大江戸拷問実情

 海老責め、石抱き、駿河問い

 江戸時代に考案された拷問は多種多様

 浮世絵にも残っているので、江戸の罪人には、悲惨なイメージがつきまといますが、実際のお白州は、事情が違ったらしく……

法の規制あり!

 刑罰、取り調べの手法が体系的に整備されたのは徳川吉宗の時代で、戦国以来の残酷な拷問に関しても、幕府公認となりました。

 まずは、鞭打ちと石抱きからはじめ、屈しなければ海老責め、それにも屈しなければ吊るし責めとなります。

 ところが、役人が独断で行うことは出来ず、複雑な法手続きが必要でした。

 対象にも決まりがあり、殺人、放火、関所破りの重罪人が対象となります。証拠が不十分では、許可すらされませんでした。証拠があるのに、口を割らない場合のみ拷問が行われたわけです。本人確認に罪を認めさせることが重視されたのです。

 町奉行へお伺い書を提出、老中の審査を経て、拷問が行われますが、やってもいいのは、先の四種類のみ。監視役にも、徒目付、小人目付、医師がつきました。拷問にかける時間も決まっていて、最大でも、二時間。医師の治療と休憩を挟みます。

そもそも江戸も中期をすぎると、戦国の気風は一掃となり、拷問や暴力に頼る役人は評価されませんでした。吟味上手が尊ばれるのは今も昔も変わりませんね。

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