陵墓には、定義がある。
陵がさすのは、天皇、皇后、皇太后、太皇太后の墓のことです。
一方の、墓、は、上記以外の皇族の墓をさし、両者をあわせて「陵墓」といいます。
最も新しい陵は、昭和天皇になりますが
東京都八王子市長房町、武蔵野陵(むさしののみささぎ)に葬られました。
天皇家の陵墓は、都のあった近畿地方に、多いです。
ただし宮内庁の定めた陵墓でも、考古学的な裏付けが全ての陵墓にあるわけではなく、有名な仁徳陵も、被葬者がわかっているわけではありません。現在では、大仙陵古墳と、呼ばれることも多く、なにがしかの解決を期待したいところです。
大正天皇は、多摩陵。ですが、明治天皇は、東京への遷都を行ったにもかかわらず、その陵は、京都市伏見区桃山町にあります。
重要な宮廷行事は、京都で行っていましたし、遺言の通りになりました。
他にも、香川県には、讃岐国に流された崇徳天皇の陵があり、壇ノ浦で入水した安徳天皇の陵墓は、山口県にあったりします。ほんにんの希望ではありませんが。
日本では、古代より、土葬の習慣がありましたが、飛鳥時代に仏教が普及し、火葬が広まりました。巨大な古墳が消えていったのも(新たに造営しなくなったのも)、そのころからだといわれています。
前方後円墳は、日本独自の形状なので、大切に保管したいところです。
平安時代、天皇家は、真言宗の門徒となり、仏教の寺院に陵が築かれることがありました。
神道のイメージが強いので意外ですが、神道仏教の境目もあいまいで、昔は違和感なかったのかも?
聖徳太子の仏教興隆の勅(みことのり)以来、神と仏が混ざり合った、神仏習合の信仰となり、発展してきたのが日本の信仰なのです。天皇は、神道のみならず、仏教の、頂点でもあったのですね。
泉涌寺には後堀河天皇と、四条天皇が祀られ(ともに鎌倉時代)、さらには江戸期の後水尾天皇から、孝明天皇までが葬られています。
神仏分離がなされる明治までは、天皇=神道ではなかったのかもしれませんね