講釈西遊記

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混世魔王

 牛魔王の後を追った悟空と四海は、予想外の敵に阻まれていた。
 混世魔王である。
 黒ずくめの気どったいでたち。
 混世魔王の背丈は悟空より頭二つは高い。そこから、しゃがれ声を降ってよこした。
「ここから先は遠さんぞ、クソ坊主っ」
「うるせぇ、クソ妖怪っ」
 悟空はやはり妖怪妖怪といってもこんな物かとあなどっていた。混世魔王の凶悪な面構えを見ても物ともしない。
 どころか、今の悟空の頭はいかにして牛魔王を仕留めるかということで一杯だった。
「どけ!」
 混世魔王の脳天めがけて、不用意な一撃を送った。
 威力も早さも充分だ。が、混世魔王は悟空の期待に反して、楽々とこれを受けとめた。
 悟空の表情が引きつった。
「死ねっ」
 ギラギラ光る刀をびゅうんと振るって、悟空の首を一挙に狙う。
 四海は四海で、悟空の思い上りには少し腹を立て、足蹴で突き転ばした。
 混世魔王の刀は、危ういところで空を斬っている。
「お前はアホウかっ。妖怪をなめるでないわっ」
 魔王と向き合いながら、釘をさす。
 今はこんなところで戸惑っている場合ではないのである。悟空が愛弟子であればあるほど、四海の怒りは度合いを増した。
「いてて……」
 悟空は結構な蹴をどてっぱらにくらって息をつまらせたが、すぐに気を取り直すと立ち上がった。
 混世魔王は大きな目玉をぎょろりぎょろりと動かして、二人の間合いを計っている。
 悟空と目があって、その口許がニタリと歪んだ。明らかな嘲笑だった。
「今までの相手とは格がちがうと思え」
 四海がささやいてきた。
 いくら悟空でも、いまの一撃で目が覚めた。四海が突き飛ばさねば、悟空は今頃首をはねられていたはずである。考えだけで肝が冷えた。そうなるとすぐに反省するのが悟空のよいところ。
 悟空は棍を携えながら、今度はジリジリと混世魔王に寄っていった。
 それは、悟空がはじめて会った、骨のある妖怪であった。
「わかったよ、師匠」
 珍しく素直な悟空に、四海はニヤリと笑みをみせた。
「ゆくぞっ」
「参れっ」
 四海が声を合図に間境を越えた。
 身体の大きな混世魔王は間合いが遠い。しかし、四海の攻撃は混世魔王の意外からきた。
 腕がしゅるしゅると伸びてきたのである。
 混世魔王は慌てた。頭を狙った刀を切りかえ、伸びてきた腕をめがけて振り降ろした。
 しかし、次に起こったことは、さらに混世魔王の予想を裏切るものだった。
 魔王の刀が、斬り飛ばされるはずの腕に、かたい音をたてて弾き返されたのである。
 四海は仙術で腕を鉄に変えたのだ。
 あっとおもった瞬間には、鳩尾に拳をくらっていた。
 四海の右腕はさらに伸び、混世魔王を背後の幹に叩きつけた。
「やった」
 悟空の顔がパッと輝いたが、そこはいまは牛魔王の軍門に下ったとはいえ、元は一党を束ねた魔王である。
 痛みをこらえて立ち上がってくる。
「むう……」
 四海はうめいた。混世魔王は想像した以上の妖怪だったようだ。
 今度は四海が自分をたしなめる番である。「おのれっ」
 混世魔王は怒りに燃えた目でこちらを睨みつけてきた。眼光で射殺そうとでもいうかのようである。
 事実、その目から銀光を発した。
「うわっ!」
 二人を光が一条ずつ襲った。横っ飛びに逃げて躱したが、そこへ混世魔王が挑みかかってきた。魔王が走ったのは悟空の方だ。
 四海をてごわしと見ての行動だったが、今度は悟空も落ち着いている。
 魔王の刀をチョイと受け流すと、その鼻面を正確に突いた。
 正に恐ろしいまでの威力である。混世魔王の顔面が、その一撃でボコンとへこんだ。
 魔王は慌てて飛び離れると、後頭部をポンと叩いた。へこんだ顔が元に戻る。
 混世魔王は、今までに、こんな剽悍な棍術は見たことも聞いたこともなかった。羅漢棍術ここにあり、である。
 これもかなわじと逃げにかかったが、その先に四海が待ち構えていた。
「あっ!」
 四海の手刀が魔王を襲った。混世魔王は妖力をつかう間もなく、首を斬り飛ばされていた。
「さすがは師匠だっ」
 自分で仕留められなかったのは、残念至極だが、悟空は無邪気に喜んでいる。
「こやつ……」
 四海は苦笑するしかなかった。初陣のくせをして、このはしゃぎようはどうだ。
 やはり天竺へ行くのは悟空しかないと、その場にそぐわぬ確認をとりながら、四海は宝物庫を目指すのだった。

