ねじまげ物語の冒険 全文掲載!

◇章前 モーティアナ

 イングランド王宮の地下深くに、水の流れる巨大な鍾乳洞がある。モーティアナはそこで一人足を急がせていた。血の滴と呼ばれる占術に導かれてここまできた。その力は、師マーリンより授かったものである。師の生き血をむりやり飲まされることによって……
 水たまりをはねのけ、苔むした橋を渡る。消えることのないたいまつの火が洞穴内を照らしている。この洞穴じたいが、マーリンの拠点のひとつだった。大昔の呪具がそこかしこに散らばる場所についた。マーリンの死と共に大半の効力が失われたガラクタである。そのうち、台座のようになった鍾乳石の上で、光り輝くものがあった。モーティアナは慎重な指さばきで、紫の布に包まれた水晶球をとりだした。
「吉兆じゃ、吉兆じゃ」とモーティアナはつぶやいた。下僕である三匹の蛇が、足下にまとわりついてきた。蛇を邪険に蹴り払う。そして、水晶が――師匠の死後は、暗黒色となり二度と輝くことのなかった水晶球が、二百年ぶりに脈動をはじめていた。何重にも巻かれた布の最後の一枚をはぎとると、銀白色のかがやきが、モーティアナの老いた顔をなぎ、洞穴を揺るがすかのごとく照らしだした。モーティアナは洞穴の支流に転げ落ち、動物のような驚きの声を上げた。なんたること、なんたること。我が師がよもや復活を……
 と恐れおののいた。その師を貶め死に追いやったのは、ほかならぬモーティアナなのである。蛇たちは(マーリンの蛇の息子たち)すぐさまモーティアナの懐にのぼる。モーティアナは冷えた水を垂らしながら支流を出、水晶を紫布の上にのせた。彼女は老いさらばえた手で水晶を包むように持ち、震える喉に唾をくだす。
「モーティアナ……!」
 野太い声が、洞穴に轟いた。彼女は驚き、危うく水晶を取り落としそうになる。突然顔を打たれ、彼女はぎゃわと面妖な声を上げた。顔を打ったのは雨交じりの風だった。彼女は顔をしかめながら、天を満たす嵐を見上げる。洞穴の景色は消え去り、彼女は荒涼とした草原にいた。木々は黒々と枯れ果て、その骨格は死した悪魔のようだ。高く生えた葦草は、人を排斥するかのようにその身を揺らしている。雷鳴が轟き、彼女の足下は沼地に変わる。そして、水晶から、巨大な青白く輝く顔が出現し、中空に浮かび上がった。
「あ、あなたさまは……」
 と彼女は震える声でいう。
 ウィンディゴ
 声が頭蓋を揺るがし、その声は蛇たちにも響いたようで、一人と三匹は沼地にひれ伏すように這いずった。
「久しいな、モーティ。ウェールズのサンタナ、オルーリアの娘よ」
「なぜその名を」
「わしは知っておる! おぬしの罪を、おぬしの喜びを、おぬしの恨みを……」
 モーティアナは泥沼に伏した顔を上げた。「ああ、あなたさまなのですね、わたくしめをここまで導き……」
「無用、無用」
 とウィンディゴは言った。モーティアナは、いつのまにか、尊師、とつぶやく自分に気がついた。なぜなら、自らの血にとけこんだマーリンの血液が囁いていたからである。純血、と。マーリンの血を飲み、得た力は微々たるものだ。だが、彼女は、古にうけた血が日に日に濃くなっていくことに気づいていた。今日現れた吉兆も、このウィンディゴと名乗る男の出現を予言していたのだろう。
「我が配下、マーリンを殺したであろう」
 ウィンディゴがそうつぶやいた瞬間に、体を流れるマーリンの血が沸騰をはじめた。モーティアナは悲鳴を上げて沼地を転げまわった。
「誓え! この呪われた血に! おぬしの運命に誓いをたてろ!」
 誓う、誓いますうううう
 モーティアナは叫んだ。全身の血管を焼き尽くそうとしていた熱は消えた。モーティアナは手足を投げ出して、沼地に横たわる。雨がさーさーとふり、彼女の顔とほおを流れる涙を打った。
