日本関所実情

 関所のはじまりは飛鳥時代といわれていますが、お江戸の関所は、どのようなものだったのでしょう?

 関所が厳しかったのは、江戸時代の前期まで、です。
 全国、53カ所に設置され、明治二年の廃止まで、お江戸を守っていました。

 鉄砲などの武器が江戸に入らないようにしていたわけですが、他にも大名らが人質として、江戸に住まわせている奥方ら女性が、勝手に江戸を出ないよう見張る役目もありました。

 現在は、箱根関所が、発掘調査から古文書の解析まで行い、忠実に復元されています。

※四大関所の一つ

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 中期以降は、主要な関所を除けば、通行は容易となっていました。通行手形の入手は容易であり、関所を破ったとしても微罪になることが多かったようです。

 五街道の整備が進み、流通が活発化すると、厳格な手続きのままでは物理的に追いつかなくなっていきます。

 特に8大将軍吉宗の時代に、流通を円滑化させるために、制度の簡略化がはかられます。

 主要な関所以外、監視は緩和され、通行手形は檀家になっている寺院、長屋の大家に頼めば、奉行・藩主の許可がなくとも、簡単に発行されるようになります。

 規制緩和のおかげで、庶民の流行が活発になっていきます。

シーボルトも、日本ほど旅行が一般化している国はない、と残しております

関所役人が手形を売るケースもあり、脱藩者でも関所を通るのは不可能ではなかったのです。

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