講釈西遊記

講釈西遊記

 皇居の一画、郭羽の居室に、この頃よく出入りする者がいる。
 その男は身の丈七尺(約二百十センチ)肉厚など郭羽の三倍はある。よく肥えた肉体は、それだけで相手を威圧する。いかにも硬骨の士、といった観があった。
 もう一人は、女だった。目がわずかに釣り上がり、それがかえってこの女を武人らしく見せている。スラリとした体が、ときに妖艶ですらあり、都に来て一月、はやくも宮中の視線の的となっていた。
 郭羽は手にきらきらと輝く宝玉を持ち、恍惚とした表情でそれに見入っている。
「午王よ。これはすばらしいな」
 内に高ぶるものを、堪えきれぬ声で言った。「御意……」
 午王と呼ばれた男が、深々と腰を折る。
 堂々たる体躯のせいか、そうした仕草がいかにも栄える。
「宮中でのことはまかせておけ」
 郭羽が言った。その顔にある皮肉な笑みに、午王は気づかなかった。
 午王と利扇は、共に郭羽が西域の旅より連れかえった。午王の三十名の配下は、そのまま郭羽の部下となった。
 郭羽は昔から武人として名が高かったし、能力さえあれば卑賎の者でも召し抱えた人間である。西域への旅路で、午王のような者を拾って帰ったとしても不思議はなかった。
「これで役目は果たせましたな」
 午王はほっと、安心したように笑った。
「よくやってくれた。お主の義侠心には感服いたす」
 郭羽は莞爾と褒めちぎる。
「なに、当然のことをしたまでです」
 午王は満足そうな笑顔をつくると、利扇を連れて出ていった。
「郭羽さま」
 と、それを待っていたかのように、部屋の闇から声がした。
 郭羽が振り向くと、そこに一人の武将が出現する。
 今までは確かにいなかったはずである。いれば午王は気づいたはずだ。
 忽然と現われたとしか、思えなかった。
「李天か」
 郭羽は別段驚きもせずに歩み寄っている。「話を聞きましたか?」
 李天が聞いた。郭羽は眉根を寄せて、苦そうにうなった。
「三蔵とかいう女僧のことか。托羽め、余計なことを……」
 声にうらむような響きがある。李天は遅疑もなく問うた。
「いかがいたします?」
 李天の問いに郭羽はわずかに迷った。
「行かせるわけにはいかん。孝達だけでも手を焼いたというのに……托羽めっ」
 次に出た言葉は、驚倒に値するものだった。
 孝達とは天竺から帰りついたとされる、唐国きっての名僧である。手を焼いたとはどういうことか?
「そのことですが……」と、李天は言った。「孝達めは死にました」
 郭羽はさすがに目を見張り問い返した。
「なぜだ?」
「自ら」
 李天の答えは短い。それ以上は口にしなかった。しかし、郭羽は短い言葉の中から、全てを飲み込んだようである。
 李天の目に、咎めるような色がある。
「うむ……」
 郭羽が、もぞりと一声、うなりをあげた。「方法を変えるべきでしたな」にべもなかった。郭羽がにらむが、李天は気にも止めていない。
「あの者たち、いつまで身辺においておくつもりです?」と、李天は急に話題を変えた。
 郭羽は溜息を吐いて答えた。
「あれの神通力はまだまだ役に立つ」
「されど妖怪です」
 李天の目が怪しく光った。
 午王と利扇は、牛魔王と羅刹女の変じた姿であった。
「東大寺の僧が、いつかぎつけるかわからん。あやつらは釈迦如来より宝玉の守護を命じられた者たちだ」
 大雁がこの場に居たら、腰を抜かしていただろう。
 これまで隠しぬいた秘め事を、都の太子が知っている……。
 郭羽の東大寺に関する知識は、それほどに正確だった。すべてを知った上で、牛魔王に宝玉を奪わせたのだ。
「ですが時は経ち、すでに本来の目的を見失っています」
 李天の語調がきびしい。
「だが、わからん。もう三百年も宝玉を守ってきた奴らだ」
 郭羽が鋭く切り返した。こちらも理がある。だが、李天を納得させるには足りなかった。
「人は長くは生きられません。宝玉の価値を知っている者が、果たして幾人いますかな?」
 さぐるような目で郭羽を見上げる。
「それでもだっ。この宝玉を須弥山の奴らに渡すわけにはいかんのだっ」
 郭羽の声がとがった。
 ややあって、李天が言った。
「……玄奘三蔵はどうなされます?」
「そやつめも天竺にはいかせられん。托羽をつかうか……」
 郭羽の声が落ちた。
「いざとなれば……」
 李天の声も低い。
「やむをえんな……手配をしておけ」
 郭羽が溜息をついた。仕方がない、とでもいいたげな口調だった。

