2019.10.05
講釈西遊記

2019.10.05

三蔵はもといた洪福寺に帰りついた。
寺でその帰りを待ちわびていた弟子たちはひとしく喜んだ。
東大寺より戻って、四日が経っている。その間、三蔵は一歩も洪福寺を出ていない。
托羽は三蔵が東大寺へ赴いたことを知っているはずである。それに対し、あの世間知らずの太子がどう出るかわかったものではなかった。その点、洪福寺なら師や弟子が多くいるし、都の中心でもある。安全といえた。
しかし、不都合が生じなかったわけではない。東大寺から連れてきた旅の供が帰ってしまったことだ。
托羽は当初、自分の用意した家来を連れていけと申し出たが、こんなものは論外である。三蔵はそのことを告げにきた使者に笑って断っている。
僧たちは、ならば長安でと供を探すことを提案したのだが、今度も三蔵は承知しない。都でみつけた供では、托羽の意を含んでいる危険があったからだ。そのために、わざわざ東大寺まで、危険を冒して供を探しに出かけたのである。
三蔵はすっかり参っていた。都の直前まで来て、全ての弟子に去られようとは、三蔵も思いも寄らない出来事であったのである。
天竺までの遠く長い道のり。長安を出るまではなんと悩んだことだろう。それが今度の旅で、頼もしくも愉快な供を見つけることができた。三蔵は大いに喜んでいたのである。これなら天竺までの旅も、楽しくやりとげられるのではないか、そう思えていた……。
(悟空、八戒、悟浄、白龍。どうか無事に戻ってきてくれ)
三蔵はまんじりともせず、四人の帰りを待った。
僧侶たちの多くは三蔵の西天行きを望んではいない。洪福寺は三蔵のおかげで栄えた寺だったし、なによりその人物がよかった。
だいたい妻にならんなら、不老長寿の薬を探しに行けとは、無法も極まったものである。皇子の口から出たとはいえ、そんな理の通らない命令は、はねつけてやればいいのだ。
問題は、太宗皇帝が今回のことになんら反対をしていないということにある。
太宗は仏心のおぼえ厚く、唐国における仏縁の寺を栄えさせた男である。逆らえるわけがなかった。
表は三蔵の帰りを知った托羽の家来がうろついているにちがいない。なんとか三蔵に天竺行きをあきらめさせ、自分の物としたいはずである。
三蔵は、最近では弟子にさえ外出を控えさせている。見回りの兵士に嫌がらせをされるからだった。
仏の弟子たる太宗が、こんな事態を見逃すとは思えなかったが、現実として起こっているのだから仕方がない。
三蔵には、悟空らの帰りを待つしか法がなかった。
悟空と八戒たちは、長安に程近い草原のくぼみの中にいた。
「でけぇなー、あれが長安かぁ」
間延びする声で感嘆しているのは悟空だ。
今は東大寺の僧独特の服から、立派な道着にきがえている。八戒が持ち込んだものだが、おおかたかっぱらいでもしたのだろう。
一方、その八戒は、今は人間に化けていた。
腹がせりだし丸々と肥えて、恰幅のいい大商人といった貫禄がある。
悟浄は背のヒョロ高い青年に化けていて、八戒の息子といえば通らないこともなかった。
白龍だけが、そのまま馬だった。
この馬は術で化けて人をだますという行為がおかしくてしょうがないらしく、さかんにヒンヒン嘶いている。
「南の尚遠から来た商人ということにしよう」
白龍がいっているのは、規模では長安につぐ大唐国の都のことである。
彼らは三蔵に会うため、こうして都までやってきたが、このままの姿で入れるわけがない。
悟空は人間だが、東大寺の僧である。あの寺の人間が都に来ることは滅多にないから、あらぬ詮議をかけられないとも限らない。八戒と悟浄にいたっては真の妖怪である。
結局、問題がないのは、馬の白龍のみであった。
悟空たちは持っていた荷物をつづらの中に放りこむと、白龍に背負わせた。
術をつかって飛んでいったりしたら、関所の番兵にすぐさま取り押さえられるにちがいない。ここから関所までは、のんびり歩いて行くことになった。
