ねじまげ物語の冒険 全文掲載!

◆ 第二章 ロビン・フッド、アヴァロンにいたる

 

□  その一 牧村洋一、グラストンリヴァーをさか上ること

○     1

 洋一は猫が日向でそうするように手足を丸め、なにかを請い願うようにうずくまっていた。そうして死ぬのを待っていたのだが、彼の予想した死はいつまで経っても訪れなかった。洋一は恐る恐る顔を上げた。目はかすんでおらず、ソファーの足もはっきり見える。洋一はゆっくりと身を起こした。伝説の書は目の前にあり、気絶する前とおなじページを開いていた。本を手にとった。文は消えていた。書いたのか? と彼はつぶやいた。左手で、あの苦痛の中、まともな文が書けたのか疑問だったが、どうやらうまくやったらしい。自分は死体じゃない。そして――
「太助!」
 と友人のもとに駆けつける。洋一は心臓に耳を当てた。動いている。息はあいかわらずか細いが、まだ継続しているようだった。それから彼は服の袖で、太助の首元をもどかしげに、だけど慎重に拭っていった。
 傷が塞がっている。
「勝った」
 と彼は言った。後ろによろめくと手をついた。
「やったぞ、勝った……! おじさん、やったよ!」
 奥村は部屋に一歩踏みこみ、そこで立ち止まった。
「おじさん……」
 奥村に呆然たる時間が訪れた。死人か彫像になったようにも見える。まさにそのとおり。息子が死んでいたら、彼の時間も今ここで止まっていたにちがいない。
 奥村は洋一を見る。生きている。ついでその視線は息子の上に釘付けとなった。彼は唾を飲んで、
「太助……」
 と血にまみれた息子に近づく。夢遊病者のように不確かな足取りで、枕元にひざまずく。そっと首に手を当てている。なにも感じなかったが、もうすこし強く指を押しこむと、脈動があった。彼は呼吸を止め、すこし震えながら、息子の胸に耳を当てる。衣服は血に塗れていたが、その奥にある肉体は温かく、確固たる心臓の音が聞こえた。生まれ落ちたときからしてきたように、息子の小さな心臓は脈打っていた。そのとたん、奥村の目からぽとりと涙がこぼれたのだった。
「生きている」
 と奥村はつぶやく。左顔を朱にそめ、息子の顔を見つめる。血色がさし、太助の肌は温かい。呼吸はひっそりとしているのに、今の彼にはむやみに力強いものに思えた。生まれたての赤子を見るように、息子の呼吸をじっと見た。やがて、首をがっくりと垂れ、はらはらと涙をこぼす。太助、太助、お前生きていたか、とそのことだけを噛みしめた。熱い固まりが胸におしよせ、彼はそれを嘔吐するように吐きだした。涙がどっと出て、今は静かに眠る息子の顔にかかった。太助お前生きていたか、とそれだけを思った。後は言葉にならなかった。
 洋一は疲労と痛みの中を漂っていた。自分が立っているのか寝ころんでいるのか、そのことも判然としなかった。呪いがついに脳におよんで、判断力の大半をかすめ取ってしまったかのようだった。奥村の歓喜を確かに味わった。自分のしたこと、自分の存在が、ようやく価値のあるものに思えてくる。その一方でひどく疲れ切ってもいた。本の力は太助に下った死そのものをモルドレッドに移しはしたが、彼の呪いは消えなかった。だから奥村の歓喜を噛み締めながらも心の奥底では楽しめずにいた。自分が早晩死に至ることをわかっていたからだ。
