講釈西遊記

講釈西遊記

三蔵の弟子

 悟空がいなくなると、東大寺は火が消えたようにさびしくなった。
 僧たちは悟空がやったいたずらの数々を思い起しては、そのたびに笑い合った。
 寺にいれば手を焼いた悟空も、いなくなってみるとひどくさみしい。小坊主たちもここのところ元気がない。
 味気のない、単調な日々が流れていく。こんなに安穏とした生活は、いつ以来だろう。
 一同、その身を案じていたところに、悟空がひょっこり戻ってきた。

 三蔵と共に旅立ったはずの悟空が武の山に戻ったときいて、大雁はさすがに慌てた。
「もしや、三蔵殿の身になにかっ?」
 心配性の五海がわめいたが、どうもそうではないらしい。そのうち、三蔵が女だと知った悟空が、だまされたと騒いでいるという話が舞い込んできた。
 大雁はなるほどと思った。それなら得心のいく答えである。

 悟空は山頂に座りこんだまま、終日弱って過ごしていた。
 東大寺では、なにより義を重んじる。物もわからぬうちからそのことを諭し聞かせる。
 悟空もそんな育てられ方をされたから、三蔵を心配しないはずがない。
 悟空は三蔵にテレているのである。というか、女という言葉に弱っていた。
 今まで男ばかりの東大寺にいたから、女などには触れたこともなければ口を利いたこともない。どう扱ったらいいのかわからなかった。
 しかも、三蔵の入浴姿が今も胸裏に浮かぶのである。悟空はひどく慌ててしまった。
 心を沈めようと座禅を試みるが、座禅はもともと苦手の一つだ。
 じっと座っていると、湯煙が浮かんできて、その向こうに人影まで見える始末。悟空はうわぁとわめいて立ち上がった。
 三蔵の、凛として、可憐な細いあごが、目の前をちらついている。
「いかんっ」悟空はわめいた。「どうやら俺は狂ったらしい……」
 悟空はしょんぼりしながら、山を降りはじめた。
 八戒と悟浄が東大寺にたどりついたのは、その日の夜のことである。

 悟空は水簾洞の寝台に寝そべっていた。
 兄弟子の帰りを喜んだ小坊主たちが、腐るほど食物を持ち込み、それが山積みにされている。
 寝台の下では元の姿に戻った白龍が、身を小さくして丸まっていた。
「いいのかい、主人。お師匠さんは悲しんでるんじゃないのかね?」
 眠った猫みたいな格好をして、白龍がチロリと眼を上げ悟空を見た。この龍は、最近ではすっかり小坊主たちのいいオモチャになっている。
「ふんっ。俺が知るかよ」
 悟空は素っ気なく答えて寝返った。
 白龍はふーと鼻から炎を吐いて、上にいる悟空に蹴とばされた。
 水簾洞はあいかわらず子供たちでにぎやかだ。悟空はここが好きだった。しかし、昔とは違うものが、自分の中にできてしまった。
「八戒と悟浄の奴はしっかりやってるかな?」
「気になるなら戻ればいいのに……」白龍が呆れている。
 そんな折、洞門の方角から、広銘が息急き切って駆けてきた。
「師兄、大変です! 妖怪が乗り込んできました!」
 水簾洞にいた小坊主たちが、みな騒ぐのをやめ、広銘のところへ集まってきた。
「それで、どうなった?」
 悟空が広銘の肩をつかむと、
「幸い住持さまたちに捕まりましたけど、今度は悟空師兄に会わせろと騒いでるんです」
「「なんだって?」」
 悟空と白龍は同時に顔を見合わせた。

 花果山本堂では、八戒と沙悟浄が縄でしばられ、庭先に転がされていた。
 まわりには大雁たちがいる。
「こいつら、どうやら碧南村であばれていた妖怪のようですぞ」
 二人を捕まえた僧が、大雁にわけ知り顔でささやいた。
「なにぃ、悟明はなにをしていたのだっ」
 どうやら、悟明はきちんと説明しなかったようである。
「ここが東大寺としっての狼藉かっ」
 と、僧侶たちは気色ばんだ。
 なんせ牛魔王があらわれてからさほど日が経っていない。
 またしても、本山に、しかもこんな妖怪どもに乗り込まれて、僧たちは気が気ではなかった。さっそく悪い噂が広がったのかと思ったのだ。
「こやつらの首をはねろ」
 五海の指示で、斬妖刀まで持ち出された。「だから、悟空の兄貴に会わせてくれよ。兄貴とは兄弟分なんだから……」
 八戒が情けなさそうにこびをうりながら懇願する。
「なにをバカなことを……」
 五海がいまいましそうに呻いたところへ、五行山から悟空が走ってきた。
 自分のことを知っている妖怪と聞いて、悟空ははっと閃いた。そんな奴らは八戒と悟浄ぐらいなものだ。
 広銘から人相を聞くと、どうも間違いないらしい。
 悟空が花果山にたどりつくと、ちょうど八戒たちが、首をはねられるまっ最中だった。
「待ってくれよ大雁和尚。そいつらは俺の兄弟分なんだよぉ」
 悟空がわめきながら駆けてくるので、一同はぎょっと顔を見合わせた。
「あ、兄貴ぃ」
 八戒と悟浄は感無量の思いである。悟空はまだ自分たちのことを覚えていて、弟分と認めてくれているのだ。
 自分たちは三蔵の弟子であり、同じ仏門であるということを、強烈に感じさせてくれるのがこの悟空だった。
 悟空は二人の前に立つと、はぁはぁと荒い息を吐いた。
「見ろ、だから言ったろう」
 と八戒がふくれている。
「世の中の誤解のなんたる多きことか」
 嘆いているのは沙悟浄だった。
「だまらっしゃいっ」
 五海がぴしゃりと決めつけた。
「悟空、お前はまた妙な奴らと勝手に契りを結んだのかっ」
 また、というのは白龍のことである。
 そこへ大雁に呼ばれた四海までやってきて、騒ぎはまたゾロ大きくなった。
 僧たちの前で弁明する悟空の姿は、二人の心を強く打った。
 もう心境は、
(兄貴、がんばれっ)
 なのである。
「ちがう、こいつらは三蔵の弟子なんだ。だから、俺とも兄弟分だっ」
「三蔵殿がっ」
 大雁たちは顔を見合わせた。
「悟明師兄を呼べばわかるよ」
 悟空は必死に訴えてくる。
「そ、そうそう、そうなんです」
「うむ。あの方を呼べば万事丸くおさるでしょう」
 二人が調子っぱずれに口裏を合わせた。
 確かに、三蔵の性格からして、考えられないことではない。あの人物なら相手が妖怪でもなんらへだてることがないはずである。
 大雁はまだ疑わしげにしながらも、悟明を呼ぶことにした。

