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新撰組八犬伝の、近藤勇

新選組八犬伝。冒頭から、近藤勇がなくなります。この板橋での、処刑については、史実です。

近藤が捕縛された状況については諸説ありますが、

大久保大和と名乗り、それを御陵衛士の残党に看過されたのは、事実のようですね。

近藤勇の死没は、慶応4年4月25日(1868年5月17日)です。 上野戦争が、慶応4年5月15日(1868年7月4日) 沖田総司の亡くなったのが、慶応4年5月30日(1868年7月19日) 会津戦争が始まってる頃ですね。 本編では、雨の中の戦闘になってますが、史実でも連日の大雨だったようです

近藤勇の本姓は、宮川と言いますが、このお兄さんが音五郎です。近藤の留守中は試衛館や家族の面倒を見ていました。作中、仁右衛門らと近藤(弟)の処刑を見守っていたのがこの人です。史実でも、息子勇五郎(後、勇の娘、たまと結婚)と近藤の遺体を掘り起こし、龍源寺に埋葬した、という伝説があります。

平尾一里塚近くの馬捨場で、斬首。

さて、馬捨て場とはなにか?

馬捨て場――調べてみると、

江戸時代には、なくなった牛馬を、決められた場所に置いたそうです。皮を回収するためだったようです。

これは、幕府によって定められていました。

江戸時代の牛馬は、貴重な働き手であり、大切な家族として扱われていたはずで、近藤の刑場付近にも、馬頭観音の石碑があるそうです。

そんな場所で近藤勇を?

斬首したことといい、その後の首の経緯といい、新政府軍――土佐藩の強い恨みを感じます。

近藤の正体を見破った加納鷲雄は、伏見での近藤襲撃事件にも加わっていますから、この処刑にも、口を出していた可能性があります。

牛馬の解体は、馬捨て場で行われたわけではないですが、そんな場所で近藤勇を?

平尾一里塚の近くにあったそうですが、ここは、板橋宿の中ではなく、御府内でもないです。

なんだか、切ないので、本編では、設定を変えて馬捨て場というのはなしにしました。主人公、仁右衛門と、土方が見守ったというのも、史実ではなく……

歴旅コムさんです。現在の板橋宿……

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