ねじまげ物語の冒険の、冒頭部分をチラ見せいたします!

     4

 団野は部屋に入ってくるなり、開口一番、
「なにをしている」
 と言った。団野は男爵たちに度肝をぬかれたようだ。彼らから目を離すことができなかったが、それでも洋一のもとに駆け寄り、彼をデスクから引きはがすことはできた。洋一が、体にはしった激痛に悲鳴を上げ、表の三人が怒りを発した。
「なんだお前らは」と団野は言った。「ここは俺の敷地内だぞ。なんだ……おかしな格好をしやがって! とっとと出ていけ!」
「貴様などにいわれなくとも出ていくわい」と、男爵は、口辺に唾をとばしてわめいた。「ただし、その子も一緒だぞ。我が輩こそは、その子の真の保護者だからな」
「なにをいってやがる、この餓鬼にもう身寄りはいないんだ」
 そういって、洋一の頭を押さえつけた。団野のローブからただよう酒の香りが、強く彼の鼻腔をみたした。このさき洋一は、酒の臭いを嗅ぐたびに、真っ赤な唇を、叫びの唾でぬらす団野のことを思いだす。
 開け放たれた窓からは、真冬の冷気が、かんかんと部屋に注ぎこむのに、団野の体からは、狂気の熱気が漂いだすかのようだ。現に、団野は、零下に近い室温のなかで汗をかき、真夜中だというのにきれいになでつけた前髪を、額に幾筋もたらしている……。
 洋一は、団野が手荒くあつかう体の痛みよりも、心の痛みのほうが強かった。男爵はああいってくれるけれど、ぼくの身内はもういないんだ――
「だから痛めつけてもいいというのか?」
 奥村はまるで居合い斬りをしかけるかのように、低く腰を落としている。彼が低音の押し殺した声でいうと、団野ははっと洋一を見下ろした。
「この子はうちの院生だ。院生は規則にしたがう必要がある。院生はしつける必要だってある」院長は燃えたぎる眼光で、奥村たちをみわたした。「ここでは団体生活をおこなっているんだ! 規則をさだめてしたがわせなければ、院内の生活はどうなる! 院内の規律は! それにこどもを鍛えるのは俺の役目だぞ! この俺の使命! だから――」
「だまれ、この若造!」と男爵は手にしたサーベルで地面をつき、雄々しく腕を振り上げた。あふれんばかりの情熱という点では、かれも団野に負けてはいない。「その子は我が同胞にして我が家族! 手をあげるものは何人たりともゆるさんぞ!」
「俺があずかったんだ!」と院長は唾を飛ばしてわめいた。「俺がこの子の親代わりだ! おいっ!」
 団野は洋一の右手をつかみ上げる。洋一は骨が砕けるんじゃないかと思ったが、団野から目線をはずせなかった。ちょっとでも視線を外したら、また痛めつけられると信じていたからだ。
「オマエはここの生徒だ」団野は洋一のほおを拳で殴りつけた。男爵たちが、抗議の悲鳴を上げた。「ここの院生こそがオマエの家族だ!」もう一度。「俺がオマエの親で!」もう一度。「オマエは息子なんだ! わかったかわかったかわかったか」
 団野はそう連呼しながら、洋一の頭をこずきつづけた。男爵たちがなにかを叫んでいるが、洋一の心には、もう団野に殺される恐れしかない。
 舌が口の中でふくれあがり、気管をふさいで、息もできなくなった。もう息をしたくなかった。恐怖心が彼の体を殺しにかかっていた。
 だが、こめかみから流れだした血が、床に落ちた瞬間、ショック死しかかっていた身のこわばりがとけた。血は、事故を連想させた。両親の姿が、彼の目蓋に浮かんだ。両親はいなくなったけれど、彼の体は、二人の記憶を誰よりも色濃く残している。その点で、洋一の両親は、この世とつながっている。洋一は、自分が死んだら、二人は本当にこの世から消えていなくなってしまうんじゃないかと、そう信じたのだ。
 血の水滴がまた三つ――洋一はふりむき、団野の姿を視界にとらえた。
 ふりあがる団野の拳のタイミングを見計らうと、かの拳が舞い降りかけた瞬間、身をひるがえし、戸口にむかって駆けだした。団野は目標をうしなって、身をふらつかせている。男爵は、走れ、玄関まで走れ、と、狂ったように叫んでいる。
 洋一は走った。ふらつく足で、痛む肋を腫れ上がった指で押さえ、自由への扉めがけて駆けぬけた。後ろからは団野が狂気の熱を帯びた罵声を上げ、スリッパをばたつかせ、音も高らかに追ってくる。追いついてくる。玄関が見えた。廊下を曲がって、一歩二歩、廊下をなかばまで来たときには、彼はゴールを目前にひかえたマラソンランナーのように疲労困憊だ。洋一はドアノブに向かって、めいっぱいに手を伸ばした。
 団野は彼の襟首をひっつかみ、その自由への逃避行を阻止したのだった。

 洋一は虎柄にもにた敷物のうえで、体をふりまわされた。
「貴様あ、契約書にサインしたろう! 忘れたのかあ!」
 団野はもう一度洋一をぶとうとした。洋一は両腕で頭を抱えながらわめいた。
「お前なんかぼくの両親じゃない! あんな契約書くそくらえだ! ぼくは、ぼくはあんなもの……」
 団野は洋一にのしかかり、顔を床にたたきつけ押さえつけた。洋一は苦しい息の下で、まだなにかをしゃべろうとした。かれ自身のためだけではなく、両親のために。ここでひきさがったら、一生団野のことをおびえて暮らさなきゃいけなくなるとわかっていた。だが、洋一は団野の膝で首をおさえつけられて、ほとんど窒息しかかっている。男爵が玄関扉を引き開けて、昔日の勇者のごとくおどりこんでこなければ、彼はきっと涙の下で意識をなくしていたにちがいない。
 洋一が顔を上げると、無敵の男がそこにいた。海賊が被るような金縁の黒帽子に、大きな鳥の尾羽をなびかせ、息も切らせて駆けこんでくる。ああ、そう、彼は年老いたフック船長のようでもある。だけど、彼はほらふき男爵その人だ。サーベルを手に傲然と立ち、ブーツの音も高らかに玄関口から上がりこんでくる。
「貴様、洋一から離れろ!」
 ミュンヒハウゼンは、扉を叩きあけた瞬間から絶叫をした。三百五十年の長きにわたって、人々に愛されつづけた男爵の義侠心に火がついた。彼はサーベルを引き抜いて突進したから、さしもの団野院長も、洋一の上から身をひきかけた。
「不法侵入だぞ」と彼は言った。「こんなことをしでかしてただですむと思うな! 警察は貴様らをとっつかまえるぞ、そんな刃物でこのわしを脅したんだからな!」
「なにをこのちょび髭の下郎!」
 と男爵は火のでるような絶叫を上げ、手にしたサーベルを床に突きたて、
「奥村、ここはわしに任せろお!」
 と背後の二人に呼ばわった。
「決闘じゃ」
 男爵は右の手袋を脱ぐと、団野にむかって放り投げた。
「その子と我が命をかけて決闘をもうしこむぞ! さあかかってこい!」

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