 悟明はすでに東大寺に戻っていた。秋口には碧南村に行き、住持となる予定である。
「たしかに、こやつらは三蔵殿のお弟子です」
 悟明の返答に、五海たちはどよと驚いた。
 大雁はバツが悪そうに、そうであったかとうなずき、
「それでお前たちはここになにをしに来た?」
 すると八戒は、へっ? という顔をする。どうも当初の目的を忘れたらしい。
「兄貴、お師匠のところに戻ってくれよ」
 覚えていたのは沙悟浄である。
「おお、そうだったっ」と、八戒もようやく思い出した。「お師匠は長安で兄貴の帰りを待ってるんだ」
「そんなこと、俺が知るかよっ。あいつは俺をだましたんだぞっ」
 本音では帰りたいくせに、悟空は聞き分けがない。
 すると、四海がそばに近寄ってきた。
「悟空よ、三蔵殿を女といつわり、お前をだましたのは私も同じ。三蔵殿をうらむならば、私をも恨みなさい」
 こうまで言われては、さすがの悟空もぐっと黙るしかなかった。
 そこへ悟明が、「お前は牛魔王を倒すのではなかったのか?」
 と言ったので、悟空ははっと気がついた。
 そうであった。自分の目的は牛公をぶちのめすことなのだ。三蔵の一件で、そのことをコロリと忘れていた。
「お師匠は兄貴がいなくなったんで、ビービー泣いてましたよ」
 八戒が追い打ちをかける。
 むろんウソである。
「なにっ?」
 悟空もこれにはちょっと驚いた。それはかなりおもしろい話である。
「そうか、やっぱり俺がいないとなんにも出来ないんだな」
 悟空はすっかりいい気になって、八戒の口車に乗ってしまった。
「しょうがないから戻ってやるか」
 さもめんどくさそうに言いながら、妙意棒を肩にひっかついだ。
 白龍がドロンとまたもとの馬に化ける。悟空がその背に飛び乗った。
「じゃあな、みんなっ。あばよ」
 白馬の体が宙に舞う。
「悟空!!!」
 東大寺のみんながあっという間に小さくなって、やがて芥子粒みたいに見えなくなった。
「兄貴、さっきの話」
 と、八戒がささやいてきた。
「なんだ?」
「やだな。牛魔王のことだよ」
「ああ、あれか」
 悟空はこれこれしかじかと説明した。
 牛魔王と戦ったと聞いて、二人はますます仰天した。
「牛魔王といやあ、西域をたばねる古代妖怪ですぜっ」
 と、八戒が一息にしゃべった。
「古代妖怪?」
 悟空にはわからない。
「俺たちみたいなろくに生きてない妖怪を新妖怪というんだ。牛魔王はどえらく長く生きて、神通無辺といわれる大妖怪なんだよ」
 悟浄ですら少し興奮したようにまくしたてるのだ。牛魔王と戦って生きているとはさすが兄弟子である。
 ちなみに混世魔王で、古代妖怪のはじっこにようやく入る程度であった。
 牛魔王は古代妖怪の中でも最上段にいる強い化物だ。新妖怪の八戒と悟浄が恐がるのも無理はない。
「その宝玉ってのはなんなんでしょうね?」
「なんでもそれ一つで仏法世界が治められるらしいんだ」
「へぇ、そんなちんけな玉っこ一つで?」
 八戒にはどうにも信じられない。
「兄貴、牛魔王とあっても戦わないのが得策ですぜ。あいつは化けもんなんだから」
「もともと化けもんだろうがっ。俺が負けると思ってんのかっ」
「だって東大寺にいた時はやられちまったんだろ?」
「あん時は妙意棒がなかったし、仙術も使えなかったんだ。今はちがうぞ」
 悟空がさも自信ありげに言うので、八戒と悟浄はすっかり信じてしまった。
「はやいとこ、お師匠さんのとこに戻ろう。長安で今ごろで待ちわびてるぞ」
 八戒がうれしそうに言った。
 悟空は鼻で笑うと馬腹を蹴った。

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