ねじまげ物語の冒険 全文掲載!

□  その二 イングランド、暗闇に遭うお話

○     1

 ミドルとアーサー・ア・ブランドは、騎士たちと協力して被災者を探して駆けずりまわった。アーサーは三百人の騎士を率いている。そのうち声のいい者を数十人選んで、王都に喧伝させた。
「ロビン・フッドが帰ってきた! シャーウッドのロビンが王都を解放したぞ! 生きている者は家を出ろ! 東門を目指せ!」
 彼らは無事な家屋を調べ、地下のある家を慎重に探っていった。ロビンの予想通り、じっと息を潜めていた者たちが徐々に現れた。アーサーは生存者の様子に、喜ぶよりもショックを受けた。彼らは魂を消されたこどものように震えている。逃げることも叶わず、外に出ることもできず、闇を恐れてじっと隠れていたのだった。怯えて半狂乱になっている者が多かった。食う物もなく、排便にも事欠き、腐臭の漂う中息すら潜め、ただ救出のときを待った姿に、アーサーは心を痛めた。
 あちこちで遺体の火葬がはじまった。最初は抵抗のあった騎士たちも、遺体が火に包まれ屍肉が見えなくなると、積極的に火をつけて回るようになった。みなあのような憐れな残骸をいつまでも見ていたくなかったのだ。
 アーサーたちは獅子心王の紋章を緋色に染めた旗を掲げている。家を固く閉ざし、地下に隠れていた者たちも、声に誘われ這い出てきた。この二十日間、飲まず食わずだ。思考力すら尽き果てていた。彼らは、詩人の声に聞き、自ら噂にのぼらしめた懐かしい名を口にした。
 ロビン・フッドが帰ってきた。
 ロビンがまだ無法者だったころ、弓術大会で見事優勝を飾ったことを覚えていた者も多くいた。その名が人々の心から消えかかっていたとはいえ、生死の権利すら奪われた市民にとっては、希望のもたらす救いの光だった。人々はその一筋の光にすがりつくために、往路に進み出たのだ。
「声を上げろ! ロンドン市民はあの化け物と二十日間も付き合ってきたんだぞ! 俺たちの苦労などなにほどのことがある!」
 アーサーは市民の救出にかまけてもいられなかった。一見市民が隠れていると見越した家屋にも死兵が潜んでいたからだ。そこではたいてい人肉を喰らう宴が催されていた。騎士たちは怒りに燃えて立ち向かったが、この勇敢な人々も引き裂かれあるいは殴り殺されて、市民たちとおなじ命運をたどった。
「死人が出やがった! 死兵どもが出やがったぞ!」
 廃屋の窓を突き破り、戸口を転がるようにして、騎士たちが放りだされてくる。
「みな家屋から出ろ! 不用意に戦うな!」
 アーサーは油樽を用意させた。それを騎士たちがひしゃくですくい、戸口に投げこんだ。化け物共は、顔面に油を喰らい、顔をしかませる。そのあまりの醜悪さにみな嫌悪の呻きを上げた。
「火矢をかけるんだ!」
 アーサーは布の巻かれた矢を油樽に浸した。それに若い兵士が火をつけようとするが、手が震えてまともに火打ち石が打てない。
「急げ」
 アーサーが叱咤したのと、死兵が窓越しから巨大な手を伸ばしたのは同時だった。若者が背後から頭を砕かれる。手元に血と脳漿が降ってきた。
 アーサーが真っ青な顔を上げると、屋内からテーブルや煉瓦が飛んでくる。死兵どもは確かに陽の光を怖がるようで、全身を往来にさらそうとしない。代わりに腕を窓から突きだし、舌を鞭のように飛ばしてくる。アーサーはやつらと戦うのは初めてだった。およそ人間ではない。教会で聞く悪魔そのものだ。
「くそっ」とミドルの声が近くでした。「出てこないが、攻撃してくるぞ!」
 アーサーは夢中で血肉を払い落とすと、死んだ男の手から火打ち石をもぎとった。右膝の裏で矢をはさみ、煉瓦が飛び交うのもかまわず夢中で石を打った。血に塗れたせいで火がつかないのだ。やがて、火打ち金が、石英を正確に擦ると、火花が飛び、矢の先端が煌々と燃え上がる。アーサーは無惨に倒れた兵士の死体を横目に、素早く矢をつがえる。
「待ってろ、今仇をとってやる」
