ねじまげ物語の冒険の、冒頭部分をチラ見せいたします!

     5

 骨が折れたんじゃないかと思った。肩甲骨や肋が、ひどく痛かった。こんなふうに痛めつけられたのは初めてだ。友達と喧嘩をしたことはあるが、それは痛めつけられたなんて言わない。院長は大人の圧倒的な力で、彼をおもちゃみたいに扱った。ゴミやボールをほうるみたいに、彼の体をほうり投げた。
 だけど、彼が本当に、冷凍庫に放りこまれたネズミみたいに、震えだしたのは、鞭を持ってもどってくる、院長の姿を目にしたときだ。こんな恐怖は、これまでなかった。
「おしおきだ」院長は言った。「おしおきだ。言うことをきかないやつは御仕置きだ。しつけのなってない子はお仕置きだ! 俺様が悪いお前を、とことんこらしめてやるぞ。腕を出せ!」
 院長の持っている鞭は、乗馬につかう、短いが威力の鋭そうなやつだった。それを、びゅん、とふるわせる。鞭が棚にぶつかり、木枠が裂けた。
 洋一は、扉まで後ずさると、腕を体の後ろにかくし、
「ぼくはなにもしてません!」
 と泣きながら叫んだ。
「いやしている」
 院長は、壁にかかった額縁の絵を、鞭で打った。分厚い紙が、斜め一文字に、きれいに裂けた。
 洋一は、ぼくのほっぺもあんなふうにさけるんだ、と震えた。生まれてはじめて、どんなことでもするから、許してほしいとさえ思った。
 院長は鞭の端を両手で持ち、仁王立ちした。
「お前は甘ったれてる。その証拠にあいさつもろくにできない。俺の睡眠のじゃまをした。酒を飲むのをじゃまをした。うちの院では、そういう小僧は、きつくしつけるんだ。俺はそのためにお前を預かっている。両親にかわって、お前をしゃんとしてやるぞ、とことんだ!」
「あやまります!」
 洋一は言った。院長はハッとしたように、しゃべるのをやめた。天井を見ていた目を、水平の位置までおろした。
 それでも、洋一のことは見ようとしなかった。
「悪いことしたんならあやまるよ。だってぼく、こんなところに連れて来られるなんて知らなかった。ぼく……」
「知らないことが罪なんだあ!」
 とたんに院長が駆け寄ってきて、その右のつま先で、洋一のみぞおちを蹴り上げた。
 洋一は痛みで息がつまる、横隔膜が引きつって、息も吸えない。
「知ったふうな口をきくな! 知ったふうな口をきくな! 子供は大人のいうことを聞けばいいんだ!」院長は叫びながら、なんどもなんども足を踏みおろす、洋一の体めがけて。「そうしないと、まちがうだろう! 誰かが、お前たちを、しつけなければ、世の中は、どうなる? むちゃくちゃに、なってしまう。そう、ならない、ために、しつける、役目が、大人には、あるんだ!」
 院長は酒に酔った荒い息を吐き、洋一を見下ろした。「腕を出せ」
 洋一は、震えながら丸まっている。彼は泣きながら言った。
「おしおきならもう受けた。もういいでしょう!」
「なんだその口の利き方は?」
 洋一が見上げると、院長はあまりのことに呆然としているようだった。そんなふうに反論されるのは、さも心外だと言いたげに見下ろす。
 焦点が二転三転して、洋一の目線と合った。
「誰にそんな口の利き方を習ったんだ?」
「誰でもいいよ! ぼくの父さんはぼくを叩いたりしなかった……」
「いまは、俺がお前の父さんじゃないか」
「お前なんか、ぼくの父さんじゃない……」
 洋一は泣きながら、そっと膝元に顔をうずめていった。そうしたら、体が小さく丸まって、消えてしまえるみたいに。
 院長はうなり声を上げながら、踵を、洋一の後頭部に振り下ろした。院長は飛び上がると、お尻から彼の背中に落ちた。あまりの衝撃に、洋一の体が伸びると、こんどは右足の上で地団駄をふみはじめた。
「こい」と、院長は洋一の腕をひっつかみ、彼の体を引きずりだす。「二度とそんな口の利けない子にしてやるぞ! 俺にそんな口をきいたやつがどんな目にあうか、お前の体に焼き印をおしてやる!」
 洋一は、意識がもうろうとして、逃げなきゃ逃げなきゃと思うのに、頭が扉や壁にぶつかってもどうにもできず、その身に起きたあまりに理不尽な出来事のために、軽い緊張病を起こしていた。彼は痴呆のように口を半開きにし、よだれを垂らしていたのだが、院長が煙草を束にして丸め、それに火をつけだすと、急にしゃんとなった。
「どうするの?」
「吸うと思うのか?」
「ぼ、ぼくにそいつを押しつけたら、きっと黙ってないぞ」
「誰がだ?」
 院長は洋一を見下ろした。真剣な目で。
「誰が黙っていないんだ。お前の親は丸焦げになって、ずっと黙ったままだ」
 それが、さもおもしろいジョークだとでもいうかのように一笑いした。洋一が泣き始めると、拳で彼の頭をこづきはじめた。
「泣くな、こいつ。男だろう、男だろう、男だろう。鍛え直してやるぞ、お前を俺が鍛えなけりゃあ、そうとも、とことん、とことんやらなけりゃあ」
 煙草に火がまわった。十本ばかりが重なり合い、その先端の火口は、赤い火の玉に変わった。
「誰も助けなんてこないんだぞお。それなのに、俺に逆らうってことが、どういうことなのか、こいつで体に刻みこめ!」
 洋一は逃げようとしたが、院長は彼の頭を床に押しつけている。洋一は、痛みとあきらめの気持ちも手伝って、抵抗らしい抵抗もできなかった。
 院長は彼の背中に、服もめくらず、火のついた煙草を押しつける。洋一の耳に、服がとけるジュウッとした音が届き、彼は皮膚が焼ける痛みに、声をかぎりに絶叫した。
 洋一は信じられなかった。こんな痛みも、自分がこんな声をだしたことも。彼がちょっとでも怪我をしたら、心配してくれる母さんがもういなくって、見知らぬ男に煙草の火を押しつけられていることも。
「どうだ! 誓え! ここに神に誓って誓約しろおっ! 二度と俺には逆らわないと! この院で起きたことは絶対に口外してはいけないんだぞお! みながそうしてきたように、お前も誓えええ!」
 誓う! 誓います!
 洋一は自分の喉がそういうのを聞いた。服や皮膚だけでなく、頭の中にも火がついたかのようだった。
「いい子だ」
 院長の体が離れた、洋一は、ぐったりと床にしなだれた。
 しかし、院長は手にした煙草の幾本かに火が消え残っていることに気がついたようで、その火を消すのに、灰皿ではなく、洋一の体をつかうことを思いついたようだ。
 院長は、消え残しの一本を、洋一の右手に押しつけた。新しい痛みに苦悶する洋一の耳で、もう一本。こめかみでもう一本。そして、親指の爪に一本ずつ。
「お前は、しばらく外に出ることを禁ずる。この家の部屋に閉じこもってろ。いいか、体の傷を誰かに見られたら、俺が困るんだ……」
 ぼくの体を傷つけたのは、院長じゃないか……と、洋一は心で、悲鳴混じりの非難を上げた。

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