講釈西遊記

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 第三章 八戒と悟浄

八戒登場

 二人は夕方には最初の目的地である、碧南の村についた。
 日没とともに涼気がました。三蔵は一夜の宿を、村の寺に頼むつもりだった。五亮という男が、住持をしているはずである。
「天竺ってのはどこにあるんだ?」
 白馬のたずなを引きながら、悟空はさも興味ありげに聞いてきた。
「わからない。孝達さまの話では見える者には見えるのだという」
 孝達というのは先年天竺より経典を持ち帰ったとされる大唐国一の名僧である。
「なんだ、そりゃっ。どこにあるのかもわからねぇのか」
 悟空は癇癪を起こして手をふり上げた。
「はるか西域。三十六国のさらに西」
 まるで謎かけだった。
 悟空はふざけるなと言わんばかりに手綱を引っぱりはじめる。
「妙だな」
 馬の背で揺られながら、三蔵はふと小首を傾げていた。
「なにがだ?」
「静かだとおもわんのか」
 心外そうに悟空を見た。
「別に。俺にわかるわけないだろう」
 そういえば、悟空は村に着いたのも、こうして目に見るのも初めてである。
 三蔵は得心がいくと、また頭をかたむけはじめた。
 この時間帯なら、人影がないのはうなずける。しかし、声一つたたないのはおかしい。
 炊事の煙も、一本たりとものぼっていない。そのくせ人の気配だけはあるのだ。
(隠れているようだな……)
 明敏な五感がそれを告げていた。三蔵はまた視線を投げた。そういう点では獣なみの悟空が、気づかないはずはない。
 悟空も確かに変だと思っていたが、夕暮どきはこうなんだろうなと考えたぐらいだった。
 夜は妖怪どもが活発化する時間帯だ。村人が隠れていても不思議はないと思っていた。

 五亮のいる寺は、村の中心にあった。
 悟空が馬を木につないでいる間に、三蔵はしなびた寺院に入っていった。
「ご住職」
 戸を押して、中に声を投げかける。一人の僧が立っていた。五亮ではなかった。
「これは三蔵殿」
 男はこちらを知っているようだが、三蔵にはこれといって見覚えはない。
 悟空が傍まで走ってきて、
「あっ、悟明師兄」
 と、驚いたように声を発した。
「悟空ではないか。こんなところでなにをしている?」
 悟明が意外そうに近づいてきた。
 三蔵が振り返る。
「知っているのか?」
「俺の兄弟子だ」
 と悟空が答えた。確かに、服装はお互い東大寺のものである。
 悟空は疑わしそうに眉をしかめている。
「こんなところでなにをしてるんです、師兄?」
「妖怪退治だ。村人に頼まれた」
 悟明の言葉に、三蔵ははっと気がついた。「まさか、五亮殿はっ?」
 女僧の問いに、悟明はためらうように告げた。
「残念ながら、お亡くなりなられた」

