ねじまげ物語の冒険 全文掲載!

□  その二 アヴァロン島のアーサー王

○     1

 モルドレッドはロンドンの王城に舞い戻った。右目を押さえ、うなり声を上げる。その目玉からは煙が噴き上がり、どんどん回復してもいた。
「おのれ、ロクスリー! ゆるさんぞ!」
 背後に何者かの気配があった。モルドレッドが振りむき、ぎょっと残りの目玉を剥いた。背後で悠然と椅子に座っているのは、かつての師、マーリンではないのか?
「ウィンディゴか……」
 とモルドレッドは冷笑した。身内のマーリンの血が騒いでいる。
「モーティアナは死んだようだな。俺に憑依を鞍替えか」
「そう言うな。あの女の持っていたマーリンの力を貴様に譲りにきたのだ」
 モルドレッドはロビンに受けた傷が完全に回復し、あまつさえ、強力な呪術が身内にやどるのを感じた。が、彼は鼻で笑い、
「悪趣味な男だ。今更なぜマーリンの姿で出てくる」
「モーティアナは確かに死んだ。が、ミュンヒハウゼンの動きは封じている。侍共もたった二人ではなにもできまい。小癪なのはあの小僧よ」
「ばかな」とモルドレッドは吐き捨てる。「あんな死にかけの小僧になにができる。ロビン・フッドとて、いまごろ朽ち果てておるわ」
「だといいがな」
 今度嘆息したのは、ウィンディゴの方だった。
「癪に障る男だ。いまさらやつらになにが――」
「小僧どもが、エクスカリバーを取りに行ったと言ったら?」
 モルドレッドは瞬息呼吸を止めた。「エクスカリバーなら俺を殺せるとでもいうのか」
「案ずるな」
「だが、どうやってだ? エクスカリバーは五百年の間、歴史の表に出ていない。どうしてやつらが手に入れられる?」
「アーサーだ。エクスカリバーはアヴァロンのアーサー王が持っている」
「アーサー? やつか。だが、アヴァロンは死者の島だぞ」
「小僧の力――伝説の書の力を侮らんことだ。あの小僧は死の呪いを利用してアヴァロンに向かっている」
 モルドレッドは意識を洋一に併せた。彼と洋一は呪いを通じてつながっている。
「どうやら本当らしいな。呪いを利用しおったか」
「やつもある程度の修行を積んでいる。創造の力――を身に付けていると言っておこうか。が、伝説の書さえ奪えばあの小僧にはなにも出来ん。しかもだ」
 とウィンディゴは言葉を切る。
「エクスカリバーを手に入れればお前は堂々と王権を主張できる。聖剣の力はお主も知っていよう。問題は銃士の大半が使えなくなったことだ。真昼に動ける銃士は千名もおるまい。いくら不死身の貴様でも、大軍を一人で相手には出来まい。死なずとも勝てなくては意味がない。やつらは死兵が昼間は使えんことを知っている。そこで提案だ――」
 とウィンディゴは自分の考えをモルドレッドに伝えた。聞く内にモルドレッドの目玉は大きくなった。
「そんなことが可能なのか?」
「俺が牧村とおなじ創造の力を有していることは知っていよう」と鼻で笑い、「この世界ではお主の影でしかないがな」
 忌々しいことだ、とウィンディゴは自嘲した。
「実のところ、俺が欲しがっているのは、伝説の書よりも実体を持つあの小僧の肉体よ。二つを手に入れるためにもお前の力がいる」
「ふん。互いに利用価値があるということか」
「互いを信用していないところもおなじだろう?」
 モルドレッドは快活に笑う。
「気に入ったぞ。貴様のいうとおり事を運ぼうではないか。ロクスリーめ、俺のためにわざわざエクスカリバーを運んでくるとはまぬけな……」
 モルドレッドがふりむいたとき、すでにウィンディゴの姿はなかった。
「もう消えおったか。せわしいやつだ。が、アヴァロンに向かったのは、牧村という小僧だと言ったな……」