「我が望みをお前が叶えるのならば、みよ」
 ウィンディゴの顔の隣で、地獄の劫火が燃え広がった。劫火の中には、美しく光る珠が逃げまどうように漂っている。モーティアナ、過去はサンタナと呼ばれた魔女は、それが人の魂であることに気がついた。
「お主がなくしたものはなんだ? 奪われたものはなんだ? 人の心か? そのようなものはいかほどのこともない! お前が奪われたもの、それは甘美なる復讐ではないか!」
 とウィンディゴは言った。そして、モーティアナはその人魂こそが、母親オルーリアなのだと気がついた。わずかな金銭とひきかえに、自分をマーリンに売り渡した母。ために自分は犯され、冒涜され、古の血のために呪われたのだ。彼女の喉は母の魂を欲しがり鳴っている。
 モーティアナは嬉々として叫んだ。
「ああ、そうでございます。うらんでおりました、憎んでおりました、なのに、私めが微細な力を身につけ、殺人に赴いたときには、あの女は土の中に……それどころか数百年が経過しておりました」
 モーティアナは草地のなかに頽れた。しばらく雷鳴のみが彼女を包んだ。
「我が陣営につくか」誘惑の声が頭部に落ちる。「なればお主に復讐の果実を与えよう」
 モーティアナは顔を上げる。「私めになにをお望みです……」
「モーティ、ミュンヒハウゼンを殺せ!
 モーティ、奥村左右衛門之丞真行を殺せ!
 モーティ、奥村太助を殺せ!
 モーティ、牧村洋一を殺せ!
 そして、やつらのもつ、伝説の書を奪うのだ!」
「そ、それは……」
「やつらはロビンの復活を目論んでおる」
「ロビン・ロクスリーにございますか」
 モーティアナはいぶかしんだ。誇り高きヨーマンにして、伝説の男はすでに死んでいたからである。他ならぬモーティアナが国王を唆し、死に追いやったのだ。モーティアナはそのことをウィンディゴに伝えた。
「森の仲間たちはすでに散り散りになっております。なんの力もございませぬ」
「とどめをさせ。なぜならば、やつらは我とおなじ、古の力に導かれておるからだ」
「ミュンヒ、ハウゼン……でありますか」
 このときモーティアナは、まだ見ぬ老人を、尊師のためにはっきりと憎んだ。
「見よ」
 ウィンディゴが目を傾けると、大空にミュンヒハウゼンが、彫刻のように青白く浮かび上がる。
「我が宿敵である。大半を失効したが、いまだ創造の力を備えておる」
 そして、奥村左右衛門之丞がミュンヒハウゼンに変わった。
「中間世界の侍である。古の修行をうけ、古の力を身につけておる。独自の武刀術をつかう。気をつけろ」
「はは」
「その息子である」太助だった。「やつらは幼少より、模擬の武器を持たせ、鉄のごとく鍛え上げる。元服の前に殺すのだ」
 最後は洋一だった。
「憎き牧村の息子よ。伝説の書を守りし一族の、唯一の生き残りである。小僧ゆえ、なにもできまいが、父親から何事か授かっておるやもしれぬ。息の根をとめるのだ」
「はは」
「よかろう。ならば、やつらを殺しにむかうのだ」
 ウィンディゴは、彼らがどこに出る手はずかを彼女に教えた。ウィンディゴが水晶に消えると、荒れ地は元の洞穴に戻った。けれど、モーティアナの全身は濡れそぼったままである。蛇たちは泥にまみれていたのだった。
「こうしてはおられん」
 モーティアナは床におちた布を拾い集め、水晶を胸にかき抱いた。洞穴の松明はすべて消えてしまっていたが、そのことにも気づかなかった(今では水晶の明かりのみが、彼女の足下を照らしていた)。

 ウィンディゴは知っていたろうか。彼はあの老婆に力を与えた他にも苦しみから救いだした。数百年に及ぶ彼女の苦しみ。
 それは、孤独であった。

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