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浮幽士 司馬

   14

 自分が死に向かって歩いていることを知っている。心を乱すな、四魂を保つんだと李玄は自らに言い聞かせる。これまでにないほど霊力術を開眼できた。けれど、肝心の霊力がもうほとんど残っていない。多重結界と、曲霊封じに使ってしまった。
 相手は鉄斎と互角に戦う化け物である。司馬の霊術と皇家の秘術をともに使える。自分がちっぽけに思えた。つい、体が強張りそうになる。
 恐れちゃだめだ、生き残る努力を最大限するんだと言い聞かす。なぜか自然に涙がこぼれる。それは怖かったからというよりも、鉄斎と鳳仙が自分を思ってくれたからだった。立ち止まり、二人のために泣いたらだめだと乱暴に涙を拭う。
 体には、鉄斎の残してくれた霊路霊丹の数々が、隅々にまで張り巡らされていた。だが、脳が恐ろしく疲れているのも事実だ。今日一日でこれまでにないほど酷使してきたのだから当然だろう。筋肉ならとっくに断裂していてもおかしくない。うまく温存しなければ、と自分を戒めた。疲労が濃すぎては冷静な判断を見失うかもしれない。死ぬことよりも、しくじる方が怖かった。
 結界を出ると、音が復活し、匂いも濃くなる。油と鉄の香りが鼻孔をさしたのである。緊張に奥歯を噛みしめながら玄武の気配を探った。 
「霊力の回復を待たれた方がよいのではござらぬか」
「だめだ、師匠の残してくれた結界も時間が経てば弱まってしまう」
 彼らは鉄斎が生きているように装っているが、玄武はいつこのからくりに気づくかしれない。それに霊術の問題がある。高度な感覚がなくなる前に勝負を付けたかった。
 彼は懐に結界符をねじこむ。わずかだが信念を持つようになっていた。以前なら、この体質を克服することが不可能なように思っていた。天才とうたわれた汪豹も相当の努力で克服したと聞いている。それだけに彼には父を尊敬する気持ちが強かった。鉄斎は、そんな自らに対する憤懣を打ち砕くかのように、霊力を完全に支配してみせた。使っているのは全く同じ肉体のはずだ。自分にも霊術が使えるのだ。
 あいつは自分が霊術を使えるのを知らない。第一撃は油断を付けるはずである。
 李玄は鉄斎から霊符を預かっていた。火術をこめた火符である。彼はそれを路面に貼りつけると、わずかに離れて真言を唱える。霊符を裂いて炎が噴き上がる。
「デュナン入ってくれ」
 ――よろしいので?
「ああ、奴は父上の体を使っているから、お前のことも見えるかもしれない」
 デュナンが取り憑いた直後だった。
「貴様一人か小僧」
 頭上から、汪豹の声が降ってきた。李玄は結界符を取り出し、デュナンは腰の剣を抜き出した。デュナンが素早く回転しながら、攻撃にそなえる。李玄は片手二指刀印を組んだ。
 来るのが早すぎる。やつはどこだ?
「鉄斎はどうした。貴様一人ではあるまい」
 玄武の声はぐるぐると回っているかのようだ。これでは出所がつかめない。李玄は目眩を堪えて怒鳴った。
「玄武! 姿を現せ!」
 そのすきに霊力をソナーのように伸ばす。デュナンは右足を中心にしてじわじわと体を回していく。
「貴様一人でどう戦うつもりだ。抵抗して何になる」
「黙れ!」
「浮幽士の貴様は貴重だ。大人しく俺のいうことを聞くのだ」
「お前は父上を罠に嵌めたではないか」
「だからなんだ。貴様に何ができる」
「しれたこと、お前の手から父上を取り戻すんだ」
 玄武の哄笑がした。「お前が父の何を知る? 鉄斎の何を? 司馬一族のことを何も知るまい。頑迷な長老共は全てを隠匿し、貴様らにはしらせようとしない」
「お前は誰なんだ……」
 李玄は一瞬唖然となった。玄武のいいようはおかしい。あれではまるで――
 ――司馬殿!
