ねじまげ物語の冒険の、冒頭部分をチラ見せいたします!

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 足立は去っていった。
 彼女は去り際に、気をつけてね、と洋一に言いたかったが、そんな失礼なこと、院長の前でいえるだろうか?
 団野院長が玄関を閉めた。団野院長は、目の前に立った。
 洋一は、扉と院長にはさまれた格好になる。洋一には、院長のズボンとチャックしか見えない。背の高い人だな、と思った。ぼくが小さすぎるのかな? 
 次の瞬間には、洋一は顔を平手打ちにされ、タイルの上に尻持ちをついていた。なにが起きたのかわからずにいるうちに、鼻血が垂れ落ち、彼の服に赤い染みを、一つ、二つともうけていった。
「夜分遅くに申し訳ありません」と、院長は上目遣いで、足立の口まねをした。「まったくだな。礼儀がなっとらん。失礼じゃないか。そうは思わないか? わたしは寝ていたかもしれない。酒を飲んでいたかもしれない。女と淫行をしていたかもしれないではないか。そうは思わないか?」
 と、訊きながらも、院長の目は洋一を通り越していた。地球の中身でも、覗いているかのような、心ここにあらずな目……
 洋一は、震えて黙りこんだ。両親が死んだのだって、彼にとっては、口も利けないほどショックなことだ。骨が砕けるほど、強烈な平手打ちを食ったのだって、初めてだ。彼は父さんにはぶたれたことはなかったし、母さんにぶたれたのだって、もういつのことだったか、思い出せもしないほど。それに、院長は手首付け根の硬い骨で、洋一のあごを正確に打った。彼のダメージは、脳みそにまでおよんで、いまだにぼうっとしている。その意味では、あの瞬間だけは、院長の足下は確かなものだったといえる。
 院長の目の焦点が、ようやく洋一を探り当てた。洋一は、院長の目玉に、怒りの熱気が揺らめくのを見た。
「お前はあいさつをしらんのか……」
「はい……?」
「はい? イエスなのか? そうなのか……」院長は洋一の襟首をひっつかむと、むりやり立たせ、「悪い子だ。すごく悪いじゃないか。うちじゃな、悪い子には折檻することになってる。折檻しないと、子供はいいことと悪いことを覚えないんだよ! なぜなら、子供には理屈を言っても無駄だからだ!」
 院長は酔っているとは思えない力で、洋一の体をドアに放り投げた。
 硬い樫のドアに、背骨が跳ね返され、内臓が、胸から飛び出るほどの衝撃を受けた。
 洋一が、咳きこみうずくまっていると、院長は間も与えずに髪をつかみあげ、
「悪い子だ悪い子だ、覚えろ、覚えろ、しつけを覚えろ! 俺にあったらあいさつをすると!」
 大声で叫びながら、洋一の頭を。扉に打ち当てはじめた。
 洋一は脳みそを揺さぶられ、考えることもできない。ようやっと考えられたのは、今日繰り返しつぶやいてきた言葉で、これは夢だ、の一言だった。
「みんな、なんでも俺に押しつけやがって、市の補助金なんてくそくらえだ」
 院長は、最後に洋一の体を、ボールみたいに床にたたきつけた。
「くそくらえだ」
 そう言うと、彼は立ち去ったのだが、恐怖と痛みに震える洋一の目には、院長の足下しか見えなかった。

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