ねじまげ物語の冒険 全文掲載!

◆ 第一部 果てしない物語の果てしない始まり

○  その少年について

 もし――
 あのとき、ああしていたら、あのとき、ああだったらという思いは、誰にでもあろうと思うが、牧村洋一が、どこともしれない場所で、ちびのジョンや赤服ウィル、時代錯誤のお侍、信用のおけないほらふき男爵といった面々にとりかこまれながら、木につるしたハンモックにくるまり、うつらうつらと考えていたのは、次のようなことだった。
 あの日、父さんと母さんが、死んでいなかったら。
 男爵の誘いを、断っていたら。
 どうなっていたろうか?
 このようなタラレバというものは、人の耳に入れば、女々しく聞こえるものだし、聞こえれば、言ってもしょうのないことをぐずぐず言うな、と、叱りとばしたくもなる。だけど、彼のために弁護をするならば、両親の死というものこそ、彼にはどうしようもないもので、あのとき、男爵の誘いをことわるのは、いっとう無理なことだった。
 彼はまだ、小学五年生の子供だし、背もふつうだし、成績も悪いし、とり柄もなければ、小づかいもすくなかった。そんなわけで、このさきの人生を、養護院で暮らすなんて、絶対に嫌だったのである。
 洋一は、家に帰りたかった。生まれそだった図書館に、帰りたかった(正確には、今もその図書館にいるのだが。いるはずだ。きっと)。養子なんて絶対にいやだし、両親には、帰ってきてほしかったのである。
 あのとき、彼の願いはそれだけで、しようもないことは言わなかったし、高望みもしなかった。
 無理なお願い、だけをした……。

 洋一少年の育った環境は、ちょっとばかり変わっていた。
 住んでいるところは古い洋館だし、その広い洋館は、図書館に改造されていた。両親は、古今東西のあらゆる本をかき集めていたが、その屋敷は山のうえに建っていたから、利用者はあまりにも少なかった。
 さきほどのお話のとおり、それは意外でひっそりとした場所であったから、不思議なことや、奇怪なことが、近寄りやすかったのかもしれない。今から考えると、洋一の両親というものも、ちょっと奇怪な人たちだった。
 洋一の両親は、牧村恭一、薫、といった。洋一にとって、両親というのは必ず家にいて、そして、なんの仕事もしていない人たちだった。二人は本にかかりきりで、まさに本にとりつかれたような人たちだった。収入は、いっさいない。豪奢な屋敷に住んでいるわりに、暮らしむきは、質素なものだ。
 それでも、洋一は両親が好きだった。長いのぼり道にこそ辟易としていたが、あの古びた屋敷のことも、好きだった。利用者が少ないといっても、おしかける友人は多かったのであって、ただ彼らのたいはんが、本嫌いであっただけのことだ。
 とはいえ洋館だって、刺激物としては負けてはいない。その屋敷は、ゲームの一場面を連想するのに十分だったし、なんといっても、子供心を刺激するのにあんな立派な建物はなかった。子供をいっとう育てるものが、いっとう不可思議なものであるならば、あの洋館こそが、打ってつけであったのだ……。

 このように書くと、誤解をうけるかもしれないが、洋一は、その屋敷に帰ってはいた。帰るときは、こそこそしなかったし、堂々と門から入った。彼は今、まさにその日――屋敷に帰った、あの日のことを、考えていたのである。
 あの日というのがいつなのか、洋一にはもうわからなかった。彼の時間は、めちゃくちゃだった(いやいや、一番にめちゃくちゃになったのは、彼の人生そのものだが!)。一時間が数ヶ月になったようにも思うし、あるいは止まったようにも思えてくる。
 洋一は毛布を引き寄せ、しかめっ面をしながら、大人めかしい考えに小さな胸を痛めていた。いやいや、人生というのは、なにが起こるかわからない。なんでこんな目にあうんだと、ふんたらかんたら考え、人前では見せなくなった涙を、こっそりぽろりとこぼすのだった。
 だが、このように唐突な話。諸兄とて、突然されても、話の道筋などはわかりはしまい。だから、この少年の、これまでに目をむけたい。
 あの日から、これまでの話。
 いや、まわりくどい物言いをしてもうしわけない。率直に言おう。
 彼は今、本の世界の、中にいる……

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