新撰組八犬伝における井上源三郎

新撰組八犬伝と、井上源三郎

新選組八犬伝、の時点では、もうなくなっているので、作中には出てきませんが、私この人物が昔からなんとなくスキで、いや、とくだんな理由はないのに好きでして、新選組血風録では、みんなの足を引っぱったりと、ちっともかっこのよい役ではないんですが、では、現実の源三朗は、どのような人であったのかと、気になりまして。京都時代の、新選組八犬伝も描くかもしれませんし。

井上源三郎が、近藤とともに京に上ったのは、自身が35歳のときでした。

亡くなったのが40歳ですので、試衛館組では、永倉、斉藤の次に長生き? です。

源三郎の父は、八王子千人同心でした。源三郎は三男坊で、家は兄の松五郎が継ぎます。この松五郎も、近藤周作の弟子にして、天然理心流の皆伝者。

近藤勇の入門が、1848年で、兄弟ともに近藤勇の兄弟子にあたります。

源三郎が、試衛館に入門したのは、1847年です。免許皆伝を得たのは、1860年。ちなみに井上松五郎は、1845年に免許を得ています。

免許を得るまでに時間が掛かったということで、剣の腕はたいしたことがないのでは、といわれてしまった源三郎ですが、当時の目安で言うと、目録を得るのに3年。免許に10年。指南免許にはさらに10年と言われています。

目録や免許を受けるのには、お金が掛かりますから、千人同心といえど農民で三男坊の源三郎は、いろいろと苦しかったんではないでしょうか?

部下からも、源さん源さんと慕われていた#井上源三郎 ですが、本人はいたって無口で、朴訥とした性格だったようですね

池田屋では8人を捕縛と活躍していますし、六番隊の組長もつとめたことから、剣の腕は確かだったのでしょう。

近藤土方の兄弟子でもあり、試衞館組からの信頼は、絶大なものがあります

井上の源さんは、兄弟が多くて、五男五女です。先祖は武田家に仕えたと言われ、武田家滅亡後に日野に移住。

源さんの井上家が八王子千人同心になったのは、1713年のこと。

井上家の男子は、木刀の打ち込みで柱が細くなるほど剣術に打ち込んだため、農作業が遅れるほどだったといいます。

この井上家の分家に、沖田総司の姉と結婚した井上林太郎がいます。総司は、源さんの家によく遊びに来ていたので、自然、天然理心流を学んだんでしょうね。幼くから、剣術狂いの一家にもまれた総司。幼くして剣才を発揮したのもうなずけます。

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