新撰組八犬伝 ~ 第一輯 ~

    九

 仁右衛門は呻きながらも、膝立ちとなり、スナイドル銃を拾い上げた。
(まだ弾丸は残っているはずだ)
 だが、再装填しようにも、その手はブルブルと揺れている。いや、全身が、瘧にかかったように、震えているのだ。
 仁右衛門は、投げ捨てるようにして銃床を地に着けると、手首をレバーにかけ、むりやり下に押し下げた。ガチャリという音がして、どうにか装填はできた。
 顔をあげると、ちゅ大法師を退けた大石鍬次郎が、鬼の形相をしてこちらに駆けてくる。
(あれは、人か?)
 我が目を疑いつつも、夢中で銃を引き上げる。両膝をついたまま、銃口を向けるが、大石は瞬足の間に迫っていた。もう撃てる距離ではない。
上段にかぶった大石の刀が落ちてきた。仁右衛門は激痛に耐えながら、銃を掲げる。
 激しい刃鳴りがして、大石の刀は木被の銃床に、ガッと食いこんだ。スナイドルは暴発して、二人は同時に顔を背ける。
 仁右衛門は銃を放してしまった。
(刀を――)
 大石は、束に手を伸ばす仁右衛門を、許さなかった。右肩を蹴り上げると、倒れたところへ、一刀袈裟斬りをみまったのだ。
 深傷である。
 仁右衛門は、声もたてずに、倒れこむしかない。
 大石はさらに一歩出て、とどめを刺そうとした。その背を、ちゅ大法師が打った。
「ぐううっ」
 と大石はうめいて振り向いた。なにせ雲を突く巨漢の一撃である。
 仁右衛門は最後の力を振り絞ると、大石の懐にむしゃぶりついた。
「貴様あ!」
 大石は仁右衛門を躱そうとするが、ちゅ大法師もさせない。大石の両の手をおさえ、動きを封じようとする。
 仁右衛門はほとんど半身不随になりながら、大石の袂から赤子を引きずり出した。
「逃げろ」
 ちゅ大法師が、大石ともみあいながら、苦しい息のもとで言った。真っ赤になったその顔の中で、目だけが爛々と輝いている。

    十

 仁右衛門は、赤子を抱え、夢中で這った。が、四歩も行かぬうちに、力尽きた。
 肘をつき、仰向けになる。
 傍らでは、ちゅ大法師と大石が、激しい剣戟を交えている。
 仁右衛門は、どっと喀血する。
「総司……」
 と彼は言った。そういえば、このひと月は、沖田のこんな姿を、ずっと見続けてきたのである。天の迎えは皮肉にも、仁右衛門に先に訪れた。
 赤子を抱いたまま、横様に倒れる。
 驚いたことに、赤子はやはり泣いていない。雨をさけるように目を瞬いていたが、はっきりと彼を見ていた。
「すまぬ、お主を守ってやれそうにない……」
 仁右衛門は、半顔を泥濘に埋めながら、赤子に言った。それでも赤子を守るため、胸元に引き寄せる。
 大石は巨漢のちゅ大法師に抱きすくめられていた。驚いたことに、ちゅ大法師に頭突きをかまし、さらには噛みつき、激しく暴れ回っている。まるで、獣である。義の珠を持つとはいえ、大石は人間離れした力を発揮している。
「きさま、祟り神を身に取りこんだか」
 ちゅ大法師が叫んだ。血しぶきを上げている。大石は何か仕込んでいるのだろうか。ただ噛みついたとは思えぬ威力である。
 大石の異変は、黒痣だけではない、牙は伸びまるで狼だ。おまけに、首を自在に伸ばして噛みついてくるのだからたまらない。
「あんなやつに、お主はわたせん……」
 起き上がろうとするが、身は震えるばかりで、指も動かせない。
 仁右衛門は、身も世もなく泣けてきた。 
 胸元の赤子が、奇妙なほどに温かい。
仁右衛門は、ハッと目を開けた。伏姫が小さな手を伸ばして、頬に触れてきたからだ。
 赤子は、言葉にならぬ声を発しながら、何かを差し出してくる。
「何だ。何を持っている……」
 見ると、出来たての紅葉のような手で、黒い石のようなものを握っているのである。
 いぶかしみ、目を細めると、赤子はその玉で、仁右衛門の額を叩いた。赤子とは思えぬ力で、仁右衛門の朦朧とした意識が、そのときだけは、ハッキリしたほどだ。
「妙なもので……」
 無意識のうちに、手を出すと、赤子がその掌に珠を預ける。
 仁右衛門は、息をのんだ。
 真っ黒で、ゴツゴツとした鉄(と彼は思った)の玉が、突如として光芒を放ち、仁右衛門の手の内でくるりと回転をはじめたからだ。感触まで変化して、奇妙なほどに艶やかになった。赤子の柔肌のように滑らかな心地だ。握ると、回転は止まったが、純白の光は居残っている。
「こ、こんなばかな……」
 本物の珠なのか……
 とっさにその宝玉を握りこみ、「お前が真の宝玉なら、俺に力を……」そのとき、また、うむ、と血を吐き、その血が宝玉へとかかる。
「力を貸してくれ……」
 仁右衛門は宝玉を握りしめたまま、意識のなくなるのを感じた。
閉じたまぶたの向こうすら暗闇となり、すっと額より、血の気が引いていく。

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