○     2

「ロビン、なにも見えないよ!」
「落ち着け、洋一」とロビンが言った。「こうとあっては、身をあずけるより他はあるまい」
「そんなのいやだ」
 洋一は必死にオールを動かした。得体の知れない連中に行く手を決められるのがイヤだったし、真っ白な景色の中にいると気が狂いそうだ。それにすごく寒い。あらゆる角度から風が吹いて、体に当たっている。まるで、誰かが息を吹きかけているみたいだ。洋一はもちろんそれは死人だと思った。呪いに冒された真っ黒な顔で、このままじゃぼくらも死んじゃう、と歯をガチガチ鳴らしてつぶやいたのだった。そして――
「声がする。ロビン、誰かいるよ」
 ロビンはもう答えない。死の呪いが深くなり、意識が混濁しているようだ。洋一の恐怖が深くなるにつれて、それらの声は高まってきた。死者の声だった。
「ロビン、ロビン、起きてよ」
 洋一は悲鳴を上げてオールを落とした。オールの先が、なにかに当たったからだ。洋一はおどおどしながら、オールを置いた。ロビン、絶対なにかいるよ……。
 だが、ロビンに行動させるのは無理だ。洋一はおっかなびっくり舟の縁に手を突いて、中腰になり水面をのぞく。洋一はギャア! と自分でもだしたことがないような野太い声を上げて尻餅をついた。刀がぐらりと傾いて船底にガラガラと転がった。腐りきった死体がオールにしがみついている。
「ロ、ロビン……」
 洋一は腕を伸ばして揺すったが、ロビンはもう完全に気絶してしまっている。洋一は驚いた。ロビンの呪いが深くなって、顔まで覆っていたからだ。それは彼もだ。右腕は闇に覆われて素肌の部分が残っていない。右半身には感覚すらなかった。立ち上がろうとすると、足がこんにゃくのようにゆるんで、船底に倒れてしまった。洋一は懐を抱えて、
「くそ、伝説の書をとるつもりだな。わかってるぞ!」
 洋一は夢中で立ち上がると、オールを金具から抜きとった。立ち上がり高い位置から川を見おろしてみると、驚いたことに死体は魚並みに多勢で、ボートをとり囲んでしまっている。洋一は無我夢中で群がる頭をめがけて突きをくりだした。巨大なオールは重かった。洋一は振り回されながらも、体全体でオールを操り、酔っぱらいのように踊り狂った。その死体は水の中にいたから、すっかりふやけて腐っている。オールが当たるたびに、肉がずるむけになった。だから、洋一の視力が極端に落ちていたのは幸いだったのだ。けれど、体力も極端に落ちていて、筋肉もこわばり、体がうまく動かない。全身のあちこちに開いた亀裂が動きの邪魔をしている。それに動けば動くほど呪いが深くなるみたいだ! オールは鉄のように重くなり、死者を押しのけられなくなった。
「だ、だめだ、来るな」
 洋一はオールを捨てて本をつかむ。ボートの縁を皮膚のない指がつかむ。洋一は伝説の書で夢中で叩いた。死体の肉がびちゃびちゃと飛び散り、骨がむきだしとなったが、夢中で打った。そのうちボートをつかむ手は退いていったが、その作業は彼にとって多大な負担となってしまった。喘息にかかったみたいに胸の中心が熱くなる、痛みをともなう咳が出た。死の亀裂が猛威をふるって、内臓まで喰らいにかかっているのだ。それでこう考えた。アヴァロンには本物の死体しか行けないのかもしれない。
 伝説の書のやつ、きっとまたぼくを裏切ったんだ……。
 洋一が声を上げて泣くと、その声に腹を立てたみたいに猛烈な風がまともに吹き付けてきた。洋一はびっくりして、涙も声も引きこんでしまった。
 洋一はロビンのそばに身を屈めた。右腕をかばうように、左腕を下にして横たわると、幼児のように身を丸める。しくしくと泣いて、やがては眠ったのだった。