 デュナンが警告の声を上げる。玄武は彼の隙を見逃さなかったのだ。李玄は夢中で結界符を叩きつけた。霊符はコンクリートの上で微動しながら透明の結界を伸ばし、彼の体を足元から包みこむ。とっさに顔を上げると、四つの火球が彗星のように降ってきた。思わず腕を上げて顔をかばう。火球は見えない壁にぶつかり、平らにひしゃげて飛散していく。火の粉が結界の上を転がり、その音すらも耳に聞こえた。
「結界符か! 笑止な! 小僧、そこで固まるつもりか!」
 黙れ――李玄は護符を体に叩きつける。結界が胸を中心に広がり、全身を包んだ。デュナンが意図を察して走ると、結界は李玄とともに移動する。
「これならどうだ!」快哉を上げたときだ。
「面白い奴だ」
 耳元で声があがり、二人は夢中で飛び退る。李玄は胃の腑が裏返るような恐怖を覚える。玄武の顔が息が触れるほど近くにあったからだ。
 こいつ、ほんとに一瞬で移動するぞ!
 足元にはデュナンが見たという法陣が広がっている。しばらくぶりにみる父の姿だった。剣のかわりに松明を持っている。もう片方には、霊玉が七色にきらめく。父の顔はひどく青白い、その残酷な笑みを松明の赤々とした炎が照らし、不気味な陰影をつくっていた。
 李玄は夢中で霊路を地に這わしていく。見つかるな。あいつの油断をつくんだ。
 ――奴はなぜ松明を?
 ――五大元素の種だよ。あれを霊力で増幅させるんだ
 つまり霊術者といえど、無からは何も生み出せないのである。
 上空で工場のランプがつぎつぎに弾け、ガラスと粉塵がふってきた。結界の上にパラパラと積もる。が、玄武にはなんの影響もない。形こそ違うが何らかの結界を張っているのだ。
 汪豹の口を使い、玄武が怒号する。「お前は浮幽士としては完全ではない。霊術も使えず、父を攻撃できぬ貴様がどう戦う! 大人しく従え! 貴様のために言っているのだ!」
「馬鹿を言え! 死人になど従うものか!」
 霊路が松明に届く刹那に、力を送る。火の元素が活性化し、温度を上げ、たちまち巨大な火の玉になり、玄武を飲みこむ。デュナンは快哉を上げたが、李玄はくそと言った。霊力をこめた火炎だから、内部の様子がわかるのだ。玄武にはなんの影響もない。
 玄武は松明を大きく回しながら火炎を巻き取り、頭上に固める。太陽とみまごうような大火球である。玄武は回転を加えて投げつけた。李玄は息を飲んだ。とても、結界符では耐えられない。
「デュナン、あれを斬れ!」
 デュナンが夢中で剣を振りかぶる。李玄はその剣に霊力をあつめる。真っ向から切り下げると、霊気の剣風が太陽を二つに斬り裂いた。半円の火の玉が李玄を避けるようにして左右に落ちた。結界はたちまち溶けて、胸の護符は塵になった。霊衣がバサリとはためいて、あちこちを焦がしていく。火炎は水をまき散らすようにして地面にぶつかり、炎の湖面を伸ばしていく。デュナンは頭をかばいながら炎を飛び越えすさった。李玄が残りの護符を胸に貼ると、途端に後頭部に衝撃が走る。霊気の玉をぶつけられたらしい。あやうく頭をかち割られるところだ。
 李玄は夢中で下体を練り上げた、韋駄天の法をつかって逃走にかかる。
「貴様、鉄斎に何事か施されたな!」
 声が上から降ってくる。デュナンが振り向くと、玄武が空中を飛ぶようにして走っている。
「あやつめ、空を飛びおった!」
「ちがう、霊力で空気を固めてるんだ!」術を放つのが見えた。「左に飛べ!」
 デュナンは軽く跳ねたつもりだったが、韋駄天の法を扱い損ねて、左方の壁に激突する。李玄はこれまでこんな術をあつかったことがないのだから、デュナンも難儀なことだった。
 寸前まで彼らのいた場所を霊気が見えない鎌のように薙ぎ払い、地面を断ち割っていく。簡易結界などまるで歯が立たない威力で李玄は青くなる。
「だめだ、師匠と互角に戦った奴と霊術合戦じゃかなわない」
 李玄は辺りに霊路を伸ばして、鉄パイプをからめとった。これを槍のように投げつけながら、玄武の視界からどうにか逃れる。李玄は天地に身を眩ます法を用いた。
「今の内に隠れよう」
 デュナンが慎重に走りだした。李玄は心の中で首をひねる。
「おかしいぞ、あいつが玄武なら、なぜこうも司馬一族の術を使えるんだ」
 いくら汪豹の記憶や知識があるとて、使っているのは玄武自身のはずだ。皇兄の玄武が戦いに慣れているとも思えない。