 洋一は無言でその歓喜の様を眺めていた。それから洋一は右手の呪いが消え残っていることをしげしげと眺めた。それどころか彼の呪いは肩まで広がり半身まで届いている。顔の半分を覆いつつある。洋一は今度は安堵ではない観念のため息をはいた。伝説の書は二人のこどもにかかる死を、伝説の王に移しはしたが、呪いを止めるにはいたらなかった。彼は呪いが消えるようには書かなかったし、もう一度挑むつもりもない。右半身に広がった呪いから目をそらすと、もう一度ため息をつく。それから口元を手の甲で拭い(血がべっとりとついた)、おそるおそる指で喉に触れ(血がべっとりとついた)、もう塞がっているが、蛇の傷口が醜い肉腫のように盛り上がっているのを感じた。
 奥村は息子の体を幼子のように抱いて立ち上がっている。洋一にはそんな太助がひどく小さく見えてまた少しうらやましくもあった。
 洋一は呪いが半顔におよび、唇が麻痺してうまくしゃべれない。
「息子のために命を張ってくれたのだな」
 洋一はどう答えていいかわからなかった。大人が泣くのにもなれていなかったし、自分が大それた事をしでかした気分でもあった。
「おおげさだよ。太助だってぼくを助けてくれたんだ」
 奥村はひどく優しい目になった。「このことを俺がどう感じるかだ、牧村洋一。俺はこの恩を生涯忘れない。お主は息子を命をかけて救ってくれたから、俺もお主のことは命を懸けて守る。我が息子にして我が主君と心得た」
「でも、ぼく、そんなに大したことやってない。文を書いただけだ」
 洋一はとうとう困って助けを求めた。
「男爵は、男爵はどうしたの?」
 奥村は目を背けた。洋一は妙な胸騒ぎがした。
「男爵は? 男爵はどこ? 男爵は……?」
 そのとき部屋に入ってきたのはアジームだった。
「洋一、男爵はだめだ」
 そのとたん洋一の胸を空虚な痛みが引き裂いた。
「だめ? だめってなに? ぼくはちゃんとやったんだ! 男爵に会わせてよ」
 アジームは部屋を出ようとする洋一の肩を押さえた。
「離して離してよ、男爵に会うんだ」
 洋一はアジームの手をふりはらい、部屋を飛びだした。廊下はモーティアナの魔術がまだ残っているのか、真っ暗なままだ。洋一は男爵を捜して廊下を走った。男爵のあの老人の顔が見たい。今思うと彼はミュンヒハウゼンに褒めてもらいたくて、この難関にも挑んだのだ。
 廊下の先の外階段、ほらふき男爵は青白い顔をして横たわっている。ロビン・フッドの仲間たちも集まっている。そばに膝をついていたアランとガムウェルがふしぎと落ちついた顔で彼を見る。
「男爵……」
 アジームが追いついてきた。「モーティアナにやられたのだ。やつは男爵が倒したようだが」
「心臓は動いているが、目を覚まさない」とガムウェルが言った。「モーティアナの呪いが男爵に入りこんだとしか思えない」
 洋一はミュンヒハウゼンに近づくことが出来なかった。名付け親のありさまを認めたくなかったのだ。
「ぼくはちゃんとやったのに、なんで……」
 アランが剣を鞘におさめながら立ち上がる。
「もう、ここを出よう。ロビンを探しに行かないと。さきほどの場所を見たが、ロビンは帰っていなかった。だが、モーティアナは死んだのだから、どこかにいるはずなんだ」
 アランの声は切実な願いをふくんでいる。アジームらがこの年老いたほら吹きな男を担ぎ上げた。モーティアナは倒したが、ロビンとちびのジョンは消え、男爵もまた目を覚まさない。結局この戦いは痛み分けとなったのだった。

