奥州遊侠藩の御城下、高田小牧通りに彦六一家の屋敷はあった。

一家の長、彦六が死んだのは、今年の一月の初めのことである。

『葬式不要、戒名不要』

 一代の粋人、黒田彦六の残した、唯一の遺言がこれだった。

 さて、彦六には十九になる息子がいた。

 黒田親子でこの世に唯一居残った、黒田半兵太である。

 当然、二代目は半兵太と決まったが、ここで意外なところからしぶる者が現われた。

 彦六の母、きねである。半兵太にとっては祖母にあたる。

 七十才をすぎてなお矍鑠とした老婆で、背筋をぴぃーんと張ってはどこへでも出かけていく。しかもこのきねは、昔は高田小町と呼ばれるほど美しかった。そのおかげで、今でも害意のなさそうなかわいいばっちゃまに見えてしまうのである。

 ところが、外見をとって判断をしては大まちがいであった。

 もう大年寄りもいいとこなのに、真性のいたずら者で、人をからかっては喜んでいる。怒られればすねるし、そうなったら隠居所にひきこもって、三日は出て来ない。

 どうしようもないひねくれ者だが、七十才を越えた今でも粋人だった。

 歯も丈夫。固い煎餅をばりばりと食う。

 きねの外見は、誰が見ても六十程度にしか見えない。下手をすると、五十ですかという目の腐った奴もいる。

 きねはその度に、そんなに若くあるもんかい、と怒るが、本心は嬉しいらしかった。次の日のおめかしがまた凄まじい。

 当時の七十才と云えば、生きも生きたり、娑婆ふさぎもいいところである。

 しかし、そんなきねでも一人息子の彦六が死んだのは堪えたようだ。その寂しさ故の気晴らしに、半兵太以下彦六一家の面々は付き合わされる羽目になった。

 奥の座敷に、例のきねばあを中心に、一家の主たるものが集まっている。

「若造になにができるもんかっ」ときねは云うのである。「彦六が体はって守り通した一家ののれんを、半兵太ごとき若輩者に、わたすわけにゃあ相いかぬ」

 そう宣わった上に、見得まで切ってみせた。

 きね、まだまだ人生は上々のようである。

「しかし、ばっつぁま。ボンは立派なもんですぜ」

 と具申したのは、一家の長老格伴兵衛じいである。彦六のよき理解者であり、親友でもあった。はやくして父をなくした彦六は、伴兵衛じいを親代わりにと孝行したものだった。

 伴兵衛もそんな彦六が息子のように見えてしょうがないらしい。半兵太にいたっては、もはや孫のようなものだ。

 だからではなく、伴兵衛じいは本気で立派なもんだと思っていた。

 喧嘩は弱いが、義理人情は人一倍。不条理があれば相手かまわずむしゃぶりついていく。

 ただ、彦六の場合はかならず相手を二間は吹っ飛ばしたが、この人の場合そうはいかない。逆にしたたかやられるのである。

 それでもへこたれない根性と度胸のよさは、伴兵衛も大物だと思うのだ。

 なにより、彦六と気質がうり二つだった。怒りっぽくて涙もろくて、後くされがないのがよかった。

 怒るときは焼いた栗みたいに怒って、笑うときはそれこそ心の底から笑っている。細々したことは、なんだろうとすぐに忘れてくさくさしない。

 半兵太は彦六の喧嘩の強さ以外の全てを受け継いだようだ。二代目にすんなり押されたのも、当然といえば当然の成行だった。

 しかし、きねは納得しない。

 彦六一家は、博打以外にもさまざまな店を出しており、町人からも頼られている。そんじょそこらの無頼の徒とは、一味も二味も違うのである。

 その一家をつぐには、並みの男では駄目だ。これが、きねばあの主張なのであった。

 歯切れの云い声でぽんぽんまくしたてられては、打ち破る論法がない。

 大の男がそろいもそろって、七十を越えたばあさまにやりこめられるという、なんとも情けない事態におちいったのであった。

「なにが立派だ。ふらふら遊び歩いているだけじゃないか」

 きねは不敵に笑ってやり返す。

 喧嘩友達の伴兵衛じいは、いつものように、「うう」と、犬のように唸って返事した。 

「篠山さん。お前はどうだね?」

 きねが声をかけたのは、彦六の代から一家にわらじを脱いでいる、素浪人の篠山休臥斎である。

 彼は大刀を膝ごとかかえ、梁に背をもたせかけ、一家の語らいを聞いていたことだった。

「半さんは二代目をつぐに十分な器量をお持ちなさると思うがね」

 休臥斎は答えたが、きねは鼻で息を吹いただけだった。

「おやおや、一同そろって節穴だねぇ。そんな目玉じゃ、死んだ彦六が草葉の影で泣いてるよ」とまで云う。「いいかい。彦六は城下一の一家なんだ。そのくせ店のもんは若い衆が多い。それをとりしきるには、みなが納得しちまうようなことをして見せなきゃいけない。それが一家の衆に対しての、ひいては死んじまった彦六に対してのけじめってもんだ。違うかい?」

 違わないが、きねが云うと、どうも信に置けないのである。

 短気の雷蔵が、なにをばばあと立ち上がりかけたが、そこは若衆頭の文悟が、

「それじゃあ、若が二代目を継ぐにふさわしいとおわかりになすったらいいんですね?」

 と、目を光らせたことだった。

 もともときねの口にかかっては、文悟たちに勝てる道理はない。きねが意地になっているのは明白だったが、この案を切り出すしかなかった。粋を気取るこの老婆が、前言を撤回しないのは、これまでで証明ずみである。