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浮幽士 司馬

   3

「何者だ!」と李玄が階上にたつ鳳仙に目を止めて言った。が、すぐに鳳仙の装束に気がついたようだ。「本界の者か? そこで何をしている?」
 鳳仙は顔をしかめた。親しくはないが、顔見知りのはずである。
「そうか、貴様デュナンとかいう契約霊だな」
 と鳳仙は言った。李玄がうなずいた。
 よく見ると、その目は青みがかっている。肌も白いようである。
 鳳仙は契約霊がつくと、浮幽士の体に若干の変化が起こるという話を思い出した。
「司馬殿は眠っておられる」
「眠っているだと? 契約霊を取り憑かせたままでか」
 そんなことをすれば、体を乗っ取られてもおかしくはない。
 鳳仙は、叩き起こせ、と怒鳴った。
 神社の戸が開いた。声を聞き付けて出てきたのは、朱仙と羌櫂である。ともに司馬一族の霊術使いだ。鳳仙は霊力で五体を高めると、すばやく李玄――デュナンに身を寄せて、唇を耳にそばよらせた。
「あの二人は司馬一族の者だ。しばらく李玄の振りをしろ」
 と言った。

   4

 鉄斎は司馬一族の天才だから、たいていの者が手ほどきを受けている。
 朱仙と羌櫂も弟子である。
 二人は鉄斎の様子に驚いて、急いで社に運びこんだ。
 李玄の目を覚まさすのなら今の内だった。鳳仙は李玄を境内の脇につれていった。ややうつむいた李玄の目が、青から黒に変わるのを見たが、表情を変えず、「戻ったか?」と鳳仙は訊いた。
「鳳仙? なぜここに?」
 と李玄は目を一杯にして身をひいた。現在、別界にいる司馬一族は、自分と鉄斎だけのはずだったからだ。
 デュナンはすでに体を抜け出して脇に浮いている。生前は東方の騎士だった男だ。死後も金髪碧眼の姿を保っている。鎧を着込んでいるが、それが死んだ直後の姿なのだという。
 が、依り代の体質でない鳳仙には見えない。
 ――この娘、里で見かけましたな。
 とデュナンが心に語りかけてくる。李玄は鳳仙には気づかれぬようにうなずき、
 ――宗家の一人娘だよ。俺は苦手だ。
 と返した。李玄は分家の出だからろくに話したことがない。感情を表に出さない娘で、どこか近寄りがたかった。整った顔立ちだけに、実際の性格よりも冷たく見える。李玄よりも二つ若いが、霊術を使いこなすことに関しては天才である。
 李玄は疲労が重りのようにのしかかってくるのを感じた。眠気を強く感じる。
 李玄はそれを振り払って、
「皇帝一家との約定を忘れたのか? 別界に来ていいのは、師匠と俺だけのはずだぞ」
 鳳仙が李玄の口をおさえて黙らせる。意外に小さな手だった。
「お主こそ自体が飲み込めていないな。約定の期限まで三月だ。もうほとんど過ぎてしまったぞ。汪豹殿をいますぐに捕らえなければ、一族がどうなるやわからんのだ」
 李玄は口元の手をおしのけると、涙を隠すように頭をかいた。
 司馬汪豹が皇兄の玄武を殺害したのは、半年前のことだ。
 司馬一族でも飛び抜けた天才霊力者で、宮廷術士として都に召し出されていた(前任者は鉄斎)。占術の他に、宮廷の術者の育成、皇家の護衛にも携わっていた。それが、皇兄を暗殺したうえ、別界に遁走するという事件を起こしたのだから、都は天地を返す騒ぎとなった。
 皇家は異能者ぞろいの司馬一族を畏れもしたし利用もしてきたが、今度ばかりはその恐れが現実となったわけである。
 目撃者こそなかったが、現場には確定的な証拠がいくつも残されていた。宮廷での信任は厚かったが、都を抜けたことはいただけない。宮廷術師が無断で都を離れること自体禁じられているのである。
 政府では、汪豹と反瀏組織(瀏は国家名。反政府組織のこと)との結びつきを疑っている。
 鉄斎は都におもむき、汪豹の無実を主張したが、宰相たちは聞き入れない。そもそも得体のしれない霊力者自体を嫌っているのである。
 司馬一族は自らの手で同胞を捕らえ、都に護送せねばならなくなった。
 鳳仙はちらりと社をかえりみて、「朱仙殿と羌櫂殿も別界に来ている。声を抑えろ」
「叔父きもか?」
 李玄はいくぶんほっとした。朱仙は汪豹の弟だし、鳳仙とて元々は汪豹の弟子なのだ。
 長老たちが殺害の腹を決めたのかと思ったが、生きたまま捕縛することを諦めてはいないようだ。都に戻り、申し開きをすべきだと。
 鳳仙は吐息をつくと、視線を有らぬ方にやった。
「――が、羌櫂殿も一緒だ。大臣たちは鉄斎殿の遅れを疑いはじめている」
「師匠まで? なぜだ?」
「反瀏組織との関わりを鉄斎殿も疑われているのだ。言いがかりだが、司馬一族自体がつながっていると、噂する者もいる」