 アーサーはこの土壇場でわざと一呼吸を置いた。弓の名人ロビン・フッドに厳しく仕こまれた射弓術はこの日も物をいったのだ。醜い目玉にはさまれた毛むくじゃらの眉間が、彼の視界に飛びこんでくる。アランはこのときまったくの無心でいた。指が矢筈から離れたのにも気づかなかった。矢は煙を巻いて飛び、正確に化け物の眉間を打った。炎が化け物の体毛をテラテラと流れだした。油を舐め、燃え広がっているのだ。やがて、炎は建物に燃え移って盛んに燃えはじめた。
「みんな、下がれ!」とアランは自分も炎を避けながら呼びかける。「化け物の手の届かないところまで退くんだ!」
「あれは炎で死ぬのか?」
 と側に来たミドルが彼にささやいた。その声は震えている。死兵らは屋内で絶叫を上げ暴れている。外に飛び出して来た者も、陽に焼かれて死にはじめた。
「みな落ち着くんだ」アーサーは困惑する騎士たちにいった。「俺たちの役目は市民を逃がすことだ。死兵と戦うことではない。一人でも多くの市民を……」
「アーサー、見ろ」
 とミドルが言った。アーサーは辺りに急に影が差したことに気がついた。雲が出たのかと思った。アーサーは雨が降ることを懸念して空を見上げたが、彼の目線の先にあるのは三日月型に欠けた太陽の姿だった。闇に食いちぎられたようだとアーサーは思った。
「なんだ、あれは……?」

○     2

 胃の中身はなにも残っていないのに、まだ吐き気がこみ上げてくる。鼻はもう馬鹿になっていたが、目に見える光景はひどかった。正直なところ、人肉や血痕をさけて歩くのは難しかった。洋一は自分がなにかを踏むたびに心の中でごめんなさいと謝った。これまで自分が平和な日本にいて、死体すら見たことがなかったことを思い知らされた。あの太助でさえ顔が青ざめ、彼を気遣う余裕がない。
「洋一、しっかりしろ」
 と奥村が言った。洋一は口端の唾を拭って頷いた。男爵がここにいればいいのに。あの人が側にいて背を撫で慰めてくれればどんなにいいか。けれど、ミュンヒハウゼンは伏して二度と目を覚ましそうにない。洋一は目尻にたまる涙を自分の拳でぐいぐいと拭いた。
「二人とも気を静めておけ。ウィンディゴはいつ仕掛けてくるか分からんぞ。見えるものにとらわれるな」奥村はそこで言葉を切った。慎重に言葉を選んでいるようだった。「ロビンがモルドレッドに勝てるとは限らん。そして、モルドレッドを殺す武器がエクスカリバーしかない以上、誰にもモルドレッドを倒すことは出来ない」
 それはこれまでなんども話し合ってきたことだった。エクスカリバーを持てるのは王権を委譲されたロビンだけだ。伝説の書をつかうにしても、エクスカリバーを持てる理由を考えなくてはいけない。洋一たちはこれまでその方法を考えあぐねていた。ウィンディゴがなにを仕掛けてくるのか、見抜くことができなかったからだ。
 行軍の列が止まり、兵士たちが騒ぎはじめた。奥村は足をとめ、刀に手をかけたが、すぐに彼らが頭上を見上げていることに気がついた。太助が洋一を守ろうと鯉口を切りつつ前にまわった。
「洋一、おかしいぞ」
 と太助が言った。洋一もそのときには大人たちがみんな上を見ているのに気がついた。太陽の光線が変化している。辺りの影が急にゆがんだ。洋一が空を見上げる。おかしいのは太陽だった。太陽の端が黒くなっている。洋一はすぐに目をやられて顔を背けたが、自分の気づいたことに愕然とした。
「日食だ……」
 と彼は言った。太助が驚いて彼を見た。太陽の端が月の影に喰われている。それで地上の光も変化しているのだった。
「まずいぞ、洋一。皆既日食だと真っ暗になるのか?」
「わからない」
 と彼は言ったが、同時にミュンヒハウゼンと過ごした夜のことを思いだしてもいた。あのときの月は元の世界で見るものと違った。
「おじさん、月だよ! この世界の月は大きいんだ! きっと日食の間は死兵が使えるんだ!」
「日食で陽の光をさえぎるつもりか」
 やつの狙いはこれだったのか。奥村は呆然とつぶやいた。周囲の騎士たちも不安がっている。みんなこのまま太陽が消えて、暗闇になることを恐れているのだ。洋一はうかつさに地団駄を踏みたい気分だった。ウィンディゴがなにか仕掛けてくるのは分かっていたのに、なんの準備もしてこなかったのだ!
