講釈西遊記

講釈西遊記

悟空と牛魔王

 混世魔王を倒した悟空と四海は、ようやく宝物庫までたどりつき、そこで信じられぬものを見た。
 円来と恵角が倒れている。そばに辟水金晴獣が鎮座していた。
 四海が二人の息を調べ、ゆっくりと首を左右に振った。
 宝物庫の壁が破壊され、扉がなくなっていた。

 牛魔王はようやく二人を倒し、宝物庫に入ったところだった。
 宝玉の在処はすぐにわかった。御丁寧にも祭壇に飾られている。
 牛魔王は布のうえに置かれた宝玉を、ムンズと鷲掴みにした。
 手元に引き寄せ、詳細に眺める。どうやら本物のようだった。
「おい!」
 背後で雷鳴のような声が上がった。
 牛魔王は宝玉をふところに仕舞うと、ゆっくりと振り返った。樫の木で出来た棍棒を持った僧がいる。庭で見かけた男だった。
「牛魔王!」
 悟空が喚いて棍棒で地面を突いた。
 恵角と円来を無残に殺した牛魔王が許せなかった。
 まさに怒髪天をつく勢いである。
「てめぇ、ただですむと思うな!」
 空気も震えるような悟空の大喝にも、牛魔王は鼻で応じただけだった。
 嘲笑われ、悟空の怒りはさらに度合いを増した。
「いさめろ、悟空」
 四海が現われ、悟空の肩を叩く。戦いの場で冷静さを欠くのは禁物だ。悟空に弱点があるとしたら、まさにこの一点である。
 悟空と聞いて、牛魔王はさらに笑んだ。
「貴様が悟空か」牛魔王は顎をしゃくった。「表の
二人は貴様の名を叫びながら死んでいったぞ!」
 もういけなかった。
 牛魔王の挑発に、悟空はこらえることができない。
「よせ、悟空!」
 四海の悲鳴に似た声も、今の悟空にはとどかなかった。
 一足で間合いに踏み込むと、夢中で棍棒を繰り出していた。
 円来と恵角は、宝物庫の番を任ぜられたほどの腕である。その二人がことごとにやられた。
 四海は悟空の死を予感したが、悟空の動きはその四海すら思いも寄らないものだった。
 流星のごとき棍棒が、雨霰と打ち出され、そのことごとくが牛魔王をとらえる。
 牛魔王ほどの妖怪が、不覚をとったほどの早さだった。この時、悟空は確実に四海を越えた。
 牛魔王は消し飛び、奥の壁をつきやぶった。
 悟空がピタリと動きを止める。
 瓦礫に埋もれた牛魔王が、ガタリと白壁を押し退けた。
「おのれぇ……」
 かっと口を開くと、二人にむけて妖術を放つ。
 肺腑を抉るような衝撃を受けて、悟空と四海はまとめて吹き飛んだ。
「う、うお……」
 悟空はどうにか起き上がろうとして、血の混ざった唾を飲んだ。
 宝物庫の壁がまとめて吹き飛んでいる。残った瓦礫がガラガラと崩れ落ちた。
 戸口に魔王が立っている。その鎧は、悟空の連撃でボコボコになっていた。
 牛は怒気もあらわに、足を踏みだした。
 今の妖術で悟空の怒りもようやく冷めた。というより、驚きにとって変わった。悟空は自分に驚いていたし、牛魔王にも驚嘆していた。
 あいつは強い。そう思うとうれしくなった。あれだけの強さを手に入れるには、自分以上の努力をしてきたはずである。どえらい奴もいたもんだと思うとおかしくなった。
「まだまだよな」
 隣で四海が笑っている。たしかに、この師匠と一緒なら、まだまだ頑張ることができそうだ。
 牛魔王、辟水金晴獣にヒラリと跨がり、寄せる二人を迎え撃った。

