恐怖の雑学
知ってはいけない雑学
身勝手蟻
アリ、といえば、身近な昆虫で、チームワークの良さが目につきますが、実は、アリは協力しあってなどいないのです。最新の研究では、アリは互いを監視し合っており、ルールーを破った個体を処罰さえしているのです。
まず、餌を集めるの働きアリですが、この働きアリは全てメス。産卵は女王アリの仕事なので、この働きありたちは、エサを集めるだけで、生涯をおえるのです。働きアリがもし産卵をはじめたら、他の働きアリは妨害行為にうつり、卵を破壊したりするのです。ちなみに兵隊アリもメス。
アリの雄は、交尾のためだけの存在。その命は、約一週間しかありません。雄アリは、体を引きちぎられ、幼虫や働き蟻のエサになってしまうのです。メスの寿命は1~2年。雄は子孫を残すだけの存在なのです。
ちなみに、20%が働き者のアリで、60%が一般的なアリで、残りの20%が怠け者のアリで構成されるといわれており、有名な働きアリの法則、となっています。働きもののアリばかり集めても、この法則が適用され、かならず働かないなまけもののアリが出てきてしまうのです。
ドッペルゲンガー?
世界には自分にそっくりな人が三人はいる――この説は本当なのでしょうか?
その答えは、科学的にも正しい。
遺伝子の多様性には限りがあり、同じ家族や、同じ民族同士ならば、共通した遺伝子セットをもつため、似通った遺伝子が、似通った外見をもたらす、というもの。
アジア人と、ヨーロッパ人が似ることは少ないけれど、祖先が近ければ近いほど、うり二つの外見をもつ人が生まれる可能性は高くなるのです。
自分の写真から、そっくりさんをさがしだす、「ツイン・ストレンジャー」なるサービスもあります。
本当は考えない人
東京上野の国立西洋美術館には、ロダン作、考える人、が設置されています。フランスの「石膏原型」でつくられた21体のうちの一つです。
裸ですわりこみ、左膝に右肘をつき、顎を拳に乗せるその姿――いかにも思索にふけっているように見えるのですが。
しかし、この正体不明な男性は、考えているのではなく、見ているのです。
オーギュスト・ロダン(1840~1917年。近代彫刻の父と言われる)が、考える人をつくったのは1880年のこと。このロダンさんは、フランスの彫刻家であります。このときロダンがつくった彫刻は、イタリアの詩人ダンテの叙事詩「神曲」地獄編に登場する、地獄への入り口をモチーフにしたもので、高さは5.4メートル。幅は3.9メートル。重さは7トンにたっする巨大なものです。その中で考える人は、地獄の門の上部に配置されています。地獄に落ちた罪人たちがもがき苦しむさまを、見ている、のですね。群像の中の一部だったのです。作者のロダンは、その像を、詩人と呼んでいたそうで、この像に感銘をうけたリュディエという鋳造家が、この男性だけを拡大して鋳造、「考える人」と命名しました。ロダン命名ではなかったのですね。
考える人、の右後ろ下側には、リュディエのサインも入っております。
彫刻は、絵画などと違って、原型、とよばれる型を作って製造します。原型さえあれば、作品を大量生産することも可能で、絵画の贋作よりもよほど簡便です。本人の許可をとらない複製が出回ることは、ロダンの生きた時代にも存在。ロダンの場合は、原型から石膏像をつくる権利、をフランス政府に寄贈しています。なので、ロダンの原型は、フランスのロダン美術館が管理しています。
国立西洋美術館の考える人は、ロダンの原型からつくられた公式なものです。こうしてつくられた作品をオリジナルというのですが、フランスの法律では、何体までつくるかを明確に定めています。壊れたから、もう一体、とはならないので、上野の考える人も、とても貴重な物なのです。
煙草の軽い重い?
煙草は体にわるい――でもやめられないということで、軽い煙草に変えた、とはよく聞く話ですね。ですが、10ミリの煙草を1ミリに変えれば、煙草の害は10分の一になるのでしょうか?
答えはそんなことはなく、健康へのメリットがないことは、煙草会社自らが認めています。煙草一本に含まれるニコチンの量は、どの銘柄どのタイプでも、6~7ミリ。そのうち体内に吸収されるのは、1~3ミリになります。
軽い煙草と重い煙草に差はないのか、というと、そんなこともなく、違いはフィルターなのです。軽くなるほど、フィルターの穴の数が増えていきます。結果として強く吸う必要が出てくるのですが、実際の喫煙では、フィルターの穴が指や唇で塞がれています。ヘビースモーカーなら、根元まで吸う、肺に長くためる、などの「代償喫煙」が考えられます。重い煙草より、ニコチンやタールの摂取量が増えてしまうという本末転倒な可能性も出てくるのです。
また添加物も軽いものほど多く含まれているようです。
ニコチン吸収率を上げる薬品。喉の通りをよくする薬品。燃焼剤などで、いずれも体にはよくないものばかりで、煙草の煙害をさけるには、やはり禁煙するしかなさそうです。
ピンピンコロリは4パーセント
人間誰でもピンピンコロリを志したいものですが、厚生労働省の統計データによると、96%は病気などを原因になくなっています。健康に気遣っても、病気交通事故などでなくなることが多いようです。
オナニー死
腹上死とは、よく聞きますが、自慰行為で死ぬ人は意外に多い物なのです。全国では年間200~300例。危ないのは腹上死と同じく過度の飲酒後のマスターベーションで、飲酒による血圧の上昇にくわわって、オナニーで血圧心拍数がさらに上昇。脳出血などの危険が増大してしまいます。
これは若くてもおこり、数十回におよぶ自慰行為をおこなった高校生が、性ホルモンの過剰分泌で急死した例もかなりあります。脳波が興奮状態となり、心肺停止にいたってしまった――遺族はやりきれません。
こうした性ホルモンの過剰分泌による症状は、「テクノブレイク」とよばれています。
くれぐれも、テクノブレイクには、お気をつけください!