悟空はこの頃ようやく里の人間は、自分たちのように武術や仙術をやったりしないのだということを理解しはじめた。そんなことのできる自分の方が妙であり、できなくても不思議はないのだ。
「うまく行くかなぁ。俺は都に行ったことがないから不安だよ」
くぼ地から出ながら、八戒は不安げに顔をしかめた。
「大丈夫だよ。俺がしゃべってやるから、八戒は口をぱくぱくさせてな」
と白龍は頼もしい。
商人へと身をやつした一行は、やがて関所にたどりついた。
都の門はおそろしくデカく、悟空はもう度胆を抜かれていた。こんなところで暮らしているのはどんな奴らだろうと思うと、それだけでワクワクしてきた。
一行が関所に入ると、兵士が数人駆けよってきた。ここでは、相手の身分に関係なく調べるのが決まりである。
それにしたって慣れぬことだ。悟空たちはやにわに緊張して、身を堅くした。
(しまったっ)八戒ははっと気づいて舌打ちをした。(俺が女に化けてたらしこみゃよかったんだ)
ぞっとしない考えではある。
「都へは何のようです?」
門番は八戒の意に反し、笑顔で四人を迎えた。長安の関所ともなると、対応も懇切丁寧である。
白龍が後ろから八戒の背をドンと押した。「都にいる私の伯父と、商売の取引に参りました」
白龍が答えるのに合わせて、八戒が口を動かす。水中から引きずりだされた、死にかけの鯉みたいにパクパクさせている。
悟空と沙悟浄は脇で観戦していたが、傍目に見ても無理があった。
「いま、その馬がしゃべらなかったか……?」
果たして、門番は愕然とした表情で聞いた。八戒は青くなったり赤くなったりした。
もう駄目だ。俺の妖怪人生はこれまでだ。捕まって変化を解かれて、焼き豚にされちまうんだ。果ては人間の口におさまって、畑の肥やしになっちまうんだ……。
「そんなはずはありません」
八戒が暗然と思念を繰り広げている間に、悟空はしゃらりとして答えていた。
兵士は納得のいかない顔で白龍を指でさす。「しかし、今……」
「ご覧の通り、この者がしゃべったのです」
当然でしょうと言いたげに、悟浄が肩をたたいた。八戒は慌ててうなずいた。
「そ、そのとおりっ」
「いや、しかし……」
なおも食い下がる男に、仲間の方が呆れた。「おいおい、馬がしゃべるわけないだろう」
「この忙しさのあまりだ。ボケたのではないのか」
なんせ、長安には毎日うんかのような旅人が、続々と押し寄せてくるのである。時には延々五里はつづく隊商が到着することだってある。
悟空たちはろくに待つ必要がなかっただけ幸運だといえた。
仲間に笑われ、男もようやくあきらめたようである。不承不承といった顔で、四人を通した。
悟空が修行僧の姿を解いたのは、計算以上の実を上げた。
托羽は三蔵が東大寺に供を求めに行ったことを知っている。修行僧のまま関所をくぐったりしたら、たちどころに托羽の耳に伝わっていただろう。
商人に化けた悟空たちは、なんの疑いももたれず、長安にもぐり込むことができた。
悟空にとって、長安は驚きの連続だった。
信じられない数の人間たちが、見たこともない服を着てしゃべりあっている。こんなにぎやかな場所は、東大寺にはどこにもなかった。
女がいる。子供の女も大人の女も、ちゃんと生きて歩いている。さすがは都だと思った。
悟空はこんなにせわしなく動く人間ははじめて見た。
都とはなんと華やかで美しいんだろう。帰ったら、広銘や四海師範に教えてやらなくちゃ……。
道には露天があふれ、客を相手に商売をしている。こんな威勢のいい啖呵の物売りは見たことがなかった。
ここには何もかもがある、そんな気がした。二十年以上も生きて、こんなものがあるとはついぞ知らなかった。
悟空は三蔵のことなどコロリと忘れて、様々な店をのぞき、あらゆる女たちをしげしげと見てまわった。
弱ったのは八戒たちである。
なにせ悟空は見るもの全てに、「おお」とか、「ああ」とか、一々うなり声をあげてはうなずくのである。
こんな男が目立たないはずがない。
すぐさま兵士に追跡され、洪福寺に入るところまで目撃された。
かくして、一件は托羽の知るところとなったのである。