宝物庫の番人

 時間は少しさかのぼる。
 辟水金晴獣を駆って、宝物庫をさがしまわっていた牛魔王は、ようやくそれらしき建物を発見した。
 しかし、そこにも二人の僧が待ちかまえていた。妖怪来たるの報を聞くや、すぐさま宝物庫に走った、円来と恵角である。
 三蔵の案内の時もいたが、それもそのはず、この二人は寺の中でも特に宝物庫の番人であることを命じられている。だから、逸早くここにたどり着くことができたのだ。
「うぬら、命はいらぬか?」
 牛魔王は傲然と問うた。
「もとより」
 答えは不要と、二人は構える。この妖怪がまさか牛魔王だとは思わない。
 たった一匹なら、二人で充分と判断した。それが失敗だった。
「義をもって、宝玉を頂戴いたすっ」
「盗人が、なにが義だ!」
 牛魔王は混鉄棒をびゅうんと一振りして、辟水金晴獣に蹴をくれた。
 一丈もある超巨体が、おそろしい早さで迫ったのだから、さすがの二人も仰天した。
 牛魔王は混鉄棒をびゅんびゅん振り回して、恵角に凄まじい一撃をくわえた。
「うわ!」
 混鉄棒が円来の鼻先をかすめ、恵角の腹を一打ちした。
 そばにいた円来がぴくりともできなかったのだから、恵角が反応できるわけがない。
 恵角はたまらず吹き飛び、宝物庫の壁に叩きつけられた。
 円来は声もなかった。牛魔王の一撃は、まさしく二人の自信を粉微塵に吹き飛ばしたのである。
「ば、ばかな……」
 円来は、ようやくそれだけ言えた。
 恵角が腹を押さえて、どうにか半身を起こしている。
 牛魔王の顔に感心の色が浮かんだ。さすがは東大寺の僧だった。
「き、貴様、ただの妖怪ではないな……何者だ?」
 恵角が、苦渋にゆがむ声をしぼりだす。
 牛魔王はニタリと口を開いた。
「牛魔王よ」
「牛魔王だとっ」
 その途端、沈着な円来の顔に驚愕の色が浮かんだ。それはそのまま恐怖の色だった。死ぬことではない。宝玉を奪われることへの恐怖だった。
 牛魔王とは、人間にとって、それほどの存在なのだ。
「西域妖怪の牛魔王が、なぜここにいる?」
 この疑問に牛魔王は答えなかった。ほとんど身体を振らずに、混鉄棒を回転させた。
 十万斤の混鉄棒が、大上段から落ちてきた。
 円来は左に逃れると、牛魔王の内懐に飛び込んだ。獲物が混鉄棒なら、接近戦は有利と読んでの行動だっ
た。
 しかし、牛魔王はまたも鉄棒を回転さすと、円来の顎をかちあげた。
 骨が砕け、円来の体が大きく舞う。
「円来!」
 恵角は素手の不利を悟って、棒手裏剣を投げた。牛魔王は当然一振りでこれをことごとく打ち飛ばした。
 その間に、恵角と円来は、『絵柄残しの法』を用いて、牛魔王の背後にまわった。
 これは、蝉の脱け殻のごとく、身代わりを置いて、敵の目を眩ます術である。
 牛魔王はさすがである。瞬時に目に映る人間どもが偽物だと気がついた。
 軽く飛んで、真後ろに両足を蹴りだす。二人は一足ずつ上手にもらって、またしても派手にふっ飛んだ。
「ば、ばかな……」
 まさに噂に違わぬ強さである。勝てるなどとんでもない。まともに戦うことすら出来ないのだ。
「悟空……」
 ふとその名が口に出た。
 そうだ悟空だ。あの男なら、この化物とも互角に戦える。
 なんの確信があるわけでもない。しかし、二人はそう信じた。ならば、今は悟空を頼みに、この場を保たせればよい。
 立ち上がった二人を見て、牛魔王はまた意外そうな顔をした。もう死んだと思っていた。
「東大寺の僧はよく動くな」
 魔王はほめたつもりだったが、二人にとっては屈辱でしかなかった。

 一時遅れて宝物庫に走ることになった大雁たちは、途中で意外なものをみつけた。
「混世魔王です」
 妖怪に詳しい者が言った。
 これならば納得できる。混世魔王は大唐国でも国境近くの妖怪である。牛魔王に懐柔されていたとしても、なんら不思議はない。
 大雁とともに来た三蔵が、錫杖を支えに跪いた。
「牛魔王はやはり宝玉を?」
 三蔵がささやくと、大雁はそのようですとうなずいた。
 牛魔王がいる所に、三蔵を連れていくのはためらわれたが、この女御殿は存外に頑固である。
 大雁は配下の僧たちと目線をかわし、再び宝物庫をめざすのだった。

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