言ってはいけない雑学
ご冥福をお祈りします
葬儀でつい言ってしまいそうですが、これも言ってはいけないフレーズの一つ。
冥福は、冥土で幸福になることを表しています。これだけなら、よい言葉と思ってしまいがちですが、冥土が問題。
冥土とは、亡者がさまよう場所のことなのです。浄土真宗では、死後は極楽浄土に行くと考えられています。なので、冥福ということは、個人は極楽浄土にはいけず、冥界に行った、ととらえられるかもしれないからです。
お相手の宗教にもよりますが、冥福という言葉は使わず、追悼の意を表します、もしくは、安らかなご永眠をお祈りします、などと表現した方がよさそうですね。
やってはいけない雑学
歯磨き粉とアレルギー
虫歯予防には歯磨きがかかせませんが、この歯磨き粉、アレルギー反応が起こる場合があるのです。
歯磨き粉にかかせない、フッ素、香味料、保湿剤。いずれもアレルギーを起こす可能性の高い物質。
泡立ちをよくする、ラウリル硫酸ナトリウム。これは、甘みを感じる味蕾を、数分間も麻痺させてしまいます。ご飯の前に、歯磨き粉をつかって、歯磨きなんて、ナンセンス!
アレルギー症状としては、口内炎が多く見られますが、ひどくなると、全身の発疹、呼吸困難などが上げられます。舌の裏側は、薬品を吸収しやすく、のみこまなくても危険はあるのです。アレルギー体質の人は、成分にご注意を!
オーストラリアの場合
オーストラリアは誰の者か?
五万年前。オーストラリアは誰の者だったのか?
当時の海水面は、現在よりも百メートル以上も低いものでした。オーストラリアは、ニューギニア島、タスマニア島とつながっていたのです。かわって、スマトラやボルネオはアジアと地続き(スンダランドという)で、両大陸は容易に行き来ができる状態でした。
オーストラリアの先住民といえば、アボリジニです。
オーストラリアの発見?
歴史に残るヨーロッパ人のオーストラリアへの上陸は、1606年まで遡ります。古代インド人と混血していたという研究や、黒人や白人と交流していたというアボリジニの伝承もありますが、とまれ、オランダ東インド会社の上陸以降、ヨーロッパ人は少しずつ大陸を確認していき、自らの名を残していくことになります。オーストラリアを”発見”した有名人にはイギリス海軍の探検家、ジェームズ・クックがいます。
1786年には、イギリスにより、流刑植民地とされ、囚人による開拓がはじまります。1839年の流刑制度の廃止まで続きました。
1851年、金鉱が発見され、ゴールドラッシュがはじまります。この時点で、437665人の人口が、十年後には、1168149人の2.6倍強まで激増します。
オーストラリア、人を選ぶお話
このとき、大量の中国人鉱夫が移民となって押し寄せます。
外国人に仕事を奪われる――現代の移民問題にも通じる危機感を持った白人社会は、アジア系移民を標的に、法的に移民を制限しようと動き出します。
1901年、オーストラリア最連邦成立。「移民制限法」とうういろいろ剥き出しの法律が作られます。これにより移住希望者は、書き取りテストに合格する必要が出てきたのです。
移住希望者の母国語以外の言語でのテストです。このため合格者がほとんど出ないという、極めて不公平な法律となっていました。合格すれば……という甘い期待を隠れ蓑に、白人以外の移民は認めない試験となっていたのです。
この制度は、差別意識を生み出し、法に影響を与えるようになります。非白人の移民者には、雇用、社会保障、選挙などにおいて、厳しい制限が加えられていくようになるのです。
こうした、白人を優先し、非白人を排除する政策を、白豪主義と言います。
内外の批判を受けて、方向転換をはかるのは、ようやく1960年代になってからのことです。
オーストラリアにもともといた人々……
オーストラリアで徹底した迫害をうけたのは、アボリジニの人々でした。
ヨーロッパ人の侵食がはじまるまえ、アボリジニの人口は約30万人〜100万人と言われ、250の言語が存在(現在は75にまで減少)、700の部族があったといいます。
病気のもちこみ、スポーツハンティングの標的などで、1920年代には、七万人まで減少します。
天然痘などの伝染病への免疫がなかったのですね。インカ帝国や北米のインディアンにも通じる話です。
1828年には、開拓地に入り込んだアボリジニは、自由に捉えて殺していいという法律まで出来たのですから恐ろしい。
オーストラリア政府が、隔離政策について謝罪したのは、2008年になってのこと。
イギリスの植民地となって以降、200年の間迫害が続き、現在も貧困などの問題を抱えています。同化政策により、多くが都市部に住むようになりました。政府から援助金も出ていますが、それを酒やドラッグにかえるなどの問題も発生しています。