講釈西遊記

講釈西遊記

釈迦如来の宝玉

 本山につれていかれた悟空はさっそく方丈に閉じこめられた。
 悟空は反骨精神旺盛らしく、大雁や寺の主たる者たちが、いくら諭したところで一向に承知しない。
 なぜ自分が寺を出てまで三蔵とかいう坊さまを助けなければならないのか、悟空はまったく合点がいかなかった。
 合点がいかなければ、悟空は梃子でも動かない。この強情っぷりには、大雁たちの方が、先に根をあげてしまった。

「もうしわけありませんな。あれは利かん気な奴でして……」
 東大寺の境内を案内しながら、大雁が詫びた。三蔵は苦笑しただけだった。
 悟空がああだとは、散々聴かされていたし、直に会って知っている。それに、ああいう気骨のある男でなければ、供はつとまるまい。
 それより悟空の鼻っ柱の強さにはほとほと感服してしまった。あれほどの頑固者は、都にもいないのではないか?
 そう考えると、悟空はますます頼もしい従者という事になる。
 三蔵はついうれしくなって、浮き浮きとしてきた。少々つむじ曲がりなところをのぞけば、あんな気強い相手はいない。
 三蔵はどうにか悟空をやりこめようとする高僧らの必死の姿を思い出して、また笑ってしまった。
 彼らも悟空は好きなのだ。約束を決してやぶらないし、悪いことは悪いと認める。悟空は筋が通っているのである。
 いたずら者のへそ曲がりで、いつも理に合わないことをしているが、性根はやさしく生真面目なのだろう。
 悟空のやり口はいつも爽快で、大胆不敵だ。それがなんとも小気味よい。それに天性の明るさがある。
 三蔵はこの時には、天竺への供は悟空以外にないと思うまでになっていた。
「どこへゆかれるのです、住持殿?」
 と大雁に問う声も明るい。
 振り向いた大雁は、ひどく真面目な表情で、見ていた三蔵のほうがおやっとなった。
「あなたが真実天竺へ行くというのなら、見ていただきたい物があります」
「なにをです?」
 三蔵は眉をしかめたが、大雁は黙りこくってなにも言わない。はさむようにして立っている円来と恵角を見たが、こちらも難しい顔をしたままだ。
 三蔵とて五百羅漢に選ばれた人物である。これはよほどのことに違いないと、これ以上の質問をひかえた。おそらく、寺の存亡に関わる重要なことを、自分に明かすつもりなのにちがいない。
 大雁が案内したのは、果たして寺の宝物庫だった。
 三蔵が足を入れると、ヒヤリとした空気が総身をつつんだ。
 窓がなく、中は昼間だというのに暗闇のようだった。風通りがないせいか、湿気ていてカビ臭い。それでも毎回手入れはしているようで、埃をかぶった物はなかった。
 経典が山と積まれ、木組みの陳列棚がズラリと並んでいる。さすがに金品の類はなさそうだ。壷やつづらがそこかしこに置かれ、しんとしている。
 大雁は音もたてずに歩いていった。
 奥に祭壇がある。壁をくりぬいたような形で作られていた。紫色の布の上で、なにかが光りを放っている。三蔵はそれが宝玉なのだと気がついた。
 大雁は布ごと手の平にのせ、三蔵に見せた。「わが寺が釈迦如来よりいただいたものです」
「釈迦如来さまからっ」
 三蔵はおもわず息を呑んだ。
 釈迦如来は世界をつくったとされる仏様である。
天竺国に住み、仏法世界では最高位にあらせられる。
 世界をつくったということは、人間を作ったのも、お釈迦様である。果ては仏をつくったのまで釈迦如来ということになる。今ある仏法も、釈迦如来の教えを説いたものなのだ。 釈迦如来の名は、三蔵すら恐れ多くて口にするのも憚れるほどのものなのである。その釈迦如来より賜わったとされる宝玉。これはただの宝物どころではない。
 大雁がうそをいっているとはとても思えなかった。だが、本当だとしてもこれはどえらいことだ。
 三蔵はそんなものが東大寺にあろうとは夢にも思っていなかった。おそらく大雁たちが隠しとおしてきた秘事なのにちがいない。
 長安の都の、どんな仏寺にも、こんな書伝は伝えられていない。捨て子寺。それは寺の秘密を守る上では、このうえなく便利なものだったのだろう。
 僧侶たちの大半は、外の世界を知らぬまま、東大寺の中で死んでいく。赤子の時から東大寺にいた彼らには、俗世を知ることもない。
 東大寺は完全に外の世界から隔離された砦なのだ。ひょっとすると、歴代の皇帝から嫌われたのは、彼らがそうなるよう仕向けたからなのではないか?
「今までこれを狙って数多の盗賊、果ては妖怪たちまで乗り込んできたそうです。私の代になってからでも、宝物庫にまで侵入されたことがありました」
「妖怪までですか?」
「寺に伝わる口伝には、これを持つものは四大陸、つまり東方世界を統べることができるのだと言われている」
「ま、まさか」
 三蔵は笑おうとしたが笑えなかった。大雁の表情は固く、否定することを許さなかった。
 ゴクリ、と咽がなる。
 大雁が続けた。
「東大寺の武芸はこの宝玉を守るためにあるようなものです」
「そんな物が、なぜここに?」
「それをあなたに調べていただきたいのです」
 意想外な答えに、三蔵は一瞬とまどった。
 おそらく大雁は、三蔵が東大寺の僧を連れていくと言い出した時から、この考えを抱いていたにちがいない。宝玉の秘事をあばくことは、東大寺にとっても昔年の彼岸であったにちがいないのだ。
 まさに、この宝玉は秘中の秘である。
 三蔵は堅い面持ちで問うた。
「悟空はこのことを知っているのですか?」
「もちろん知るわけがありません。ですがあやつが旅に出るのなら、話すつもりです」
 三蔵は宝玉に視線を落とした。
「東方世界を支配するとはどのようなことなのでしょう?」
 大雁は首をかしげた。
「はて、口伝にも、寺にあるどんな書物にも詳しいことはなに一つ載ってはおりませんので、今の状況では如何とも」
「それでは、これが本物かどうかも……」
「むろん、わかる者などいませぬ」
 三蔵は絶句した。
 口伝でのみその証を伝えられてきた宝玉の正体を、探ってくれと大雁は言っている。なんの手がかりもない、荒唐無稽な話だ。
 三蔵は正直まいった。
「こんな宝玉一つで世界を統治できるなどと……」
 三蔵が怪訝な顔を見せると、大雁もうなづいた。
「我々もまったく信じているわけではありません。しかし、話半分としても、大きすぎるのではありませんかな?」
 薄闇の中で、大雁和尚の目がきらりと光った。
 確かにこのまま放っておいていいものではない。
 三蔵はごくりと生唾を飲み、また宝玉に眼を落とした。

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