○     3

 洋一はそうして気絶していたのだが、冷や冷やとした風に目をあけた。彼はロビンの脇に倒れている。
 頭上を白い影が舞っている。ひらひらとはためくのは、真っ白な服のようだった。霧の中にうかぶその女は天女めいていたが、その顔はひどく恐ろしく、鬼のような三白眼に裂けた口で、怪鳥の叫びを放っている。
「モーガンルフェイだ……」と洋一は言った。それはアーサー王の異父姉の名だが、なぜか口を突いて出た。あながちまちがいではないかもしれない。彼らはロビンの世界を遠く離れ、本格的にアーサー王の世界へと彷徨いこんでしまったのだから。洋一は自分がウィンディゴの策略にはまったのか、それともこの物語の鍵を解こうとしているのかわからなくなってきた。
 ボートの舳先と船尾には真っ黒な人影がいくつもあって、死者の島への相席としゃれこんだものらしかった。洋一はロビンを守るために刀を抜こうとしたが、右腕には骨の残滓すらなくなって醜いゼリーのようにぐにゃりと体側に垂れ下がる。彼は刀と本をむなしく胸に抱きながら、また力尽きて倒れてしまった。
「ぼ、ぼくらはアヴァロンに行くんだ。アヴァロンに……」
 視野がぼやけ、視点はいくども回りつづけた。モーガンルフェイはそんな洋一を慈しむようになんどもキスをした。冷たいその口づけをあちこちに受けながら、洋一はふたたび意識を失ったのだった。

○     4

 波の音がする。
 それは寄せて、寄せては返し、洋一を眠りの縁から呼び覚ます。ロビンの胸の上で、眠っていたようだ。頭をもたげると、霧は幾分薄れ陽光も射している。ロ、ロビン、と洋一は言った。
「ロビン、波の音がする」
 今度も応えまいと思ったが、驚いたことに、ロビンが髪を撫でた。
「ここはどこだ?」
 声はか細くとぎれとぎれ。でも意識ははっきりしている(二人ともすっかり体温が下がり、呂律が回っていなかったが)。洋一は幾分勇気づけられ、どうにか片手をつくと身を起こした。ボートの人影はいなくなっている。
「洋一、どこにいる?」
 と訊かれた。洋一が下を見ると、驚いたことにロビンは目を開けている。
「ロビン、目が見えないの?」
 ロビン・フッドはかすかに首を縦に振る。
「ああ、見えない。そこからなにか見えるか」
 洋一は視野を巡らすが、すべてがぼやけて、薄ボンヤリとした陰にしかならない。彼にも視力は残っていなかった。それでも船壁から身を乗りだす。真下に砂浜が見える。波が寄せては返している。ボートはそこに打ち上げられていた。
「ロビン、砂浜だ。島に着いたよ」
 洋一はほとんど麻痺してしまった顔をゆがめてふりむいた。そのときまで、ボートの外に誰かが立っていることに気づかなかった。洋一は驚きで体勢を崩し、ボートの壁面に背中を打ち当てた。
「ろ、ロビン」と洋一は言った。そして、船底に転がっていた刀に目をとめ、身を投げだすようにしてつかんだのだった。

