講釈西遊記

講釈西遊記

孫悟空と牛魔王

 洪福寺で厩に繋がれていた白龍は、宮中の方角から漂う異様な妖気に気がついた。
(これは主人の身に何事かあったな)
 と思い、綱を引き千切ると、ふわりと空に舞い上がった。
「俺を置いていったりするからだい。きっとばちが下ったんだ」
 白龍はプリプリ怒ってはいるが、それでも急ぎ御殿に駆けていった。

 一方、宮中では牛魔王による大立ち回りが演じられていた。
「八戒、悟浄、ついてこいっ」
 悟空が言ったが、二人にとってはとんでもない話である。
「行きたいけど武器がないよ……」
 と言い訳をしたが、悟空は側近が、三蔵の荷物と一緒に、まぐわと宝杖を持ってきたのを目ざとく見つけている。
「あそこにあるだろう! とってこいっ」
 二人は悟空にケツをケッ飛ばされ、しぶしぶ武器を取りに出かけた。
「悟空、本当に戦うのかっ」
 三蔵がそばに来てわめいた。悟空が東大寺で、牛魔王に手も足も出なかったのを知っていたからである。
「当たり前だろうがっ。俺はそのために寺を出たんだぜ!」
 そこに白龍がやってきた。
 割れた天井から飛び込んできた白馬に、太宗たちはまたまた顎も落ちんばかりに驚いた。
「いいところに来た」
 と悟空がその背に飛び乗った。
「ひでぇよ、主人。俺のこと忘れて置いて行くんだから」
 白龍はさっそく文句を言っている。
「悪かったよ、そうくさるな」
 悟空がまいっていると、白龍は壁を背負って戦う牛魔王に気がついたようである。
「あ、あいつは牛魔王っ」
「おっ、よく知ってるな」
「なんで牛魔王がこんなところにいるんだっ」
 白龍がヒステリックにわめいていると、三蔵がその前に立ちはだかった。
「やめるんだ、悟空っ。お前は仙術を封じられているんだぞ」
「へっ、仙術なんてなくたって、この妙意棒をひとしごきすれば、あんな牛はイチコロよ」
 悟空は威勢よくわめいて、妙意棒を伸び縮みさせている。
 どうやら、また生来のお調子者の血が騒いでいるようだ。
 そこへ、まぐわと宝杖をとり戻した二人がおっとり戻ってきた。
「あれ、白龍じゃない。どうしてこんな所にいるんだ」
 こんな時でも八戒はやはり呑気である。
「兄貴ぃ。牛魔王は西域妖怪のボスだよ。逆らわない方がいいんじゃない」
 と悟浄は気が進まない。
「けっ。牛ごときに何を言っていやがる。俺はどうしてもあいつとやらなくちゃならないんだ。イヤなら来るなっ」
「そんなぁ」
 二人は早くも泣きべそをかいている。同じ妖怪でも、格がちがうとこうも情けなくなるものらしい。
「さすがは主人。男だねぇ」
 白龍が感にたえたように首を振った。
 そこに三蔵がしがみついてきた。
「馬鹿者! 牛魔王と戦うことはならんぞ!」
「なにいってやがる。俺はあいつから宝玉をとりもどさなきゃならないんだ」
 もみあっているうちに、牛魔王が吠えた。「どうした孫悟空! 前回で懲りたか!」
「牛を相手にビビる道理があるか!」
 すがる三蔵をふり払い、白龍は牛魔王めがけてすっ飛んでいった。
 八戒と悟浄もついには腹を据えると、『白雲里の法』をつかって悟空の後を追いかけた。
「お師匠はそこに居て下さい!」
 悟浄が叫び、宝杖をふるった。
 牛魔王は、口から黒煙を吐いて天井を吹き飛ばすと、屋外へとおどりでた。