 大雁たちは林を抜けたところで、牛魔王と対峙する悟空と四海を見た。
 さすがの悟空も、牛魔王の前ではまるで小人である。
「行くぞ、牛公!」
 こんな時の悟空は本当に頼りになる。あの牛魔王に恐れげもなく立ち向かっているではないか。
(合格以上か)
 大雁は一人ほくそ笑んだ。と同時に、崩壊した宝物庫を見て色をなくした。
 牛魔王がまだ中に入っていないとしたら、宝物庫が崩れているのはおかしい。宝玉を奪われたのだ。
 奥に円来と恵角が倒れている。大雁はすまなさで一杯になった。これは自分の不始末だ。
「行きましょう」
 三蔵が大雁をせかした。
 すると、二人に加勢をしようとした一行の前に、一人の女が舞い降りてきた。
 鉄扇公主──またの名を、羅刹女という。
 わらわらと妖怪どもまで現われた。
「ひさしぶりだねぇ、大雁」
 羅刹女が艶々と笑った。
「こやつ……」
 大雁は羅刹女の顔に見覚えがあった。大雁が住持になる以前、五十年は前の話だ。宝物庫に忍び込むことに成功した、一人の女妖怪がいた。
「て、鉄扇公主ではないか!」
 年配の男が金切り声を上げた。
 厚く化粧をほどこした羅刹女は、えも言われぬほど美しかった。もともと羅刹の女は美女が多い。鉄扇公主はその多い方だった。
 羅刹はいくつになっても年をとらないと言われる。その通り、鉄扇公主羅刹女は、あの頃とおなじ美々しさをたもっていた。
 冷たい、切れるような美しさを。三蔵とはまったく逆の性質をもった美だった。
 妖怪羅刹女は、口許に妖美を漂わせて笑った。
「死んだはずではなかったのか」
 言いながら住持は刀をかまえた。混世魔王の刀だった。
 羅刹女はなにも言わない。彼女は東大寺で捕まり、危うく処刑されそうになったところを牛魔王に救われた。以後はこの魔王の妻となり、一党の主にすぎなかった亭主を、西域妖怪の頂点に立たせた。そして、今回の宝玉騒ぎである。
(すべては、羅刹女が仕組んだことか……)
 僧たちが印を組み、真言を唱えはじめた。妖怪どもが、させじと飛びかかる。
「不遜なり、鉄扇公主!」
 大雁は包囲を抜け、羅刹女に迫った。
 鉄扇公主は二刀流の名手である。青鋒宝剣という二振りの剣を振りかざした。
 大雁は地を這うような姿勢から逆袈裟に切り上げた。
 羅刹女は天女のごとく宙に踊る。大雁の大刀は、衣を斬っただけだった。
 青鋒宝剣が、左右から自在に迫った。
 大雁は仙術で剣を二つに増やすと、さらに『絵柄残しの法』を用いて、羅刹女に幻像を斬らせた。
「なにっ」
 目を剥く羅刹女の頭上から、大雁が飛鳥のごとく降ってくる。羅刹女はすばやく翻転して二刀を叩きつけた。
 大雁は危ういところで、またも絵柄残しを使った。
「こっちじゃ」
 声に振り向いた時には、大雁の顔が羅刹女の視界を埋めていた。
 宝剣が音をたてて大雁の大刀を受けとめたが、強烈な打撃に、羅刹の腕がしびれあがる。
「おのれっ」
 この美女は怒りにたぎると、さらに美しくなる。
 大雁は斬られた脇を押さえながら、青鋒宝剣と渡り合った。

 神通力で固めた拳で、四海が牛魔王の腹を突く。
 怒りに目を血走らせた牛魔王は、まさしく猛牛のごとく角を振りたてた。
 そこへ悟空が打ちかかれば、魔王は『身を泥に変える法』を用いて、棍棒の威力を完全に逃してしまう。悟空の棍は、牛魔王の体をたやすく突き抜けてしまった。
 魔王は素早く体を元に戻すと、悟空を捕まえ投げ飛ばした。牛魔王の怪力には、悟空のクソ力もおよばない。
 悟空あやうしと見て四海がかけよれば、牛の字は得たりと鉄棒で狙い定める。
 四海はなんと、素手で魔王の混鉄棒とやりあったが、かの妖怪は実に棒術に精通している。
 四海はようやく懐をとると、神通力を魔王の体に叩き込んだ。
 これには牛魔王もたまらない。
 慌てて辟水金晴獣を反転させたが、その先に悟空が待ち構えていた。
 悟空四海が、それぞれ真っ向から打ちかかれば、牛魔王も混鉄棒を駆使して相手取る。
「ぬうん」
 混鉄棒が轟々と輪のように回転をはじめた。悟空も負けじと、棍棒をぎゅんぎゅん回し合う。
 三者、うちかかる隙なく、睨み合いがはじまった。
(なんてすごい奴だ。二人がかりでまだ足りないのか)
 悟空はこの時、本物の妖怪の強さというものを、いやというほど思い知らされていた。
 ついに、しびれをきらした悟空が、棍棒の回転をといて、牛魔王の顔面に突き技をくりだした。
 回転で得た力が、うまく棍に乗っている。牛魔王は顔を泥に変える間もなく、長い鼻柱をガンと叩かれた。
 背をのけぞらす牛魔王、不利をよんだか金晴獣の応援をこう。
 辟水金晴獣は忠実な家来である。ガッと牙を剥くと、悟空にむけておどりかかった。
「てめぇ牛公! 俺と勝負しろい!」
 金晴獣を追い払いながら、悟空がわめく。
 この隙に、牛魔王は四海に挑みかかった。
 四海が神通力を用いれば、魔王は妖術で対抗してくる。
 そのうち悟空が金晴獣を強引に退け、棍棒をふるってきた。
 羅漢棍術の妙技を存分に用いて、牛魔王を追い詰める悟空。
 魔王は四海と悟空の猛攻にたじたじとなって、ついに『千人力の法』を唱えた。
 すると、四海は『万人力の法』で対抗し、牛魔王は『金剛力の法』を使って、二人を蹴散らした。
「うぬ、化物め!」
 四海は猫のように体をひねって地面に着地した。 その様子を見て、東大寺の面々は残らず驚倒してしまった。
 悟空四海の最強コンビがそろって、牛魔王はまだ倒れない。ついには、二人を蹴散らしてしまった。
 牛魔王はまたも辟水金晴獣に打ち跨がると、二人のまわりをグルグルと物凄い早さでまわりはじめた。
 たちまち牛の姿は見えなくなり、赤と黒のわっかが誕生する。
「しまったっ」
 円の中央で、悟空と四海は舌打ちをもらした。牛魔王はもはや捉えきれる迅さではなく、逃れることも打ちかかることもできない。
 そのうち牛魔王が、回りながら混鉄棒を打ちおろし始めた。
「師匠、こいつはっ」
 四方八方から飛んでくる鉄棒を避けながら、悟空が叫んだ。
 混鉄棒の数は無数となり、無限となった。その間も辟水金晴獣は止まらない。
 悟空の目がくらみ、たじろいだ瞬間、目の前に牛魔王が出現した。
「あっ」
 悟空は獣なみの本能で棍棒を押し上げた。
 牛魔王の混鉄棒は、遠心力のすべてを悟空に向けて叩き込んだ。
「悟空!」
 四海がぎょっとなった。
 棍棒は微塵に砕けた。脳天をしたたかにぶったたかれて、悟空はたまらず昏倒した。

