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浮幽士 司馬

   9

 李玄は鳳仙に全てを話した。途中で鉄斎がようやっと目を覚ました。ともあれ、太守神社には別界の人間が大勢駆けつけており彼らは近づくことも出来ない。三人は救援を求めることもできず、自分たちだけで汪豹に立ち向かわなくてはならなくなったのである。
 そこは工場の一室である。鳳仙は結界を張り、別界の人間からは部屋の存在自体を眩ましている。
「朱仙は皇家の術だと言ったのだな」
 と鉄斎が言った。彼は横たわったままである。鳳仙が、汪豹殿はやはり秘術を盗むために玄武を殺したのですか、と訊いた。
「正確なところはわからん」鉄斎は疲れたように吐息する。「汪豹を支配している者は、おそらく皇兄玄武」
「玄武? 皇兄を殺して契約霊としたのですか?」
 と鳳仙が身を乗り出す。李玄と鳳仙は両側から鉄斎をはさんでいる。鉄斎は李玄の方を向いて、
「李玄、わしの身をおこせ」
 李玄と鳳仙は言われるがままに、鉄斎の体を起こして、霊衣をまくりあげる。すると鉄斎の背中、肩甲骨の合間に法陣が描かれているのが見えた。朱仙らが目にしたのと同質の物である。
「これが霊力を吸い取っているのですか?」
 と鳳仙。鉄斎はいかにもとうなずく。額には脂汗がにじんでいる。鳳仙は服を元に戻し、そっと寝かしつけると、鉄斎の襟元をていねいに整えだした。
 李玄はデュナンが見た物を正確に鉄斎に伝えた。
「朱仙と羌櫂はわしに治療をほどこしたのだろう。霊力が半減したまま奴と戦うことになった。対して玄武は二人の霊力をすら吸い取ってしまったのだ。わしの霊力も今もって奪われているようだ」
 李玄はぎゅっと膝頭をつかんだ。そんなやつとどう戦えばいいんだ?
 敵が実際には父ではないと知って、李玄は少しほっとした。鳳仙も同じのようだった。むしろ玄武の存在やそのやり口を知って、憎むところが大きかった。汪豹の体を乗っ取っただけでも許せないのに、他人の霊力を奪うやり方が姑息な気がしたのだ。
 李玄は我にかえって鉄斎を見おろした。鉄斎はふだんは飄々としたところのある老人だったが、今はきまじめな顔をして自分を見上げていたからである。
「二人とも心して聞くがいい」とおもむろに口を切った。「わしはじきに死ぬ。そうなればお主らは二人だけで汪豹と対さねばならん」
「禁縛術をとくことは出来ないのですか?」
 と鳳仙は言ったが、誰が聞いても無理な相談だった。鉄斎の霊力はすでに尽きかかっているのである。
 鉄斎は諦めたように首を戻した。別界の無機質な天蓋が見えた。李玄同様、彼もこの世界になじめぬようだった。
「本界との入り口は閉ざされてしまった。奴に対する方法はもはや一つしかない」
 と鉄斎は言った。いやに光る目で、李玄の目を覗きこんだ。李玄はつい視線をそらしたくなったが、できなかった。師匠がこんな目をしたときは、ろくなことを言わないとわかっていたのだが。
 果たして鉄斎の依頼は途方もなかった。
「わしを契約霊にしろ。死んだ直後に契約を結ぶのだ」と言ったのだ。
「そんなの無理だ」李玄は思わず腰を浮かした。「師匠は忘れてる――」
 鉄斎は李玄の声をさえぎる。「たしかに契約霊とできるのはこの世に残る霊魂のみだ。が、力ある術者を殺し、その御魂を次々と契約霊としたものがいた。死んだ直後ならば、肉体と霊魂は結びついたままなのだ。そのときに契約を結ぶ方法がある」
「師匠は知っているのですか?」
 鉄斎はうなずいた。「あの者が使った術式は伝わっておらぬ。が、その術理は想像出来ている。それを教えよう」