 牧村洋一は見知らぬ男たちと睨み合った。
「誰かいるのか、洋一」
 とロビンが身じろぎする。やはり動けないのだ。
 洋一は柄巻きを指に絡めようとしたが、呪いの亀裂は指先にまで及んでいた。刀を取り落とし、うめき声を上げる。このままでは自分もロビンのように寝たきりになるだろう。
 無理をするな、洋一、とロビンが言った。真上から声が落ちてくる。
「生者が島に来られるとは驚いたな」
「た、助けて……」と洋一は言った。それは疲れきった弱々しい声だった。「やめろ……」
 男たちが身を屈める、彼との距離がすごく近くなる。それでド近眼となった洋一にも男たちの人相がよく見えた。見事な金髪で豪奢なカブトをかぶっている。洋一がみたどのイングランドの騎士たちより立派な姿だ。カブトにはルビーや宝石がちりばめられていて、側面には深紅の羽根がはえている。死人にはとても見えない。
 円卓の騎士だ、ロビン、この人たちは円卓の騎士だと洋一は感動にほほを赤らめてロビンに告げたが、もう疲れきって声もでない。洋一は身は倒れるに任せ、また船壁にもたれかかる。
「あなたは円卓の騎士でしょう。ぼくらを助けて……」
 譫言のようにつぶやく。男が後ろを向く。なにかを受けとったみたいだ。
「これを食べたまえ」
 と男は腕をボートに差し入れる。洋一が目を瞬くと、真っ赤なリンゴが見える。洋一は途端に目眩がした。腹もぐううっと鳴ったけれど、それ以上に全身の細胞がそのアップルを欲しがっていたのだ。
 洋一はロビンと目を見交わした。驚くべきものを見た。二人の体を食い尽くし、収まり切ったかと思えた死の呪いが、活火山に変わったみたいに黒煙を吹き出しはじめたからだ。
「いやなら別にかまわんが」
 男がリンゴをひっこめようとする。気がつくと、洋一は夢中で手を伸ばしていた。
「ぼ、ぼくは食べる! 食べるよ!」
 死の呪いはいまや全身から煙を吹き出し、彼のリンゴをはたき落とそうとする。洋一は夢中でリンゴを抱きしめると、体を折り曲げ死の煙からリンゴをふせぎ、動かない口をいっぱいに広げてかぶりついた。死は怒り、腹を立て、無数の拳固をつくって、顔と言わず体と言わずにぶちはじめた。洋一は青あざをつくりながらも目を閉じてかぶりつづけた。
 右手の感覚がもどってきた。骨が生えて、筋肉もちゃんと動くようになっている。気がつくと両手をつかってリンゴをかじっていた。ロビンも騎士たちの手を借りてリンゴを食べている。二人から死の黒煙がズルズルと裂け目にひきこんでいき、その裂け目すらじわじわと小さくなってきた。それにつれて、視力や体の感覚ももどってくる。痛みもだ。洋一はその痛みを喜び、ふたたび活動をはじめた筋肉を使い立ち上がった。呪いがとうとう弱まったのだ。
「驚いたな」
 ロビンも自分の力で起き上がった。リンゴの汁を垂らして洋一を見た。
「ロビン、目が見えるんだね」
「ああ。このリンゴのおかげのようだ」
 ロビンはあらためて騎士たちに向き直り、
「あなたはランスロットですか?」
 と目鼻立ちの整う美形の騎士に尋ねた。
「いかにも、後ろにいるのはトリスタン。こちらはパーシヴァル卿だ」
 トリスタンはランスロットよりも大柄で、肩幅の広い戦士然とした騎士の顔立ちだ。頬骨が高く、立派な口ひげを生やしている。一方パーシヴァルと呼ばれた騎士は、先の二人よりもずっと年が若かった。透明感のある金髪をなびかせ、おだやかそうな人だ。
 ロビンと洋一はあからさまに喜色を浮かべて顔を見合わせた。とうとうアヴァロンにやってきたのだ。ロビンは本当にエクスカリバーが手に入るかも知れないと思ったし、洋一の感慨はロビンとはまたちがうものだった。洋一はパーシヴァルという名前が聖杯探索に成功した円卓の騎士の名と一致することを知っていた。彼は伝説の人物たちと本当に対面していたのだ。それも自分で書きこんだ文の力によって。
「我々に用があるらしいな」
 トリスタンは物憂げに船縁を叩く。
「そのとおり。我々はあなたがたに会いに来たのです」
「だが、君たちは死人でないはずだ」とトリスタンが言った。「なぜ我々を知っている。イングランド人なのか?」
「私はそうだが、この少年はちがう」
「そのようだな」
「あなた方は私を知るまい。我が現在のイングランドも。だが、あなた方はこの名を知っているはずだ。モルド……」
 ランスロットは手を挙げてロビンの言葉をさえぎった。
「もういい。続きはアーサー王とともに聞こう」と言った。「二人ともリンゴを食べきった方がいいな。その呪いはこの場所ではすぐに活性化する。リンゴの生命力が君たちにすぐさま作用したように」
「生命力? これは生命なの?」
「そうだ。地上に生まれる前のな」
 洋一は驚いてロビンと目を見交わした。
「じゃあ、魂じゃないか! ぼくら魂を食べちゃった」
 ランスロットたちは軽快な笑い声を上げた。
「リンゴは魂ではない。魂になる前のエネルギーそのものと言っていい。リンゴの姿をしているだけだ。安心して食べたまえ」
 洋一は少しほっとしてリンゴをかじった。不思議なほど甘かった。リンゴの姿をしているだけと言ったが、確かに洋一の望むとおりに味を変えるようだった。甘さはどんどん増していくし、囓ったときの感触も滑らかになっていた。そして、彼が望めば食べた場所もすっかり元通りになるのだった。ロビンと洋一は、アヴァロンのアップルを思うさま食った。
 ロビンが立ち上がると、洋一も刀を拾って、本を懐に押しこんだ。ロビンはボートを傾けながら砂地に飛び降りた。呪いはまだ残っていたが、激痛すらなくなっている。洋一が降りようとすると、騎士たちが手を貸してくれた。
「洋一、見てみろ」
 とロビンは指し示した。二人の食べているリンゴが島中になっている。
「これがアヴァロンのアップルか」
 とロビンは言った。アヴァロンはリンゴの咲き乱れる楽園という、伝説のとおりだ。
 五人は花咲き乱れる丘の小道をたどりはじめた。動物があちこちにいて、空には鳥もいる。気候は穏やかで過ごしやすい陽気だった。洋一がのぞめばそのとおりに風が吹いた。なによりも思い通りに体を動かせるのがうれしかった。
 丘を登り切った洋一は、「ロビン見て……」と言う。丘を下りきった平地にある大きな木の下に、巨大な円卓がある。円卓には一人の男性が座っており、周囲には数人の騎士たちが従っていた。ロビンが洋一の隣にきて、
「アーサー王か」とつぶやいた。ロビンはふりむいた。「死してあなた方は和解したのですね」
 ランスロットは無言で微笑んだ。五人は連れだって丘を下りはじめた。