 と鳳仙は言ったが、この疑惑は以前から囁かれてもいた。
 ともあれ汪豹が無実ならすぐに出廷していいはずだった。鳳仙は、
「汪豹殿に会ったのか? デュナンは戦いに敗れたと言っていたぞ」
 李玄はつと目を反らしたが、
「本当だ。二人がかりだったが父上にはかなわなかった」
 そもそも二人は汪豹と戦うつもりがなかった。汪豹が本当に皇兄を殺めたとは考えられなかったからだ。都でも複数の下手人が手配されていた。
 汪豹が、罠にはめられた、とも考えられていたからだし、李玄はそう信じている。けれど――
 汪豹はそもそも聞く耳を持たなかった。
 李玄は不意打ちをくらい、危うく死にかけた。後はもう、ろくに話すことも出来ずに霊術合戦だ。
 このことの意味することは何か?
 李玄の心は千々に乱れた。疑惑が蛇のようにとぐろをまいて、胸の中をうねっている。
 唯一の肉親が、会得した霊術で人を殺したんだろうか?
 それも皇兄を殺したのか?
 李玄は下を向いて吐き気に耐えた。
 鳳仙は話をそらし、「ここは別界のどこにあたる」
「日本という島国だ」
 と思いを断つようにして額をぬぐう。
 鳳仙の後方に浮かぶ神主装束の男を顎で示し、
「そこに宮司がいる。二十年前に死んだそうだ」
 李玄、と鳳仙はさらに声を低めた。『五感を霊力で高める法』を恐れてのことだ。司馬一族は、聴覚をたやすく高めるから、気が置ける。
 彼女は李玄も知らぬ話を説明した。
「羌櫂殿は使い手には違いないが、汪豹殿にやぶれ宮仕えを逃した過去も持っておられる。お主ら浮幽士のことも快く思っていないのだ。霊に関することは口にするな」
 李玄は少し青い顔をしてうなずいた。羌櫂が怖いというよりは、過去の迫害をまざまざと思い出してのことだった。
 浮幽士の術は、浮幽霊と契約を結ぶことからはじまる。契約霊の持つ能力(デュナンであれば剣術)を五体に発現する者のことを言うのだ。
 が、今となっては禁術である。
 かつて浮幽士だったものが、能力の高い者を次々と殺し、契約霊にしてしまったことがあるためだ。
 以来、長老たちはこの体質の者が生まれることすら嫌った。修行を積んだ浮幽士は、司馬の里でも汪豹しかいない。
 李玄も表向きは浮幽士としての修行を受けていないことになっていた。デュナンという霊を従えていること自体、知る者は少ない。
 そもそも、浮幽士の術は体質によるところが多かった。霊と交信のできる霊媒の体質でなくてはならない。膨大な霊力も必要だ。普通の術士では霊力の消耗が激しすぎて、逆に体を乗っ取られかねない。そもそも素質のある者自体が少ないのである。
 李玄は幼い頃から忌み子と呼ばれ続け、孤独な少年時代を過ごしてきた。
 李玄は我に返ると、鳳仙を見た。この娘はじっと李玄を見つめている。
「皇家はなんと言ってる。父上を殺してでも連れて来いと?」
「当然だろう。皇兄を殺して蓄電してしまったのだからな」
「だから使い手のお前と羌櫂が選ばれたのか?」
 李玄は身を引いた。鳳仙の大きな目が、急に険しくなって迫ってきたからだ。
 鳳仙は李玄の目前に顔を立て、
「忘れるな。汪豹どのは私にとっても師に当たるのだ。汪豹殿が死ねばいいなどとは、里の者も思っておらぬ――皇兄を殺したのが、汪豹殿などと……間違いであればよかったのだが」
 李玄は黙りこんだ。
 汪豹は自分と鉄斎すら、殺しにかかったのだ。
「李玄、我々も困り果てている。汪豹どのが出廷せぬのなら、王宮での嫌疑を自ら認めたことになるのだぞ」
 鳳仙は苦渋に目を曇らせる。李玄がはじめてみる、感情をのせた顔だった。
 李玄は恥じ入るようにうつむいた。師匠以外で汪豹の味方についてくれる者が、他にいるとは思わなかった。
 ――よい娘ではありませぬか
 デュナンがとりなすように言ったが、李玄は答えず、
「羌櫂殿と話してみよう。父上をどう思っているのか、確かめておきたい」
 鳳仙はうなずいた。李玄はハッと黙り込んだ。朱仙が音もなく現れたからである。鳳仙も驚いて振り向いた。
 『五体を天地に溶かす法』を用いたのだろうが、鳳仙の背後をとるとは、この朱仙も相当の使い手だった。
「朱仙叔父……」
 と李玄は言った。信頼できる叔父の顔を見て、李玄は心の緊張が保てなくなった。
 父親に殺され掛かったという事実よりも、父親にすら否定されたような気がして、そのことの方が辛く感じた。
 李玄は拳を突き下ろすような格好をしたまま、とぼとぼと涙をこぼした。
 朱仙は李玄の肩を叩くと、そのまま抱くようにして神社のほうへ連れて行った。鳳仙も無言で後に続いた。

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