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浮幽士 司馬

   19

 二人は瓦礫をはがして、結界の中心までたどりついた。汪豹は大人がやっと入るぐらいの小さな鉄の箱に閉じこめられていた。鳳仙が結界を解くと、鉄の壁がガラクタのように崩れ落ちる。汪豹の上体がぐらりと傾く。その背中には鉄斎がもたれかかっている。まるで、子が親を背負うかのようだ。李玄と鳳仙は二人の師匠の体をひきはがし、それぞれを床に横たえた。
 全ての結界が崩壊したためか、外界の音が二人のもとにも届いてきた。聞いたことのないような高く不快な音がする。
 ああ。李玄の口から溜息がもれた。汪豹の腹部は無残にひきさかれていたからだ。
「父上……」
 汪豹はすでに目を開けている。鳳仙が霊玉を取り出したのをみると、よせ、と弱々しい声で言った。
「霊力を吸い取られるだけだ」
 胸をかくような仕草をする。李玄が胸元を開くと、禁縛術が押印のように口を開けている。これでは回復術をかけられない。
 汪豹が咳きこみ、すると人血が噴水のように飛散した。李玄が頭を持ち上げると、後から後から血がこぼれる。けれど、そうせねば汪豹はしゃべれぬようだった。李玄は、ああなんでだ、と泣きたい気持ちで思った。なんで、父上なんだ。殺すなら、役立たずの俺にすればいい。父上は里にだって、必要なんだ。
 けれど、もう遅かった。鉄斎の死も全て無駄になったのだ。
「すまなかった……すまなかった」
 と汪豹は二人の弟子に謝る。鳳仙は涙を浮かべて頭を振る。手と霊玉に涙が落ちて痕をつけた。
「鉄斎殿は亡くなったのだな」
 と溜息をつくように言う。実際には鉄斎は彼の脇に横たわっていたが、もう目が見えぬようだった。汪豹が片腕を上げた。見えぬ何かをつか蒙としているようだった。
「朱仙を、羌櫂の体をのっとるつもりだ。追って、追ってしとめねば……」
 李玄と鳳仙は顔を見合わせた。あの二人は生きていたのか。しかし、玄武ならそうしていてもおかしくない。汪豹の体がだめになったとき、逃げこめる肉体ならいくつあってもいいはずだ。だけど、あいつは契約霊ではないんだろうか。
「師匠、もうよいのです」
 鳳仙はやさしく汪豹の手を握る。汪豹はわずかな間目を閉じて、また開けた。瞬息、意識をなくしたようだった。
「李玄――李玄は大きくなったのか……」
 私はここにいます、と李玄は言った。汪豹は声のする方に首を傾けようとした。李玄は父の広い背中に腕を通してこれを助けた。父を抱くのは初めてのことだった。
 汪豹と李玄は久方ぶりに目を合わせている。互いに涙をこぼし、何かを通い合わせていた。霊路でもなんでもない、親子の親愛の情がある。李玄はこの人の息子なんだと強く思った。汪豹は彼を愛してくれたから。そのことを目で語っていてくれたのである。
「お前の成長が楽しみだった。お前の……」
 汪豹はしゃべりはじめたが、もう口を開けることもできぬようだった。声がひどく小さくなる。眼から何かが失われていく。汪豹の魂は肉体を離れようとしている。手紙をありがとう、と汪豹は言った。それは、もう聞き取れぬほど小さな声だった。
「父上、死なないで下さい。父上」
 と李玄は父をゆさぶる。鳳仙が肩をつかんだ。李玄が顔を上げると、汪豹の耳に口を近づけ囁いた。
「汪豹師父、我々が相手をした者は何者です。あなたは玄武兄を殺したのですか?」
 李玄はひゅっと息を飲んだ。
 しばし間が空いた。二人は汪豹が死んでしまったものと思った。しかし――
「ほうけん……」
 と汪豹はつぶやいた。それが最後の息だった。腕に重みがかかったかと思うと、汪豹の頭は急に後ろに下がってしまった。鳳仙がその頭を支えた。
「父上!」
 李玄は汪豹の胸に顔をうずめた。全身をよじりはじめた。もうこらえきれなかった。
 気がつくと、鳳仙が彼の髪を撫でていた。
「すまなかった。私はどうしても聞かねばならなかった……」
 李玄は夢中で父の亡骸に語りかけた。父がいなくてどんなにさみしかったか、どれだけ愛していたのか、これまで離れていた年月分の思いを語りたかった。
 それは、いくら語ってもつきることはなく、また伝えきれることではなかったのだが。

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