○     5

 洋一は自分が勘ちがいをしていたのかと思った。アーサー王が死んだとき、彼は老人だったはずだ。それともここでは思い通りに姿を変えられるのかしれない。今のアーサー王は三十代の壮年で、年もロビンとかわらない。栗色の髪は耳に掛からない程度に刈られて、トリスタンとおなじ形の口ひげが威厳を持たせてもいた。兜はかぶらず、円卓に深く身を預け、この奇妙な来訪者たちを出迎えた。
 ロビンと洋一は誘われるまま円卓に腰を落ち着けた。円卓の椅子は不思議な材質で、まるで生きているみたいに洋一の体を包みこむ。円卓は様々な意匠で彩られる。そして、洋一が見る度に模様がちがうのだった。
 ロビンは語った。今のイングランドの現状、そして、モルドレッド・デスチェインを名乗る男の存在。アーサー王はときおり少し首を頷かせるだけで、口をはさむことは一度もしない。周囲にかしずく円卓の騎士らも王の言葉を待っているようだった。洋一の側にはトリスタンたち三人がいた。
「モルドレッドか。あの男は生きていたのだな」
 キング・アーサーは初めて口を開いた。それは少し嗄れて、それでいて洋一が聞いたどんな声より艶やかで深みがあった。
「あやつはいまだエクスカリバーを欲しがっているのだろう。エクスカリバーは王権の証なのだ。それを君は持ち帰るというのかね。あやつを倒すために」
「ご存じのようにモルドレッドは聖杯を使い、ために不死身なのです」とロビンは言った。「アーサー王、そのつるぎなら、あの男を死にいたらしめることができますか」
「我々にはわからない」とアーサーは首を左右に振る。「この中でいまだ死んでおらんのはあの男だけだ。それも我々のしくじりが原因だと言えるがな。だから、ロビン・ロクスリー。イングランドの現英雄よ。お主には我がつるぎと王権を委譲しよう」
「王権を?」ロビンはちらりと洋一を見た。「どういう事です?」
「エクスカリバーは王権を認められた者にしか、触れることができない」
 とアーサー王は、円卓にもたせかけていた剣を手にとった。鞘は黄金に輝き、深く彫りこまれた意匠を中心に光り輝くようだった。柄には剣の力を象徴するかのごとく、光芒をはなつ宝石がはめこまれている。どうも、王らのつかうのはただの宝石ではなく、不思議な魔力を持っているようだった。そして、大きな柄の滑り止めにはダイヤモンドが使われているようだ。反対にいる洋一の目にもそれらはキラキラと輝いて見えた。
「では、モルドレッドはその剣を扱うことは出来ないのですね」
「それはわからぬ。すべては剣の決めることだ。それよりもその少年」
 とアーサー王は洋一のことを指で差した。洋一はどぎまぎして、自分の指で自分を指した。
「ぼくですか?」
 アーサー王はうなずいた。「あの男の呪いが治りきっておらんと見える。こちらに来たまえ」
 ロビンは驚いて洋一の右手をつかんだ。掌にはいまだ亀裂が黒々と穴を開けていた。それは小さな十字星のようだったが、まちがいなく死の呪いだった。洋一は顔を上げた。
「リンゴを食べたのに、消えてない」
 ランスロットが背を押して、洋一はとまどいながらも円卓に沿ってまわった。ロビンが後についてきた。アーサー王は無言で右手をさしだす。洋一には意味がわからなかったが、そうっと自分の手をさしだし、アーサー王の暖かくて分厚い掌に指を沿わした。アーサー王はされるがままだった。やがて掌同士が寄り添うようになると、優しく洋一の手を握りこんだ。
 洋一はよろめいて、左手に持っていた刀を取り落とした。円卓の騎士たちがつるぎに手をかける。アーサー王の握る手の隙間からは輝くような死の黒煙が猛然たる勢いで吹き出してきたからだ。洋一はウィンディゴかと思った。そうではなかった。
