徳川将軍は、何を食べ、どんなくそをしていたのかーー?
どんなくそをしていたのかは、わかりません。
将軍の生活は、機密事項で、あまり記録には残されていないからです。
ただ、明治になって書かれた旧幕臣たちによる聞き書き「千代田大奥」には、こんな放し飼い載っています。
まず、朝食。
〇一の膳
汁とご飯。向こう付け(刺身、酢の物)、平(煮物)
〇二の膳
吸い物・焼き物(きすのしおやき、付け焼き)
このうち、好きなものをお目仕上がったそうで。
上は、十二代将軍家慶のもので、他の連中はと思ったが、徳川慶喜なんて将軍としては、江戸の地は踏まなかったんじゃねえか、と思われるし、なんだかアワレを感じますな。
まあ、いいとして
この将軍の食事のためだけに、千代田城には、食事係として、およそ、八百から千四百人ほどが詰めていたそうです。赤字が膨らむわけだーー
御前奉行の毒味はもちろん、小姓が最後の毒味も行ったそうで、他人の箸のついたものは、食べられない! なんて、言ってられない。将軍って、シェアする人だったんですね。
将軍や御台所(奥様)の食事を担当する人は、御前所台所人と呼ばれたそうですね〜〜しぶいぜ