不肖の弟子、長安にたどりつく

 三蔵はもといた洪福寺に帰りついた。
 寺でその帰りを待ちわびていた弟子たちはひとしく喜んだ。
 東大寺より戻って、四日が経っている。その間、三蔵は一歩も洪福寺を出ていない。
 托羽は三蔵が東大寺へ赴いたことを知っているはずである。それに対し、あの世間知らずの太子がどう出るかわかったものではなかった。その点、洪福寺なら師や弟子が多くいるし、都の中心でもある。安全といえた。
 しかし、不都合が生じなかったわけではない。東大寺から連れてきた旅の供が帰ってしまったことだ。
 托羽は当初、自分の用意した家来を連れていけと申し出たが、こんなものは論外である。三蔵はそのことを告げにきた使者に笑って断っている。
 僧たちは、ならば長安でと供を探すことを提案したのだが、今度も三蔵は承知しない。都でみつけた供では、托羽の意を含んでいる危険があったからだ。そのために、わざわざ東大寺まで、危険を冒して供を探しに出かけたのである。
 三蔵はすっかり参っていた。都の直前まで来て、全ての弟子に去られようとは、三蔵も思いも寄らない出来事であったのである。
 天竺までの遠く長い道のり。長安を出るまではなんと悩んだことだろう。それが今度の旅で、頼もしくも愉快な供を見つけることができた。三蔵は大いに喜んでいたのである。これなら天竺までの旅も、楽しくやりとげられるのではないか、そう思えていた……。
(悟空、八戒、悟浄、白龍。どうか無事に戻ってきてくれ)
 三蔵はまんじりともせず、四人の帰りを待った。
 僧侶たちの多くは三蔵の西天行きを望んではいない。洪福寺は三蔵のおかげで栄えた寺だったし、なによりその人物がよかった。
 だいたい妻にならんなら、不老長寿の薬を探しに行けとは、無法も極まったものである。皇子の口から出たとはいえ、そんな理の通らない命令は、はねつけてやればいいのだ。
 問題は、太宗皇帝が今回のことになんら反対をしていないということにある。
 太宗は仏心のおぼえ厚く、唐国における仏縁の寺を栄えさせた男である。逆らえるわけがなかった。
 表は三蔵の帰りを知った托羽の家来がうろついているにちがいない。なんとか三蔵に天竺行きをあきらめさせ、自分の物としたいはずである。
 三蔵は、最近では弟子にさえ外出を控えさせている。見回りの兵士に嫌がらせをされるからだった。
 仏の弟子たる太宗が、こんな事態を見逃すとは思えなかったが、現実として起こっているのだから仕方がない。
 三蔵には、悟空らの帰りを待つしか法がなかった。