「ロビンに知らせよう。二人とも俺の側を離れるな。洋一、伝説の書を使えるか?」
 洋一はとっさに返事ができなかった。喉が干からびてしまっていた。思いつけるだろうか? けれど、ウィンディゴの出方を見なければ、対処のしようがないというのは彼らのだした結論でもあった。
「太助、お前は洋一の側を離れるな。伝説の書に書くのを助けるんだ。俺はロビン・フッドに助太刀する」
 奥村はもう一度空を見上げた。
「月の動きが速い。死兵どもが出てくるぞ。ついてこい」

○     3

 奥村が前方にいたロビンの元に駆けつけるころには、周囲の建物や路地裏から死兵らの咆哮が轟いていた。
「奥村、なんだあれは?」
 とロビンが太陽を指さしていった。
「月が太陽とかぶさっているんだ。すぐに地上は暗闇になる。死兵が出てくるぞ」
「なんだと? 今に限ってか」
「くそ、どんどん暗くなるぞ!」
 ロビンは周囲を見渡して、「死兵が騒いでいる。日食なら動けるのか?」
「ただの日食のはずがない。周りに火を放つか?」
 とアジームが言った。ロビンは首を左右に振った。
「だめだ。こんなに密集していてはこっちも焼け死んでしまう」
「だが、王都の死兵は千や二千ではない! 全滅するぞ」ウィリアムが言った。「撤退すべきではないのか?」
 ロビンは一瞬逡巡した。
「それもだめだ。この状況で撤退したら、総崩れになる。それこそ全滅だ」
 逃げるには死兵の足は速すぎる。ロビンはエクスカリバーを引きつけた。
「全軍、その場で戦闘準備をしろ!」
 ロビンの言葉と共に各隊長たちは部隊の元に散り、ちびのジョンらは、ロビンを中心に円陣を組んだ。
「円陣だ! 各小隊、密集隊形をとれ! 互いをかばって戦うんだ! 死兵が出るぞ!」
 そうする間にも太陽は三分の二が闇に隠れた。地上の光はどんどん薄くなっていく。日食は凄い速さで進んでいった。そして、太陽はついに月の裏へと隠れきった。空は真っ暗になり、星すら瞬きだした。
「落ち着け、いつまでも陽が陰っているはずがない!」
 奥村はこどもたちの肩を抱きながら、頭上の窓から死兵が身を乗り出してくるのをみた。その目が赤く光るのをみて洋一の肩は震えている。
「来るぞ! 太助、刀を抜け!」

○     4

 死兵の群れは闇を利用してロビン軍に忍び寄った。モルドレッドは最初から東門周辺に死兵を結集させていたのだ。
 ロビンがエクスカリバーを鞘から抜き放つと、その光芒は闇夜を払い、仲間たちを照らしだした。死兵はその光を恐れて容易に近づかない。
「槍で動きを止めろ! 首を刈り取れ!」
 そのうち城門付近にいた部下たちがどこをどう通ってきたのか、ロビンの元にたどりついた。
「ロバート卿の部隊が城門を占拠してる! もう東門からは出られない!」
「なんだと!?」
 とさしものロビンも瞠目した。
「あの野郎、モルドレッド側につきやがった!」
 ジョンが耳元で怒鳴ったが、死兵の咆哮で互いの声も聞こえない。ロビンの軍勢は道幅に阻まれて、数の利を活かせなかった。ほとんど一方的な殺戮の場とかしはじめたのだ。
 ロビンの周辺にいた騎士たちも死兵に群がられてたちまち数を減らしていった。洋一は仲間の血をかぶり、太助は彼の前で刀を正眼に構えている。味方の体が邪魔をして、思うさまに刀を振るえないのだ。奥村が彼の肩をおさえて、
「無理をするな。モルドレッドが出てくるまで待て!」