 牛魔王を乗せた辟水金晴獣は、グングン上空へと駆け昇っていく。
 白龍に乗った悟空ものがさじと追いすがる。「野郎め、ばかに上までのぼりやがるぞ」
 いい加減ぼやいていると、
「主人。頼むからおっこちないでくれよ。あんた、術が使えないんだから」
 白龍が心配そうに忠告した。
「兄貴、待ってくれよぉ」
 八戒と悟浄が、大声を張り上げついてくる。
 悟空が振り向くと、白龍が速度をゆるめた。「ありがてぇ」
 白雲に乗った二人が悟空の両隣にならんだ。
 牛魔王はかなりの上空にのぼったところで、くるり辟水金晴獣を翻転させこちらと正対した。
「東大寺は愚か者ぞろいだな。貴様など何度こようとものの数ではないわ」
 魔王は大きく口を裂いて三人を威嚇した。「へっ、よぉく俺の持ってるものを見ろい。この妙意棒は伸縮自在の神器だぞ」
 これを聞くと、牛魔王はガハハと大笑した。「獲物など何を使ったところでおなじ事よ。俺の混鉄棒とて、十万斤の名器。そんな棒は一打ちでお仕舞いだ」
「妙意棒は十万八千五百斤だぞ。てめぇのスリコギと一緒にするな」
 スリコギとは鉢で物を摺るのに使う棒のことである。
 大事な混鉄棒をスリコギなんぞと一緒にされてはたまらない。
「スリコギだとっ。うぬ、この猿めがっ」
 牛魔王は怒って鉄棒で打ちかかった。
「うわぁあ!」
 八戒は牛魔王の形相にたまらず逃げ出した。「こ、こらっ、八戒っ」
 悟浄はなんとか踏み止まったが、恐怖のあまりオロオロしている。
 金晴獣がガバリと口を開く。白龍も負けじと、目から金光を放った。
 牛魔王は胴体をぐぅんと伸ばして、真上から混鉄棒をふりおろした。
 悟空は妙意棒を掲げて、ぐわんとこれを受けとめる。
「えいっ、頼りにならん相棒どもだっ」
 悟空は混鉄棒をギリギリと食い止めながら、口の端からしぼるような声をだす。
「うぬぬ、つぶれろこのクソ猿が」
 牛魔王は力で押し切ろうとする。両腕の筋肉がメキメキと膨れる。すさまじい剛力に悟空の渾身が悲鳴を上げた。
 その時、魔王が口をもごもごやりはじめた。『金剛力の法』である。
(やばいっ)
 悟空は仙術がつかえない。
 ままよ、と『万人力の法』を試みるが、どうしたことか神通力がさっぱり働かない。
 悟浄が助太刀するが、牛魔王は術を完成させて、混鉄棒を押し切った。悟空と白龍はバランスをくずしてたまらず吹き飛んだ。
「ですぎたな、孫悟空!」
 と、牛魔王が追い打ちをかければ、
「待てぃ、この沙悟浄が相手だ!」
 悟浄が大見得を切って立ちふさがる。牛魔王はえたりと鉄棒をふるい、二人はガッチャガッチャとやりあったが、悟浄ではとてもかなわない。
「ちくしょう、ほんとに封じられちまったのかっ」
 と、こちらでは、吹き飛ばされた悟空がいろいろと呪文を唱えているが、彼の神通力はすっかりなくなって、これでは術も法もない。
「さすが牛魔王だね。べらぼうな強さだ」
「感心してる場合か。あの野郎、本当に俺の仙術を封じやがった」
 悟空はギリギリと歯噛みしたが、もう後の祭りである。
 こうなると、さしもの悟空も少々不安になってきた。義兄弟の八戒など、牛魔王に怒鳴られただけで逃げ出す始末である。
「おい、牛魔王ってのは妖怪の中じゃそんなにえらいのか?」
「えらいね。妖怪にもあれだけ強いのはちょっといない。八戒が裸足で逃げるのも無理はないよ」
 白龍は呑気に答えたが、次にあっと声を上げた。
 向こうでは牛魔王がガラ声をあげて、悟浄を押しまくっている。
「主人、悟浄が苦戦してるぞ」
「いけねぇ、忘れてた」
 悟空があわてて駆け付けると、魔王は腕を六臂に変えて応戦する。
 悟空と沙悟浄は力を合わせて戦ったが、五十合打ちあってまだ勝負がつかない。
 そのうち牛魔王は混鉄棒を二本としたので、さすがの二人もしだいに受け太刀となっていった。
「ちくしょおめ、なんて凄い奴だ」
 ぱっとその場を飛び離れながら悟空がうめいた。
「あ、兄貴。やっぱり二人じゃだめだ」
 見ると、悟浄はすっかり息が上がっている。
 そこへ、
「兄貴ぃ、てぇへんだよぉ」
 どこぞに姿をくらましていた八戒が、慌てふためいて戻ってきた。
「てめぇ、どこへ行っていた」
 悟空は雷王のように怒ったが、
「それどころじゃないんだよぉっ」
 八戒が指差す方を見ると、兵に化け忍び込んでいた牛魔王の部下が、本性を現わしてこちらに攻め昇ってくる。
「こりゃ、やばい」
 八戒と沙悟浄もたちまち本性をあらわした。
「お前の命運もここまでだな」
 牛魔王が呵呵と大笑した。
「うるせぇ、とっとと宝玉を返しやがれ」
 悟空は怒って妙意棒をふりまわしたが、それであの妖怪どもが消えるわけではない。
 八戒と悟浄はもうだめだと、互いの身を抱き合った。牛魔王一人でも手強い奴なのである。そこにあの妖怪軍団が加わっては勝ち目などあるわけがない。頼みの兄貴は仙術を封じられているし。
 牛魔王は鼻で笑って答えた。
「ふん、玉コロ一つでうるさい奴よ」
 どうやら宝玉の価値をまるきり知らないらしい。
「バカ野郎っ、あの宝玉はな、東方世界を統一できるありがたい代物なんだぞ。お前みたいな牛妖怪が持ってていいもんじゃないんだっ」
 東方世界を統一できると聞いて、牛魔王はぶったまげた。
 郭羽はただの宝だと言っていた。自分はだまされたのだ。
「しまったっ」
 と一声叫ぶと、三人を蹴散らし、急降下をはじめたではないかっ。
「大王さま」
 出迎えようとした手下まで弾き飛ばしたから、牛公の怒りのすごさといったらこの上ない。
「くそっ」
 牛魔王の体当たりで、またもフッ飛ばされた悟空は、なんとか白龍の背にはい上がり、不屈の闘志で後を追いはじめた。

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