「では、汪豹殿は……」鳳仙の声が高くなる。信じたくないという響きが声音にまで現れた。「その方法を知っていたのですか? その術をつかって、玄武様を……」
「とも思えんのだ」と鉄斎は気遣うように李玄を見やる。目線を天井に戻し、「それではなぜ汪豹ほどの術者が体を乗っ取られたのか説明がつかん。たしかに玄武は相当な術者とみえる。これまでそのことを隠してきたやり口を見てもな。宮廷にいたころのわしには見抜くことができなんだ」それほどの男が大人しく契約霊になったとは思えなかったのだ。「奴には何か秘密がある。あれほどの法術をどうやって得たのかもふくめてだ」
 そんな、と李玄は首を垂れて涙ぐむ。「師匠まで死ぬなんて、俺には我慢できません」
「しっかりせぬか」鉄斎が声を励まし、叱りつけた。「汪豹を救えるのはお主らだけだ。わしが回復したところで、やつにはかなわん」
 李玄は信じられなくて、首を振った。鉄斎は都でも尊敬された霊力使いなのだ。鉄斎はこんこんとかき口説いた。霊媒体質で、外界の霊力を取りこみやすい李玄の体を借りれば互角の戦いができるかもしれないと言うのである。
「奴は司馬一族の術を使ううえに、皇家の秘術も体得している。どんな手を使ってくるかわからん。体のことはデュナンに任せて、お主は霊術に専念するのだ」
 鳳仙が話を割って、「しかし、李玄は霊術を使えません」
 鉄斎はかすかに首をふる。肉体の動きは弱々しかったが、その声は霊力をふりしぼり、二人の胸によく響いた。
「使えるのだ。デュナンに体を任せれば、霊術のみに専念することができるからだ」
 鳳仙は得心してうなずいた。だから、鉄斎は李玄に禁術を教えこんだのだ。長老達に知られれば、鉄斎といえば里を追われかねない。しかし、鉄斎も鳳仙に告げなかったことがある。デュナンの力を借りても、李玄が使えたのは霊術の初歩に過ぎないのである。李玄はそのことを思うと恐ろしくなった。幼児と変わらぬほどのつたない術で玄武と戦えるとは思えない。自分が死ぬならまだいいが、鉄斎の師を無駄にして、鳳仙もまた危険にさらすのだろうか?
 昔から、何をやっても足手まといの自分がいた。でも、今は子供の遊びをやっているわけではない。生死のやりとりの現場でも、昔と変わらないのだろうか?
 しかし、鉄斎には、自らを契約霊とすることに、あと一つ考えがあった。自分が体内から霊力を操れば、李玄にも体得できるはずだった。霊媒体質で、そのために霊力が膨大なものとなる体質にこそ、李玄の霊術を難しくしている要因があるのだから。訓練としてはこれ以上のものはないはずだった。李玄は黙り込んだ。
「だけど、師父は忘れています」
 と鳳仙が口を挟んだ。浮幽士の術がすべからく禁術となったのは、契約霊とされた者たちが、成仏できずに曲霊(まがつひ)と化したからだった。あのときは、里の者も滅却をする他なかったと聞く。
「曲霊となる前に契約をとくのだ。その間に玄武を倒すための結界術をほどこす。李玄、お主はわしの霊術を体を通して体得しろ。後は、玄武をおびき寄せればよい」
「玄武は来ますか?」
「わしが死んだとわかれば喜んで来よう」
 鳳仙はここまで「天地に身を眩ます法」を用いて逃げてきた。いかな玄武といえど、いまだ彼らの居所はつかめていないはずである。
「問題はやつの禁縛術よ。李玄の霊力まで奪い取られては手に負えん。二人で力を合わせて戦うのだ」
 鳳仙はさすがに揺れる面持ちで頷いた。
「お主は外に出ておれ。……これから李玄に契約術を教える」

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