雲の中に入っていった。
 こうなると、真君も意地がある。なだ太子たちを率いて雲をかきわけ押し入った。
 後を追う三天王。
「牛魔王!」
 悟空は真っ黒な雲のなかで、白牛の姿を必死にさがした。
「主人、あそこだっ」
 と白龍がわめいた。
 みると、白牛の尻尾が見え隠れしている。「見つけたぞ!」
 悟空が叫び、白龍が後を追った瞬間、四方から稲妻が二人を襲った。
 悟空はぎゃっとわめいて、白龍共々雲間を落ちていった。

 真君はなだ太子らと共に、牛魔王の後を追ったが、とんとその姿が見えぬ。そのうち雷電が周囲を飛びかいはじめ、とても立っていられない。
 三神は雲を飛びぬけ、雲上へ出た。
「牛魔王は逃れました」
 下に雲海をのぞみながら、なだ太子が口惜しげにうめく。
「うぬ、四天王めっ、奴らさえ出てこなければ……」
 真君は歯軋りをして悔しがったが、もはや後の祭りである。
 一方、八戒は、雲の中をだらりとして落ちていく悟空を見て、慌てて後を追いかけた。
「いわんこっちゃない」
 下で待ち構えていた毘沙門天が、悟空と白龍の体を受けとめる。
「こいつ、兄貴をかえせっ」
 それを見て、八戒はまぐわをふりかざしてうちかかった。
「これ、よさぬか八戒。この方は我らの味方だ」
 すると、この仏の服のたもとの辺りから、三蔵の声が響いたから、八戒は目玉が飛び出んばかりに驚いた。
「あっ、その声はお師匠」
 その時、雲を突き抜けて二郎真君の声が轟いてきた。
「覚えておれ四天王! この借りは必ず返すぞ!」
 それきり、真君たちの気配は消えた。
「逃れたか……」
 うめく毘沙門天の腕のなかで、悟空は死人のように眠っている。
 八戒が心配げにのぞきこんだ。
「兄貴は平気かね?」
「悟空めは無事だ。こっちの龍も多少こげてはいるが、神通力があるから平気だろう」
 そういったきり、毘沙門天は下界に目線をうつした。
 都は突然の天変地異に大混乱である。
 なにより宮中では、悟空たちを捕えんと兵隊がくり出されている。
「もう都にはいられまい。ついてまいれ」
 毘沙門天が身を翻したので、八戒は仕方なく後に従った。

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