 洋一は、黒風の勢いに負けよろめいた。ロビンがその背を支えた。
「この少年にとりついていたか、モルドレッド・デスチェイン!」
 アーサー王が始めて怒鳴った。瞬間に、洋一はすべてを理解した。死の呪いをうつしたあの時だ。洋一は伝説の書を通じて暗黒の王子と深く深くつながった、ロビンよりもずっと強く。死の呪いを逆用してあの男を殺害しようとさえしたのだ。モルドレッドの一部はその呪いをさらに逆用して、洋一の体に住み着いたのだ。
「アーサー!」
 邪悪な黒風はとぎれずに吹きつづけ、その黒い幕の中に裂け目ができ、両の目と口になった。聞こえてくるのはまちがいなくモルドレッドの声だった。
 モルドレッドはゲタゲタと笑い声を上げた。
「ちっぽけな島だ。お前の領土はこんなものか。円卓の馬鹿共を連れて御隠遁かね。俺はまだ生者の国にいるぞ。お前のいた島の真の王となっているとも」
「お前は王ではない!」とロビンは言った。「イングランドの人々が貴様などを認めるものか! 俺がおらずともちびのジョンやガムウェルたちが残っていることを忘れるな!」
 モルドレッドはさらに高く哄笑を上げた。「あんな普通の人間どもになにができる。犬のように吠えるとでもいうのか。みじめなのは貴様もおなじだロクスリー! さあ、俺様にエクスカリバーを献上しろ!」
「エクスカリバーは持ち帰る。だが、貴様のためなどではない」
 ロビンの声は小さなものだった。だが、怒りからくる闘争心に紛れもなく満ちていた。
「いいだろう、ロクスリー、呪われし小僧よ! 俺は現世にて貴様らの帰りを待つ! だが、いつまでもこの世の人々が貴様を支持すると思うな! 貴様らがたった一人でも立つことができるかどうかこの俺が見届けてやる!」
「俺は勝つまでやめない! それは貴様が現世を立ち去るまでだ!」
 モルドレッドは悲鳴を上げて身をくねらせた。トリスタンが手にした弓でモルドレッドの眉間を射貫いたのだ。モルドレッドはその矢に引きずられるようにしてグルリと回り、矢と共に空へと吸いこまれた。風は途絶え、洋一の身を震わし腕の腱をこわばらせていた圧力も消えた。
 洋一は乱れた息を整えるように胸に手を当て、アーサー王の掌からそっと右手を引き抜いた。掌を見た。じっとりと汗をかいているが、亀裂はもう無くなっている。呪いの痕が古い傷跡のように残っているだけだった。
 ロビンはモルドレッドの消えた虚空を見つめていった。
「アーサー王。失礼を承知でもう一度お聞きしたい。聖杯の力を得、五百の魂を縛るあの男を、聖剣の力のみで殺めることができるのでしょうか?」
 アーサー王は胸前に剣を掲げる。
「あの男を殺す武器はエクスカリバーをおいて他にない。これでやつが死なんのなら、お主が死者の島に舞い戻るまでだ」
 アーサー王もまた立った。円卓の騎士たちはわずかに退き、跪いた。
「ハンチンドン伯(ロビンのこと)、お主に我が不義理の息子を討つよう頼みたい。我らが長き因縁、五百年の年月死ねなかったあの者に最後の時を与えるよう、今ここで頼みたい。死者の島にいる我らにはその任を果たせぬ故」
 アーサー王の眼光は強く、その表情は一糸も乱れていなかったが、ロビンには奇妙に悲しげに見えた。
「我が王は死に申した。が、あなたは彼に劣らず偉大な王だ。このロビン、イングランドの人民に成り代わりお受けいたす」
 ロビンはわずか会釈しつつ、両腕を伸ばし聖剣エクスカリバーを手にとった。ここにアーサー王の王位は委譲され、ロビンは聖剣エクスカリバーを身に纏うことを許されたのだった。