 ロビンはトリスタンの弓を射、手近にきた死兵にはエクスカリバーを振るって戦っている。円卓の男たちの武器はすさまじかった。首を刈ったわけではないというのに、エクスカリバーに斬られた死兵たちは煙を吹きながら人へともどっていく。ロビン・フッドらは松明に火をつけ、死兵を退けながら戦った。
 ロビンは空を見上げ、月が去り、太陽が少しずつ顔を出してきたのに気がついた。やはり、ウィンディゴでも月の動きを食い止めることは出来なかったのだ。死兵らは陽の光を浴びて苦悶の咆哮を上げたが、太陽が顔を覗かせたのはほんのわずかだった。動きがひどくゆっくり感じられる。空はまだ暗く星もある。死兵も決戦を自覚しているのか退かなかった。
 ロビン軍の前方ではモルドレッドの軍旗が翻る。モルドレッド直属の銃士たちだった。ロバート卿の部隊も混じっているようだった。ロビンはあの先にモルドレッドがいることを確信した。敵勢の出現と共に、エクスカリバーが轟々と輝きはじめたからだ。
「兵を集結させろ! モルドレッドがいるぞ!」
 死兵の囲いを抜けてロビンの回りに集結した男たちは数百名に過ぎなかった。ウィリアム・ダンスターの姿もない。
「くそ、たったのこれだけか」
 ジョンはロビンの体をみて驚いた。
「おめえ、傷が」
「ああ、エクスカリバーの鞘の力らしい」
 戦闘は始まったばかりだというのに、ロビンの傷はもう完治していた。
 ジョンはうなずき、これなら勝てるかも知れないと思った。アラン・ア・デイルが死兵の手を逃れて退いてきた。
「ちくしょう、どうするロビン!」
「向こうだって、数は少ない、決戦だ! やつも総力をぶつけてきている、退くな!」
 とロビンは言った。
「いいか、あの銃士どもに死兵になられては厄介だ。油樽を引いてこい! 死体に火をかけて燃やすんだ!」
 ロビンの命に部下たちは迅速に動いていく。そのうち、モルドレッド側の銃撃が始まりだした。
「動ける者は集まれ! モルドレッドの本陣を目指すんだ!」

○     5

 そうした戦いの真っ最中、洋一はずっと考えていた。死兵の腕を逃れ、血を浴びて真っ赤になりながらも、本を抱えて考えていた。なるほど彼らは見事エクスカリバーを手にすることが出来た。けれど、モルドレッドにはウィンディゴがついてる。二対一じゃいくらロビンとて危うい……。
 洋一はそこでピタリと立ち止まった。太助が死兵から彼を守ろうと背を押した。
「そうだ、二対一だ。ぼくにだって、モルドレッドが取り憑いていた……」
 そのとき、千切れた腕が懐に飛んできて、洋一は図らずもその腕を抱えこんだ。洋一は悲鳴を上げて放り上げた。後方を見ると、人間がまるで風船人形のように宙に舞っている。
「洋一、なにをしてる。もっと下がれ!」
「太助!」と彼は友人の袖を捕まえた。太助はふりむいたが、その顔も炎の中で真っ赤に見えた。「ぼくは集中したいんだ。本を書きたい。時間をくれ!」
「なにをいってるんだ。今は……」
「おじさん!」
 と洋一は太助を無視して奥村を呼んだ。
「おじさん、思いついたんだ! エクスカリバーを持つ方法! たった一つだけどこれなら行ける!」
 洋一は手短に二人に話した。洋一はモルドレッドが右手に棲み着いたのを利用して、アーサー王を呼び出そうというのだ。奥村と太助にもそれならいけるかもしれないと思えた。けれど、そのときにはモルドレッドが部隊の前方に出現して、ロビンはこれと戦うために兵を集め始めていた。
 奥村は迷った。洋一について悠長に本を書かせている時間はない。それに洋一は創作の興奮で我を忘れている。アーサー王を呼びだした所で、剣をとって戦うのは洋一なのだ。奥村は決心をしていった。やはりロビンを助太刀してモルドレッドを倒すしかない。
