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ホラーハウス

看護婦長

     11

 祥輔は目の前の光景を信じることができなかった。だから、まず知覚に入りこんできたのは、音だった。扉の向こうでは、大勢のこどもたちが廊下でさわいでいた。小学生みたいだ。みんな私服で男の子は坊主頭。女の子はおかっぱが多くて、それでみんなちょっと痩せていた。
「ここ、岡崎医院だぞ」
 と武彦がいった。廊下に出てみると、明るくてまったく雰囲気が違うが、たしかにあの医院だ。こどもたちは祥輔たちをきれいにさけて走り回っている。
「ほんとに見えないのか」
 振り向くと自分たちの出てきた扉がある。向こうは夜、こことはまるで気色のちがう、冷たい鉄筋の廊下だった。そして、扉の上の札には、第一病室とあった。ここには患者が寝かされていた病室があったはずだ。武彦は入ったことがあり、記憶では左右にベッドが三つずつ並んでいた。病室の反対側には診察室がある。祥輔は太った院長が手術室から飛び出してくるのをみた。でも、今はない。太一が祥輔に口をよせて、
「看護婦長だ」といった。「あいつの匂いがする。まちがいないよ」
 祥輔たちはこどもたちをさけながら、玄関側の廊下に向かった。右手にはあの待合室がある。壁には扉が三つ並んでいて、便所と掃除用具いれになっていた。
 祥輔は受付にかがみこんで、小窓の向こうのおばさんと話す男をみあげた。長身でめがねをかけている。短髪にかりそろえた髪が清潔そうにみえた。祥輔は首をひねった。どこかで見かけた気がしたのだ。
「名簿をもってる」
 祥輔がいうと、武彦は消化器を床において、腹にさしこんだ自分たちの名簿をとりだした。そっちは血のりがついて表紙もけばけば、すっかり古ぼけているが、男の手にしているものと、まったく同じ作りだ。三人は武彦の名簿をのぞきこんだが、表紙の文字は薄くて読めない。祥輔は男の手から名簿をとろうとした。太一がとめた。そのとき、看護婦がこどもたちをかきわけて、廊下の際から先生のことを呼んだ。尾部先生という名前だった。先生は窓口に名簿をおいて、さわぐこどもたちを叱りながら、看護婦のところにいった。
 祥輔はすばやく名簿をとった。受付の女もまわりの子供たちも名簿のことには気づかないみたいだ。
 祥輔は受付からにじりさがりながら、尾部先生と看護婦をみた。その看護婦はていねいに化粧をしたきれいな人だったけど、表情がとぼしかった。うごくのはほっぺただけ、本心では笑っていない感じだ。それで、尾部先生が、愛想よくしてはいるけれど、ほんとうはきらっているとわかった。なんでこんなことがわかるのか、それじたいわからなかったが。
「あいつ、看護婦長だ」
 太一がいった。
「まさか」
「匂いだよ。今の看護婦長はいろんな匂いがするけど、あの女の人の匂いも持ってた」
「声もちょっと似てるぞ」
 と武彦もいった。祥輔にはわからないが、この二人には常人には感じられないことが、感じとれるらしい。
 そのとき、三人の目に壁に貼られたカレンダーがとびこんできた。まるでカレンダーが巨大になって、目玉にせまったみたいな見え方をした。月は八月。そして、年号には、昭和十九年、とあったのだ。

 

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