○     6

 円卓の騎士たちはアーサー王を囲うようにして、ロビンと洋一を送りだした。この珍客が立ち去ることを惜しんだのだった。トリスタンは自慢の弓をロビンに貸し与えた。
 モルドレッドが洋一に取り憑いていたということは、こちらの動きはすべてわかっていたということだ。ロビンと洋一は急いでボートに乗りこんだ。
「ここから先は我らの領分ではない」
「十分です。世話になりました。必ず吉報をお届けします。が、死んだとしてもここに来られるわけではないのですね」
 アーサー王はうなずいた。アヴァロンは死者の世界の一領域にすぎないのだ。
「我々は君たちが来ることを望んでいる」
 アーサー王が言うと、円卓の騎士たちが笑い声を上げた。
「君の持つエクスカリバーの鞘には傷を癒す不思議な力がある。私は鞘を奪われることでモルドレッドに敗れた。必ず鞘を失わぬようにしろ」
「必ず」
 とロビンは言った。円卓の騎士たちがロビンを囲み、手荒く抱擁をした。その間に、アーサー王は洋一の前で屈みこんだ。
「その刀もすばらしいが、お主は不思議な本を持っている。その力がモルドレッドと戦うには必要となるはずだ。ロビンの補佐を頼んだぞ」
 洋一は頬を紅潮させてうなずいた。伝説の王にこんなお願いをされるとは、まったくすごかった。
「あなたと会えなくなるのは寂しいです」
「じきに会えるさ」とアーサーは笑った。
 騎士たちがボートを押し、船尾が砂浜を離れるとボートは瞬く間に霧の中に入っていった。洋一とロビンを乗せたボートは死者の川を下り、アヴァロンを離れていく。洋一は背後を振り返ったが、アヴァロンの姿はすでに霧に飲まれた後だった。
「アーサー王がじきに会えると言ったけど、あれはどういう意味かな」
「いずれ人は死ぬということさ。そう案ずるな」
 霧はどんどん濃くなり、視界は真っ白なベールに覆われた。

 洋一とロビン・フッドはこうしてアヴァロン島を後にした。もちろん洋一の長い冒険譚では様々な王に会うことになるのだけれど、それはまた別のお話。別の機会に物語ることにしよう。

 

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