「太助、お前は洋一を守れ」
「父上!」
「俺はロビン・フッドと共に行く。もしもの時は任せたぞ。二人とも死ぬな」
 洋一は責任の重さをずっしりと感じた。ロビンがやられたら、次は自分たちだ。胃の腑の奥が石になったようだった。けれど、二人の少年は立派な大人、しかも自分たちの尊敬する本物の侍から重大な任務を任されたことに高潮してもいた。
「おじさん、ぼくら絶対後から駆けつけるから」
 奥村はうなずいた。
「父上、金打を」
 と太助が言った。奥村は思わず頬がほころんだ。仲間が死んで以来、金打などひさしくしなかった。むろん金打は侍以外でも誰でも打つが、太助がそれを求めるということは、自分も一人前だと証明したいのだ。
 二人は静かに鯉口を切り、刀を半ばまで引き抜くと、高く鍔を打ち合わせて金音を鳴らした。

○     6

 奥村はあせっていた。ロビン・フッドは突出しすぎている。銃士たちの攻撃はむろんロビンに集中していたが、エクスカリバーの鞘の力が瞬く間に彼の傷を癒してしまうのだ。ロビンは超人的な力を発揮して、包囲陣を打ち破っている。仲間たちはその動きについていけないのだ。
 奥村は違和感を感じずにはいられなかった。モルドレッドの行動には強力な意図を感じる。なぜ死兵に任せず自ら打って出てきたのか? エクスカリバーを手にしたロビンを殺せないと知っていたからではないのか? そして日食をかけ死兵をつかったこの攻撃は紛れもなくやつの罠のはずである。やつは勝算を持っている。ロビンを殺す算段を積んでいるのだ。
「ジョン、アジーム!」
 部隊は、銃士とみるや、油をかけて死体を燃やしている。死人と化した銃士は黒い煙を吹き上げて別の物に変化しようとしていた。流れ出た血液を結集し、化け物に変わろうとしていたが、火をかけられてはたまらない。炎の中では真っ黒な魂が苦悶の絶叫を上げていた。だが、こうした行動のせいで部隊の行動が遅れている。奥村は側にきたガムウェルらに、
「部隊を分けろ! 油樽の方にそんな人はいらん! 四台あるなら、一カ所にまとめるな、先を急がせろ! ロビンを守るんだ!」
 と言って、ジョンとともにロビンの後を追いはじめた。彼らは周りに呼びかけつつロビンの後を追ったので、奥村の後方にはたちまち一部隊ができあがった。
 奥村が見上げると、空はまるで黄昏のようにもの悲しかった。太陽が明け切らない。
「ジョン、君はウィンディゴの姿を見たんだな!」
「そうとも! ロビンも見た!」
「ならば今度も出るぞ! 油断するな!」
 奥村は銃士どもに肉薄しては、右に左に斬って落とした。銃士たちは銃剣を繰りだすが、奥村はすり抜けざまに頸動脈を斬り捨てていく。今度はロビンに変わって彼が仲間たちの道を切り開きはじめた。そのすぐわきで、ちびのジョンが喚いている。
「ロビン、ロビン、待ってくれ!」
 だが、トリスタンの弓とエクスカリバーを手にしたロビンは神さまみたいな活躍振りだった。それに、エクスカリバーで斬ると、銃士たちは死兵にかわらない。死体から苦悶する人魂が抜け出ていく。モルドレッドが銃士たちに埋めこんだ悪霊のようだった。
 軍勢の勢いは何段にも敷いた包囲陣を次々と打ち破って陣中深くに食いこんだ。アラン・ア・デイルが銃弾に腹を射貫かれ、それをウィル・ガムウェルが支えている。退くな、突き進め、とアランは叫び、仲間たちは共に助け合いながら突き進んだ。
