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歴史

  • 2019年11月18日
  • 2020年2月17日

スフィンクスと27人のサムライ

1864年(元治元年)二月のこと 27名の侍が、スフィンクスと一葉の写真に収まりました 彼らの正体は第二次遣欧使節団 横浜開港をなかったことにする、という幕府の無茶ぶりを受けて、フランスに向かった人たちです 34名でしたが、7名が観光は不謹慎と、同行 […]

  • 2019年11月18日
  • 2020年2月17日

鎖国か海禁か。

鎖国という迷走 鎖国という言葉は、江戸期の対外政策を示すのに、全く適切な言葉ではない―― 学者間では、二十年以上前から言われ続けてきたそうですが、テレビの影響などで浸透して参りましたが、実際の所、なぜ鎖国という言葉がうまれ、ここまで広まったのでしょう […]

  • 2019年11月18日
  • 2020年2月17日

鉛玉の行方

種子島以来、大量の鉄砲を製造した戦国日本ですが、鉄砲玉は、それ以上に必要だったはず 国内だけでは、鉛が足りず、遠くメコン川流域からも輸入していました 信長も秀吉も、鉛の確保には苦労したのかもしれませんね

  • 2019年11月18日
  • 2020年2月17日

姓名の行方

主人公の名前が、仁右衛門 この衛門、や、兵衛 歌舞伎以外では、なかなか名前につけなくなりました もともとは、朝廷の、衛士につけられた官名でした 中世ごろに庶民が名乗りはじめ、室町期には定着 江戸時代には、名前の半数が、右衛門、左右衛門、兵衛でありまし […]

  • 2019年11月18日
  • 2020年2月17日

大江戸お子様事情

江戸時代の乳児死亡率は、千人につき二百人前後 大正時代から、急速に下がって、現在は、千人につき三人になりました その分が平均寿命に現れているわけですが、成人を迎えられたのは、半分ほどであったそう 七才までは神の内、といって、江戸っ子たちは、子供を大切 […]

  • 2019年11月15日
  • 2020年2月17日

昭和も使えた寛永通宝

寛永通宝は、一文銭と四文銭がありました 230年間に400億枚が作られたとも言われます 幕末に鋳造は終わりましたが、明治になっても寛永通宝は使えたのです 明治四年に、寛永一文銭は、1厘として使用できることになったからです 明治政府は、1厘銭をあまり発 […]

  • 2019年11月15日
  • 2020年2月17日

江戸の寿司

江戸の寿司は今の、三倍から四倍の大きさがありました さすがに一口では食べられず・二つに切って出すこともあったそうで 今の二貫出しのスタイルのもとになったと言われています

  • 2019年11月15日
  • 2020年2月17日

江戸炬燵事情

そろそろこたつの時期ですが 江戸では、ひばちとこたつをだすのは、、十月最初の亥の日と決まっています お城で、火鉢を出したため、町人もならいました

  • 2019年11月15日
  • 2020年2月17日

隆興剣術

奥村仁右衛門は直真陰流の皆伝者で、近藤のもとで天然理心流も学んでいます  江戸中期までは、百姓町人が、武術を学ぶのはよろしくないと禁令が出ていましたが、幕末近くになって、庶民にも流行しました  竹刀が開発され、怪我人が減ったため、 […]

  • 2019年11月13日
  • 2020年2月17日

グレる黄門

水戸の黄門様は、家康公の孫 由緒正しい家柄の人物ですが、若い頃はグレてました 悪友たちと遊び歩き、相撲大会で、刀を振る舞わしたり、遊郭にはまったり そんな光圀を厚生したのが、司馬遷著「伯夷伝」 家督相続を譲り合う兄弟の姿に感銘を受けたのだとか

  • 2019年11月13日
  • 2020年2月17日

おとば用人

新選組八犬伝の冒頭の舞台は、上野寛永寺となっておりますが、お寺といえば卒塔婆がつきもの この卒塔婆。裏表に梵字経文戒名没年月日が記してあります お盆お彼岸に備えて何千本も書く必要があり、準備に半年かかることもあるのだとか そこで登場したのが専用プリン […]

  • 2019年11月10日
  • 2020年2月17日

江戸の裏長屋はあんなにせまくてなぜ平気だったのか?

長屋は狭い 三坪ほどの長屋が一般的でしたから、欧米人があんな環境でなぜ我慢したのかと不思議がるのも無理はない ですが、江戸っ子たちは、町単位で生活していました お風呂は銭湯、銭湯の二階は解放されていて、そこでおしゃべりをしたりしてくつろぐ、後は神社の […]

  • 2019年11月10日
  • 2020年2月17日

お江戸大奥事情

下っ端はつらいよ 女中にもあったお目見え以下 町屋から採用された端た女中は、お目見えの資格はありませんでした 俸給は、たった三石ほど。頭分の御末頭が二人、お使い番、火の番が十三人ずつ この下に、御末と呼ばれる人たちが五十人。二石。 さらに、御犬子供と […]

  • 2019年11月10日
  • 2020年2月17日

お江戸の月見

月見が盛んになったのは、江戸に入ってからのこと 元は中国の風習で、赤い鶏頭の花を飾って、月見のためのお菓子「げっぺい」を食べました 日本ではすすきと団子 上流階級の楽しみだったものが、中期頃から、庶民が豊かになり余裕も出て、急速に広がりました 団子の […]

  • 2019年11月8日
  • 2020年2月18日

紀文な気分

江戸の豪商と言えばこの人、紀伊国屋文左衛門 あの、吉原を買い切り、大門を閉めさせること、三度。なかなかできることじゃない 元は紀州の人で、みかんを江戸で売りつけ大儲けをしたのが、江戸進出のきっかけでした。 京橋八丁堀に材木店をかまえると、材木を買い占 […]