 デュナンが、巨大な機械の群れに隠れこむと、彼は必死に策を練った。どうやったらあいつを鉄斎の部屋に誘いこめたものか。自分まで入っては鳳仙が封印術を使えない。かといってこのまま戦い続けるわけにもいかない。下手をしたら鳳仙が見つかってしまうかもしれないのだ。
 李玄が最後に確認したとき、玄武の霊玉はあきらかにしぼんでいた。あいつの霊力も無限ではないのだ。が、こちらの霊力も残り少ない。
 李玄は蒸気を見つけると、霊気の球をつくって、中に蒸気を吸い集めた。あやうく火傷をしかかる。掌に浮かべてみる、ひどく高圧なのが自分でもわかる。思いの外うまくいった。球体の内部で真っ白な蒸気が渦を巻いている。霊気の壁を通しても火傷をしそうだった。霊術合戦は発想の勝負だと師匠に教わったが、まさしくそうかもしれない。
「俺は父上に怪我をさせられない。本気で攻撃するなんて無理だ。それに、あいつにはこんなもの通じっこない」
「何を弱気な……」
「あいつの攻撃をわざと受けよう。やられたふりをするんだ」
「そんなことをすれば鉄斎殿の二の舞だ」と難色する。「禁縛術をかけられてしまう。そうなったら戦えませんぞ」
「俺たちは師匠とはちがう。危険だが……」
 李玄は簡単に説明した。それはデュナンにとって危険な方法だったが、デュナンは覚悟をきめてうなずいた。立ち上がり、周囲の様子を確かめる。めくらに逃げたようだが、李玄の誘導で二人は結界術の深くまで戻ってきていたようである。
「あと少しなんだ、やろう。命までは取られないはずだ」と自分に言い聞かせる。「あいつもこの世界じゃ、霊力を集めるのに苦労するはずだ」
 きっと李玄の霊力も欲しがるはずである。
 決意を固めるためにその場に剣を置いて物陰を出た。心臓が早鐘をうっている。胸の中で三倍までふくらんでいる。李玄は四魂を落ち着けようと、強く息を吸い、大きく吐いた。
 工場の真ん中をはしる通路は、緑に彩色してあり、中央がわずかに盛り上がっている。李玄とデュナンはその通路を歩きはじめた。李玄はわざと手持ちの武器が見えるようにした。
「玄武! 決着をつけよう! これで最後だ!」
 すると、玄武もまた物陰から無造作に身をさらした。李玄の霊力が残り少ないことに気づいているのだ。左手の霊玉は再び大きくなっている。あの中には朱仙おじの霊力も詰まっているのかもしれない。そう思うと、李玄は父でもある玄武をはっきりと憎んだ。
「あきらめがついたか」
「あきらめるもんか。だけど、この先には行かせない」李玄は全身に金剛力の法をしかけた。「お前は朱仙おじと羌櫂殿を殺した。師匠まで殺させないぞ」
 蒸気をこめた霊丸を投げる。機械でも出せないような剛球だが、玄武はたやすくこれをかわし、霊丸は地面にめりこんでしまった。蒸気が穴から轟々と噴き出す。攻撃を外したようにも見えたが、狙い通りだ。玄武が李玄の懐をとる。霊力で高めたすさまじい体さばきだった。剣の達人デュナンもこれには対応できない。玄武は李玄の肩をつかみ上げると、上体を引き起こして、腹部に手刀を叩きこむ。
「叔父と同じ傷にしてやったぞ。ありがたく思え」
 玄武の霊手が、腹を引き裂き、右の背まで突き抜けた。李玄は唸り声もたてられず、玄武の腕にもたれかかる。
「四魂を乱すなと師に教わらなかったか、出来損ないめ。死を早めたのはお前の方だ!」
 玄武の腕から、何かが送りこまれてくる。禁縛術だった。玄武はなじるように舌打ちをする。
「このていどしか霊力が残っておらんのか。貴様を仲間にするのはあきらめたぞ」
 玄武が腕を抜くと、緑の床に血雫が走る。李玄は内臓を引きずり出されるような痛みにのたうちまわった。玄武は苛立たしげに彼の頭髪をつかみ上げ、
「その年でこの程度しか霊術がつかえんとは情けのないやつだ。貴様の親父も落胆しているぞ」
 こめかみをコンクリートに叩きつける。李玄はあまりの衝撃に意識を失いかけたが、どうにかこらえて気絶したふりをした。
 玄武は弟子を片づけると、鉄斎の霊力を探し当てる。
「あの部屋か。積年の決着をつけてくれるぞ」
 玄武は李玄の体をまたぐと、壁際の一室に向かった。李玄は薄目をあけて、その姿を見送る。内臓が激しく損傷して、口元からは血が溢れていた。李玄は血にまみれた舌を口の中に戻し、デュナン、頼む、と呟いた。

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