新撰組八犬伝 ~ 第一輯 ~

    十一

 目を開けると、暗闇に立っていた。いまだ宝玉を握りしめ、その輝きだけが、濃い闇を払っている。
 赤子は、いない。
 雨もなく、痛みもなく、音すらもしなかった。
 俺は死んだのか、と仁右衛門は考える。
 身動きすると、その闇はいやに重く、体にまとわりついてきた。まるで、闇という海に、沈んでいるかのようでもあった。
 サァ……と何かが、体の脇を流れていく。闇の中に、何かがある。それが巨大な顔だと気づいたとき、はじめて、自分に向けて言葉を発していると知った。
「何者だ!」
 と仁右衛門は言ったが、声はたちまち闇に吸いとられていく。
 巨顔の声は、倭語のようでいて、そうではなかった。聞き取ることができない。
 そのとき、右の手のなかで、再び宝玉が、くるりと一回りした。胸元に差し上げると、珠の中央にジワジワと墨が浮かび、枝分かれをし、一個の文字と化していく。
「仁……?」
 それは、犬江新兵衛の所持したという、宝玉の文字に他ならない。
 仁右衛門は、右の肩に焼きごてを当てられたような痛みを感じた。
 仁右衛門は、左手で肩をおさえながら、「どういうことだ。俺に何をさせようというのだ」
声は聞き取れぬほどの早口になり、音量を上げ、彼をとりまいた。
「やめろ」
 声は、仁右衛門の体を侵食していく。皮膚を通り、肉を突き抜け、骨の髄まで染み渡る。
闇に浮かんで、ついに方角すらわからなくなった。天地は消え、浮いているのか、落ちているのかもわからぬ。
その中で、赤子の声だけがあった。彼は再び意識をなくしながら、その泣き声に向かって手を伸ばした。

    十二

 仁右衛門は、叫びを上げて、目を覚ました。
 ザーザーと、雨音が耳によみがえる。彼が抱いているのは、声の主である赤子である。
「ううっ」
 と仁右衛門は突っ伏する。激痛が、身の奥にあった。内臓を引き裂かれるような痛み。体の奥に埋まった銃の礫(つぶて)が、ズリズリとひとりでに動いて、出てこようとしているのだ。
「うああっ」
 肉を潰して、うごめく弾丸の痛みに堪えかね、仁右衛門は赤子を抱いたまま、のたうち回った。不思議なことに、赤子はもう泣いてはいない。まどろむような半眼を向け、かすかに笑んでいるようだ。
 仁右衛門は膝をついて起き上がると、痛みに耐えかね、袂を開いた。
 血は残っていた。が、大石に受けた刀傷が、みるみるうちに塞がり、赤々とした肉腫の皮が、胸元に一筋の川のように流れる。そして、腹部にポッカリあいた銃傷からは、ひしゃげた弾が、ボロリとにじり出てきた。
傷口は弾を押し出すと、瞬く間にふさがっていく。
「なんだ、これは……」
 荒い息をつき、呆然と輝く珠を見る。仁右衛門は、珠を指ではさみ、顔の高さまで持ち上げた。
宝玉の中央には、仁の文字が、いまだ黒々と浮かび上がっている。
「お前の仕業か……」
 傷は塞がったが、失った血はどうにもならぬようだ。血の気が落ちているせいか、激しく頭が痛む。
だが――
「体が動く。本当に傷がふさがったのか――」
 信じられぬことだが、体内に残った弾は、すべて身の内より取り除かれていた。刀を振るのに、何の支障もなさそうだ。
 だが――
「これでは、馬琴の戯作そのままではないか」
 仁右衛門は、赤子を抱いて立ち上がる。
大石がそれと気がつき、
「貴様、珠を奪いおったな!」
 とわめいた。
(貴様の玉ではあるまい)
 仁右衛門は、樫の根元にねむる老人に、やおら目をやった。
(あの老人は本物か? では、この子も――)
 伏姫なのか――?
 信じられぬ話だが。
なんの力かはしらない。が、傷が治ったのは事実だ。
 仁右衛門に、迷い、思いを巡らす時間はなかった。子玉しか持たないちゅ大法師は、大石の敵となりえていない。
 が、鍬次郎は一刀流の使い手である。
「刀がいる」
 仁右衛門は、急いで宝玉と伏姫を腹に隠した。

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