 悟空と八戒たちは、長安に程近い草原のくぼみの中にいた。
「でけぇなー、あれが長安かぁ」
 間延びする声で感嘆しているのは悟空だ。
 今は東大寺の僧独特の服から、立派な道着にきがえている。八戒が持ち込んだものだが、おおかたかっぱらいでもしたのだろう。
 一方、その八戒は、今は人間に化けていた。
 腹がせりだし丸々と肥えて、恰幅のいい大商人といった貫禄がある。
 悟浄は背のヒョロ高い青年に化けていて、八戒の息子といえば通らないこともなかった。
 白龍だけが、そのまま馬だった。
 この馬は術で化けて人をだますという行為がおかしくてしょうがないらしく、さかんにヒンヒン嘶いている。
「南の尚遠から来た商人ということにしよう」
 白龍がいっているのは、規模では長安につぐ大唐国の都のことである。
 彼らは三蔵に会うため、こうして都までやってきたが、このままの姿で入れるわけがない。
 悟空は人間だが、東大寺の僧である。あの寺の人間が都に来ることは滅多にないから、あらぬ詮議をかけられないとも限らない。八戒と悟浄にいたっては真の妖怪である。
 結局、問題がないのは、馬の白龍のみであった。
 悟空たちは持っていた荷物をつづらの中に放りこむと、白龍に背負わせた。
 術をつかって飛んでいったりしたら、関所の番兵にすぐさま取り押さえられるにちがいない。ここから関所までは、のんびり歩いて行くことになった。
 悟空はこの頃ようやく里の人間は、自分たちのように武術や仙術をやったりしないのだということを理解しはじめた。そんなことのできる自分の方が妙であり、できなくても不思議はないのだ。
「うまく行くかなぁ。俺は都に行ったことがないから不安だよ」
 くぼ地から出ながら、八戒は不安げに顔をしかめた。
「大丈夫だよ。俺がしゃべってやるから、八戒は口をぱくぱくさせてな」
 と白龍は頼もしい。
 商人へと身をやつした一行は、やがて関所にたどりついた。
 都の門はおそろしくデカく、悟空はもう度胆を抜かれていた。こんなところで暮らしているのはどんな奴らだろうと思うと、それだけでワクワクしてきた。
 一行が関所に入ると、兵士が数人駆けよってきた。ここでは、相手の身分に関係なく調べるのが決まりである。
 それにしたって慣れぬことだ。悟空たちはやにわに緊張して、身を堅くした。
(しまったっ)八戒ははっと気づいて舌打ちをした。(俺が女に化けてたらしこみゃよかったんだ)
 ぞっとしない考えではある。
「都へは何のようです?」
 門番は八戒の意に反し、笑顔で四人を迎えた。長安の関所ともなると、対応も懇切丁寧である。
 白龍が後ろから八戒の背をドンと押した。「都にいる私の伯父と、商売の取引に参りました」
 白龍が答えるのに合わせて、八戒が口を動かす。水中から引きずりだされた、死にかけの鯉みたいにパクパクさせている。
 悟空と沙悟浄は脇で観戦していたが、傍目に見ても無理があった。
「いま、その馬がしゃべらなかったか……?」
 果たして、門番は愕然とした表情で聞いた。八戒は青くなったり赤くなったりした。
 もう駄目だ。俺の妖怪人生はこれまでだ。捕まって変化を解かれて、焼き豚にされちまうんだ。果ては人間の口におさまって、畑の肥やしになっちまうんだ……。
「そんなはずはありません」
 八戒が暗然と思念を繰り広げている間に、悟空はしゃらりとして答えていた。
 兵士は納得のいかない顔で白龍を指でさす。「しかし、今……」
「ご覧の通り、この者がしゃべったのです」
 当然でしょうと言いたげに、悟浄が肩をたたいた。八戒は慌ててうなずいた。
「そ、そのとおりっ」
「いや、しかし……」
 なおも食い下がる男に、仲間の方が呆れた。「おいおい、馬がしゃべるわけないだろう」
「この忙しさのあまりだ。ボケたのではないのか」
 なんせ、長安には毎日うんかのような旅人が、続々と押し寄せてくるのである。時には延々五里はつづく隊商が到着することだってある。
 悟空たちはろくに待つ必要がなかっただけ幸運だといえた。
 仲間に笑われ、男もようやくあきらめたようである。不承不承といった顔で、四人を通した。
 悟空が修行僧の姿を解いたのは、計算以上の実を上げた。
 托羽は三蔵が東大寺に供を求めに行ったことを知っている。修行僧のまま関所をくぐったりしたら、たちどころに托羽の耳に伝わっていただろう。
 商人に化けた悟空たちは、なんの疑いももたれず、長安にもぐり込むことができた。

 悟空にとって、長安は驚きの連続だった。
 信じられない数の人間たちが、見たこともない服を着てしゃべりあっている。こんなにぎやかな場所は、東大寺にはどこにもなかった。
 女がいる。子供の女も大人の女も、ちゃんと生きて歩いている。さすがは都だと思った。
 悟空はこんなにせわしなく動く人間ははじめて見た。
 都とはなんと華やかで美しいんだろう。帰ったら、広銘や四海師範に教えてやらなくちゃ……。
 道には露天があふれ、客を相手に商売をしている。こんな威勢のいい啖呵の物売りは見たことがなかった。
 ここには何もかもがある、そんな気がした。二十年以上も生きて、こんなものがあるとはついぞ知らなかった。
 悟空は三蔵のことなどコロリと忘れて、様々な店をのぞき、あらゆる女たちをしげしげと見てまわった。
 弱ったのは八戒たちである。
 なにせ悟空は見るもの全てに、「おお」とか、「ああ」とか、一々うなり声をあげてはうなずくのである。
 こんな男が目立たないはずがない。
 すぐさま兵士に追跡され、洪福寺に入るところまで目撃された。
 かくして、一件は托羽の知るところとなったのである。

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