○     2

 そのころ、ロビン・フッドもまたちびのジョンにおぶわれてあてどもない旅路についていた。二人は暗黒の部屋を放りだされて、見知らぬ土地に放りだされていた。けれど、ロビンの身に巣くった呪いは、おなじ呪いをもつ人物を感得していた。牧村洋一だ。
 ロビンは背中からジョンに指示して、洋一を感じる方へ彼の足を導いた。
 そうして、ロビンはかつての仲間と再会したのだが、そのときには彼の身を裂く死の呪いはあまりに深く、生命力は幾ばくも残されていないようだった。ロビンはそこで牧村洋一の話を聞くことになるのだが、それはまだ少し先のお話である。

○     3

 話は洋一少年が、奥村たちに連れられて、モルドレッドの目を逃れ、とある河原に身を隠した所からはじまる。
 洋一はその小屋の中央に太助とならんで寝かされていた。すぐ隣には奥村がすわり、小刀でオレンジを剥いているところだった。太助はまだ目を覚まさない。
 洋一はときおりぶつぶつとつぶやく。奥村はときおり手をとめて二人の様子を確かめる。
 洋一は太助の死をどうにかモルドレッドに移すことができた。けれど、かれ自身の呪いはより一層深まってほとんど動くことが出来なかった。亀裂は半顔にまで広がって、口もうまく動かず片目は見えなかった。そんな状態だったのだが、洋一は考えなければならなかった。この状況を打開する方法を。脳に死がおよぶ前に、思いつく必要があった。せめて、文字が書けなくなる前に。
 洋一は、ロビンが自分の元に向かってきているのを知っていた。二つの呪いは響き合い、それが互いの呪いを深める結果ともなっていた。けれど、彼にはロビンが必要だ。物語にはロビンというピースがいると、なぜかこのとき感じていた。ロビンがいれば、この状況を打破できる気がする。そのトゲのようなひっかかりは、抜けばアイディアがあふれだすことを彼に教えている。
 洋一は棘がだんだんと抜けていくのを感じた。理詰めで考えていくことで、無駄なアイディアはどんどん削られていった。そして、トゲはあるときポトリと抜けた。洋一は奥村を見上げて言った。
「おじさん、本を持ってきて。モルドレッドを殺す方法をずっと考えてたんだ」
 正確にはあいつが死ぬ設定を考えていた。あいつが不死身なのにはちゃんとした理由がある。聖杯の力、赤子の魂、マーリンの呪い、それらはいずれもアーサー王の世界のものだ。ロビンの世界にはモルドレッドを倒す方法がない、と彼は考えたのだ。そもそも元のロビンの物語にはモーティアナさえいなかったし、魔術もまったく登場しない。あいつはアーサー王の世界の人間だから、あいつを倒す方法もアーサー王の世界にあるはずである。そして、モルドレッドという宿敵を倒すのは、やはりアーサー王その人でなくてはならないのではないか? すくなくとも、アーサー王の持ち物をつかうべきなのでは? 洋一は今度もGoサインが出たのを知った。サインが出たら、すぐに書くべきである。時期をのがすということは、作品の風味までのがすということになりかねない。洋一は早く書きたくて苛々としたが、奥村にひととおりの話をした。
「洋一、まさか……」
「エクスカリバーだよ。アーサー王の力を借りるんだ。あいつを殺しそこねたのはアーサー王じゃないか」
「ああ――だが、洋一、アーサー王自体は死んだことになっている。ロビンのように蘇らせる気なのか?」
「ちがうよ。もっといい方法を思いついたんだ。アーサー王を蘇らせることもできるかもしれないけど、これは小説のようで小説じゃないでしょ? つまり、下手なアイディアなんか伝説の書が相手にしてくれないから」
 洋一は本を持ってきて、と言った。奥村はやれるのか、と訊いた。
「やれなきゃぼくら本の世界を抜けだせない。みんなモルドレッドに殺されておしまいだ」洋一は、「ロビンが近くにくるまで待とう。それで、文を書く。それまで、力をためておかないと。アイディアはいけると思うんだけど、伝説の書がどんなつじつま合わせをしだすか、読めたもんじゃないし……」
 洋一は奥村が妙にニコニコとしているので奇妙に思った。「どうしたの?」
「いや、ずいぶんたくましくなったものだと思ってな。お主は伝説の書をすっかり使いこなしているように見えるぞ」
 洋一は照れたように笑いながら、頭を枕にもどし、妙にまじめな顔をして天井を見上げた。ノッティンガムでの一件が洋一に自信をあたえているのだ。洋一は離れて眠る名付け親を見た。口には出さずこう言った。待ってて男爵、今度はぼくが男爵を助けて上げるからね。

○     4

 洋一が書いたわずかな物語はまたしても本の力が吸いこんでいく。初めて目にするアランたちは、その不可思議な力に驚いた。伝説の書がすっかり文を吸いこむと、辺りに霧が漂いだした。突然のことに表の兵士たちが騒ぎはじめた。
「うまくいった」と洋一は言った。「後はロビンがやって来るのを待つだけだ。そんで、ぼくと行ってもらう。どうなるかわからないけど。もうこれしか方法がないと思うんだ」
 奥村は無言でうなずいた。胸裏ではもちろん不安と疑問が渦を巻いているが、もはやこの少年が伝説の書に書きこんだ以上、そのとおり行動するほかない。反すれば、痛いしっぺ返しを喰らうだけのことである。