 碧南村はさほど大きくない村だ。人口も二百人たらず、多くは農耕と牧畜で生計を立てている。その小さな村に、先月から二匹の妖怪が出没しはじめた。
 村の住職である五亮は武術の心得があったがため、この二匹を退治しようとしたのだが、力およばず敗れてしまった。
「妙な奴らでな。どうも憎めんところがあるのだ」
 悟明は困ったように頭をかいた。
 悟空はそうはいかない。つい昨日、牛魔王にコテンパンにやられた所でもある。
「なに言ってんだ、そいつら五亮ってのを殺したんだろう!」
「いや、そうではない。五亮殿は妖怪にではなく、長年わずらっていた心臓病に倒れられたのだ」
 妖怪を退治しようとした五亮は、しばらくそいつらとやりあっていたらしい。東大寺への連絡が遅れたのはそのためだ。
 悟明が来たのは二週間ほど前のことだった。
 以来なんどか現われたのだが、まともには戦わず二匹で翻弄しては逃げてしまう。キツネに化かされているようなものだった。
 おかしなことだが、妖怪どもに五亮を殺すつもりはなかったらしい。奇妙な妖怪で、一晩中暴れまわっては、夜明けとともに帰っていく。畑を荒らし、家畜を盗むが、人間には手を出さない。
 たしかにおかしな妖怪だった。
「やはり退治しますか?」
 三蔵はどうやら気が進まないらしい。
「狂暴な奴らではないのですが、放っておくわけにもいかんでしょう。村人をどうこうするわけではないが、ずいぶんないたずら者らしい」
 と悟明は悟空を見た。言外に、お前と同じだと言っている。
 悟空は不服だったが、ここは黙殺でやり過ごした。
「それで、お前はなにをしている」
 悟明は疑わしげに悟空を見つめた。
 二人は仕方なく、東大寺で起ったことをすべて話した。
 三蔵が、東大寺に天竺までの供を求めて来たこと。牛魔王が妖怪をひきいて乗り込んできたこと。
 結果宝玉をうばわれ、悟空がとり戻すために寺を出てきたこと。
「な、なんだと、宝玉が盗まれたのかっ?」
 悟明はすっかり狼狽してしまった。そんな話は寝耳に水である。
「こんなことをしておる場合ではない! 寺に戻らねば!」
「もうおわっちまったよ」
 素っ気なく言う悟空を、悟明はすごい目で睨みつけた。
「なんでお前はそうなんだ! 住持殿に頼まれたのだろう! もっと真面目にやれ!」
 と、八つ当りまではじめる始末である。
 悟明はクソ真面目がすぎる坊さまで、その上声もバカデカイ。悟空はちょっと苦手だった。
「はいはい、真面目にやってますよ」と悟空はさっぱり口が減らない。三蔵を横目で見ながらささやいた。「悟明師兄。この坊さま、本当にえらいんですかね?」
「だ、だまれ、悟空! お前はなんと失礼な奴だっ。三蔵どのは五百羅漢のお一人なのだぞっ」
「まぁまぁ、悟明殿」
 三蔵が片手をふって師兄弟の仲立ちをする。
 悟明はフーと溜息をつくと、腕を組んで頼み込んだ。
「悟空よ。なんとか手伝ってくれぬか。相手が一人ならわし一人で充分だが、二人ではどうにもとり押さえられん」
 ほとほと手を焼いているようだ。
 悟明は真面目すぎて、ああいう策略を用いる相手にはてんで弱い。疑うことを知らないので、コロリと騙されるのである。妖怪どもにとっては、なんともやりやすい相手といえた。
「わかったよ」
 すると、悟空は無造作に了承した。牛魔王に勝つためには、妖怪をよく知る必要がある、と思ったのだ。
 悟明はほっとして吐息をついた。
 悟空は三蔵に向き直った。
「いいよな、三蔵」
「なに、手間はかからん。奴らは今日あらわれるはずだ」
 悟明があんまり確信ありげに言うので、悟空は不思議がって、なんでですと聞いた。
「おかしなことに、奴らは三日おきに現われるのだ。妙に規則正しい奴らでな」
 悟明はしきりに首をひねっている。
 道理で、村人が隠れているはずである。今日がその三日目なのだ。
「師兄には適いませんよ」
 悟空はへらず口をたたきながら、妙意棒で手をトントン叩いた。
 寺を出て以来、まだ一度もつかっていない。悟空は妙意棒の威力をためしてみたかったから、実にいい機会だと思った。
「それで相手はどんなのです?」
「豚と河童の妖怪だ」
「豚?」
 悟空は奇妙な声を出し、ついでゲラゲラ笑いはじめた。
「ぶ、豚だって。あははははっ」
「おかしくないわ、馬鹿者ぉ!」
 悟明がケツをけっとばし、悟空は表に転がりでた。
