水戸光圀の光と闇

いやあ、ドラマのイメージというのも恐ろしいもんですね

水戸黄門といえば、あたくしの雑学でもいくどか取り上げましたが、この水戸藩二代目藩主徳川光圀は、若年の過ちでは許されないような悪行を重ねています

それは、辻斬り!

辻斬りで、殺した人数は、五十人以上とも

一方で、十代の頃から、吉原の遊郭通いで、浪費をすること

そんな光圀も、18才で中国の歴史書、史記に出会い、改心して、学問文化事業に取り組みます

19才にして、大日本史の、編纂に取り組み、この大日本史の価値観が幕末の勤王活動に影響を与えることになります。

黄門様の大事業は、幕末に至って、日本の舵取りに大きく関わることになるのですが、事業を取り仕切った家臣と水戸藩は大変です

家臣、儒学者を全国に派遣。そうして集まった膨大な資料を整理編集する、人員施設も必要!

光圀のおかげさまで傾きかけていた財政は、さらに転がります。書物のために、財政の三分の一を投入! 赤字は膨らみます。

それを埋めるのに、農民には大増税! 藩士の給料は削減! 年貢率は、八公二民に跳ね上がります。黄門様ひどい!

こんな状況ですので、百姓一揆は頻発、逃散が相次ぎます。

水戸藩庶民にとっては大迷惑だった「大日本史」ですが、幕末の志士活動に影響を与えたという点では功績でもあります。編纂作業は明治にいたって、ようやく完結。二百年を優に超える大事業でした。

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