ねじまげ物語の冒険の、冒頭部分をチラ見せいたします!

その二 ほらふき男爵、かく現りき

     1

 暗闇だった。その闇の中で洋一が覚えているのは、体の痛みと心の痛み、院長の放ったアンモニアの臭気。日本酒のまじった、あの臭いときたら……。
 時折身じろぎをしたが、その身じろぎすら、体に走る激痛のために、苦痛ですらあった。彼は、暗闇のなかで涙した。院長の痛烈なことばの数々は、受け入れるべからず両親の死を、むりやり喉に押しこんだ。もう二人には会えないんだ、と思うと、つらかった。自分も、この世から、消えてしまいたかった。
 これからは、自分が家族だ、と院長は言った。洋一は、「あんな家族なら、欲しくないよ……」と、闇の中で答えた。
 洋一は闇の中で横たわったまま、夜が明けるのを待った。夜が明けたとて、ここを出られるわけでもないのだが、院長に逆らって、ふたたび虐待が行われれば、拘束はさらに長引くものと思われる。
「父さんも、母さんも、ぼくをちゃんと育ててくれたんだ……お前なんか」
 熱いものが喉にかかって、先を続けられなかった。びっくりするほど、熱い涙がこみ上げて、しゃくり上げて泣いたのだった。
 あんなふうに言われっぱなしで、自分や父さんにたいして、もうしわけがなかった。なんとすれば、両親はもう反論なんてできないのだから、彼こそがあの院長に、きっと言ってやらなければならなかったのだ。
 それから、洋一は院長に言われたことを、一生懸命考えてみた。
 大人からこんなふうに扱われたからには、自分が悪いことをしたからじゃないかと疑ったのだ。
 だけど、院長の発した言葉の数々は、彼にとって大半が意味不明なものだったし、自分のどこが悪かったのかはわからなかった。
 洋一は涙をこぼしたが、院長に聞こえないよう、必死に嗚咽をかみころした。
 それから、誓約書の規則をやぶったら、刑務所にいれられるなんてほんとかな? と考えた。いくら彼が小学生とはいえ、多少の知識はある。院長の言葉は信じがたかったが、それでも彼は子供だ。
 刑務所がここよりもおっかないところなのは、ほんとかもしれない。あそこは、罪を犯した大人が入るところだ。
 事態がこれ以上悪くなるなんて、それこそお笑いぐさだが、今の洋一にはすべてが悲観的に見えた。生活と人生のすべてがひっくりかえった小学生が、奈落の底まで落ちこんだとして、それを攻められる人なんて、きっと三千世界にいやしないのである。

     2

 さて、牧村洋一は、体をのたくる激痛に歯を鳴らしながら、なんとか手をつき身を起こした。闇に目がなれて、涙をぬぐい落としてみると、そこがデスクや本棚のおかれた狭い物置であることがわかった。
 洋一は立ち上がって、扉に鍵がかかっているか確かめようかと思ったが、足を振り上げ、暴れ狂う院長の姿がなんども脳裏をよぎって、立つことすらかなわなかった。そんなふうにおびえるのは腹立たしくもあったが、院長の殴打は彼のガッツを根こそぎ持ち去ってしまったものらしい。
 洋一は腫れ上がった瞼の下で、部屋の端にカーテンが掛かっているのを見た。一瞬、映画の主人公よろしく、そこから逃げだす自分を想像したが、怪我で思うように動けない今、逃げだしたところで捕まるのは時間の問題だといえた。車で来たから、自分のいた洋館がどのあたりにあり、どのぐらいの距離があるのか皆目わからなかった。ここを出たところで、家に帰り着くのはむりだと彼は考えた。なによりも、自分が逃げだすことを、院長は望んでいるような気がして(望んでいるのは、その結果行われる虐待をだ)、洋一は行動を起こす気になれなかった。
 窓があると思われるカーテンの向こうから、ホトホトと中をおとなう物音がしたのは、洋一がしばらくここに身をひそめていようと、考えることすら放棄しようとした、まさにそのときだったのである。

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