「ロビン・フッド!」と奥村たちはようやくロビンの元に駆けつけた。奥村は彼を銃士たちの積み残した土嚢の裏に引っ張りこんだ。
「君はやつとおなじ罠にはまっているぞ。傷が治るからといって無茶をするな!」
「わかっている! それよりも周りの銃士たちを頼めるか?」
 奥村が見ると、銃士たちはかなわじと見て弾ごめの準備をはじめている。その中心にはモルドレッドがいて、さかんに檄を飛ばしている。もうこんな近くまで来ていたのだ。ロビンは仲間に弓を射させてこの動きを牽制させた。奥村はロビンに向かってうなずき、
「ああ、だが、ウィンディゴには気をつけろ。この世界では直接手を出せないが、人の心を惑わそうとするやつだ」
「見ろ、奥村!」
 とちびのジョンが奥村の痩せた背をどやしつける。トリスタンの矢がモルドレッドの頬をかすめると、暗黒の陰がドロドロと吹き出し、彼の全身を取り巻いたからだ。
「闇の男だ。あの部屋で見たやつだ」
「やはりウィンディゴだ」
 奥村は決着を付ける時が来たようだ、とつぶやいた。ちびのジョンが顔を近づけて、
「洋一たちはどうした? 安全な所にいるのか?」
「事は済ませてきた。大事ない」
「それじゃあ、わからんぞ」
「俺たちがモルドレッドを倒せば大事ないのだ!」と奥村は言い返す。
「奥村、火矢だ!」
 とガムウェルが言った。奥村が見上げると、星空を裂くようにして火の玉が飛んでくる。奥村は土嚢から身を乗りだすと、大刀を一閃して火矢を叩き折った。火の玉は路面を滑るようにしてロビンたちの足下を転がった。
「まずい、油樽を狙っているぞ! 叩き落とせ!」
 モルドレッドが手近にいた銃士を惨殺しはじめたのはそのときだった。黒剣は暗黒の男をまといながら愚風をおこし、銃士たちを引き裂く。
「死兵にするつもりだ! 油樽をひけ! 変わる前に殺すんだ!」
 ロビンの手元には二台の荷車があったが、一つは火矢をまともにうけて、轟々と火柱を上げはじめた。
「エクスカリバーを渡せ、ロクスリー!」とモルドレッドの声がした。「貴様には不要のものだ!」
 モルドレッドの叫び声とともに空間がゆがみ、その声はまるで波紋が広がるように四方から押し寄せてきた。奥村たちは鼓膜の奥をまともにやられて這い蹲る。だが、奥村が見上げると、ロビンは平然と立ち敵陣を睨んでいた。
「平気なのか?」
「ああ、エクスカリバーのおかげらしい」
 ロビンは土嚢の陰を出た。奥村たちが後につづいた。モルドレッドはすでに死兵を解き放っている。
 ロビンとて不安はあった。初戦では二人がかりでまるで歯が立たなかった。やつの剛猛ぶりは身に染みてわかっている。
「この輝きが見えんかモルドレッド! エクスカリバーは貴様に味方しない!」
「ロクスリー」
「侍の男」
 モルドレッドの声とウィンディゴの声はまったく別の言葉を発しながら、同時に聞こえた。ロビンと奥村の目には、モルドレッドとウィンディゴの姿が急にふくれ上がって見えた。奥村たちは津波のように押し寄せてきたウィンディゴの陰に押し戻された。
「貴様で最後だ奥村! 侍の世界も今日で終わりだ!」
「なにが最後だ! 太助がいることを忘れるな!」
 彼の怒声もウィンディゴの喚笑にかき消された。奥村は怒りのあまり、我を忘れた。アジームが必死で彼を救おうとしているのも見えなかった。
 俺で最後だと、仲間を殺したのは貴様ではないか! 彼はやつを一刀斬り伏せられない自分が歯痒かった。卑怯者め、地獄を見ろ――
「待て! 待てウィンディゴ!」