 ロビンとジョンは洋一の言うとおりの方角から、言うとおりの時刻にやってきた。二人ともひどい格好で、ジョンはあちこち骨を折っているし、ロビンにいたっては呪いで死にかかっている。
 二人はその足で洋一の説明を聞くことになった。そのころには目の前のグラストンリヴァーにアジームらの手によって、ボートが用意されていた。
 洋一が久方(のような気がする)に見るロビンの様子はまずかった。呪いは彼以上の勢いでロビンを襲ったらしい。ロビンは担架に身を横たえてろくろく身を動かすことも出来ない。呪いに支配され、体の自由がきかないのだ。結局、太助と男爵の隣に寝かされることになってしまった。
 そこは川にほど近く、小川につくられた小さな水車小屋である。ロビンは藁の上でまさしく川の字となって洋一の話を聞いている。
「アヴァロンに行くだって? ばかげてるぜ、そんなもな!」ウィル・スタートリーはイライラとして言った。「もうアーサー王はたくさんだぜ。みんなアヴァロンがなんなのか知ってんのか。まともな話をきいたことがあるのかよ」
「お前の話を聞こうか」とロビンは言ったが、声はまったく弱々しい。
「黙ってくれよ、今話してるだろ。考えをまとめさせてくれよ、まったく。アヴァロンの話なんてよ、ガキのころ寝物語に聞いたきりだぜ。そんな島、現実にねえけどな」
「だが、モルドレッドはいたろう。死の呪いもあった。あいつは本物だ」
「アヴァロンってのは死者の島だろうが。アーサー王が埋葬された島だろ? そんなとこ行ってなんになるんだよ。なんで行かなきゃならねえ。だいたい、そんな大昔のよ、ことによりゃモルドレッドの味方かもしれねえ野郎の了見を、なんで俺たちが飲まなきゃならねえ!」
「エクスカリバーだよ。モルドレッドを殺せるのはエクスカリバーだけなんだ」
 洋一が言うと、スタートリーは血相を変えて首を上げたが、物憂げに考えこむ洋一をみて黙りこみ、頭を元の位置に戻した。まったく半死人ばかりじゃないか。
 アジームが、「この川をさかのぼればアヴァロンに行けるのだな?」
 と言ったので、みなは驚いた。異国人の(それも異教徒の)アジームは、一番にこの話を信じまいと思っていたからだ。
「たぶん」と洋一も心許ない。「ぼくは本にそう書きこんだ。でも、問題もある。アヴァロンは死者の島だから、死人しか入れないんだ。この中ではぼくとロビンだけだ」
「なんでおめえとロビンなんだ」
 ジョンが目を剥いて言った。洋一は話した。自分とロビンだけが死の呪いに冒されたこと。それにより半分死に浸かっていることを。
「エクスカリバーなら」とロビンが真上を見たまま言った。「モルドレッドの首をとれるんだな?」
 洋一は迷った。そのことについては彼にだって確証がなかったのだ。この手の古い話に詳しいのは男爵の方なんだから!
 ウィルはとうとうすねてしまった。「ちぇっ、他の仲間が生きてるかどうかもわからねえのによ。アヴァロンに行きたあい、だなんて、正気の沙汰たあ思えねえや。つまんねえ連中についてきたもんだよ。俺のこと笑えたのはどの口だよ。どれもこれもあほ面下げて、アヴァロンでもどこにでも行くがいいや! 俺はここで釣りでもして待ってるからよ。片腕だってなんだってできるんだ。みやげでも持ってきてくれよな。食い物だってみつくろえ。せいぜい腹空かして待ってら」
 スタートリーはみなに背を向けた。みなこの男の口をもてあまして、苦笑をみかわすのみだった。ウィル・スタートリーはその後もぶつくさ言っていたが、
「で、いつ行くんだよ」
 と最後にはこのひねくれ者も折れて言った。彼らは魔女とも対決したし、スタートリーにいたっては、モルドレッドの邪法に腕を砕かれている。伝説のエクスカリバーも今では信憑性がある気がした。
「古の力に対抗できるのは古の力だけかもしれん」
 ロビンは観念したように吐息をついた。アランが立ち上がり、外気をとりいれようと、大きな両開きの扉を開けにいった。
「ちくしょう」
 とウィル・スタートリーがうめくのが聞こえた。汗にまみれた彼の額を冷えた風が吹きさらす。小屋の外は濃密な霧がおおい、一寸先すら見えなくしていた。その霧は真に濃く、真の暗闇のように白かった。
「見ろよ、伝説の書とやらあ、俺たちをとっぷりと捕まえてるらしいぜ」

