新撰組八犬伝 ~ 第一輯 ~

    四

 山内の伽藍が、続々と焼かれている。
 が、仁右衛門の関心は、徳川家の霊廟になく、赤子にあった。
 とまれ、仁右衛門は、刀を拾い上げると、燃えさかる文殊楼を後にし、声の出所を目指す。
 白昼夢で見た赤子は雨の中、林の中にいたはずである。今の状況と合致している。
 夢の中で見た者は、いずれも茫漠として、意識の覚醒と反比例するように薄れてしまう。だが、幾度も見た。その赤子と、同じ夢に登場する老人とは、彼に何事かを伝えたがっているかのようでもあった。
 刀を杖に彷徨し、やがて官軍の捨てたとおぼしき新式銃を拾い上げた。
 うまい具合にスペンサー銃だ。
 スペンサーは後込めの連発銃である。弾丸は七発まで込められるはずだ。
 伝習隊で、操作は習熟している。
 弾倉はチューブ式になっており、後部銃床におさめられている。確かめると、二発の残弾があった。
 仁右衛門は、レバーアクションをして排莢する。ハンマーを起こし、銃床を頬に当てた。
 そのまま、わずかに腰を落とし、移動を開始する。

    五

 この仁右衛門という男、元々彰義隊士ではない。
 洋式訓練を受けてはいるが、元は直新影流の皆伝者で、長じてからは牛込の試衛館で、近藤の食客となっていた。
 本人が御家人であるので、清河八郎の浪士組には参加しなかったが、試衛館の面々とは、ずっと剣を通じてのつながりがあったし、上洛のおりは屯所に立ち寄り、親交を深めてきた。
 だから、江戸に戻って後は、伝習隊の脱走組には加わらず、甲陽鎮撫隊に身を投じたのであった。

 仁右衛門は、荒い息をつきながら、手近の幹に背を預けた。
 思ったよりも、傷が深い。胴丸にたまった血が腰を降り、側線入りのズボンを染めあげている。仁右衛門は脇の紐をとくと、防具を落とし、より軽装になった。
 血が流れすぎた。手先に痺れが走る。仁右衛門は、木立を離れ、さまようようによろめいた。
 総司……
 植木屋に残してきた、沖田の姿が、胸裡を埋める。悔恨があった。彼は、近藤の死を、沖田には告げずじまいで出てきたのだ。
 医者ではない仁右衛門の見立てでも、総司はとても助からない。
 自分は飯もろくにとれんのに、近藤の心配ばかりして。奴は近藤の消息を知るためだけに生きているようなものだった。
 この二人、年が一つしか違わない。ゆえに互いを意識して、切磋琢磨し生きてきた。
 ふいに試衛館での日々を思い起こし、涙が胸を埋めた。試衛館や多摩での出稽古の日々が、鮮やかによみがえる。
 彰義隊への参加をほのめかしたとき、沖田は彼を笑わなかった。 が、今思うと、沖田は、これ以上、病み衰えていく姿を、自分に見せたくなかったのではないか――いや、自分こそが、あの強い総司が骨と皮だけになっていく様を見ていられなかったのではないか、と思うのである。
「卑怯者め……」
 仁右衛門は、そう自らを責めると、赤子の声に導かれるようにして、よろぼうていく。
 総司は江戸を守ってこい、と佩刀までよこしてきたが、江戸は守れず、早晩自分も死ぬことになりそうだった。
 総司、すまん、先にあの世で待っておくわい。
 仁右衛門は、決然顔を上げると、最後のいくさにのぞんだのだった。

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