 奥村は闇の陰を追おうとしたが、死兵に囲まれて追えない。アジームが脇にきて、肩をぶつけた。
「落ちつけ、奥村! 我々の役目は、ロビンを助けることだぞ! モルドレッドを倒せるのはロビンだけだ!」
「ああ、わかっている」
 奥村は自分をとり戻そうと、剣を正眼にとった。ロビンが殺されれば、どうしても洋一に頼るしかなくなる。それだけは避けたかったのだ。
 モルドレッドは傷こそ回復するが、武器がきかないわけではない。奥村は仲間を呼んで隊伍を組んだ。
 その間、ロビン・フッドはたった一人でモルドレッドと対峙していた。エクスカリバーの輝きは闇の男すら打ち払うほどだった。それで死兵どもも近づけないのだ。モルドレッドは黒剣を抜き、その黒剣にはウィンディゴの闇がまとわりついた。二つの剣は先端をチャリチャリと合わせながら、互いに攻撃の隙を探り合っていた。
「鞘で傷は回復しても、体力までは回復しない。エクスカリバーを持てるのはお前だけだ。ちがうかロクスリー?」
 確かに、ロビンは戦いつづけで肉体の疲労ははなはだしい。すでに呼吸は荒く、全身は汗で濡れネズミとなっていた。彼らの狙いはロビンの命よりも、その力を削ぐことだったのだ。
「周到なことだな、モルドレッド。不死の男がなにを恐れる?」
「恐れる、俺がお前をか?」モルドレッドはわずかに笑んだが、その表情は固く、眼の奥には憎しみがあった。「お前は聖剣の正統な持ち主ではない。お前では聖剣は力を発揮しない。賊徒に聖剣は無用なはず!」
 モルドレッドは黒剣を上段から真っ向振り下ろした。ロビンは受けた。光の裏でモルドレッドの瞳を睨めつける。
「聖剣なら死体の貴様にくれてやる」
「貴様に俺は殺せんぞ。聖杯の力をまだ学習せんか!」
「不死に自信を持ちすぎだ。エクスカリバーはお前に味方しない! 貴様の父親はエクスカリバーこそが貴様を殺すといったぞ!」
 モルドレッドは顔面から怒気を放って飛び退ると、瞬く間にロビンの懐に飛びこんだ。そのまま胴を狙ったが、エクスカリバーの鉄壁の防御を崩せない。
 ロビンは喜びににた驚愕を覚えた。以前は剣を砕かれるほどであったモルドレッドの剣圧が、風にたなびく柳のようにしか感じないのだ。モルドレッドは数十合を打ち合うが、ロビンはそのたびに押しかえした。ロビンの攻撃もまた、地面を裏返すほどに重かった。
 二人は聖剣と魔剣をからみあわせて、互いの剣越しに睨み合った。
「聖剣は正統の王にこそ仕えるのだ!」
 モルドレッドはロビンを押したが、ロビンは五百の魂の圧力によく耐えた。
「本当にそうか?」
 ロビンの問いにモルドレッドは飛び下がり、着地とともに勢いをつけロビンの胴をめがけて突きをくれた。ロビンは剣の先でやすやすとこれをいなした。モルドレッドは瞠目した。かつてこれほどたやすく自分の剣をいなした者はいなかった。父親を殺す機会を狙い、中々それを果たせなかったのも、アーサーが聖剣を持っていたからだ。だが、ロビンは王家の血筋ではない。いかな英雄といえど、一介のヨーマンであった男である。
 ロビンの攻撃が肩に触れると、その傷口から乳白色の人魂がいくつも抜け出てきた。彼の内に閉じこめられた魂たちだった。
「貴様、アーサーに何事か施されたな!」
「これは聖剣の力だ! エクスカリバーはお前の血を否定している!」
 ロビンとモルドレッドは互いに剣を立て、グルグルと回りあった。周囲では、仲間たちが死闘を繰り広げていた。隙を見せるな、とロビンは自らに言い聞かす。仲間を救うことは後でもできる。モルドレッドを倒す機会は今しかない!
