ねじまげ物語の冒険の、冒頭部分をチラ見せいたします!

     6

 洋一の見ている目の前で、男爵と院長はともに床まで頽れていった。洋一の目には二人が相打ったように見えた。だが、血を噴き、正体なく首をくゆらせる団野を見て、男爵の勝利を確信した。
「おみごと!」
 奥村が大声をあげてミュンヒハウゼンに駆けよった。
 男爵は重たそうに痩せた身をひきおこし、どっかりとあぐらをかいた。
 洋一は痛む膝をかばいながら立ち上がろうとした。奥村の息子が駆けつけ、脇に手をさしいれる。洋一は、痛む肋に顔をしかめながら、太助をみる。
 男爵は団野のことをいまいましそうに睨みつけながら、
「ここが物語の世界なら、首を刎ね落としてやるのに」
 洋一は、興奮にまぎれて、その言葉を聞きのがした。まだ、このときは。

 ミュンヒハウゼンは、奥村に支えられて立ち上がった。洋一がちかづいた。
 男爵はこの数分の闘争で、めっきりと年老いたかのようだった。
「遅くなってすまなかったな」
 洋一に負けないくらいに顔を腫らした男爵が、彼の頭に手をおいて、
「恭一のことはすまなかった。あいつは立派なやつじゃった。しかし、お前も恭一に負けないぐらいに立派な男になったらしい。お前とわしはともにあやつに負けなかった。そうおもわんか?」
 男爵に言われて、洋一の目に涙がたまった。あやつとは院長のことなのだとは、容易にわかった。だけど、院長に痛めつけられても洋一の心が折れなかったのは、ひとえに男爵のはげましのあったおかげである。団野は彼の体を痛めつけた。けれども、それ以上に両親が死んだんだと思い知らされたとき、彼の心はへし折れる寸前までいった。団野の拳と言葉は愚風のようで、彼の身骨を砕こうとした。だが、その折れかけた細い身茎を支えてくれたのは、名付け親を名乗るやせっぽちの老人なのである。
 洋一は、この日一度たりとも口にできなかった疑問を、男爵になら話すことができた。ミュンヒハウゼンはたしかにほらふき男爵なのかもしれないが、いつわりは一言たりとももうさなかった。それは、男爵の心と言葉が、見事に一致しているからだった。だからうつむいてこう訊いた。
「父さんも母さんも、まちがいなく死んだんだ。そうでしょ?」
 頭におかれた男爵の手が、そのときだけは揺らいだようだった。
「牧村は世界中に仲間がおる、とびきり優秀なやつじゃった。わしはあいつが大好きじゃ。だが殺された。殺されたのだ」
「誰に?」
 洋一は、涙にくもる目で男爵をみあげた。彼はこのときだけは、まだ見ぬその相手をはっきりと憎んだ。
「洋一、お前にこのようなことをつたえるのはつらい……。ほらも吹けぬほらふき男爵、あいすまぬ」と男爵はポロポロと涙をこぼしながら頭をさげた。背後で奥村親子も泣きにくれている。「この奥村左右衛門之状真行は、恭一とともに旅した無二の仲間である。そして、恭一と薫の二人は、ウィンディゴの手によって命を落としたのだ。車の事故とは、見せかけだ」
 男爵は大きく鼻をすすった。
「ウィンディゴって? 外人?」
 男爵は迷うように、洋一の顔の上で視線をさまよわせた。
「話してよ」洋一は、男爵の豪奢な服の袖をとった。その服が、本物の絹の手ざわりであることを知った。「話してよ。ぼくには知る権利がある。そうでしょ?」
 男爵はだまって視線をそらす。
「ぼくは知りたいんだ。父さんも母さんもいつもぼくになにか隠してた。ぼくにはわからないことがいっぱいあるんだ。二人とも図書館をやってたって、ろくに働いてないのに、なんでうちには生活するだけの金があるのか、うちは市立の図書館でもなんでもないのに、それこそ私設の図書館なのに、世界中から本を集めたりしてる。父さんのところには世界中から手紙が届いてた。世界中に仲間がいるってのはうそじゃないんだ、きっと。だって、いろんな国の人が、電話をかけてきてたもん」
「まずは、おちつけ」
「いやだ」と洋一は男爵の手をふりはらった。「ぼくが立派に育ったって、本気で思ってるんなら話してよ。父さんも母さんも、ぼくがこどもだと思ったから話さなかったんだ。二人ともだまったまま死んじゃった。い、命を落とすぐらい、危険なことなのに……」
 そんなのひどいと思った。
「だから、話してよ男爵。ぼくは、ほんとのことが知りたいんだ」
 男爵は払われた肩に、もう一度両手をおいた。彼は片膝をつき、洋一と顔の高さをおなじくし、
「お前はほんとに見上げたやつだ。だが、この話は……いままで聞かされたことがなかったのだから、信用できるかできないか」
 彼は吐息のかわりに顔を垂れ、その面を上げ、
「お前にわしの知るすべてを話す。だが、恭一たちが死んだいま、わしらはお前の助けを借りねばならない。話を聞いたあと、お前にはこれからの生き方を決めてほしいのだ。お前は一人前の男だし、生き方を決める権利とてもっている。お前はもう、そういうことを決めていかねばならんのだ」
 男爵は、両親が死んだのだからだ、という言葉をのみこんだ。そのことを、洋一は直観で知りえた。洋一は、その重荷をかんじて体が震えたし、また涙がこぼれそうになった。だけど、どうあっても、そうしたことから逃げるわけにはいかないのだから、なんとか涙をのみこんだ。「わかったよ、男爵」
「わしはお前に強制はせん。あるいはわしらと来るより、ここにいた方が安全なこともあるだろう。そのことも、わかるか?」
 洋一はうなずいた。男爵は満足そうに頭をなでた。「それでいい。それでこそ、恭一の息子だ」
 男爵は、倒れている団野をかえりみて、きらりとその目を光らせた。
「さて、契約書とか言ったな」

 

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