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養護院みろくの里は、三十人ばかりのこどもたちを収容している。院長の自宅は、その邸内にあって、問題が起これば、いつでも駆けつけるというわけである。
さて、洋一をこの養護院に送ってきたものの、足立はこの院に、洋一を預けるのは気が進まなかった。この辺りには、他に市立の養護院がなかった。みろくの里は評判がよかったけれど、それはこの院が、どんな子供でも預かるからだった。みろくの里がいいと思っているのは、足立の上司だったが、その人たちは、みろくの里には、来たこともなかった。事務処理も、こどもたちの世話も、足立が一人でやっていた。だから、現場を知っているのは、足立だけなのだ。
足立はインターホンを押した。扉は、すぐに開いた。鼻にドアがぶつかりかけた。扉の裏で待ちかまえていた男が、急にドアを開けたのだ。
洋一は、クラスでもとくに、後列から三番目に背が低かったが、院長は背が高かった。洋一が見上げると、八の字の髭が、にょきりにょきりと、立体型にくっきり見えた。
院長は、女性にも洋一にも、注意を払わなかった。酔っているようだった。
足立が、どぎまぎした様子で言った。「団野院長、夜分遅くにもうしわけありません」
「ああ、まったくだな」
院長は言った。
「こちらは牧村洋一君ともうします。あの……院長、聞いてらっしゃいます?」
「それがどうかしたのかね……この子は孤児なんだろう」
と、院長は急に高くなった声でそう訊ねた。
「そのとおりですが、院長」
足立が院長の肘をとり、洋一から離れるような仕草をみせた。彼らは玄関の奥に寄った。院長は、足立の話を少しだけ聞くと、洋一に向かって身をかがめた。
洋一は、院長の肌から、日本酒の臭いをかいだ。彼の父親はワインやウィスキーを好んだ。なんだか嗅ぎなれない、いやな臭いだと、洋一は思った。
「牧村」
と団野は言った。洋一君、とも、洋一、とも言わなかった。名字で呼ばれたので、洋一が感じていた団野院長の冷たい感触は、よりいっそう強くなった。
「親が死んだのか? 君には親戚がいないのか? 独りぼっちなんだな?」
院長は最後の、独りぼっちなんだな、を、噛み締めるようにゆっくり言った。洋一は、答えることだけができずに、ひゅっと息をのみこんだ。
洋一は、足立にこう言いたくなった。
ぼくを連れて帰ってください、ここに残したりしないでください、この人と、二人きりにしないで下さい!
そんなことを言ったら、院長はどう思うだろうか? 最後に感じたこの思いで、洋一は、胸に渦巻くその言葉を、口にすることだけは踏みとどまった。洋一は、虐待を受けたことはないが、虐待のなんたるかは知っている。
洋一は、こわばった顔のまま、小さく幾度かうなずいた。院長の髭だけが、うれしそうに笑った。
洋一は、よりいっそうの不安を覚えたのだった。