 ロビンは言った。「呪われた貴様に聖剣が味方するものか! お前に王たる資格がどこにある。真の王者を示すものは血統などでは断じてない!」
「王権を否定する気か! 傲慢だぞ、ロクスリー!」
「俺は俺の信じるものに仕える。エクスカリバーもまたそうだ!」
 ロビンの叫びに呼応するように、闇の力が彼の全身を取り巻いた。ウィンディゴがモルドレッドの元を離れ、ロビンにまといついてきた。
「くそ、離せ!」
 モルドレッドは好機と壮絶な笑みを見せ、彼の腰骨をしたたか打った。ロビンが息を詰まらせる間に、聖剣の鞘が音をたてて地面に転がる。
「しまった!」
「これで回復も無理だ、ロクスリー! アーサーも鞘を失い結局は死んだのだ!」
「死ぬのは貴様だ!」
 ロビンが雷光の突きを見舞うと、モルドレッドは剣を引き上げながら身を躱すのがやっとだった。黒剣の刀身をエクスカリバーが削り取り、その火花と流星の輝きがモルドレッドの頬を打った。
「おのれ!」
 モルドレッドは腰を伸ばすと、右に左に斜剣を繰り広げる。彼の体はウィンディゴの力をうけて二倍に膨れ上がっている。ロビンは脳天をめがけた攻撃を受けたが、これすら余裕をもって受けることができた。ノッティンガムではその威力になんども体を弾かれたというのに、まるでこどものおいたをいなしているようだ。エクスカリバーがモルドレッドの剛力を吸い取っているのだ。
 モルドレッドは怒りの声を上げて距離をとった。ロビンは後を追わず気息を整えた。
「エクスカリバーを持ったところで人民は貴様を支持などしないぞ!」
「だまれロクスリー!!」
 そのとき、モルドレッドの声に何者かの声が重なった。同時にモルドレッドの体から巨大な影が抜けだした、それとともに、モルドレッドの体はしぼんでいく。
「ウィンディゴか!」
 聖剣を振るう間もなかった、ウィンディゴは聖剣ごとロビンを闇の中に飲みこんだからだ。ロビンは真っ暗闇の中にいて視界を奪われた。聖剣のみが光を放っているが、ウィンディゴの邪術はドロドロと黒液となりエクスカリバーすらをも包みこもうとしている。そして、ロビンは邪悪な声を聞いた。人の苦しみを喜ぶ声。この世の邪悪を凝り固めた笑い声だった。
「小僧共もお前もここで終わりだ。古の物語など滅ぶがいい!」
「邪魔をするな!」ロビンは憤怒を上げた。「赤子や洋一の魂を弄ぶだけではまだ足りないか!」
 ロビンの絶叫と共に、モルドレットが黒衣を切り裂くようにして現れた。ロビンは聖剣を上げ、モルドレッドの攻撃を受ける。だが、モルドレッドの一撃にはなんの手応えもなかった、その体もロビンの体をすり抜けるようにして崩れていった。ロビンがウィンディゴの幻にしてやられた時には、すでに遅く、本物の黒剣はロビン・フッドの背中を貫いていた。肉を裂かれ、肋を断ち割られ、肺を貫かれた。肺胞がブチブチと弾ける。黒剣は胸骨を掠めながら、ロビンの胸筋をも切り裂いた。暗黒の刀身が、ロビンの血液を滴らせながら、左胸から突き出てくる。
「うああ」
 ロビンが唸ると、モルドレッドは牙を剥いて、剣を回した。ロビンの手から聖剣は落ち、回転をしながら地面に突き刺さる。そして、彼の骨を断ち、肺を食い破る黒剣の刃からなにかが流れこんできた。何者かの魂が。
「貴様も死兵と化すがいい! 真の王はこの俺だ!」

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