 三蔵は僧たちにまじって妖怪どもと一戦を交えていたが、倒れている悟空を見て動きを止めた。
 そこに猫に似た妖怪がかかってきた。
 三蔵は錫杖を一打ちした。法力を脳天にくらった妖怪は、たまらずひっくり返る。
 大雁は羅刹女をしだいしだいに追い込んでいったが、こちらも地に伏した悟空を見てぎくりとなった。
 牛魔王は疲れも見せず、弟子をかばう四海をふっとばすと、混鉄棒を振り上げた。
「あっ、悟空」
 三蔵は叫ぶやいなや、『韋駄天の法』を使って、二人の間に割って入った。
 九環の錫杖が、混鉄棒をガジンと受けとめる。その音で悟空はようやく目をさました。
「ぐうっ」
 三蔵の口から呻きが洩れる。
 あまりの威力に法力をこめた錫杖が、あわや砕けるところであった。
「ほう、これはこれは」
 牛魔王がおかしそうに笑った。今自分の混鉄棒を受けとめたのは、小股も切れ上がるような楚々たる女僧である。
 端麗な顔が眉をキリッとしめたその姿は、神々しいまでの美しさだ。ないことにあの悟空がどきりとしてしまった。羅刹女だってここまで綺麗じゃない。
「さ、三蔵……」
 悟空はようやっと起き上がった。視界がまだちらちらする。
 横目をつかうと、四海もあちらで立っている。
 三蔵は牛魔王の剛力の前に、錫杖を落としてしまった。実に二の腕までしびれきっている。
「打擲!」
 と、牛魔王が混鉄棒を振り上げたとき、朦朧の悟空が意想外の動きを見せた。
 三蔵を押し退けると、全身を武器とかして牛魔王の体に叩きつけたのだ。
 秘伝とされる体当たりの術である。渾身をぶつけるこの技は、受手に広範囲にわたって打撲傷を引き起こし、やがて死に到らしめる。
「ぐほっ!」
 さしもの牛魔王もこの打撃はたまらなかった。
 がっと血を吐くと、よろめいた。
 この時、花果山をふるわす雄叫びが怒涛のごとく沸き起こった。
 四海の背後から、五行山の修行僧が、大挙として駆けてくる。
 牛魔王もこれには仰天となった。
「あんたっ」
 あの羅刹女が泡を喰って逃げてくる。
「これまでよ」
 魔王はついに本性をあらわした。
 辟水金晴獣が光をはなったかと思うと、みるみる牛魔王の体に溶け込んでいく。
「ぐっ!」
 光が爆発的に広がり、夜闇が砕かれる。間近にいた悟空と三蔵が吹き飛ばされ、駆けつけた僧たちは、あっと息を呑んだ。
 牛魔王は、なんと巨大な白牛に変化していたのである。
「逃すな!」
 四海を先頭に、五行山の援軍が白牛めがけて襲いかかる。
 牛魔王は口からもうもうと黒煙を吐きだし、その首を振りたてた。
 黒煙が旋風とともに吹き荒れ、東大寺の僧侶たちを飲み込んでいく。
 大雁はケムリに飲まれながら、羅刹女が夜空に舞い上がるのを見た。手には宝玉を持っていた。
 東にのぼる黒煙を狼煙代わりに、残っていた妖怪たちもほうほうの体で逃れ去った。
 黒煙が晴れ、満ちた月がのぞいている。大雁たちは呆然と空を見上げていた。
「くそっ!」
 悟空は真っ暗な空を見上げ、ぐるりぐるりと舞いながら、諸手をふって悔しがった。

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