 悟明は苦々しそうに歯をかみながら、振り返り、「それで、三蔵殿はなぜ男の格好などをしているのです?」
「ご、悟明殿っ」
 三蔵は慌てて悟明の口をふさいだ。
「悟空には私が女であることを隠しているのです」
 三蔵は天竺へ向かうことになったこれまでのいきさつを語った。
「なるほど、それは災難でしたな」
 悟明はいやに感心しながらひとりごちた。「しかし、悟空が本当のことを知ったら怒りますよ。あれは利かぬ気な奴ですから」
 大雁にも言われた気がする。
「そのうち折を見て話しますよ」
 三蔵が苦笑した瞬間、外からなにかが壊れる音が聞こえてきた。
 悟明ははったと棍棒をたぐりよせた。表で悟空がわめいている。
「なんだ、てめぇは!」
 悟明が寺院を出ると、ちょうど悟空が一匹の妖怪と向かい合っている所だった。
「お前こそなんだっ。いつもの奴と違うぞ」
 三蔵が見たところ、その妖怪は確かにブタだった。色が黒く、口は長くつきだし、耳も大きい。悟空より頭一つ高かった。
 がさついた肌と、首にはえた鬣が特徴だった。
「八戒の方です」
 悟明がささやいた。
「八戒?」
 三蔵がくりかえすと、
「変なブタでして、八つの忌み物を食わんのです」
 悟明が付け足して答えた。
 忌み物とは、にんにく、ねぎ、玉ねぎ、にら、天上のがん、地上の犬、水中のやつめうなぎの八つである。
 あの妖怪は、八つの戒めを守ることから、八戒と名付けられたらしい。
 三蔵は、なるほどなぁと感心してしまった。こんな名前までつけられていることを取ると、どうもそんなに憎まれてはいないように思える。
 いたずら好きなところといい、なんとも悟空に似た妖怪だった。
 それによくよく見ると、愛敬のある顔をしているではないか。
 滑稽すぎる顔は、時に愛くるしさを催すものだ。八戒が愛くるしいとは言い過ぎだが、三蔵はどうにもこの妖怪が憎めなかった。
 八戒と悟空は互いに胸をはって威張りあっている。
 三蔵はおもわず吹き出しそうになった。にた者同士のくせに、双方相手が気に入らないらしい。
「そうか、援軍をよびやがったなっ」
「てめぇなんぞを相手に援軍なんか呼ぶかよっ。通りがかっただけだいっ」
 悟空は妙意棒を地面に突っ立て威勢よくまくしたてる。
 対する八戒は、九本の歯を持つまぐわである。
「身の程知らずのブタ公めっ。逆さずりにしてあぶってやるぞ」
「あっ、お前、俺を食う気だなっ。坊主は肉を食ったら駄目なんだぞっ」
「お前のドブくせぇ肉なんぞ誰が食えるかっ」
 悟空は顔を真っ赤にして、妙意棒を差し上げた。
「これ、はしたないぞ、悟空っ」
 あまりの見苦しさに、見兼ねた悟明が声をかけた。
 すると、八戒は、
「あっ、お前はこの間俺を叩いてくれた野郎っ」
 まだいやがったのかと言いたげだ。
 三蔵は村人たちが、家々の陰からこっそりこちらを覗いていることに気がついた。
 この大きくて、力の強い妖怪には近寄れないが、悟空と八戒のやりとりがおかしくて仕様がないらしい。なんとも始末に終えない話だった。
「師兄、こんな野郎にてこずってたんですかっ」
 悟空が呆れたように言った。
「ああっ、お前、今俺をバカにしたなっ」
 八戒はどうも頭の方は弱いらしい。
「バカにしたがどうした、この阿呆!」
「阿呆はてめぇだろうが、腐れ坊主!」
「なにをブタ公!」
「ほざくな人間!」
 悟空と八戒は互いに罵りあうと、それぞれ妙意棒とまぐわをふりかざして襲いかかった。
 戸口から覗いていた者が、さっと奥に引き込む。
 妙意棒がガチンとまぐわを受けとめた。かと思うと、悟空はクイと手首を返して、八戒

□  お話とぎれる

ああ、なんと残念なことに。これ以降は原稿が途絶えております。この後、悟空と八戒の一勝負は、悟空側に軍配があがり、八戒は沙悟浄の待つ、沼までとって返します。悟空と八戒たちは、村を谷を駆け回って妖術勝負をくり広げます。なかなかコミカルで大好きだったこのシーンも今のところ取り戻すすべがないようです。私も残念。 さて、八戒と沙悟浄は、悟空との勝負に敗れ、三蔵の弟子になります。四人は碧南の村を出発し、都への旅を続けるのですが……。 話は、第四章の冒頭から始まります。

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