○     5

 ようやく目を覚ました太助ともすぐさま別れとあいなった。出発前、洋一は奥村と太助の三人で話をした。
「どう思う?」と洋一は二人の考えを訊いた。
 太助はまだ動けずに伏せっている。彼は隣で眠る男爵に目をやって、
「君だけで行くのは反対だ。ロビンは動けないし、もどっても来られないかもしれない」
「ジョンみたいなことは言うなよ。ぼくらしか行く資格がないんだ」と洋一は言った。「伝説の書にはそう書いたし、それが一番いい方法だ」
 奥村が、「が、エクスカリバーで本当にモルドレッドを殺せると思うか? ジョンとロビンの話ではあやつ本当に不死身らしい」
「男爵は物語を利用しろって言ったでしょ。今回は……」と太助に目を落とす。「それでうまくいった。モルドレッドはアーサー王の物語の登場人物だから。エクスカリバーは絶対に利用できる。もちろん、もう一度本をつかうことになるかもしれないけど」
 奥村はうなずいた。確かにこのまま座していても、ロビンも洋一も死を待つばかりだった。
 太助は寝床で汗を滴らせている。
「ありがとう洋一。命を救われたな」
 洋一はなぜかどきりとして目を伏せた。「今回はな……」
「次回もあるように言うな」
 太助は苦笑をして、愛刀を差しだした。洋一は手を振って退けようとした。
「いらないよ。向こうにいるのはどうせ死人だ」
「それでも持っていて欲しいんだ。持って行け」
 と刀を振った。洋一はなんとなく太助の気持ちがわかったので、受けとった。

 困ったのはジョンだった。寝転がって首も動かせないロビンにくどくどと反対をはじめたからだ。
「おめえはろくすっぽ動けもしねえんだぞ。洋一と二人で行かすなんてとんでもねえ。なにがあるかもしれねえんだぞ。そんな所におめえらだけでアーサー王に会いに行くなんて正気の沙汰じゃねえ」と言った。「なあロビン。あいつはまだこどもじゃねえか。弓矢をとって戦ってくれるわけじゃねえんだぞ。一体誰がお前ら二人を守るってんだ」
 そのこどもを偉く買っていたのは、どこのどいつだとロビンはおかしがった。
「死者の島に弓は不要だよちびのジョン。洋一はいざとなれば役に立つ男だ。俺のことはあいつに任すさ」
「もうあきらめろジョン」とアジームが見かねて口をだした。「お主には行く権利がないのだ」
 ロビンがやさしい声で、「お主はここにいて準備を頼む」
「準備ってなんだ。おめえ、動けもしねえじゃねえか」
「それでもだ、ちびのジョン。後のことは任せたぞ」
 ちびのジョンは泣きたくなるのをぐっと堪えた。「わかったよ、ロビン・フッド」と寄る辺のないこどものような声で言ったのだった。
 仲間たちはやれやれと肩をすくめた。

○     6

 グラストンリヴァーの濃霧は薄れることがなかった。液体のように肌にまとわりついてくる。
 ロビンと洋一は四人乗りの大きなボートに乗りこんだ。ロビンは船底に横たわる。洋一はボートを漕いだことなどなかったのだが、それでもともかくオールを握った。船縁で仲間たちが見下ろしている。太助は父親に背負われ、その肩の隙間から心許なげな顔を覗かせている。洋一はその友人の刀を足にたてかけた。なんだか自分が馬鹿になったように感じる。オールはやたら太かった。ミニチュアのおもちゃになった気分だ。
「洋一」とジョンが言った。「ロビンのことは頼んだぞ」仲間を振りかえり、「洋一だって体がきかねえんだぞ。川上なんて辿り着けるはずがねえ」
「こんな霧が出ていてもかね、ちびのジョン」と奥村が言った。彼にはこの霧こそがアヴァロンへの道しるべのように思えたし(あまりにも魔術的な出来事だ)、洋一の確信に満ちた態度も信頼をよせるには十分なものだ。この少年には、その直観で、なんども命を救われてきたのだから。
 ロビンは濃霧にのみこまれている。弱々しい声で言った。「俺たちは必ず戻る。お前たちこそ、身辺には気をつけろ」
「今のあんたに心配されちゃ、世話ねえや」
 とスタートリー。ロビンが合図にうなずくと、アジームは杭のそばに身を屈め、三日月刀を勢いよく振り下ろしてロープを斬った。
 ボートが恐ろしい速さで動きだしたのはそのときだった。ちびのジョンには手を伸ばす余地すらなかった。ボートはあっという間に霧の中に飲まれていく。「洋一!」と太助の声がした。
「おじさん、太助、ジョン!」
 と洋一は言ったが、目の前では霧が流れるばかり、みんなの姿はたちまち見えなくなり、自分を呼ぶ声も聞こえなくなった。洋一は恐ろしくて、太助や奥村の名を幾度も呼んだ。
「ロビン、ロビン、船が勝手に動いてるんだ! ぼくらすごい勢いで流されてる!」
「川上か? 川下か?」
「わからないよ。でも、向きは変わってないから、川上だと思う」
「ならば予定通りだろう。心配するな」
 とロビンは言って長い吐息をついた。洋一はオールを握りしめながら、舳先を見つめた。

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